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 階級的労働運動再生への
 期待に寄せて
2011年9月
大阪  RT
   




 一九七〇年代中期を節目として、それまで戦闘的”と言われてきた労働運動が低迷し、力をそぎ落としてから四十年弱。八十年代には、国労弾圧が猛威を振るい、総評が解体し、派遣法や男女雇用均等法が制定され、労働者階級の団結は、木っ端微塵に打ち砕かれた。九〇年代には、道を掃き清めた日経連が、「新時代の日本的経営」を宣言した。そこに至るには、戦後の労働運動(広くは戦後階級闘争)を規定していた五五年体制aのもつ、様々な弱点(戦争被害者としての運動、アジア反帝民族解放闘争との切断、一国平和主義、高度経済成長を背景にした経済主義、総体としての企業別本工主義、組合主義……)の結果であるが、今回は、七〇年代中期以降の労働運動の暗転≠ゥら脱却しようとするほの明るさ≠ノついて投稿しようと思っているので、これらについての詳しい言及は省く。
 ほの明るさ≠ニいうのは、いくつかの新しい産別労働運動の動向であり、その萌芽が労働運動のなかに見て取れることである。
 産別労働運動や、その団結の内実としての同一(価値)労働同一賃金≠ヘ、戦後世界においては、労働運動の主流であった。しかし、日本においては、理念として掲げられることはあっても、労働運動の主体的な実践となることはなかった。
 その理由は、第一に、日本における賃金・雇用慣習(文化)であった「家族給(生活給)」と「企業内賃金標準決定」という枠組に、労働運動があり続けてきたからであり、第二に、日本の支配層・資本家階級は産別労働運動を恐怖し、労使一体派を育成して、その芽(電産協の闘いや日産争議など)を徹底して弾圧し、摘み取ってきたことであり、第三に、七〇年代まで、日本は、米帝のアジア侵略反革命戦争の兵站拠点≠ニして、技術革新と生産資本の拡大の時期にあり、また流動労働力は主要に農漁村の出稼ぎ労働者によってまかなわれ、このことによって、企業別本工主義の弊害が、表面には出てこなかったことである。
 日本においては、全日建や全港湾など一部の例外を除いては、産別と呼ばれていても、企業別労組の連合でしかないことが殆どである。産別ではなく、また同一労働同一賃金や、その発展としての同一価値労働同一賃金のような「仕事給」ではないということは、労働者の属性による平均的消費総額に沿って、賃金体系が形作られるということである。すなわち、家父長男性には、家族を養うに足る賃金を、その対極に、女性や若者など「非世帯主」に対する「家計補助賃金」が構築されることであり、また国力の差を反映した外国人労働者差別賃金(欧米は高く、第三世界は低く)が生み出されることである。とりわけ、民間大企業において、このような仕組みが貫徹されてきた。
 生産主体である労働者が共通項として持つ「仕事(同一労働同一賃金)」を団結の基盤にできないために、日本においては、非正規雇用の導入は、労働運動からの抵抗闘争が極めて弱いままに進んでこざるをえなかった。現在においても、多くの労組が、本工労働者の利益防衛を中心とした労組活動の中にあり、「正社員クラブ」という批判を受けている。そしてまた、仕事をめぐって形成される社会意識も、労働の側からという実践は殆どなく、雇用・賃金確保のために、資本・経営の側へと引き寄せられる傾向にある。連合の電力労組の「原発推進」などは典型的である。
 帝国主義グローバリゼーションという国際的資本間抗争に日本企業が参入し、新自由主義―規制緩和を通して、独占資本へとあらゆる富が集中する仕組みが作り上げられていく中で、労働者の社会的地位と力は、どんどん引き下げられてきた。正社員には長時間労働が広がり、三人に一人を越した非正規雇用は女性や若者の中では半数以上となり、経済的理由による自殺者が増大し、賃金水準も下がり続けている。耐え切れなくなった労働者が労働相談に駆け込むようになったが、それら個別労働相談の量的拡大のみで、労働運動の反転攻勢が切り拓かれるわけではない。
