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 人間の原点に戻った気がした
 三里塚の援農
2011年9月
東京  学生
   




 援農に行くにあたり、実家に住んでいる私は、母にそのことを話さねばならなかった。反原発のデモやあらゆる社会活動に参加することに対して何か言われることはなかったが、今回ばかりは「行かないでくれ」というような注意をされると思い、前日まで三里塚へ行くことを言えずにいた。もじもじしながら母に話すと、「あぁそう」とだけ言われた。そして、「どうだったか聞かせてね」と言われた。あまりに見当違いの返しがきたので驚いた。とりあえず、こうして心置きなく援農にいけることになった。
 七月十八日の朝、援農へ行く前に、市東さん宅の監視台や封鎖された団結街道、その先の市東さんの畑に行った。「無理矢理作りました」感の溢れる滑走路には、人間の命より金、の精神が伺えた。
 そうこうしているうちに援農の時間になり、鈴木加代子さんのお宅に行くと、大きな日本家屋でビックリした。草むしりをするために軽トラックの荷台に乗って移動。先輩と草むしりをひたすらする。葱(ネギ)の周りに生えている雑草を葱を抜かないようにカマを使って抜いていく作業で、なかなか進まない。それでも前にある雑草を抜いていかねばならない。良くわからない虫もいるが、気にしていられない、ただただ抜いていく。時々、井戸の水で顔を洗ったり休憩しながら作業に取り掛かる。真面目にやるだけ成果が見えることが嬉しい。人間の原点に戻った気がした。
 お昼になり、加代子さんのお宅に招かれ、食事。大きな日本家屋の中は涼しく、三里塚の野菜を使ったおかずがおいしくてご飯を二杯食べる。加代子さんはその日は遺伝子組み換えの野菜の恐ろしさについてお話してくれた。私がスーパーで買っている野菜もきっと遺伝子組み換えに違いない。
 その後、現闘本部破壊に反対する、緊急現地集会に出る。厳重な警戒体制、異様なまでの私服警察の数に圧倒されながらも、畑の上でお話を聞く。原発もそうだが、国策は本当にしょうもないと再確認する。その後、デモに出発。市東さんの畑で流れ解散となった。初めて野戦病院の車両を見て、激しかった運動の名残が見られた気がした。
 今回の援農で一番心に残っていることは、決して農民は「過激派」ではないということだ。農村のコミュニティを分断し、金で人間を動かし、人の生業を奪おうとする。国や企業のほうがよっぽど過激だ。援農にきて、必死に農地を守る人やそれを支える人に会い、成田空港には断固として反対していかねばならないと思った。

 

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