■『戦旗』1691号(2026年6月5日号)

【書評】
『ポストフェミニズムの夢から醒めて』
菊地夏野著(青土社、二〇二五年)

著者である菊地夏野さんは日本の大学で教員を務めている社会学/ジェンダー/セクシュアリティ/フェミニズム研究における第一人者である。これまでに『ポストコロニアリズムとジェンダー』(青弓社、二〇一〇年)と『日本のポストフェミニズム――「女子力」とネオリベラリズム』(大月書店、二〇一九年)という二つの単著があり、本書は単著としては三冊目にあたる。二〇一九年から二〇二四年にかけて発表された文章が集められたものだ。

著者は出版物だけでなく、SNS等において公にフェミニズムに関する発信を続けている。講演活動も行っており、二〇二五年二月に名古屋大学東山キャンパスで行われた映画上映会とトークイベントの企画には私(筆者)も参加した。『ホリガン・スパロウ(流氓燕)』という中国のセックスワーカー活動者たちを描いた映画の上映会が行われ、トークショーには菊地さんと社会学者の青山薫さんの二人が登壇した。

著者はセックスワーカーをめぐる研究を行い、積極的に議論に参加している。「フェミニズムと『売買春』論の再検討―『自由意思対強制』の神話」という二〇〇一年の論文の中では、一九九〇年代に活発化していたセックスワークをめぐる論争を整理し、セックスワークに関するまとまった考察を展開している。

目下、日本では買春処罰法が法務省の検討会にかけられ、制定に向けた議論が行われている。セックスワークをめぐって、フェミニズムを主張する者の間においても意見が分かれている中で、弾圧ではなくセックスワーカーの真の解放を求めるフェミニズムの必要性はますます高まっている。そのような状況の中で、セックスワーク差別的なフェミニズムを批判し、トランスジェンダー女性をはじめとするセクシャル・マイノリティ、セックスワーカーおよび障害者などを排除しないフェミニズムを創造していこうとする論をさまざまな場所で展開してきた著者の論考を、まとまった形で読みたいと思ったのが、筆者が本書を手に取ったきっかけの一つだ。

ポストフェミニズムの時代

本書のまえがきの冒頭によれば、本書の題名にある「ポストフェミニズム」とは、「フェミニズムは終わったと認識させる言説と社会状況」(七頁)である。どういうことだろうか。以下、核心部分を引用する。「とくに日本では、家父長制的な政治勢力に反対するときに、それらを『古い価値観』に立つ伝統主義や復古主義として批判することが多い。例えば『夫婦別姓』に反対することは『時代遅れ』と批判されたりするように。だがそこでの『時代』は本当に進歩した、平等なものなのだろうか。性差別は終わったことであり、一部の者たちがそれについていけていないだけなのだろうか。ポストフェミニズム論はそのような認識に立つものではない。そうではなく、現在生起しているのは『過去の再生や繰り返し』というよりも、それを装った新しい動き、今にしか生じえない権力構造である」(一四頁)。

著者は、性差別は終わったものとする楽観的な見方に対して徹底的に抗い、あくまで闘いを継続しようとする。その旗印となるのが「ポストフェミニズム」というタームだ。著者は、単純な進歩史観に疑義を投げかけ、目下の差別構造を見事に暴き出す。そのとき、社会運動やアカデミズムが問題にしてきた「資本主義」「植民地主義」「ネオリベラリズム」「日本軍『慰安婦』問題」「労働問題」といったものが、現代の性差別について考えるうえで欠かせない論点であることが明らかにされている。また、セックスワーカーやセクシャル・マイノリティなど、ネオリベラリズムにおける主体の理想像に合致しない人々を切り捨てる、シスジェンダー(生まれたときに割り当てられた性別と性自認が一致すること)/ヘテロセクシャル(自分の性別と異なる性別の他者に対して恋愛感情や性的魅力を感じること)のマジョリティ女性中心主義フェミニズムの問題点が明確にされる。

