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■『戦旗』1662号(7月20日号)6面 「敵基地攻撃力」強化を絶対に許すな 祝園弾薬庫増設反対の闘いを進めよう 関西地方委員会 ▲京都・祝園ミサイル弾薬庫問題を考える住民ネットワークの大学習会 住民ら300人が結集(5月11日 京都府精華町) 岸田政権は、二〇二二年一二月に「安保三文書」を改定し、自衛隊が「敵基地攻撃能力」を持ち、「継戦能力」を高めるという方針を明確に打ち出し、「戦争する国」づくりの具体的な準備を推し進めている。 つまり、他国(=「敵国」)の奥深くにまで届く長射程ミサイルなどで先制攻撃をしかけ、さらに長期間にわたって戦争を続ける態勢を作り上げるということだ。 こうした政策の最前線のひとつが、京都府南部にある陸上自衛隊祝園分屯地だ。弾薬庫を増設することは発表したが、それ以外の情報はほとんど隠したまま計画を進めていこうとする防衛省に対して、周辺の住民たちは戦争準備に反対するため、ネットワークを結成するなどして闘いを始めている。この闘いを推進するとともに、岸田政権の戦争政策を断固阻止する闘いに立ち上がろう。 ●継戦能力強化のため弾薬庫大増強 継戦能力の強化のためには大量のミサイルや弾薬の保有が必要となり、当然保管場所の整備・増強が求められる。防衛省は二〇二七年までに全国で約七〇棟の弾薬庫の増設を予定している。 二〇二四年度予算では、全国一四カ所の弾薬庫新設に二二二億円が計上されている。陸上自衛隊祝園(ほうその)分屯地(京都府精華町、京田辺市)には、八棟の大型弾薬庫建設のために一〇二億円の予算が付けられ、突出した規模となっている。すでに二三年度に四億円の予算で「調査」が行われている。 今回の大軍拡路線で、祝園分屯地では弾薬庫の増設や弾薬整備場の整備、庁舎の建て替えなどが計画されている。 また、この分屯地が初めて海上自衛隊と協同運用されようとしていることにも注目する必要がある。 防衛省は当初、「スタンド・オフ・ミサイルを保管するかどうかは未定」などとしていたが、射程を従来の二〇〇キロメートルから一〇〇〇キロメートル以上に延伸した陸自の「一二式地対艦誘導ミサイル能力向上型」の保管を想定していることは認めた。海自との協同運用ということは、京都府舞鶴市の海自舞鶴基地に配備されているイージス艦に搭載する巡航ミサイル「トマホーク」(射程一六〇〇キロメートル)もここに保管されることは明白だ。 そして、既存の一一棟に加えて八棟増設し計一九棟とするのは二四年度予算の枠内のことだが、来年度以降のさらなる増設も防衛省は検討している。 各地で戦争する国づくりが進められているが、祝園分屯地もその重要な一つとして位置づけられ、大強化されようとしている。これを阻止する闘いに立ち上がろう。 ●祝園弾薬庫の概要 面積四七〇ヘクタール(東京ドーム約一〇〇個分)、本州最大規模の弾薬庫施設である現在の祝園分屯地は、日中戦争のさなか、一九四〇年に大阪陸軍祝園支処として開設された。 前年の三九年、大阪府枚方市の禁野(きんや)火薬庫で大爆発事故が発生したため、その代替施設として一部が移転してきたという経緯がある。 爆発事故では、四名が死亡し六〇二名が負傷、次々と続く爆発は四時間に及び、周辺家屋の火災は二四時間続いた。半径二キロメートルにまで爆風や弾薬が飛散し、壊滅・焼失状態だったという。 そして第二次世界大戦中は「東洋最大の弾薬庫」と言われる補給拠点となった。戦後は米軍に接収され、朝鮮戦争の際には米軍の補給拠点となっていたが、六〇年には自衛隊に移管され、祝園分屯地となった。 ●危険にさらされる住民たち 田畑に囲まれた広大な丘陵地帯の中に、弾薬庫は造られた。移転してきた当時の川西村(今の精華町)は人口も少なかったが、現在ではこの周辺一帯が「関西文化学術研究都市」となっている。