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左翼共産主義批判
                                                                        レーニン
      

  共産主義者の党の建設と党の活動に関する核心



 二十一世紀の現代、労働者階級の解放と社会主義、共産主義の実現が新たな意味で問われている。資本の自由、帝国主義の自由が強化され労働者階級と被抑圧人民の生活と生存は一層、厳しさを増している。しかし一方、全世界の労働者階級、被抑圧人民は中南米、欧州、アメリカ、アジアの各国で抵抗と反乱を強めている。労働者階級と人民がたたかい、団結を強め、自らの解放を勝ち取るための運動と組織を作り出すべき新たな歴史的な時代が始まっている。
 一九二〇年の春に書かれたレーニンの『左翼共産主義批判』のこの古典は、現在の労働者階級人民の自己解放運動にとって極めて重要な課題である、共産主義者の党の建設と党の活動に関する核心について、レーニンが自らの見解を提起したものである。提起の基軸部分は現代においても依然として変わることはない意義をもっていると思われる。
 本書は一九一七年ロシア十月革命の勝利以降、ロシアにおいて国内反革命運動と帝国主義の国際反革命干渉戦争を打ち破りつつあった情勢下、レーニンが全世界の共産主義者、革命的左翼の諸派、諸グループに対して新しい国際的な党(第三インターナショナル)の建設のための結集軸を党と党活動の面から明らかにしたものである。レーニンは二〇年の春に国際的なプロレタリア的党派の連携と団結を強めていく必要性を特に感じていた。本書では党建設と党活動に関して確認するべき原則的な諸点、とくに左からの空論主義、教条主義、セクト主義の偏向に対して、本来の革命党、労働者党がとるべき原則的態度を明らかにしようとしている。ここでは、何よりも、世界の各国で進みつつあった、革命的左翼の部分の党建設の活動を促進し前進させることが目指されている。一九二〇年を取り巻く当時の情勢は、一七年ロシアプロレタリア革命の勝利によって、また帝国主義戦争(第一次世界大戦)による疲弊と生活破壊を原因、根拠にして、全世界で労働者階級、農民、被抑圧民族、人民の運動が大きく高揚していた。これにともなって革命的左翼、社会主義者、共産主義者の活動が活発化しており、ヨーロッパを中心にドイツ、イギリス、イタリア、オランダそしてアメリカなど多くの国で労働者党、革命党、左派の諸グループが結成され、たたかいを強めていたのである。もちろん祖国擁護の思想に屈服した社会民主主義潮流(第二インターナショナル)の一部は、戦後の革命期に一層反動的に自国ブルジョアジーと完全に融合し労働者人民の解放闘争に敵対したが、多くの部分は動揺を深め分裂を繰り返していた。反動化した社会民主主義の指導部から決別し部分、またチンメルワルド会議派の流れを継ぐ部分が革命的左派潮流と革命党、共産主義者の党を全世界で広く形成しつつあった。レーニンは全世界で成長しつつあるこの革命的左派、革命的諸派、諸グループの戦闘性と急進性に注目しつつ、これを積極的に評価し、未だ途上性にあるものとして分析し、結合を目指したのである。当時、全世界で巻き起こるこの革命的左派の部分の党建設と党活動、運動とたたかいの成否がプロレタリア世界革命の成否を決する極めて重大な課題であったのである。もちろん結果的にはこの戦後革命期においては、ロシアに続いてプロレタリア革命を成功させ、持続させていく国を生み出すことはできなかったのは事実である。しかし第三インターナショナルを結実化させていった。
 革命的左派が自分たちの活動によって共産主義党建設、革命党建設を成功させるために、レーニンは党建設と党活動に関する領域で幾つかの原則的な内容を提起した。当時、革命的左派の間では、党建設と党活動において余りにも幼稚という以外にない空論主義的で教条主義的、原則主義と非妥協主義を掲げる無政府主義的傾向が顕著であった。また党建設における中央集権と規律の獲得の意義を否定する「下からの党」建設の傾向が強かったのである。これらの傾向を克服するために、レーニンはロシア革命、ロシアの革命運動の歴史的教訓を明らかにし、党建設と党活動の助けとしたのである。また現実の諸国における実際上の活動を知り得る限りでの範囲において分析し、評価、批判したのである。
 本書でレーニンは次の事柄を明らかにしている。
