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  「2018日韓青年学生交流の旅」に参加して

(東京在住労働者)
2018年12月

                                                                                 



 
 一一月九日(金)から四日間、「二〇一八日韓青年学生交流の旅」がアジア共同行動日本連絡会議の主催で行われた。目的は三つあると、この旅の小冊子に書いてあった。一つは、韓国の労働者階級、青年学生の運動現場を訪れてその状況、活動、課題を知り、日韓間の共通点と相違点および課題の解決策を考えること。二つは、歴史の現場を訪れて日韓間の歴史的課題を知り、その解決策を考えること。三つは、日韓の青年学生がともに取り組めることはあるか、あるとすれば、どのように取り組めるかを考えること。
 一日目。青年諸団体と交流した。労働運動、基本所得(ベーシックインカム)運動、女性解放運動、反戦平和運動などに取り組んでいるそうだ。日本の青年学生の現状についても質問が続いた。予定時刻を過ぎても議論が終わらなかった。
 午後はまず、西大門(ソデムン)刑務所跡を訪れた。千葉刑務所と造りが同じで驚いた。後で聞くと同じ設計者だった。日帝植民地時代の歴史とむごたらしい拷問を知ることができた。死刑場も残っていた。
 続いて、警察庁人権センターを訪れた。映画『一九八七』に出てくる旧南営洞対共分室だ。朴鐘哲(パク・ジョンチョル)君が水拷問で殺された部屋も保存されて残っていた。移動し、たくさんの民主化運動活動家が立て籠もった明洞(ミョンドン)聖堂と香隣(ヒャンリン)教会を訪れた。夜には、青瓦台(大統領府)に至る道を占拠して開かれていた労働者大会前夜の闘争文化祭に参加した。今年は民主労総の前夜祭がないので、闘う労働運動活動家五百人余りが集まって開いているのだと聞いた。非合法組織のままの全教組や闘争現場からの発言、民衆歌手の歌、民主労総指導部の社会経済労働委員会への参加に反対する人々の踊り(「律動」という)などがあった。その後、プデチゲ(軍隊鍋)を食べながら参加者同士で交流した。
 二日目。朝、許榮九(ホヨング)平等労働者会代表・AWC韓国委員会代表の話を聞いた。韓国社会と朝鮮半島の現状だ。文在寅(ムンジェイン)政権と民主労総指導部に対する分析、韓国労働運動が抱えている構造的問題など政治経済軍事ほか全般的な情勢に関する講演だった。
 午後、第一回汎国民基本所得要求大会に参加した。基本所得は日本では評判が悪いが、社会変革の諸運動と連動した大切な武器であることを知った。詩の朗読やバンド演奏もあり、賑やかに進行した。光化門(クァンファムン)に移動し、全国労働者大会に参加した。途中、韓国サンケン労組の仲間とも再開した。会場となった片道四車線の道路が約一キロメートル区間、完全に埋まっている。非正規職の女性たちが大挙参加していた。後で聞くと約六万人が結集したそうだ。一一月二十一日に労働法改悪阻止のゼネラルストライキを行う予定で、その決意が次々に表明された。
 集会が終わり、デモに出発。途中、日本大使館があったので、少女像を見に行くことにした。すると、集会が開かれていた。少女像を守るために近くにテントが張られていて、そこに支援者が二四時間寝泊まりしているが、その人たちが毎週土曜日夕方に行っている取り組みだった。日本政府に対して日本軍性奴隷制度被害者をはじめとする戦争被害者への謝罪と賠償を行わせることは、帝国主義の戦争政策と対決することと一体だという発言に、同じ考えだと思い、拍手を送った。
 三日目。光州(クワンジュ)を訪れた。5・18民衆抗争の歴史に触れる日帰り旅行だ。ソウルから二時間で到着。まず旧道庁前に行き、中にある展示館で写真と映像を見ながら説明を聞いた。その後、5・18民主墓地に移動。日本語音声の約三〇分の映像を見て全体の流れを把握し、記念館の展示を見た。続いて闘いの中で斃れ、墓地に眠っている人々に哀悼をささげた。雨が降り始めた。隣接する望月(マンウォル)墓地公園に移動。民族民主墓地と書かれていた。八七年民主化大抗争の中で死んだ李韓烈(イ・ハンヨル)君の墓もここにあるそうだ。
 四日目。一九一九年の3・1独立宣言が朗読されたタプコル公園に行き、独立運動を描いたレリーフを見る。続いて、平和市場にある全泰壱(チョン・テイル)を見た。以上で旅は終わった。
 旅に参加しながら思い出したこと。大学入学直後に光州民衆抗争の写真展示会を見た。事態発生から一年後のことだ。数年後、4・19学生革命(一九六〇)のスライド上映会で催涙弾が顔面に直撃して死んだ中学生の写真を見、また、全斗煥軍事独裁政権を世界で最初に認めたのが日本政府だったと聞かされた。同じ時期に読んだ本に次の一節があった。
 「だが、自分のよって立つ不当な存立基盤を打破することなく体制に包摂されていく人間は、被抑圧者にとっては唾棄すべき抑圧者でしかないのだ。」
 確か全共闘運動での言葉だ。歴史と社会構造の中の自分がおぞましい日本人の一人であり、抑圧者であることに気付いた。そういう当時の衝撃とその後学生運動に参加した原点を今回思い出した。韓国民衆から渡された「日本帝国主義打倒」と書かれたバトンを、アジア人民の血に染まった両手ではあるが、しっかりと受け取り、握りしめ直して、目標達成に向かって突き進んでいこうと思った。

 

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