2025年関西政治集会 青年発表
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現在、われわれは資本主義社会のなかに生きています。資本主義というのは、本質的に差別や排外主義を含み持ち、格差、抑圧を構造的にもたらすものです。世界の労働者人民は、現在、帝国主義、植民地主義、家父長制などの下で、さまざまな差別・抑圧に苦しんでいます。われわれは、全世界のあらゆる人民の解放を求め、すべての差別の根絶、資本主義・帝国主義打倒、世界共産主義勝利の闘いを推し進めていかなくてはなりません。青年は、反戦、反基地、反植民地主義、パレスチナ解放の闘いなどに参加するとともに、なかでも反差別闘争、セクシャル・マイノリティ解放闘争の重要性を新たに認識し、独自の運動を推し進めてきました。
21世紀の現在、世界の変化により、市民社会における左派の総体は影響力を失い、単なる労働者階級という属性だけでの団結を求める仕方では、労働者階級の中にもはらまれる差別・排外主義との闘争に勝利していくことができないため、革命運動は困難になっています。新たな革命の主体として位置づけられるべきなのは、抑圧されたマイノリティであり、マイノリティによる連帯、これと連帯する労働者階級の闘いの中にしか新たな道を切り開いていく方途はないでしょう。そして、マイノリティ性というのは、「規範」や「標準」とされているものからの絶えざる逸脱です。その逸脱には底はなく、逸脱であるからこそ革命的でありうるのです。だから、マイノリティを資本主義の側に取り込んでいくことはもちろんですが、マイノリティをマジョリティの従来の運動の枠内に押し込めていくことも正しくないでしょう。マルクス主義者であったフランスの哲学者ジル・ドゥルーズは、生きることそのものがマイナーなものへと生成変化することであると説き、人民それぞれがマイノリティ/マジョリティの境界線を内から突き崩していくところに革命のビジョンを設定しました。
このような模索は今に始まったことではないはずです。大学「解体」を掲げた全共闘運動、そして、とくに七十年代以降、主に新左翼がこれまで取り組んできた天皇制反対、入管体制打倒、朝鮮や台湾などの東アジア、アイヌ、沖縄等への日本帝国主義の侵略・抑圧に抗する闘い、いわゆる「第三世界」との連帯の闘い、寄せ場における闘いなどというのは、中心-周縁の構図を否定した、絶えざる逸脱、脱中心化、脱「規範」化の闘いでありました。それらの闘いの延長線上に、セクシャル・マイノリティ解放の闘いは位置づけられるのです。
ゲイ、レズビアン、バイセクシャル、トランスジェンダー、ノンバイナリー、アセクシャル、アロマンティック等のセクシャル・マイノリティの存在は、支配権力によって市民社会のなかに浸透してきたジェンダー規範を根底から揺さぶるものであります。日本においては天皇制のもとに作り上げられてきた家父長制、性別二元論、シスヘテロ規範、モノガミー規範、性役割や性表現の規範などのなかで、逸脱する存在として隠蔽されてきた存在です。それらの人々が声をあげるということは、統治に不可欠な諸々の規範をゆさぶるものとして、支配権力をゆるがすものでありえるのです。
マルクス主義という単一の教養ベースが失われ、哲学思想的には「大きな物語の崩壊」、「ミクロ政治学」、等と名付けられる今日的な状況において、中央権力闘争至上主義から、脱「規範」化の闘い、反差別の闘い、へとシフトした社会運動は、今日に至るまでに、組織というものがもたらす抑圧からの解放を求めて組織をあきらめるか、ミクロな権力関係への考察を放棄して(すなわちセクシャルマイノリティをはじめとしたマイノリティとの実践的結合を放棄して)マジョリティ間の団結を固めるかという大きく二択の道を選びました。しかし、われわれは、レーニン主義に基づく前衛党の指導のもとによる革命という理念を、ミクロな権力関係への考察とともに、セクシャルマイノリティをはじめとしたマイノリティとの実践的結合によって、推し進めていかなくてはなりません。それは、絶え間ない差異(違い)の追求によって、本来は同一性に基づくはずの団結を目指すという、矛盾をはらんだ二重の闘い、困難な闘いになるでしょう。しかし、本来、労働者階級人民の中にはらまれる複合的な差別と抑圧の構造を変革していくためには、このような二重の闘いを避けて通ることはできないのではないでしょうか。