ネオリベラリズムに抗するフェミニズム

著者がポストフェミニズムの時代に特有の現象として研究するのが、「女性活躍」といった言葉に象徴されるネオリベラル・フェミニズム、「リーン・イン」フェミニズムの台頭である。「リーン・イン」とは、シス女性がキャリアを向上させることを「リーン・イン」(身を乗り出すこと)と呼び、シス女性自身の上昇志向を高めることによってジェンダー平等を達成することを説いた、元フェイスブック社(現メタ社)の最高執行責任者のシェリル・サンドバーグが由来だ。サンドバーグは、『LEAN IN 女性、仕事、リーダーへの意欲』(邦訳は日本経済出版社、二〇一三年)という著書を出している。

「リーン・イン」フェミニズムは、労働力をできるだけ搾取しようとする資本主義と非常に相性がよく、個人主義を強く打ち出すブルジョアジーのネオリベラリズム的戦略と合致する。日本では第二次安倍政権下で制定された「女性活躍推進法」(二〇一六年施行)に見られるように、権力側が「リーン・イン」フェミニズムを取り込む形で、シス女性の労働者からの搾取を強化するための法整備が世界規模で進められてきた。

著者は本書において、テレビドラマや漫画などの文化をも俎上に載せながら、「リーン・イン」フェミニズムを多角的に分析する。「リーン・イン」フェミニズムが、右派や保守主義と共犯関係にあることを暴露する。そのうえで、「99%のためのフェミニズム」などのフェミニズムの議論、実践および学説などを紹介しながら、ネオリベラリズムに抗するフェミニズムを模索する。

99%のためのフェミニズム

著者がポストフェミニズムの時代における有効な指針として提起するものの一つが、「99%のためのフェミニズム」だ。世界的なウィメンズ・ストライキ(女性たちによるストライキ)の波の中で書かれた『99%のためのフェミニズム宣言』(シンジア・アルッザ他著。邦訳は人文書院、二〇二〇年)は、ネオリベラルなフェミニズムとの決別を表明している。人種主義、植民地主義および環境破壊などの問題とフェミニズムとの接続を訴え、反資本主義を掲げている。菊地さんは次のように宣言する。「マイノリティの視点を共有する反資本主義として99%のためのフェミニズムを構想することができる」(二〇一頁)。

99%のためのフェミニズムは「社会的再生産論」という論を提起する。生産と再生産の領域を体系的な資本主義システムとして理論化したこの論は、ポストフェミニズムの時代において、かつてのフェミニズムを乗り超えて、マジョリティ中心主義や資本主義社会を根底から問い直すフェミニズムを創造していく可能性を秘めている。われわれは99%のフェミニズムや社会的再生産論から学び、「雑多なフェミニズム」(一一五頁)を目指していく必要がある。

著者は、次のようにも書いている。「『労働者』規範から外れたマイノリティたち、『女性』規範から外れるマイノリティ女性たちの平等を求める運動からこそ学ぶ価値がある。マルクス(主義)の復権ではなく、階級・経済・労働者といったカテゴリーの問い直しが必要なのである」(一九八頁)。

私もまた、カテゴリー自体の問い直しが求められていると、このかんさまざまな機会に訴えてきた。日本の共産主義運動は、男性/シス/ヘテロ/「健常者」(障害者に対してマジョリティであるところの)/「一般民」(部落民に対してマジョリティであるところの)/日本人などといったマジョリティのみを「労働者階級」として想定する誤りに陥りがちであった(である)。だからこそ、共産主義運動に関わる者が真剣に考えなければいけない提起である。

これからもフェミニズムを切り拓いていくために

本書では、ここで紹介しきれなかったものも含めて、フェミニズムについてのさまざまな重要な問題が論じられている。総じて、すべての人々を排除しないフェミニズムが目指されていると同時に、社会や政治についての鋭い洞察に基づく思想が本書を貫いており、何度も読み返したくなるような深度のある議論がなされている。
本書をぜひ、多くの人にじっくりと読んでほしい。そして、本書を元にして意見を交わし、議論を発展させ、実践のための試行錯誤をしていこう。本書を武器として、フェミニズムをともに切り拓いていこう。(阿佐美茉莉花)