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 韓国の労働者大会と脱原発記者会見に参加
2019年12月
                                                                                 

                                              

                                              (AWC首都圏・S)

  一一月八日〜一一日に韓国を訪れて労働者大会と脱原発記者会見に参加し、闘う人々と交流した。前半は日韓民衆連帯委員会、後半はAWC日本連が主催する各訪韓団の一員として各地を回った。

 〈一日目〉
 
金浦(キンポ)空港で仲間の一人が入国審査で止められていることが分かり、早くも波乱の予感。しかし、別室での取り調べは三〇分ほどで終わり、無事入ることができた。胸をなで下ろした。仁川(インチョン)に移動した。
 地域の生活協同組合が運営する食堂でスケソウダラ鍋の昼食をとった。民主党員の理事長が廬武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領の精神を受け継ぐものとして生協運動に取り組んでいるとあいさつ。地域における一つの運動的なつながりを知った。
 その後、仁川市立博物館に移動し、案内者の解説を聞きながら「労動者の生、煙突で咲く灰色の花」と題する特別展示を見た。仁川市の経済的発展の経緯を見た後、それを支えた労働者の過酷な労働条件と労働運動の前進、それによる民主化の勝利という内容だった。公共機関で労働運動を主題とする展示は初めてという。多民族憎悪に凝り固まった魑魅魍魎の類が官民貫いて跋扈し歴史が逆行中の「わが祖国」とは正反対だ。
 合理化の嵐が吹き荒れる韓国GMの正門前での非正規職労働者の解雇撤回闘争文化祭に参加し、日韓民衆連帯委員会が連帯発言を行った。
 集会後、テント座りこみ場を訪問し、話を聞いた。鉄パイプで組んだ櫓の上での座り込み闘争を九〇日間やり切ったばかりという。ビヤホールに場所を移して夕食を兼ねた交流会を行った。韓国人の好物であるチキン三昧を生ビールで楽しみつつ、運動の現状や課題について語り合った。

 〈二日目〉

 宿近くの食堂で牛骨肉スープのコムタンを堪能した後、電車に揺られ、ソウルにある金属労組の会議室に移動。
 全労協の議長と事務局長も同席する中で韓国サンケン労組との交流会が始まった。自己紹介に続いて、全労協議長が連帯のあいさつ。徴用工裁判問題と経済対立に関する日本政府のやり方を批判し、日韓労働者連帯を強めようと述べた。
 続いて二〇一六〜一七年の九カ月にわたる日本遠征闘争時に責任者として常駐したキム・ウニョン組合員の講演を聞いた。歴史の真実から顔をそむける安倍政権と労働政策を後退させた文在寅(ムン・ジェイン)政権を批判し、日韓労働者連帯の力で世の中を変えようと訴えた。夢は「有るか、無いか」ではない、夢は意志を持った人たちが作り上げるものだ、という発言が印象的だった。日立化成労働者も合流し、会社の労組弾圧を強く非難した。
 国会議事堂のある汝矣島(ヨイド)で開かれた労働者大会は、片道四車線のうち六車線を占拠し、隊列が一キロ以上続く。目標一〇万人がほぼ結集した巨大な集会になった。実数は七〜八万人とも、九万人以上はいたとも、いろいろな意見を後で聞いた。民主労総の組合員数は今年百万人を超え、増加中だ。集会でもそれが強調されていた。民衆党党員でもある建設労組組合員に後でサムギョプサル(豚の三枚肉)を食べながら聞いたところによると、今後は二〇〇万人を目指すという。
 民主労総委員長は、ゼネストで労働法制改悪を粉砕すると訴えた。最前列には緑および桃色のチョッキを着た学校で働く非正規職労働者が陣取っていた。いずれかが民衆党系で、もう一つがそうではないとのことだった。数日前には高速道路料金所で働く非正規労働者が大統領との面会を求めるデモで一四人が連行される事態も起きた。民主労働運動の牽引車が金属の正規労働者から非正規職労働者へ移りつつあることを肌で感じた。集会後のデモでは訪韓団から一時離脱し、AWC韓国委員会代表の許榮九(ホ・ヨング)さんが代表を務める労働運動活動家組織の平等労働者会と同一隊列を組み、行進した。
 大会をめぐる評価は様々で、民族解放と労働者解放のうち前者を重視するNL系の現指導部に批判的な後者重視の左派(PD系)の活動家は意見が厳しかった。労働党員の活動家は「かつてなく中身のない大会」と酷評した。
 九月に労働党から分裂して結党大会の準備中である基本所得〔ベーシックインカム〕党の党員が、「現下の労働運動の軸である高速道路料金所の非正規職労働者の指導部が一四人も逮捕されたのだから、彼らが留置されている警察署前で労働者大会をやるべきだ。この弾圧は労働運動のいわば心臓を一突きして息の根を止めようという攻撃なのに。ゼネストの設定日は土曜日で労組幹部だけの集会になる。休日の労働者が多いのにゼネストになるのか」と仰け反りそうになるほど厳しく指弾したのが印象的だった。
 デモが終わって訪韓団に再合流。金属労組双龍(サンヨン)自動車分会の仲間と参鶏湯(サムゲタン)をつつく夕食交流会が進行中だった。挨拶を交わして記念写真を撮り、別れた。宿は、「非正規労働者の休み場所『蜜の眠り』」。韓国GM及び自動車の仲間と夜遅くまで話を交わした。労働運動の現状を理解するうえで非常に有意義な交流だった。

