共産主義者同盟(統一委員会)






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■『戦旗』1615号(6月5日)6面

 
強制不妊手術国賠訴訟に勝利しよう
 ―国の上告を許すな―

                              
河原 涼


            

 旧優生保護法に基づく不妊手術を強制されたとして関西に住む聴覚障害のある七〇代の女性と八〇代の夫、それに病気の後遺症による障害のある七〇代の女性合わせて三人が国を訴えた裁判で、二審の大阪高等裁判所は二月二二日「旧優生保護法は非人道的で憲法に違反する」として、国に合わせて二七五〇万円の賠償を命じた。
 三月七日、国は、大阪高裁の判決を不服として上告した。われわれは、これを断固として弾劾する。
 また、三月一一日には、東京都内の男性が訴えた裁判で、二審の東京高裁は「差別的思想に基づくもので憲法に違反する」と指摘し、国に一五〇〇万円の賠償を命じる判決を言い渡した。しかし国は、三月二四日、東京高裁の判決を不服として上告した。
 いずれの判決でも、旧優生保護法が憲法一三条、一四条に違反するとし、不法行為を受けて二〇年が過ぎると賠償を求める権利がなくなる除斥期間の適用を認めなかった。国による上告を断固許さず、強制不妊手術を矯正した国の責任を断固追求しなければならない。


●1章 東京高裁判決 判決要旨★

優生手術の違憲性について

「身体に強度の侵襲を伴う不妊手術を行い、生殖機能を回復不可能にするものだ。立法目的が差別的思想に基づき、目的達成の手段も極めて非人道的で、憲法一三、一四条に違反する。‥国は、国家賠償法に基づく賠償責任を負う」。
 これは、国の推し進めた強制不妊手術が、憲法に明らかに違反する非人道的行為であることを認めたものである。

除斥期間の適否について

「起算点は、加害行為である優生手術が行われた五七年二月または三月ごろとなる。ただ、除斥期間の経過で排斥するのが著しく正義・公平の理念に反する場合、その効果を制限すべき」。
その「場合」とは
「①『不良』な子孫を持つことが防止されるべき存在として意に反して手術を受けさせられ、二重、三重の精神的・肉体的苦痛を受けた」。
「②国は教科書に優生思想を正当化する記載をするなどし、手術対象者への偏見・差別が社会に浸透した。手術の際には身体拘束、麻酔薬使用、欺罔(ぎもう。あざむくこと)の手段を用いることを許容した。九六年法改正後も救済措置を取らなかった」。
「③違憲の法律に基づく施策で生じた被害の救済を、憲法より下位規範の民法を適用して拒絶するのは、慎重であるべき」
「④自分の受けた被害が不法行為で生じたものと認識する以前に、除斥期間の経過で賠償請求権が消滅するのは、被害者にとって極めて酷」。
 ①及び②に関しては、国が法律、教育もあげて、障害者差別の正当性を煽り、差別が社会的に浸透したことを認めざるをえないほどであり、違憲であるとする。しかも、そのことの非人道性が明らかになった後も、救済措置を取らなかったということについて、国の責任を認めざるをえないというものだ。
 ③は、除斥期間の規定そのものが、民法の規定である。強制不妊手術が違憲である以上、違憲の行為である強制不妊手術は、民法の定める「除斥期間」に拘束されないということである。

一時金支給法との関係と賠償額について

「一時金支給法が制定された二〇一九年四月二四日になり、ようやく社会全体として手術が違憲だと認識することが可能になった。同法は五年の請求期限を設けており、提訴についても‥五年の猶予期間を与えるべき。一九年四月二四日から五年が経過するまで除斥期間の効果は生じないとするのが相当」。

[高裁の所感]
「優生手術から長い期間がたった後の提訴であってもその間に提訴できなかった事情が認められる以上、国の責任を不問に付すのは相当ではない」。

 明らかに国の責任が逃れようもないほどの非人道性を示したものである以上、損害賠償金を必ず支払わせなければならない。同時に、国家の犯罪を暴き、その不当性を示しきり、強制不妊手術をされ、差別され続けた障害者の訴えが正義であることを満天下に示すためにも、国による謝罪を勝ち取らなければならない。


