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ゴータ綱領批判
                                                                        マルクス
      

  共産主義社会を論じた最良の文献

  過渡期にはプロ独が不可欠と結論



 「二〇〇八年恐慌」の継続のなかで、多くの人たちが資本主義そのものに根本的な疑問を抱きはじめている。資本主義に代わる社会を希求する声が高まり、社会変革の展望をマルクス主義のなかに求めようとする気運も強まっている。
 マルクスは資本主義の後に到来する社会を共産主義と規定した。しかし、それがいかなる社会になるかについて詳しく語ることはなかった。未来社会の設計図のようなものを描けば、それは必ず空想的なものになると自制していたからだ。そのマルクスにあって例外的な著作が、ここで取り上げる『ゴータ綱領批判』である。「著作」と言ってもいわゆる研究論文ではない。ドイツの数人の党幹部に回覧する目的で書かれた書簡である。一八七五年四月から五月にかけて執筆されたこの『ゴータ綱領批判』(正式には『ドイツ労働者党綱領評注』)は、政治的な理由からマルクスの死後も公表されず、一八九一年になってようやくエンゲルスの尽力でその存在が明るみにされた。この著作は、われわれが「資本主義を超える新しい社会」としての社会主義・共産主義について考えていくうえで、欠くことのできない最重要の文献である。

 ●1 共産主義を二つの段階に区分

 「ゴータ」とはドイツの一地方都市の名前である。ここで一八七五年五月、ドイツ社会主義労働党(のちにドイツ社会民主党)の結成大会が開かれた。この新たな社会主義政党は、アイゼナッハ派と呼ばれた社会民主労働党(一八六九年結成)と、ラサール派と呼ばれた全ドイツ労働者協会(一八六三年結成)という二つの組織の合同によって発足した。創立大会で採択された党の綱領が、通称「ゴータ綱領」である。
 リープクネヒト、ベーベル、ブッラッケなどが指導するアイゼナッハ派に対して、当時、マルクスとエンゲルスは一定の思想的影響力を有していた。他方で、かれらはラサール派を、立場の浮動的な宗派的な集団とみなしていた。マルクスとエンゲルスは、ドイツにおける革命運動の前進に大いに期待し、またこれを指導する革命的で強大な労働者階級の政党がつくりあげられることを待望していた。それだけにかれらは、アイゼナッハ派が原則上の妥協をしてラサール派との合同を進めようとしていることに強い危惧を抱いた。ゴータでの合同大会を前に、新しい党の綱領草案が発表された。マルクスはこの綱領草案に対する批判を書き上げ、これをアイゼナッハ派の指導部に送りつけて警告を発した。それが『ゴータ綱領批判』である。
 『ゴータ綱領批判』においてマルクスは、共産主義社会のおおよその輪郭を示すとともに、資本主義から共産主義への移行の問題などについて彼の基本的な考えを述べている。
 マルクスはこの著作ではじめて共産主義を、「低い段階」(あるいは第一段階)と「高い段階」に区分して論じた。ここでは共産主義は、たんなるユートピア・理想論とは区別され、その実現にいたる一つの現実的な「進路」「道標」として提起されている。これ以降、「二つの段階論」は、マルクス主義者のあいだでは、共産主義社会について論じるうえでの前提となった。
 「低い段階の共産主義」(現在、一般的に使われている用語では社会主義)についてマルクスは次のように言う。「ここで問題にしているのは、それ自身の土台の上に発展した共産主義社会ではなくて、反対にいまようやく資本主義社会から生まれたばかりの共産主義社会である。したがって、この共産主義社会は、あらゆる点で、経済的にも道徳的にも精神的にも、その共産主義社会が生まれでてきた母胎たる旧社会の母斑をまだおびている」。
 「低い段階」の共産主義は、いぜん「旧社会」の尻尾を引きずっている。共産主義は「高い段階」に到達してはじめて「旧社会」と完全に決別した社会の内容を獲得する。次のようにマルクスは述べる。「共産主義社会のより高度な段階で、すなわち諸個人が分業に奴隷的に従属することがなくなり、それとともに精神労働と肉体労働との対立がなくなったのち、労働がたんに生活のための手段であるだけでなく、労働そのものが第一の生活欲求となったのち、諸個人の全面的な発達にともなって、また彼らの生産力も増大し、協同的富のあらゆる泉がいっそう豊かに湧きでるようになったのち――そのときはじめてブルジョア的権利の視界を完全に踏みこえることができる――各人はその能力におうじて、各人にはその必要におうじて!」。
 ここで重要な点は、共産主義社会では、「諸個人が分業に奴隷的に従属すること」がなくなるということ、つまり分業の固定的なあり方が解体・止揚されていくということである。分業とは「労働の分割」である。分業が固定的な状態にあるとは、人々が特定の職業・職種・労働形態にしばられているということである。市場の拡大とともに分業は発展し、それは労働の社会的生産力を発展させていくテコとなる。しかし他方で分業は、精神労働と肉体労働、都市と農村、生産と消費、労働と享受を対立させ社会的不平等を生み出す根源ともなる。また多くの人々に労働を、生活のために仕方なく行なう行為、やりがいのない疎遠な活動と感じさせる原因ともなってきた。共産主義は人々を固定的分業から解放することで、それら諸対立を解消し、労働を「苦役」から「第一の生活欲求」に変えていくとの考えをマルクスは示した。さらに、労働が外的強制によるものではなく諸個人が内発的・自発的に行なう行為へと変化していけば、社会の生産力はさらに増大し、それによって「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」ことが準則となる社会の前提条件が形成されていくとした。こうした壮大な展望を、現実の階級闘争が到達すべき終局的目標として提示した点に、『ゴータ綱領批判』の不滅の意義のひとつがある。
 さらに『ゴータ綱領批判』において、共産主義への「移行」の問題について、はっきりとした見解が示されている点も重要である。資本主義が打倒されれば、社会はそのまま共産主義に向かってなだらかに移行していくのか。そうではないとマルクスは次のように言う。「資本主義社会と共産主義社会とのあいだには、前者から後者への革命的転化の時期がある。この時期に照応してまた政治上の過渡期がある。この時期の国家は、プロレタリアートの革命的独裁以外のなにものでもありえない」。共産主義への移行には、「政治的過渡期」の国家として、プロレタリア独裁が不可欠であるというのがマルクスの結論である。
 資本主義打倒後の社会においては、いぜん階級が存在し、したがって階級闘争が存在する。共産主義社会への過渡期においては、打ち倒されたブルジョア階級は革命権力を崩壊させようとしてすさまじい反抗を行なう。だからプロレタリアートには、これを粉砕する武器が必要となる。またぼう大な大衆を社会の主人公として形成し成長させていくための強力な手段が必要となる。そうした役割をになうのがプロレタリア独裁国家である。プロ独国家はひとつの国家でありながら、それ以前のあらゆる階級国家とは性格を異にする。プロ独国家は「もはや本来の意味での国家」(エンゲルス)ではない。それは国家の廃絶にむかう一時的・過渡的な性格をもつ特殊な国家である。

