■『戦旗』1692号(2026年7月5日号)
読者からの手紙
日本の植民地主義と沖縄
AWC日本連の沖縄派遣が今年も行われた。今年は例年の沖縄島に加えて宮古島訪問もスケジュールに組み込まれていたが、私はある事情により、宮古島訪問は参加できず、沖縄島訪問のみに参加した。AWCの沖縄派遣はもとより、沖縄島に行くこと自体、おそらく人生で初めてだ。
他の人たちが宮古島に足を伸ばしている間、私は沖縄島に滞在し、沖縄在住の知り合いに教えてもらった古書店を三件ほど訪ねるなどしてゆっくり過ごした。
古書店は、どの店舗も沖縄関係の本や資料がかなり充実していた。那覇市の泊にある古書ラテラ舎という店で、ポストコロニアル批評やフェミニズムの歴史に多大な貢献をしたベンガル出身の偉大な哲学者ガヤトリ・スピヴァクの渡日講演の記録を一冊、購入した。スピヴァクは、その二〇〇七年の渡日講演(東京)の後、そのまま沖縄島も訪れて美術館で講演をする予定だったのだが、残念ながら体調不良のため断念したという。
沖縄島に着いた翌々日、他の人と合流してから、まずは那覇市にある旧海軍司令部壕を見学した。壕内の司令室や作戦室などが当時のまま残され、沖縄戦の悲惨さが伝わってきた。
そのあと、嘉数高台公園に行き、宜野湾市の普天間基地を見学した。普天間基地は、本当に街のど真ん中にあり、改めて驚いた。普天間基地だけでなく、那覇空港を降りてから至るところに自衛隊や米軍の関係施設があり、軍事要塞化の苛烈さを目の当たりにした。
嘉数高台公園を出発し、北谷ドームで行われた沖縄県民大会に参加し、その後、読谷にあるチビチリガマを見学した。チビチリガマは、かつて一九四五年の米軍の沖縄上陸の際、多くの民間人が身を隠した洞窟だ。日本軍による真実の隠蔽と虚偽の流布により、八〇人以上が集団自強制死へと追い込まれた。沖縄を侵略した日本の植民地主義がもたらした悲劇が凝縮された場所だ。
次の日、皆で早朝に宿を出発して、名護市の辺野古の見学に行った。現地で活動している方が丁寧に案内してくれて、先の辺野古沖ボート事故を巡る厳しい状況も含め、現場の状況がよく分かった。特に印象に残ったのは、埋め立て予定地の近くに現地の人たちが「龍神」と呼んできた岩があり、それを巡ってジュゴンも出てくる想像力豊かな説話があると聞いたことだ。本来なら地元の人々の生活や豊かさと切り離せないはずの自然が、帝国主義の野望によって「軍備拡張」の名の下に破壊されようとしていることに対して、強い憤りを感じた。
最後に、沖縄島南部にある平和祈念資料館を訪れた。各種展示で沖縄戦を中心に大戦の悲惨な歴史が描かれていた。日本が植民地支配を行った国や地域――朝鮮、台湾、フィリピン、南洋群島など――と沖縄の人々との関係性が詳しくまとめられた展示も記憶に残っている。また、臨時企画として「済州四・三」(チェジュササム)に関する展示もあり、多くの学びがあった。
今回の訪問で、植民地主義を世界から根絶するための闘いに立ち上がっていかねばならないという決意を新たにした。特に、私自身は、植民地主義の暴力によって沖縄を統合した日本帝国主義本国に生まれ育った日本人である。現に今、日本国籍を持ち、日本「本土」に住み、労働者――とりわけアジアの人々や国内の外国人労働者や日雇い労働者など――からの苛烈な搾取によって成り立っている日本帝国主義の経済的繁栄の恩恵に直接的に与っている身である。スピヴァクの哲学など植民地主義に切り込んだ思想から学び続け、ポジショナリティの視点も忘れず、沖縄をはじめアジアの人々を脅威に晒しながら今も続いている日本の植民地主義について、考え続けたい。(AWC Youth関西 会員)