 〈三日目〉

 スンデグク(ソーセージ鍋)の朝食後に郵政労働者の訪韓団と合流し、電車で平澤(ピョンテク)に移動。
 工場前の双龍自動車分会事務所で話を聞き、五年前に組合員二人が座り込み闘争を行った工場内の大煙突をフェンス越しに見学した。当時現場を訪れて電話で会話したが、その一人が今案内をしてくれている事務局長であることを知り、驚いた。
 鴨鍋の昼食の後、平澤大秋里(テチュリ)村平和センターに移動し、今問題になっている駐韓米軍駐留費や米軍基地の現況、日韓軍事情報保護協定の終了若しくは延長をめぐる問題などについて説明を聞き、参加者それぞれが「平和とは何か」を語り合った。そして米軍基地を見学しながら、基地被害について説明を聞いた。
 夜はサムギョプサルを食しつつ双竜自動車分会、平和センターとの交流会。今後の国際連帯活動のさらなる前進を誓い合った。この席には民衆党と民衆民主党の活動家も参加。他に環境問題重視の緑の党の党員と語る機会もあり、結果的に、韓国進歩・左派陣営のほとんどの党派の主張を網羅して聞くことができ、望外の収穫だった。

 〈四日目〉

 AWC訪韓団の行動に合流した。大田(テジョン)市役所前でAWC韓国委員会など反原発活動家が行う脱原発記者会見に参加した。その後、「原発いらない福島の女たち」の黒田節子さんの講演会を聞いた。昼食の肉野菜鍋をつついた後、原子炉を有する原子力研究所前で記者会見。隣接する核燃料製造施設を見学した後に地域住民と交流した。
 両施設の一・五キロ以内には七つの学校と高層団地群が密集していた。文在寅政権は大統領選挙時の公約である脱原発政策を事実上放棄し、原発輸出を推進しているが、環境運動活動家の多くが現政権支持へ「転向」し、脱原発運動は急激に縮小したと現場で聞いた。
 AWC首都圏幹事から託された「福島の女たち」カレンダーを韓国側に渡し、途中離脱した。
 AWC訪韓団はその後、民主労総本部会議室で黒田さんの講演会を聞き、翌日、ろうそく革命の現場である光化門(グァンファムン)で韓国の仲間たちと脱原発記者会見を開いた。
 (AWC首都圏・S)


    

 

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