 このような中で、昨年、全日建連帯関西生コン支部(以下、関生支部)が、七月二日から十一月十七日までの百三十九日間にわたる産業政策闘争のストライキを実現した。セメント産業の構造的な危機を、攻勢的に再編することをめざしたものである(詳しくは、「建設独占を揺るがした百三十九日」発行:変革のアソシエ)。建設産業の巨大独占資本(大林や竹中など)は、独禁法違反を犯してでも、この動きを封じ、生コン価格の決定権をゼネコンの下に死守するために建設工事ストップなどで対抗し、生コン協同組合の解体、スト突破をはかったが、労働組合側の勝利に終わった。今年に入った五月十一日、このストライキへの報復弾圧として、十三名の関生支部執行部・組合員を不当逮捕し、七十三日間にわたる長期拘束の末に(七月二十二日保釈)、現在、裁判闘争が闘われている。
 関生支部の闘いは、長きにわたる資本との攻防の結果、培われてきたといえる。関生労働運動は、一九七〇年代半ばに総評労働運動が失速していくなかで、独自の産別的位置を切り拓いて成長し、資本・権力からの激しい弾圧にあうと同時に、日本共産党からの背信攻撃を受け、分裂(八二年)している。この当時、日経連は「成長期から安定期移行に伴う賃金政策」を掲げ、労使協調派の「賃金自粛論」「低成長時代の生活制度要求(雇用保険法改定など)」と連携して、総評つぶしに動いていた。七五年国労のスト権ストにおいて、総評は手痛い敗北をなめ、七九年には、経団連が「日本の経済的危機を乗り切ったカギは、日本的労使関係にある」と勝利宣言をおこなった。この宣言を行ったのは、当時の経団連の会長であった大槻文平という人物であったが、その大槻をして、「関生型労働運動は箱根の山を越えさせない」と言わしめたほどである。
 百三十九日間にわたる産業政策闘争を、関生支部とともに担ったのが、全港湾大阪支部であるが、全港湾は、もともと港湾で働く日雇い労働者の団結組織として誕生したものである。港湾協定などによって、港の労働者の雇用・労働条件維持を行っているが、近年、港近辺の輸送トラックや工場労働者の組織化などに意識的に乗り出し、例えば、クボタのような大企業相手に、外国人労働者の組織化を行い、果敢な闘いを挑んでいる。
 資本・権力による産別労働運動つぶしに屈せず、生き残ってきた産別労組が、裾野を地域一般に広げながら、新しい展開に入ろうとしているのである。
 このような筋金入りの産別労働運動ばかりではなく、新しい産別労働運動の萌芽が、近年、見られるようになっている。一九八九年、右翼的労線統一によって「連合」が登場し、同時に、規模の問題はあれ、全労連と全労協というナショナルセンターが生まれて、日本労働運動は三極化した。全労協は、国鉄闘争支援を軸に左派によって結成されたが、この中から、地域共闘と結びつき、非正規雇用を含む産別的・合同労組的な動きが育ちつつある。例えば、郵政労働者ユニオンのような、「均等待遇」要求を掲げて、春闘でのストライキ闘争をうつところが登場している。郵政当局による処分攻撃にさらされながら、労働運動再生の中で、重要な役割を果たそうとしている。大阪での「日の丸・君が代」条例に対する全国的闘いを呼びかける教育合同労組運動も、そのひとつである。また、地域ユニオンのなかにも、駆け込んでくる労働相談を個別争議で終わらせず、同じような業種ごとの団結を組織し、下からの産別化の動きを模索するような動きも出てきている。全国一般全国協などは、その先進的な推進部分だろう。