先日、これまでもトランスジェンダー等のセクシャル・マイノリティへのヘイトを散々行ってきた、『ハリー・ポッター』の作者、JKローリングが、今度は四月六日国際アセクシャルデーに際して、アセクシャルの存在を否定するようなヘイト文章をSNSに投稿していました。同性愛が今よりももっとブルジョワ社会で市民権を得られていなかった時代には、同性愛が右翼・保守反動勢力による今以上に苛烈なヘイトにさらされ、昨今では、トランスジェンダーに対する強烈なヘイトが吹き荒れている状況の中、今度は体制・秩序を維持しようとする勢力の攻撃の矛先が、アセクシャルへとさらなる標的を定めにきたのでしょうか。われわれはセクシャルマイノリティの現実をしっかりと認識し、そのようなヘイトの波に打ち勝っていかなければなりません。
アセクシャルというのは、他者に性的に惹かれないという性的指向のことです。アセクシャルは、他者と恋愛や性愛の関係を結ぶのが当たり前とされる今の社会規範において、存在が暗に否定されつづけるセクシャリティです。「だれかを好きになるのは当たりまえのこと」という言い方をなされることがよくあるでしょう。しかし、それは「だれかを好きにならない人はおかしい」というメッセージを暗に含んでおり、アセクシャルの人々の不可視の排除が行われているのです。アセクシャルであるということをカミングアウトすると、「まだ性的にいい人に出会っていないだけ」、「性的欲望を抑圧している」、などと、カミングアウトを否定されることが多くあります。「生物としておかしい」、「病気だ」、「治療すべき」といった言葉が向けられることもあります。これらは、アセクシャルに対する典型的な偏見です。また、「好きな相手とはセックスしたいものだ」、「恋愛関係にはセックスが必ずともなう」といったような固定観念によって、相手の理解が得られず、恋愛関係を築くのが困難であることが多くなっています。家父長制のもとで不可視化、抑圧されてきたアセクシャルの解放が求められます。
性別は二つしかないとする性別二元論(バイナリズム)、異性愛を当然のものとし、誰もが異性愛者であるはずだ(異性愛者でない人はおかしい)とする異性愛規範、アセクシャルであることは望ましくなく、誰もがセックスすることを欲望するはずだとする強制的性愛(compulsory
sexuality)、誰もが他者に性的・恋愛的に惹かれるはずだという思い込みの他性恋愛規範(allonormativity)、結婚や愛の関係を特別な価値の場として過度に焦点化し、ロマンティックな愛を普遍的な目標とみなす恋愛伴侶規範(amatonormativity)、生身の人間に性的に惹かれるのが「普通」であり望ましいとする対人性愛中心主義、一対一の異性愛カップルのみが優遇を受けることができる現在の婚姻制度などの下で、同性愛者、トランスジェンダー、ノンバイナリー、アセクシャル、アロマンティック、同性間カップル、独身者、三人以上での親密関係を築く人々(ポリアモリー)、性愛によらない友情などでつながる共同生活者グループなどは、さまざまな抑圧や排除を蒙ってきました。セクシャル・マイノリティ解放のためには、そのような規範の解体が求められるのです。
明日は大阪万博2025の開幕日です。メガイベントによって、得をするのは、権力者であり、資本家です。不当な搾取、不利益を被るのは、人民大衆、下層労働者です。権力の都合により、人々の生活が破壊される万博開催を許してはなりません。昨年11月には、大阪の天満にあるストリップ劇場、東洋ショー劇場が摘発され、多くの逮捕者が出ました。権力側は、万博前取り締まり強化の一環であることを明言しています。昨年12月には釜ヶ崎での強制執行があり、野宿者の住処が奪われました。セックスワーカー、野宿者といった、差別や偏見に晒されやすい立場にある人々は、資本や権力の巨大な力による最初の標的になります。われわれは、帝国主義のなかで抑圧された人々と連帯し、権力と資本による人民への攻撃を跳ね返していかなければなりません。世界共産主義運動の勝利へ向けて、マイノリティとの連帯、植民地主義・帝国主義の打破、あらゆる差別の根絶の闘いを、ともに闘っていきましょう。