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 『即位礼正殿の儀の行われる日』に象徴天皇制を考える集会
に参加して
2019年11月

                                                                                 

                                              

                                              (山口・労働者)

  一〇月二二日、「『即位礼正殿の儀の行われる日』に象徴天皇制を考える集会」が山口市の「かんぽの宿湯田」で行われた。当初、二、三〇人と予想していたが五〇人以上が参加した。「朝からテレビがあまりにも面白くないから来た」という人が複数いた。ほとんどのテレビが「即位を祝う」ものばかりだったようで、祝うことを強制される、それが天皇制なのだと感じた。
 本集会の講師は即位・大嘗祭違憲訴訟の原告でもある元教員と牧師だ。
 元教員は、天皇制の問題は国家をどう作るかという問題だと提起した。そして安倍政権は天皇を中心とする大宝律令に基づく日本政府を作ろうとしており、これは立憲民主主義を破壊し否定する行為だと批判した。

 
牧師は、「天皇代替わり」儀式は国家神道を中心とする宗教儀式であり、これを「国事行為」や「公的行為」として行い、即位儀式に多額の税金が使われることは政教分離違反であると訴えた。今も日常の中に、天皇制や神道儀式が伝統や文化という装いで入り込んでいる。これに疑問を持ち抗議していく中から、天皇制による支配という大きな流れに抗する力を私たちは身につける必要があると話された。
 私は、重度障害者や在日朝鮮人との出会いによって、差別の問題やアジア民衆に対する自らの戦争責任を感じとってきた。それは、同時に天皇の戦争責任を考える契機にもなった。特に、仲間と一緒に学んだのは天皇制の暴力的本質だ。アジア民衆に対する数々の侵略行為と植民地支配は、天皇の名のもとに徹底的に推し進められた。また国体(天皇そのもの)を守るために敗戦を遅らせたが故に、沖縄戦や本土空襲や広島・長崎への原爆投下を招き、多くの民衆を死に追いやったことも分かった。
 牧師の所属する教会は県内の平和団体とともに、山口県知事が護国神社の「慰霊大祭」(例大祭)に公務として公用車を使って出席(参列)していることに抗議している。牧師は護国神社とは、招魂社がその前身であり、政府側、すなわち天皇側の戦没者を英霊として祀り顕彰し、国家の戦争責任を回避する装置であると話された。それは単に、過去をねつ造するのみならず、未来をつくり出してもいること、その歴史観(世界観)とは、犠牲を是とするものであること、その犠牲を選定し、正当化し、献身させるために必要なのが天皇制(天皇教)であることを指摘した。
 私は、この思想が侵略戦争への国家総動員体制を作り、天皇制に反対する人々を徹底的
に弾圧してきたと感じた。
 前回の「天皇代替わり」の時も、天皇制に反対する人々がでっち上げられ、一年以上にわたって獄中に捕らえられた。昨年より沖縄の辺野古新基地建設に反対し、アジア民衆との連帯運動を行っている労働組合の正当な組合活動に対して大規模な不当弾圧が続いている。これも天皇弾圧だと強く思った。そして、東京では「天皇代替わり」儀式のために全国から警察が集められ過剰警備が行われた。しかも天皇制に反対する平和的なデモで、逮捕者も出ている。天皇制との闘いを抜きに真の民主主義を勝ち取ることはできないと改めて思った。


    

 

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