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■『戦旗』1665号(9月20日号)6面 被爆七九年、広島市の平和記念公園入場規制に抗議する! 被爆者の怒りを封じ込めるな! 8・6広島「平和式典」の変質と翼賛化を許さない! 侵略反革命と闘う被爆二世の会 二〇一六年、米帝の大統領オバマ(当時)が核のボタンを持って広島の平和記念公園に侵入した。この日、外務省は平和記念公園周辺を「静音保持指定地域」に指定し、抗議の声を上げることを許さなかった。 昨年のG7広島サミットは、日帝―岸田政権が米・英・仏の核兵器保有国の指導者をはじめG7首脳を広島の平和記念公園に引き入れ、G7の核抑止力を肯定する「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン」を打ち出した。 本年八月六日、広島市は平和記念公園への入場規制を行った。この過程で行われたのは、被爆者、被爆二世(三世)による帝国主義戦争に対する怒り、原爆爆撃を行った米帝に対する怒りを封じ込めることだ。私たちは、これを断じて許さない。 ●平和記念公園は、原爆被害にあった者全ての追悼の場所だ 平和記念公園はもともと、九つの町内会がある広島でも有数の繁華街であった。一九四五年八月六日、ほとんどの住民が熱線や爆風、放射能によって一瞬のうちに殺された。公園内にある原爆慰霊碑には戦後も多くの被爆者が原爆症によって殺されていった証としての死没者名簿が納められている。被爆者や遺族にとって、平和記念公園は亡くなった家族のお墓そのものだ。 本年八月六日、広島市は、平和記念公園の入場規制エリアを、これまでの原爆慰霊碑周辺から、原爆ドーム周辺を含む公園全体に拡大した。午前五時時点で公園利用者に園外への移動を要請し、その後、入場口を六カ所設ける。六時三〇分から九時までの間は手荷物検査をし、拡声器やプラカード、ビラ、のぼり、横断幕などの持ち込みを禁止する。広島市が主催する『広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式』に参列する人たちには金属探知検査を実施する、というものだ。 この規制のために、平和記念公園で行ってきた慰霊行事や反戦・反核集会が、これまでどおり開けなくなった。例年、早朝に慰霊行事を行ってきた団体の代表は、「八月六日というのは、平和祈念式典を安全に執り行うための日じゃない。こういうやり方は広島の慰霊の日ではないと、わしは思う」と抗議している。原爆ドーム前で八時一五分の原爆投下時にダイ・インを行ってきた市民団体は場所を移し実行した。 広島市の規制に抗議し、前日より原爆ドーム前で抗議集会を取り組んだ団体は、翌朝五時に広島市が退去命令を出してもそのまま抗議をし続け、集会・デモを貫徹した。 規制は九時までのはずが、九時三〇分過ぎまで機動隊が公園内を歩き回っていた。こうした状況からか、公園内での取り組みは例年より少なくなっていた。入場規制は、核廃絶や平和を求める市民の行動を妨害した。 日帝―岸田による『広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式挨拶』では、ロシアによる核の威嚇には言及しても、七九年前どこの国が原爆を落としたのかには触れていない。核兵器禁止条約にも触れていない。 広島市はこの式典にロシアやベラルーシは招待しなかったが、イスラエルは招待している。市民団体や被爆者団体などがイスラエルの招待を見送るよう求めていたのにだ! 八月二一日の記者会見で松井市長は式典について「安全対策を講じたことで式典を円滑に開催することができた」と述べた。しかし、式典会場に入るための手荷物検査で長時間待たされた被爆者は、式典への参列を断念せざるを得なかった。また当日、イスラエルのガザ空爆反対の意思をパレスチナ旗やいろいろなグッズなどで示している人たちも多かった。松井市長は被爆者や市民を無視し、岸田首相や外国の要人のための式典を行ったのだ。 こうした広島市長の姿勢を弾劾する。 ●イスラエルを招待しなかった長崎市長を支持する 八月九日、長崎の平和公園の平和祈念像前において、長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が開催された。 長崎市は、ロシア、ベラルーシに加え、今年の式典にイスラエルを招待しなかった。日本を除くG7と欧州連合(EU)はイスラエルを招待しなかったことで駐日大使を参列させなかった。その理由としてイスラエルを式典に招待しないことは、イスラエルとロシアを同列に置くことになるからだという。ロングボトム駐日英大使は、イスラエルはイスラム組織ハマスの攻撃に対し、「自衛権を行使している」とイスラエルのジェノサイドを擁護する。アメリカのエマニュエル駐日大使も長崎の式典には参列せず、東京で開かれた同様の慰霊式に参列した。 一九四五年八月九日に原爆を投下したのは米軍である。その加害国の駐日大使が長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典をボイコットし、代わりにアシーケ首席領事を参列させたのだ。長崎の平和公園も広島と同様人々が暮らす街があった。にもかかわらず、しかも広島の惨状を知った上で、人々をめがけ原爆を落としたのだ。絶対に許さない。米帝の傲慢な態度に被爆者、被爆二世・三世は怒り心頭に発した。 イスラエルを招待しなかった長崎の鈴木市長の決定に多くの市民が賛同している。鈴木市長が読み上げた長崎平和宣言も、広島の平和宣言とは比べものにならない感銘深いものだった。長崎平和宣言は鈴木市長をはじめ、被爆者や有識者、学生が集まる検討委員会で論議し作成している。議論は全公開で、内容をマスコミが発信している。市民による平和宣言であるし、その場で市長は市民の声を聞くことができる。 完成した長崎平和宣言は冒頭で、被爆者で詩人の福田須磨子の詩『原爆を作る人々に』が引用された。また核保有国と核の傘の下にいる国の指導者に対し、核兵器廃絶に向け大きく舵を切るべきと指摘した。日本政府に対しては、核兵器禁止条約に署名・批准すること、憲法の平和の理念を堅持すること、北東アジア非核兵器地帯構想など、軍縮に向け、リーダーシップを発揮することを求めている。さらに、未だ被爆者として認められていない被爆体験者の一刻も早い救済を強く要請した。 それに対し岸田首相は「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典挨拶」でも核兵器禁止条約には一切触れていない。被爆体験者に対しては「被爆体験者の方々についても支援に努めており、昨年度も事業の拡充を行ったところです」と、事業の拡充で誤魔化そうとしている。被爆体験者が求めているのは被爆者と認めることである。 式典後、岸田首相は被爆体験者と直接話し合う場を初めて設けた。しかし、官僚的な答えしかしない岸田首相の態度に業を煮やした相談役の被爆二世が「被爆体験者は被爆者でしょ!」と怒りを持って訴えた。岸田首相はその訴えに対し「現実的な解決方法をしっかり考えてまいります。一生懸命やりますのでぜひよろしくお願いします」と、答えた。しかし、その五日後、岸田首相は総裁選不出馬表明したのだ。被爆体験者や支援者は戸惑いを隠せない。 ●おわりに 米帝―オバマの広島入り、G7広島サミットでの核抑止力を肯定する「広島ビジョン」発表、広島市の平和記念公園との米パールハーバー国立記念公園と姉妹協定など、日米両帝国主義は着々と「和解」を演出している。日米両帝国主義は、原爆被害を被爆一世で終わりにし、核安保体制を推し進めようとしているのだ。 そうはさせない! 私たちは原爆(核)の怖さは、世代を超えて、原爆の被害が続く可能性があることだと知っている。私たちは、米帝―バイデン政権に対して、被爆者、被爆二世(三世)に謝罪と賠償を求める。日帝―岸田政権には、被爆二世(三世)に被爆者援護法の適用を強く求める。 八月六日に広島の平和記念公園で今後も反戦・反核の声をあげ続ける。世界の誰もが核による被害にあわないために! |
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