●2章 東京高裁判決が、双方にとってどのような利害を浮き出させたのか

 第一に「除斥期間」の問題についてである。
 障害者にとっては、「除斥期間」を適用することが、いかに理不尽であるかを明らかにしたといえる。旧優生保護法のもと、筆舌に尽くし難い差別的現実を強いられた。「除斥期間」とは、その苦難の現実を訴える有効期限を、当事者に関係なく恣意的に定め、時間の線引きを行うことによって、定められた期間を過ぎれば、それまでに行われたありとあらゆる全ての差別の現実を、一切無かったことにし、事実を訴えることが封印されるものである。障害者にとって到底容認できない。このことの不正義を明らかにした。障害者にとって、差別されたことを訴えることができるということを知るという機会が失われ、どのようにすれば、この理不尽な現実を訴えることができるのかということも知らされないまま、訴えることが保証される期間が、障害者の頭越しに設定されることは、甚だ理不尽この上ないものである。そして、最終的に差別されたことが歴史的に明らかであるにも関わらず、障害者抜きの場で、障害者自身が告発するということができなくなること、糾弾権の否定が合法化されてしまうということの理不尽さを浮き彫りにしたのである。
 一方、国にとっては、除斥期間を適用することは、大前提である。差別法制のもと、好きなだけ排外主義をたれ流し、好きなだけ障害者、被差別大衆の命を蹂躙し続けたのだから、国にとって、差別したすべての事実を一切合切「無かったことにする」ことができる「除斥期間」は、どうしても外せないものなのだ。当事者を排除した形態で「除斥期間」を適用することによって、「合法」の名の下に、このことができるのである。たとえ、障害者やその周辺の闘いによって、これまでの理不尽な事一切が満天下に曝け出されたとしても、それでもなお、「合法」の名の下に、その糾弾の嵐の前に踏ん反り返って居直ることが許されるのである。やったもの勝ち、差別したもの勝ちを制度化するものだ。したがって、国は何がなんでも「法的に誤りである」と言い訳をしてでも、「除斥期間」を適用することを司法に求めるのだ。それしか方法がないのである。「除斥期間」がもし認められなければ、それこそ満天下に曝け出された理不尽さは、どのような償いをしようとも償い切れることができないほどのものである。
 東京高裁の判決は、国の主張が、その「除斥期間」の適用によってでしか通用しない砂上の楼閣であることを浮き彫りにした。
 第二に国家責任の問題である。
 旧優生保護法に基づく不妊手術について、東京高裁は憲法一三条(個人の尊重。生命、自由、及び幸福追求に対する権利)、一四条(法の下の平等。人種、信条、性別、社会的身分又は門地等により、‥社会的関係において、差別されない)に明らかに反するが故に、「国家賠償法に基づく賠償責任を負う」とした。あまりにも当然すぎる結論である。さらに優生手術そのものが、「違憲」であると規定し、それを憲法よりも下位の民法の規定である「除斥期間」で拘束することを退けた。
 大阪高裁の判決では、優生保護法は「違憲」であり、手術は「違法」であったとした。したがって旧優生保護法を制定した「立法作為」は「違法」であるとしたが、救済法を作らなかった「立法不作為」は「違憲」とまでは規定せず、救済法の不作為について「違法であるとは言えない」として国家責任の規定を回避した。これに対して、東京高裁では、優生保護法と優生手術が、「違憲」であると規定することで、それを改めようとしなかった国家の責任について、賠償法に基づく責任を指摘したものである。
 われわれは、国家責任の追及、国による賠償金の支払いにおいて、「違憲」という主張にとどまらず、さらにその先に追いつめる必要があると考える。国による謝罪を行わせなければならない。
 東京高裁は、憲法よりも下位規範の民法の規定において、優生手術の問題に「除斥期間」を適用することを戒めているが、国はそれを拒否し、「除斥期間」を適用しないことについて、「法解釈に誤りがある」と言いなして上告している。それはなぜかといえば、国にとっては、旧優生保護法に基づく優生手術が「憲法に反するか、否か」という問題はさておいて、すべて闇に葬り去って、一九年四月に成立した一時金救済法によって、全てを終わらせ、蓋をすることを最重要視しているからである。
 一時金救済法は、前提として、除斥期間の適用が前提である。除斥期間があるが故に、国家責任をなきものにした上で、にもかかわらず、国が被害者を救済したかのように装うのにうってつけなのだ。それによれば、責任を追及されることなく、さらに被害者の救済をわざわざ法律をつくっておこなうという陳腐な「おなみだちょうだい」劇を演じることをもって、責任を果たしたかのように振る舞うことができる。それを合法とできるからである。国にとって、「除斥期間」の適用を前提にして、一時金救済法でもって全てを終わらせることが重要であり、何がなんでも譲れないのである。この茶番を粉砕しなければならない。国による謝罪を勝ち取らねばならない。


●3章 国は、強制不妊手術の差別性を認め、謝罪せよ

 われわれは、強制不妊手術によって人生の大半を苦闘の日々として送らざるを得なかった障害者の側に立ち、障害者の生存権を問うものとして、勝利すべく共に闘わなくてはならない。
 国は上告を撤回すべきである。すべての被害障害者の立場の側に立たなくてはならない。
 東京高裁の原告の障害者は、記者会見で「手術されてから六四年、自分の身に起きたことを受け入れることができず、つらかったし、悲しかったし、苦しかった。本当に長い道のりでしたが、このような日が来るとは本当に感無量で、ようやく希望の光が見えた気がします。裁判官が“時間の壁”を打ち破ってくれたことに信念と勇気を感じ、本当に感謝の気持ちでいっぱいです」と語っている。国は、この声に応える責任がある。
 国は、障害者を欺いて、強制不妊手術をおこなってきた。しかも教育現場において、教科書を使って優生思想の「正義」を垂れ流し、障害者差別を蔓延化させ、国を挙げて制度化することを社会的に浸透させたのだ。この責任を絶対取らせなければならない。
 先に成立した一時金救済法をもって、救済金を支払わせるのはもちろん、また東京高裁判決の賠償金を支払わせることにとどまらず、国による非人道的行いの一切が理不尽極まりないものであることを追及しなければならない。障害者は、その不当性を訴え、損害を賠償する権利を訴えるのは当然であって、正義であるということを広く訴えなければならない。国による誠意ある謝罪を勝ち取らなくてはならない。
 原告側の弁護団は、去年までの三年間に二五人の原告のうち、四人が亡くなったとして、「手術を受けた人たちは高齢化が進んでいる。国は争うのをやめて早期の救済に向けて動き出すべきだ」と訴えている。
 一審の判決はこれまでに六件出され、このうち四件は旧優生保護法を憲法違反とする判断を示した。外堀は埋まっている。さらに日帝を追い詰め、裁判闘争に勝利すべく、被害障害者の側に立ち、闘おう!




 


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