■『戦旗』1690号(2026年5月5日号)

買春処罰法に反対し、セックスワーカーの解放のために闘おう

阿佐美茉莉花

買春処罰法をめぐる議論

さる三月二四日、高市政権の強い後押しのもと、売春防止法の見直しとして、買春処罰法の導入のための議論が法務省の検討会で始められた。従来は性的サービスを売る側のあっせんや管理を処罰の対象としていたが、今回の見直しで、性的サービスを買う側をも処罰の対象にしようという議論だ。買う側への処罰を求める性産業廃絶論の側からの意見と、セックスワーカーのより安全な職場環境を求めて買春処罰に反対する側からの意見が、ともに法務省のヒアリングの対象となっている。

買春処罰推進派と反対派の意見をそれぞれ簡単にまとめてみよう。

まず推進派は、シス女性の売買春そのものが人権侵害であるとして、性産業に従事するすべてのシス女性がその仕事をやめることができることを目標とする。それを目指すにあたって、現状の売春防止法では、売る側を処罰することに重きが置かれているため、売る側と買う側の権力バランスに不合理があると捉える。そのため、悪としての買う側を処罰する法律を作ることにより、被害者としてのシス女性が救済対象であると明確にする。そのうえで、就学や就業などの支援を充実させることによって、シス女性が性産業に従事することのない社会に変えようという考えだ。

それに対して反対派は、セックスワークを犯罪化することによって、性産業がよりアンダーグラウンド化し、現に今も働いているセックスワーカーの人々がより危険で不衛生な環境に追い込まれる危険性を訴え、セックスワークの非犯罪化を求めている。

買春処罰法に反対

筆者は、買春処罰法に反対し、セックスワークの非犯罪化を求める立場である。その理由と、買春処罰法に反対し、セックスワーカーの解放を求めて活動しているセックスワーカー当事者団体の声を紹介しよう。

まず、筆者が買春処罰法に反対するのは、それが現に今も働いているセックスワーカーの人々に対して、健康面・経済面・安全面でさまざまな悪影響をもたらすことが予想されるからだ。例えば、すでに買う側を処罰する法律を制定しているスウェーデンなどをはじめとした国々では、セックスワーカーの人々がより人目のつきにくい場所に追い込まれ、収入は減少し、より危険で不衛生な環境に置かれているということが報告されている。セックスワークの犯罪化が推進されることによって、セックスワーカーに対する社会からの偏見も強くなり、セックスワーカーの交渉力は低下する。客からの危険な要求を呑まざるを得ず、HIVに感染しても、世間に対して感染理由を言えず、必要な治療が受けられないといった悪影響も出ている。

それらを考慮すると、するべきことは、セックスワークの犯罪化を推進することではなく、セックスワーカーの労働者としての立場の向上を目指していく活動だと結論づけられるはずだ。日本におけるセックスワーカーの中には、移民などのマイノリティ女性やセクシャル・マイノリティも多く、格差や貧困が拡大する中でセックスワークがそれらの人々にとっての重要なサバイバル手段ともなっていることを考えるとなおさらだ。では、セックスワーカーの当事者の人々は、買春処罰法についてどのように考えているのだろうか。

セックスワーカー当事者団体SWASHによる冊子『STOP! 買春処罰法:セックスワーカーの安全と健康のために』に基づいて、当事者らの主張を紹介しよう。

まず前提として、セックスワーカーに関する法律が作られるとき、当事者はいつも蚊帳の外であった。「セックスワーカーのことを、セックスワーカー抜きで決めないで!」「Nothing About Us Without Us」という強い訴えが当事者の中から出されている。規制強化はセックスワーカーの安全向上や健康増進に寄与せず、むしろ生活に悪影響を与えるという実際の事例がある。セックスワークの非犯罪化=セックスワーカーの労働者としての基本的な権利の獲得が、ゴールではなくスタート地点に置かれるべきだ。当事者たちは、「『愛』ではない対価によって性的な行為を選ぶ『オンナ』への憎悪やモラルや規範」による偏見や差別にさらされてきた。

セックスワーカーの人権回復を考えるときに必要なのは、「性道徳」による「お説教」ではなく、「人権」視点に立った取り組みである。

「人権に先立つ道徳はない」。そのように強く訴えるSWASHの冊子を、ぜひ一度実際に読むことを読者に対して勧めたい。この冊子は今、SWASHの公式ホームページの中でPDFを無料でダウンロードできるようになっている。(https://swashweb.net)

買春処罰法の思惑とは

さて、今回の買春処罰法は、高市極右反動政権による強い後押しが存在する。国家権力による思惑と買春処罰法との関係性はどのようになっているのだろうか。資本主義社会の根底的変革を求める共産主義者としてのわれわれは、国家権力による買春処罰法制定策動をどのように捉え、どういう姿勢で反対していくべきなのか。その問いに答えるのに、二〇世紀フランスの哲学者ミシェル・フーコーの理論が参考になる。

フーコーは、一九六八年のパリ五月革命の渦中で思想の方向性を決定したフランス現代思想家のうちの一人である。他の面々と同じく、二〇世紀マルクス主義の闘争と世界認識を批判的に継承しながら、独自の世界認識の枠組みを打ち立てた。

まずフーコーは、これまでの革命論に見られた強者たる「権力者」vs弱者たる「人民」という二項対立を疑うところから権力論を展開する。

フーコーによれば、近代以前の西洋の君主制に見られるような、強大な権力を持った君主によって数多の人民が抑圧されているという図式で現代社会を捉えると、権力の本質を見誤ってしまうという。現代における権力は、多くの人やモノが関わる錯綜した網目の中に、いろいろな力が無数に働いているというイメージが正しい。