 一、ロシア革命の経験をまとめて国際的な意義を明らかにすることを目的にして、ロシアにおける革命運動と党建設(ボルシェビキ党)の歴史的段階を総括し、その時代に獲得した原則的な内容を明らかにすること。そして成功の基本的条件を一般的(普遍的)に明らかにすることであった。党の建設については、とくに「規律の維持のいくつかの条件」というかたちで明確化し、また党の活動(戦術、路線、階級形成)においてはロシアでの労働組合活動、ブルジョア議会活動、ブレスト講和などからの教訓を提示したのである。
 二、また反動的な労働組合、ブルジョア議会への参加、妥協(ブレスト講和の様な)の意味について、とくにロシアの経験を詳しく総括し現実的諸条件を重視するという教訓を明らかにし、現在各国の左派に顕著な原則主義、非妥協主義の空論的傾向を批判し克服を呼び掛けた。歴史的条件、現実的条件に根差した戦術、方針こそが重要であることを提起したのであった。いわゆる柔軟な戦術の提起である。
 三、「指導者の党」と「大衆の党」を対置し、また「党の独裁か階級の独裁か」と設問し実際、革命党の党派性と党規律を否定する、「原則的反対派」に見られる傾向とたたかい、党の建設を忍耐、組織性、規律、不屈の獲得や経験と蓄積の角度から粘りづよく展開していくことの意義を提起したのであった。
 大きくレーニンの提起をまとめるならば、そこには次の二点が明確化されていると言って良いだろう。すなわちその第一は「党の規律の維持」の規定に表れた党の成立の場とも言える組織思想の核心部分である。この部分はマルクスの『共産党宣言』における革命的労働者党、共産主義者の組織論的規定と通底するものである。簡単に記せばレーニンはここで@プロレタリア前衛の階級意識、革命に対する献身、忍耐、自己犠牲、A極めて広範な勤労者大衆、なによりもまずプロレタリア的勤労大衆、さらにまた非プロレタリア勤労大衆にむすびつき、接近し、必要とあらばある程度彼らととけあう能力、Bこれら前衛のおこなう政治指導の正しさ、政治的戦略、戦術の正しさ、―ただし最も広い大衆が自分の経験にもとづいて納得することなどの条件をあげている。しかもこれらの諸点がトータルに体系的に欠如無く進むこと、また条件の形成は一挙に生み出されるものではなく長い間の努力、革命運動と結び付いた階級実践、労苦、経験に結びつき、また革命理論を導きの糸にして実践することによって、初めて作り上げられるとしているのである。
 もちろん、この有名な規定は過去の党建設―党活動上の歴史において、様々解釈され実践されてきたものである。例えば革命理論や階級意識を意義を強調するもの、献身や自己犠牲を作風や気風の獲得に結び付け強調するもの、労働者人民に接近する能力を党と階級の交通形態の確立の観点から重視するもの、戦略や戦術の正しさを強調するもの、革命党の実践、経験の蓄積と組織的な結束の強化の意義を主張するもの、労働者大衆の経験を重視するものなどなどである。この解説では詳しく展開する場ではないので簡単に以下のことを指摘するにとどめる。ここではこれらの諸要素、諸側面がトータルに把握され実践されることによって初めて、共産主義党、革命党が建設されるということである。つまり綱領−戦術−組織の全体的な一体的な内容によって、しかも労働者人民の経験に基ずいて受け入れられることによって、はじめて党と党活動は成立するのだという見解である。それ自身意義あることではあっても、一要素を異様に深めて党建設に置き換えるのは本来の革命的労働者党の建設の道からは外れている。重要なことは党が組織体として団結と結束を強める努力をしつつ、現実の労働者人民の解放運動に結び付いて活動すること、またこの過程では党は断固たる活動分子として意識的、積極的に運動の発展を目指して活動するということであるだろう。レーニンはマルクスの様に、党と階級の本格的な関係の形成を左翼共産主義克服の重要課題として設定したのである。