分屯地のすぐ近くにまで住宅街が広がり、大学や企業の研究施設、国会図書館などがある。そして精華町は大阪府、奈良県と接する場所に位置している。 自衛隊が敵基地攻撃能力を持ち、そのための長距離ミサイルが保管されるようになれば、戦時にはそこが第一の攻撃目標となることは明らかだ。精華町や京田辺市だけでなく、周辺地域の多くの住民が危険にさらされることになる。 さらに、分屯地の中や周辺には複数の活断層が確認されており、地震による爆発や、かつて禁野で起きた「作業中の事故」の危険も大きく増大する。現に一九九二年には、この分屯地で「謎の大音響」が発生している。何らかの爆発事故があったと推定されるが、防衛省は何の発表もしていない。 このような経緯のうえに、今回の増設計画や、その工事も含めて、政府や防衛省はほとんど何も説明をしておらず、地域の住民たちは不安だけが募っている。 こうした中、三月二〇日に「京都・祝園ミサイル弾薬庫問題を考える住民ネットワーク(ほうそのネット)設立集会」が精華町で開かれた。地元精華町をはじめ京都、大阪、奈良を含む近畿各地からの参加者で二〇〇人を超えた。戦争政策に協力しないための闘いが開始されたのだ。 ●過去の「確認書」を反故にしようとする防衛省 かつて、弾薬庫が米軍から自衛隊に移管されたとき、地元青年団や軍事基地反対闘争委員会などが、自衛隊の使用に反対し、土地を返還せよという大きな闘いが展開された。 一九五八年には三〇〇名規模の集会が町内で開催されるなど、町ぐるみの闘いとなった。土地の返還には至らなかったが、闘いの成果として、六〇年に二三項目の「確認書」が勝ち取られた。 そこには、「核兵器は将来に亘り絶対に貯蔵しない」、「施設の拡張はしない」、「現施設による貯蔵能力以上は貯蔵しない。増加する場合は事前に町と協議する」、「前任者は後任者に申し送りし、確実に履行する」ことが明記されている。当時の防衛庁大阪建設部長、陸自中部方面幕僚長と精華町長の三者が公印を押した正式の文書である。自衛隊に土地を渡さない、少なくとも現状以上に拡張させないために闘ってきた住民たちの闘いの成果といえる。 この確認書を素直に読めば、現在防衛省が進めようとしている弾薬庫の増設は、明確にこの確認に反していることは誰にでも理解できる。 しかし、防衛省や精華町は、「確認書は契約的意味合いを持つものではなく、半世紀以上経過する中では、効力を有するものではない」などと詭弁を弄している。地元住民の意向を無視して弾薬庫の増設を強行する姿勢だ。 ●全国の反戦・反基地闘争と結合した闘いを 自らの生命と生活を守るための住民の要望に対する防衛庁の回答を記録し、自治体・行政機関の長が合意し、公印を押したものが無効であるという理屈は成りたたない。 また、防衛省近畿中部防衛局は、保管する弾薬の種類や量、輸送の方法などに関する精華町からの質問に対して、「自衛隊の能力が明らかになるおそれがある」などと理由をつけてほとんど回答しなかった。さらに、「住民説明会を行う予定はありません」としている。 ほうそのネットは、ことし四月に、近畿防衛局や自治体に対して「住民説明会開催」を求めて申し入れを行い、並行して同趣旨の署名運動を展開している。 また発足以降、近畿各地で大小の学習会を開催するなどして、反対運動の組織化を進めている。来る八月二五日には、軍事評論家の小西誠さんを講師に、「夏の大学習会」を開催する予定であり、大結集を呼び掛けている。 こうした闘いは、生命と暮らしを守る闘いであり、同時に戦争に加担しないための闘いである。こうした闘いに連帯していこう。沖縄をはじめとした全国の反戦・反基地闘争と結合した闘いを作っていこう。 |
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