それを踏まえたうえで、フーコーは資本主義社会における権力がどのように変質してきたかについてのヒントとして、「生権力」という概念を提示している。

この意味は、近代以前の権力が強大な力を持った君主によって自らに逆らう民衆を虐殺するという「死なせる」権力であったのに対して、一七世紀以降における権力は人々の生をコントロールし資本主義社会の発展に利用する「生きさせる」権力であるということだ。

「生権力」は、軍隊や学校などで人々を国家にとっての従順な身体に変える「規律」あるいは「解剖政治」と呼ばれるものと、人々の集団の動向を管理したり人口に介入したりする「調整」あるいは「生政治」と呼ばれるものとの二種類に分けられる。

「生権力」が生々しく作動する一例として、現代における移民や外国人労働者の状況を見てみよう。

現代のグローバル資本主義において、外国人労働者や寄せ場に集まる日雇い労働者などは、労働力人口の「調整」のために利用されやすい存在だ。外国人労働者は、他の労働者階級と同じように労働力として規律化されると同時に、入管体制によって徹底的な管理の対象となる。入管体制においては、二〇二一年に起きたスリランカ国籍のウィシュマ・サンダマリさんが収容中に亡くなった事件に見られるように、入管職員の虐待や暴力によって死にまで至らしめられることがある。「生権力」は、時には人々を資本主義的発展のためにうまく編成するのと同時に、その効果としての苛烈な暴力性をも内包している。このように、二つの「生権力」は、現代社会の移民やマイノリティに対する差別や抑圧構造と暴力に密接に結びついている。

フーコーによれば、その二種類の「生権力」のつなぎ目となるものの代表例こそがセクシャリティ=性現象(性行動、性的欲望の総体)だ。セクシャリティは、規範から逸脱した性行動をしないように人々を規律化するという点で「規律」=「解剖政治」の問題となり、同時に子どもが生まれてくる生殖と関わるという点で人口に介入する「調整」=「生政治」の問題となる。セクシャリティは「規律の母型」と「調整の原理」との両方の意味合いを帯びる。こうして、セクシャリティは「生権力」にとっての民衆管理の要となる。

では、現代において、セクシャリティはどのように管理の対象にされているか。ここでは二つの例を挙げよう。

一つ目に、子どもを産むことができる人の身体を管理しようとする極右イデオロギーによる妊娠や出産や家族制度や性教育などへの介入が挙げられる。具体的には、中絶の権利に介入しようとする極右勢力の欧米などにおける伸長や、日本において保守政党と宗教右派が一体となって行ってきた女性やセクシャル・マイノリティの解放に対するバックラッシュの運動などが思い浮かぶ。

二つ目に、国家による性産業の管理が挙げられる。近年の具体的な事例としては、二〇二五大阪万博に際しての事前弾圧として行われたストリップ劇場摘発が、国家権力による性産業の管理のための暴力として記憶に新しい。ストリップが、大阪の街の風紀を乱すものとされたのだ。

それらのようなセクシャリティの管理の流れの中に、今回の高市政権による買春処罰法制定策動を位置づけることができる。

買春処罰とは、性産業を犯罪化することによって、国家が「何がよいセックスで何が悪いセックスか」を定め、それを処罰によって暴力的に民衆に知らしめるということだ。資本主義体制にとって、生殖に結びつかないセックスは基本的に不要だ。生殖を目的から排除して金銭的な対価によって性的サービスを提供するセックスワークは、規範から逸脱したセクシャリティとして取り締まるべきものとされる。

買春処罰法は、このように「生権力」による民衆のセクシャリティの管理のプロジェクトの一環として捉えるべきだ。

性の自己決定権を擁護し、セックスワーカーの解放のために闘おう

性産業の現場で、サービス提供上のルールを破ってセックスワーカーの人権や安全を脅かすような客の行為に対し、それを問題化できる仕組みはしっかりと作らなければならない。しかし、性的サービスを買う行為自体を悪とみなし、買う側をみなひっくるめて国家による処罰にゆだねてしまうのは間違っている。なぜなら、それはセクシャリティを国家に管理させるということであり、性の自己決定権を国家に譲り渡してよいとすることだからだ。それはあまりに暴力的なことではないだろうか。

われわれは、あらゆる人々に性の自己決定権が保障される社会を目指して、断固としてそれを擁護するフェミニズムを模索していかなければならない。性の自己決定権を否定し、セックスワーカーを危険な立場に追いやる性産業廃絶論の問題点を見極め、それに正しく反論しよう。セックスワーカーの解放を目指して、そのスタート地点としてのセックスワークの非犯罪化とセックスワーカーの労働者としての基本的権利の獲得を要求しよう。そして、あらゆる差別や格差・貧困の根絶と、資本と賃労働の廃絶を目指して、国家や権力の動向をつねに正しく把握するための視座を持とう。セックスワーカーを含めた被差別者やマイノリティの人々の置かれている現実に依拠して、マイノリティに社会の矛盾を押しつける現代資本主義体制を根底から変革するための共産主義の闘いにともに立ち上がっていこう。

参考文献:
『STOP! 買春処罰法:セックスワーカーの安全と健康のために』SWASH、二〇二五年
ミシェル・フーコー、渡辺守章訳『性の歴史:知への意志』新潮社、一九八六年