 ●2 労働者国際連帯の意義を強調

 『ゴータ綱領批判』はラサール派に対する批判として書かれた文書である。マルクスは、前記の共産主義論やプロ独論の他にも、ゴータ綱領草案中のラサール的主張に対する批判をさまざまな面から行なっている。たとえば、@労働者階級以外の階級を「一つの反動的大衆にすぎない」としている点、A労働運動の国際性を否定している点、B賃金闘争の意義を否定する「賃金鉄則」論が盛り込まれている点、C「国家の援助を受けた生産協同組合の設立」というラサール派の根幹的主張が取り入れられている点、D労働組合によって労働者を階級として組織することの意義を無視している点、いずれも示唆に富んだ興味深い批判である(以上、エンゲルスの『ゴータ綱領にかんするベーベルにあてた手紙』一八七五年三月を参照のこと)。とりわけ労働者階級の国際主義を「諸国民の国際的な親睦」にまで低めた綱領草案に対して、各国の労働運動の相互支援・連帯の必要とその意義を強調している点は見過ごせない。すでに一八六四年には、プロレタリアートの国際組織として第一インタナショナルが発足していた。労働者階級の意識的な国際的結合が本格的に開始されているなかでは、綱領草案の「諸国民の国際的な親睦」の主張は、この地平を大きく後退させるものであったのである。

 ●3 レーニン国家論に継承される

 のちにレーニンは、ロシアでの社会主義革命準備の過程において、この『ゴータ綱領批判』の諸内容に依拠しながら革命後の社会のあり方について探究した。一九一七年に書かれた彼の『国家と革命』、とくにその第五章「国家死滅の経済的基礎」では、『ゴータ綱領批判』の諸テーゼについて詳しい検討が行なわれている。ここにおいてレーニンは、『ゴータ綱領批判』の「共産主義の二つの段階論」「過渡期における国家論」を足がかりにしながら、社会のどのような発展段階のもとで国家は「死滅」するのかという問題についてみずからの見解を展開している。ロシア革命を目前にしてレーニンが、プロレタリアートによる権力奪取という革命の当面の目標をはるかに越えて、「国家の死滅」の問題をプロレタリア革命の不可欠の内実としてとらえ、その解明に真剣に取り組んでいたことには、あらためて驚かされる。『国家と革命』第五章は、『ゴータ綱領批判』の優れた解説になっている。