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  5・16―19

第42回沖縄平和行進に参加して
2019年6月

                                                                                 



 
 全国一般労働組合全国協議会(以下、全国協)の一員として、五月一六〜一九日の第四二回沖縄平和行進に参加してきた。以下報告する。
 五月一六日、沖縄平和行進全国結団式が沖縄「県」武道館で行われた。基調講演は高良鉄美琉球大学名誉教授(参議院議員選挙沖縄選挙区予定候補者)。一九五四年の土地を守る四原則を「米軍統治下で日本国憲法から外されているなか、憲法の精神を体現したもの」だとし、特に四項目の新規(軍用地)接収反対について、今も沖縄は新しい米軍基地を作らせていないと示した。また、平和行進のコースは沖縄戦で多くの人々がなくなった場所であり、行進の中で沖縄の歴史に思いを致し、平和憲法を理念に留めずに、平和・人権・労働の権利を守る行動実践において闘ってほしいとまとめた。結団式第二部は来賓挨拶や行進団へのタスキ授与などが行われた。恒例の韓国平和行進参加団(五地域一四名)からも挨拶があった。
 同日夜、琉球サンロイヤルホテルにて、三単産結団式が開催された。全国協は全日本港湾労働組合(以下、全港湾)、全日本建設運輸連帯労働組合(以下、全日建)とともに三単産共闘で沖縄平和行進に取り組んでいる。参加各組織の挨拶、団長、副団長からの決意表明に続き、団長の音頭で団結がんばろうが行われた。恒例の学習会、講師は沖縄タイムスの阿部岳記者。この五年間の辺野古・高江の闘いを振り返った。
 翌一七日九時県庁前を出発した。参加者は「県」外二〇〇名、「県」内一〇〇名。航空自衛隊那覇基地を過ぎたあたりから右翼による妨害が始まる。強風の中、海沿いの道を行き、糸満市の西崎運動公園で昼食休憩。午後は昼食休憩会場から糸満市街に出て、白梅の塔を経由し、ひめゆりの塔まで行進した。白梅の塔は第六二師団野戦病院に動員された第二高等女学校生徒隊の慰霊碑である。慰霊碑がある場所は最後に病院があった場所でもっとも多くの犠牲を出した。右翼の妨害は午後さらに激しくなった。糸満市街を出るところでは、街宣車の進行を妨害され、その後も数回にわたり交差点に現れては罵詈雑言を浴びせて来た。しかし、挑発には乗らず、行進をやりきった。解散集会後、ひめゆり平和祈念館の見学を行なった。
 一八日は平和の礎前からスタート。参加者は六五〇名。全国協は一二名。出発前に全国協の仲間で礎を見学する。小雨が降っていたので合羽を着用したが、あまりの蒸し暑さに出発直後に断念、慌てて脱ぐ。午前中は島尻(沖縄島南部)を東に向かい、南城市中央公園まで行進。前日と違い、右翼の妨害はなし。怪我、脱落なく辿り着く。午後は南風原町役場に向かって行進。飛行機の時間の関係で仲間が一人昼食会場で別れる。午後からは予報を裏切って太陽が出始める。強烈な紫外線と高温高湿度で途中の休憩ポイントでは救急車も来るほど。解散集会では「本土」代表(長崎平和運動センター議長)から、良く声が出ていた隊列として三単産が紹介される。
 一九日は宜野湾市役所前を出発。沖縄国際大学、大山ゲート前を通過して、普天間基地の南側を半周するコース。前日よりさらに日照と気温が上がり、過酷さが上がった。右翼も冒頭より繰り返し妨害してきたが、怪我なく行進をやりきった。県民大会の会場は宜野湾海浜公園野外劇場。集会参加は二〇〇〇名。天候は快晴。集会は川口真由美さんの歌でオープニング。沖縄平和運動センター山城議長の挨拶に続き、国会議員と立候補予定者の挨拶。辺野古からの報告(安次富浩さん)。韓国平和行進参加団は参加者全員が前に出て、みんなでコール。続いて平和行進の報告が各コース団長、副団長、「本土」代表から行われ、交通整理と右翼対策で活躍したレンジャーの諸君の紹介とねぎらい。宣言文が採択された。山城議長の音頭で団結ガンバローのはずが仲村みお副議長(参院全国比例社民党予定候補者)に突然無茶ぶりされたものの見事に勤める。解散過程は沖縄県音楽協議会の演奏による「沖縄今こそ立ち上がろう」「沖縄を返せ」。
 三単産平和行進団はホテルに戻った後、総括と懇親会が行われた。
                                                        (介護労働者)

 

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