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狭山事件の再審を求める6・19墨田集会

地域の仲間が構成劇を熱演
        

2015年8月

                                                                                 




                                                  墨田区在住労働者
 

 「墨田の地域から、石川さんをとりもどそう! 」を合言葉に、毎年石川一雄さん・早智子さんを招いた狭山集会を重ねてきた墨田で、今年も六月十九日「狭山事件の再審を求める6・19墨田集会」が行われた。狭山事件から五十二年。二十三回の三者協議が重ねられ、石川さん無実を証明する証拠が続々と開示されてきた。大きな局面を迎える狭山第三次再審請求の闘いを勝利へと導くうねりをつくり出していこう!
 一方で、墨田の地域で起きている深刻な部落差別扇動に対し、起ち上がり包囲していく団結の力を今一度打ち固めていこう! との強い思いが込められた集会である。構成劇の練習会、駅頭での情宣行動、などなど準備が進められていた最中に届いた「裁判長交代(河合裁判長が6月29日付で異動)」の知らせに愕然としながらも、当日は百二十数名という最近では久しぶり最多の仲間で会場を埋め尽くし、石川さん夫妻を迎えた。
 「狭山のいま」と題した部落解放同盟墨田支部書記長からの報告発言では、四十七年もの間検察が隠していた百八十点の証拠が開示された意義は大きい、とそのいくつかを写真資料をもとに説明された。石川さんの当時の筆跡(脅迫状筆跡との違いが一目瞭然!)を示す新たな証拠物や、「自白」が警察に強いられ誘導されたものであることが明らかに見てとれる取調べ録音テープの起しなど。「これらの証拠をもっともっと宣伝することによって、裁判長を動かす世論をつくり出していこう」と訴えられた。
 石川一雄さんからは「ここに来て裁判長が替わってしまい、また狭山は先送りにされた。再審決定が出そうになる度に…。この十年間で五人も裁判長が替わったのは狭山だけ。司法に対する不当な圧力だ」と怒りの訴え。「私は事件当時字が書けなかった。私の無実を信じて『表現力を身につけろ』と言ってくれ、獄中から毎日三通の手紙を出していた私に、月六十枚の切手・封筒・便箋・筆記用具を(今後は解放同盟に任せようということになるまで)十二年間ずっと差し入れ続けてくれた看守Aさんの支えがあった。」と「筆跡証拠」から回想し語られた。
 早智子さんも「大きな流れの中にあっての裁判長交替に少なからずショックを受けた」と冒頭に触れながらも、「残された時間を精一杯使って後任の裁判長に引き継いでほしい」という嘆願書を出してくれた仲間や、いち早く要請はがきを作ってくれた墨田の取り組み、映画「SAYAMA」の上映運動がまた新しい風となり、支援の動きへとつながっていることがうれしい、と訴えられた。
 続いて、墨田解放共闘メンバーや地域の仲間、総勢二十名による構成劇「木下川の町の物語」が上演された。皮革産業の町に対する差別行政により、度々移転を迫られながらも「この地に熱と光を求めて」闘い、根をはって築いてきた町―木下川の歴史を描いた劇である。皮工場や油脂工場は年々減少し、地域の誇り・人権教育の拠点であった木下川小学校は廃校・解体となり、街は様変わり。しかし人間の尊厳をかけて闘ってきた歴史は代々引き継がれ、差別・排外主義吹き荒れる今を光で照らし、未来を拓く! との思いを込めて、出演者全員が熱演を揮った。拍手鳴り止まぬなか、出演者から狭山闘争勝利に向けた決意表明が行われ、集会は締めくくられた。
 石川さんと共に、一日も早い再審開始に向けて、全国で闘いの輪を広げよう!

        

 

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