 そして第二は、党の活動の重要部分を成す戦術と路線、現実的な労働者階級、人民を指導し階級形成していく活動において出された「手と足をしばられない戦術」―硬直した「型」としての戦術の克服、すなわち柔軟な戦術の核心の提起である。もちろんレーニンは戦術を現場に合わせた御都合的なもの、基本的にはどうでも良いものなどとして柔軟性を強調したわけではない。ロシアにおいては〇五年革命の後、革命運動の後退期が訪れたが、作られた国会に対してボグダーノフらのボルシュビキ左派はあくまでも旧来の路線であるパルチザン戦争路線の継続を主張し、国会のボイコットの戦術、また労働組合をはじめとする諸機関(保険金庫など)のボイコットの戦術を主張したのである。ここでは当然にも労働者階級の経験、蓄積、運動の状態、また党が持つ現実的な影響力、もちろん敵の支配、出方の分析が必要となった。レーニンが重視したのは労働者階級の経験と状態、現実的な運動であり、ここから一歩でも前に出る戦術であった。反動的議会を利用、活用すること、反動的労働組合や行政機関を活用、利用することは、当時の労働者人民には政治的に自由の経験、団結の蓄積の観点からいって大きな意味を持っていた。労働者階級は団結し資本、国家とたたかう、そして一時は勝利するが、これは新たな資本と国家の反革命によって打ち破られる。そこでまた労働者は新たな団結と運動を生みだし前進する(マルクス)。レーニンはあくまで労働者階級の経験と現実の状態のなかから、不断の階級形成、たたかいの構築を目指すべきだとしたのである。
 レーニンは労働者階級と党がむすびついて行くための基盤として、交通形態の確立のための基軸として、特に労働組合を重視している。「階級的団結の初歩への橋渡し」である労働組合は階級形成のための極めて重要な場であり要だということだ。広範に労働者大衆が労働組合に結集し拡大しつつある情勢(当時は世界各国で急激に)の下にあって、多くの左翼共産主義者は「労働組合の反動性」をあげつらい、一部では純粋の「労働者同盟」を夢想したりしていた。レーニンはロシアにおける反動的な労働組合への参加の歴史的意義を明らかにすることによって、この誤りの傾向の克服を求めたのであった。議会のボイコットも同様な意味を持った。左翼共産主義者の「原則」というあらかじめの決定による議会や労働組合のボイコット戦術、路線は、結局、現実の階級形成を進めるという党の任務の根幹の部分の欠落としてレーニンは批判したのである。労働者の経験を評価、研究せず、労働者階級と結びつこうとしない傾向はプロレタリア解放運動の勝利の展望を阻害するのである。

 ●二十一世紀の現代において学ぶべき課題

 二十一世紀の現在、本書から学ぶべき点も多いが、同時に意義の確認において困難も伴うと言えるだろう。例えばレーニンが強調する中央集権と規律、党中央部の強化、党派性と党規律の確保などの用語は確かに、党建設と党活動、階級、人民と深く結び付いた党の建設によって作り出されるということができる。ただそれは同時に、組織の内部構成や意思形成と意思の執行の内在化を不可欠とする。レーニンの本書はこの組織の内在化したところでの団結や結束について語っているのではないということだ。このことを確認して評価するべきだろう。また既存のブルジョア議会や労働組合への参加、あるいは「妥協」などについて一般的に、これらの戦術―方針が語られてもそれは大きな限界を持っているのは明らかだ。これらの執行が一般的に革命的路線―戦術であると言う事はできない。
 本書でレーニンは、党、共産主義者とは、あくまで階級の自己解放に向けた活動、それも一部の革命化した部分のみではない広範な部分、広範な労働者階級、被抑圧人民の活動、運動と結び付くことによって自らが成立する、あるいは存在意義を見いだすことができるとしている。労働者階級と被抑圧人民が自己解放運動を発展させ、プロレタリア革命が全人民的規模で拡大したとき、これと最も広範に結び付いた政党、労働者党がはじめて自らを革命的労働者党と宣言することができるのである。党とはそのように自らの途上性を不断に突き出し、克服し前進していく存在である。
 ロシア革命を継承してきた労働者国家、「社会主義」のソ連邦は前世紀の終盤に完全に崩壊した。スターリン主義による共産主義運動の変質、腐敗の結果、九〇年を前後して中・東欧を含むソ連圏は解体したのである。また生き残った革命中国では、スターリン主義党―中国共産党の独裁体制の下、資本主義化が進み拡大し、資本主義的社会関係が支配する体制が生まれていおり、一片の共産主義の正義、労働者人民の解放の正義はない。こういった現実からして、本書の片言辺句をもって現状に切り込もうとするのは、全く困難であり、歪みをもたらす可能性が大きい。レーニンが目指したものではない。われわれ現在の共産主義者またその党は、レーニンが批判した左翼共産主義的傾向を自らの、あるいは労働者政党の不断の傾向として、克服の角度からとらえ、これを越えた労働者党、二十一世紀の革命運動に相応しい組織と運動を自らの力で作り出していく以外にない。