寄稿(2021年2月)                                                     ホームへ
トランス女性解放のために
何からはじめるべきか?
宮下桂子
   


      
 
 現代の共産主義運動では、これまで社会のなかで周縁化ないし排除されてきた被抑圧人民をいかにして階級闘争の担い手として組織化するのかが、ますます重要な課題となっているのは言うまでもないだろう。ブルジョアジーどもによって盛んに多様性が叫ばれる昨今であるが、それは従来差別によって労働から排除されてきた層をも労働力商品の売り手として取り込み、搾取せんとする資本の意思の表現形態なのである。決して現実の差別・抑圧から被抑圧人民を解放するためのものではないのだ。資本の飽くなき包摂に対抗しながら共産主義運動を発展させていくためには、現代の共産主義者は差別との闘いを己に課すと同時に反差別闘争の組織化に取り組まなければならない。
 以下では、共産主義者でありトランス女性という被差別属性を有する私の立場から、トランス女性解放のために日本においてまずわれわれがやるべきことの素描を記していきたい。
 付言すると、トランス女性とは、生まれたときに割り当てられた性別が女性でなかったが、女性として生きるようになった人のことである。

 ●1章 日本におけるトランス女性差別の核心

 トランス女性の存在は性的少数者のことが日本社会により広く知られるようになると共に認知度も上昇している。各種媒体で話題にされることも珍しくはない。しかし、現実を見渡せば、根深い差別とそれを支える構造が厳として存在しているにも関わらず、差別の問題が切り込まれることはあまりなく、単に好奇心に基づく消費の対象として当事者が客体化されていることがほとんどである。トランス女性当事者がブルジョアメディアで華々しく取り上げられる記事がツイッター上で流れているとき、同じ媒体でおびただしい差別言説が流れている。このことで表されているのは、彼女たちの権利が当然のものとして捉えられておらず、単に消費の対象として、つまりは資本の包摂の対象でしかないということである。
 現在の日本でトランス女性差別が根強く残る核心は何か? 私は大きく分けて次の二つが核心と考えている。天皇制と資本主義である。もちろん差別の原因をこの二点だけに還元することは出来ないし、長年に渡って社会のなかで形成されてきた差別的な価値観や習慣を根絶するには双方を打倒する革命を成し遂げても長期間かかるものと思われる。だが、現在の日本社会で差別解消の大きな障壁としてこの二つがあるのは間違いない。ゆえにこの二点について以下で述べる。

 ▼1章―1節 天皇制

 周知の通り、天皇制とは万世一系の皇統というフィクションを基盤として人間を血統で差別する制度である。生殖行為を通して子孫を残せる異性愛のシスジェンダー(※トランスではない人たち)の人間により皇位継承者が再生産されることがその存続には不可欠である。したがって、異性を恋愛対象とするのが当然、生まれた時に割り当てられた性別に適応して生きていくのが当然というこの社会の「常識」が覆され、子どもを産んで次世代を再生産する役割を女性が担うのを当然視する規範が問い直されていくと、天皇制を存続させる正当性の基盤が危うくなる。社会のなかで、時代遅れどころか明らかに差別的で有害な制度を天皇家のみ維持することは、天皇制の権威を損ねるからだ。
 また、天皇制とトランス女性差別との関連を考えるときに、戸籍制度の問題は重要である。トランス女性が自分の本来の性別で生きようとしても、生まれたときに割り当てられた戸籍上の性別を変更しないかぎり、公的な書類では女性として扱われないことが多い。また、戸籍上の性別変更の法的なハードルも高いことが、トランス女性の権利の侵害につながっている。
 戸籍制度とは律令体制に由来し、すべての民を天皇の「臣民」として登録するための名簿であった。近代となり、日本帝国主義が民衆を天皇の名の下に統合し、侵略と植民地支配を進める過程で、天皇を「現人神」、日本の「家長」とし、「国民」は天皇の「赤子」とする家族国家思想が国家のイデオロギーとなり、軍隊と学校を中心としてその思想は民衆に植え付けられた。その際に戸籍制度は、性別を含めたさまざまな個人情報を記録した上で、個人を家長のもとに家に登録する制度として厳格に定められ、天皇制と家族制度のもとに個人を縛り付ける装置として機能してきた。
 戸籍制度が未だに残り、個人が性別情報と共に家に紐付けされている現状は、天皇制の維持と家族制度が深く結びついていることの証左である。したがって、天皇制を維持して民衆の共同性を「国民」という形に回収して階級対立を隠蔽せんとする日本の支配層は、本質的にトランス女性とは非和解的である。