 ところで、この投稿のきっかけとなったのは、ケアワーカーの職務評価の全国調査という面白い試みを、最近、聞いたことにある。この発信元は、均等待遇グループである。均等待遇グループは、二〇〇〇年を前後して、女性労働者・非正規雇用労働者を中心に推進されてきたネットワークである。最初の大きなキャンペーンは、圧倒的多数が女性労働者であるパートタイマーの雇用条件の法制化をめぐる攻防の中で生まれてきたと記憶している。この均等待遇グループは、ILO一〇〇号条約(同一価値労働同一賃金)や、ILO一七五号条約(フルタイム労働者とパートタイム労働者の均等待遇・相互転換権)を裏づけとして登場してきた。
 しかし前述したように、日本における雇用・賃金体系は、ヨーロッパとは社会的・文化的にまったく異なっており、現状の「家族給(=生活給)」を柱にした社会制度、企業内賃金システムの中では、きわめて少数派でしかなかった。均等待遇運動が、社会的な姿をとって現れてから十余年が経つが、そのインパクトにもかかわらず、社会的に広がらなかったのは、日本型の「属人給」システムからの転換が、果たして実現できるのか、という問題があった。すでに、この十年を見れば、「同じ仕事には同じ賃金」という思想は、現場には存在しないばかりではなく、パート・派遣・契約・アルバイト・嘱託など、雇用名称の違いによる差別とランク付けが、あたかも「身分制」のように横行している。このような中で、今回みたケアワーカーの職務評価¢S国調査は、新しい兆しをみせるものである。
 周知のように、日本企業が、生産・流通・販売拠点を、雪崩れうって、アジアを始めとする諸外国に移転しようとしている中で、日本の産業構造は大きく変わろうとしている。製造業や建設業の就業人口が減少し、代わって医療や介護産業に従事する労働者が増えてきた。かつての家族モデルは解体し、いまや独居世帯は一千万を超えている。しかしながら、資本の側は、「医療・介護は生産性が低いため、低賃金は免れない」と公然と言い放っている。このような産業構造のなかで、近年の若者は、一部のエリートを除いて、失業かワ−キングプアかの選択を迫られるような社会状況となっているのである。このような中で、社会的要請の大きさがあり、強い労働強度・感情労働などを必要とするにもかかわらず、低賃金のままに置かれている労働者の一定の社会層であるケアワーカーに着目し、職務評価を通して共通基準を形成し、安心して生活していける賃金と労働条件へと、現状を変革していく社会運動への模索が始まっている、と見ることができる。
 ケアの対象は、老人やこども、障害者など、社会的な弱者が対象であるが、これらへの介護保障要求運動は、障害者解放闘争が、その先鞭を切り拓いてきた。かつての施設系の労働運動の中には、重度障害者の地域生活支援がもたらす労働のフレシキブル化≠嫌い、反合理化を名目に、障害者解放と対立してきた側面をもっている。日本の労働運動が、非正規雇用労働者にも均等待遇・同一価値労働同一賃金≠貫けるような真の産別%Iな強さを持っていたら、九時―五時の定時労働保守にこだわり、障害者の地域自立生活支援を押さえ込むようなこともなかっただろうと感じる。労働運動のこのような「負の歴史」を乗り越えるものとして、ケアワーカーの賃金・待遇改善の全国運動が、広がることを願わずにはおれない。
 そもそもケアワーカーの賃金・待遇改善は、個別企業との交渉だけでは実現しない。国の社会保障制度の一環として、ケアワーカーへの報酬単価は設定されており、良心的な中小・零細事業所では、このままではすりつぶされてしまいかねない状況にある。産業空洞化と高齢化の進行にみまわれる日本社会において、どのような構想をもって新たな階級闘争構造を建設し、国境を越えた労働者階級の国際的団結へと向かうのかが、先進的労働者には問われているといえるだろう。
 労働運動再生には、まだほの明るさ≠オか見えないが、困難な時代を闘いぬくことによって初めて、再生への日の出は実現できる。新しい試みへの連帯を表明して、投稿の筆を置きたい。


 

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