 ▼1章―2節 資本主義

 次に資本主義とトランス女性差別の連関について述べる。
 資本主義的生産様式のもとでの利潤の拡大のために、資本は賃労働制を通しての労働力の搾取を強化するのみならず、労働力の再生産のための出産・育児・家事といった家内労働が女性に無償で押し付けられてしまう抑圧的な家族のあり方を必要としてきた。家庭において女性に従属的な役割を強要する抑圧的な家族制度がブルジョア社会において維持され、強化されてきたのは、それが支配層の利益と合致するからである。今日女性活躍が謳われているが、それは決して抑圧的な家族制度を資本が必要としなくなったという訳ではなく、より幅広い層の人間から労働力を搾取することを資本が目論むなかで、家事労働に加え、賃労働を通しての労働力の提供を女性に対して資本が求めているからである。
 このこととトランス女性差別はどうつながるのか?
 まず、トランス女性は子宮を持たないので、妊娠・出産することが現在はできない。子どもを産めない障害者の女性や不妊の女性が差別的に扱われるのと同様に、女性に要求される次世代を再生産する役割を担えないのが差別の原因であると考えられる。
 また、自分の身体に男性と間違われてしまうことにつながる特徴があることへの苦痛や嫌悪感を感じていることがトランス女性には多い。当事者がどの程度まで自分の身体の改変を望むのかにもよるが、性別適合手術を受ける、あるいは体内の男性ホルモンの分泌を止めるために睾丸を摘出する手術を受ければ、その時点で現状は生殖機能を失う。
 現在の日本では、トランス女性が身体改変を行うための医療が非常に貧弱な状況にあるが、トランス女性が求める医療行為の機会の保障と充実のために社会的資源を活用することは、労働力の再生産を押し進めたい資本の利益とはそもそも相反するのである。
 もっとも近年では多様性を謳い、性的少数者の受け入れに熱心であることをアピールするブルジョア企業も散見される。しかしその本音は、従来包摂してこなかった層をも労働力を搾取するために積極的に取り込もうとするものである。社会的な偏見や差別のために就労差別が根強くある現状で当事者が仕事の選択肢が限られているからこそ、食い物にしやすいという面があるからに他ならない。
 さらにトランス女性は自分の外見や容姿がシス女性(※トランスではない女性)のように見えるかで思い悩むことが多い。これは単に自分の身体的特徴への嫌悪だけではなく、日常生活で他人に侮蔑的に扱われたり、女性専用スペースでトラブルに巻き込まれるのを避けるためには女性に見える外見を得ることが有効な手段だからだ。
 しかし、そもそも資本主義社会のなかで女性が性的な消費の対象として各種媒体で客体として取り扱われ、男性の欲望を満足させる存在として作り出されていることとも関連が大きい。女が眼差される対象であるからこそトランス女性への視線が厳しくなるのだ。
 以上の点を踏まえると、資本主義もまた同様にトランス女性に対しては非常に抑圧的なのである。そして階級対立を覆い隠す天皇制と資本主義は共犯関係である。

●2章 トランス女性の解放をめざして

 日本におけるトランス女性の解放のためには天皇制の解体と資本主義の廃絶が不可欠である。だが、この点を射程に入れたトランス女性解放運動は今の日本では皆無であり、ほとんどすべてが啓蒙的なものである。私は啓蒙の意義を否定はしない。だが、個人の啓蒙だけでは、社会的な諸関係は変わらない。その上で、日本の左翼運動はトランス女性をほとんど組織化しえていない、差別の現実と闘えていないのは動かしがたい事実である。
 彼女たちは日常の暮らしのなかで性暴力の被害にあい、公的な書類のせいで男性として扱われ、就職差別を受け、身体改変のための医療へのアクセスに苦労し、性別で区切られた公共スペースの利用が困難で、人間関係で悩まされているのだ。
 共産主義者がトランス女性解放のために取り組むならば、従来の取り組みのなさを総括した上で生活のなかでの差別と闘い、それを通して当事者の信頼を勝ちうると同時に、当事者自身が単なる啓蒙ではなく、反差別の闘いをやることが自己解放の契機となるのだということを自身で弁証法的に掴み取っていくようにすることが大切なのである。
 私はトランス女性解放のためにはまず反差別闘争を次のテーマで行う必要があると考える。
 それは、①トランス女性への差別的行為及び言説の禁止、②公共スペースにおける性別分けのもたらす弊害の是正、③戸籍制度廃止と公的書類における性別欄の撤廃ないし変更要件の緩和(具体的には住民票、国民健康保険証、年金手帳、マイナンバーカード、在留カードなど)、④トランス女性の必要とする医療の質的・量的な充実と十分な公的支援の確立(具体的には身体改変に伴う外科手術やホルモン投与に保険をすべて適用する)、⑤トランス女性への就労差別の禁止と職場での差別がきちんと相談できる体制作り、の五つに大別される。
 いずれも当事者の生活にとっては重大な問題であると同時に、個人ではいかんともし難い。これらのテーマについてわれわれが運動をつくるにあたっては、まずわれわれ自身がきちんと学習し、差別への加担を問い、変化していくと共に、労働運動の課題として取り組める体制をつくり、現実の差別構造を広く社会に問い、生活向上のために実践的に闘うことが必要である。
 具体的には、各種媒体での発信、学習会、街宣、デモ、集会の開催などである。これらを通して抑圧の実態を広く知らしめると同時に、闘いを志す層とつながるのである。具体的な法律や制度の改正や撤廃、制定を求める直接行動も、地域に根差しつつ必要に応じて行うべきである。
 最終的にトランス女性解放のためには、資本主義社会の現実と闘う階級闘争に勝利することが必要であり、天皇制と資本主義を日本社会における差別の根源と見る原則は常に確認され、深化されていくべきである。われわれがトランス女性への差別との闘いを進めていく上では、単に啓蒙にとどまらない戦闘的な反差別闘争を作るべきであるが、それを階級闘争と結び付けていくにはトランス女性の共産主義者が続々と生まれてくることが必要である。そのためにもまずは生活のなかでの差別と暴力に抗して声を上げられる場を各所につくり、当事者の決起のきっかけをわれわれはつくらなくてはならない。
 以上のように、私はトランス女性解放のために何からはじめるべきかを述べてきた。最後に付け加えると、差別とは複合的であり、トランス女性のなかでも障害者か否か、同性愛か異性愛か、国籍、人種、民族、出身階層、学歴、職業、外見などでの格差は大きいことを忘れてはならない。すべてのトランス女性の解放を実現するためには、すべての差別と闘わなくてはならない。