寄稿(2020年2月)                                                     ホームへ
韓国忠清南道を訪問

田中信幸
   


      
 一九九七年藤岡信勝ら歴史修正主義者と自民党若手議員の会所属の安倍晋三などが全国で「教科書から慰安婦記述を削除せよ」という議会請願運動を起こしたことに対して、熊本からも反撃を開始しました。この時、熊本県が韓国忠清南道と姉妹関係を締結していることから、AWC韓国委員会の李寿甲先生にお願いして、忠清南道の市民団体と連絡を取ってもらうことができました。
 すると直ちに、忠南から県議会に対して「もしその請願を採択するなら、忠南では直ちに姉妹関係破棄の運動を起こす」というメッセージが届き、六月議会では忠南の市民代表が要請に訪れ、右翼の請願を取り下げに追い込みました。
 こうして始まった熊本と忠清南道との市民交流は教科書問題(歴史認識の共有化)を正面に掲げて発展してきました。二〇〇七年にはAWC日本連も協力して忠南にある独立紀念館歴史研修ツアーも開始されました。このツアーは熊本が中心になり二〇一二年まで続きました。

●忠清南道へのメッセージ賛同団体二四、個人四八名

 二〇一八年の徴用工判決に対する安倍政権の「逆ギレ」以降日本のメディアはすべて政府の主張を垂れ流し、安倍政権は昨年七月には韓国への重要輸出品三品目の輸出規制、八月には「ホワイト国」からの除外を徴用工判決に対する「報復措置」として発動しました。
 こうした戦後最悪の日韓関係を打開するために、熊本では「教科書ネットくまもと」が呼びかけて「熊本県民からの忠清南道のみなさんへのメッセージ」に賛同団体・個人を募集したところ一〇月中に二四団体と四八名の個人の賛同が集まりました。このメッセージを携えて、私と農民運動研究者で忠南との農民交流を続けてこられた内田敬介さんの二名で、一一月七日から九日にかけて韓国忠清南道を訪問しました。
 七日大田ではまずキリスト者の長老金ヨンウ牧師と旧交を温めました。その後「大田青年会」との交流があり、南北統一問題をテーマに集まる青年たちとの対話集会が開かれました。彼らは福岡の朝鮮学校との交流を続け支援しているそうです。
 これからの日韓関係について話しが及び、私からは安重根が熊本出身の通訳園木末喜に贈った二通の遺墨「日韓交誼善作紹介」「通情明白光照世界」を黒板に貼って、安重根の「東洋平和論」は今日の日韓関係修復の基本的な考えが反映されていると話しました。そのためには歴史認識の共有化と幅広い民衆の交流が課題だと述べました。
 徴用工問題についても第一義的には日本の民衆が安倍政権打倒を成し遂げる必要があり、日本のメディアの責任にも触れました。彼らからは南北関係についても質問が出ました。赤ちゃんを抱いた家族連れも参加しており、和やかな雰囲気でした。

●こういう時期こそ交流の発展を

 八日には忠清南道の教育監(教育長)金知哲さん(全教組選出の道議会議員時代、教科書訪問団の代表として数回来熊)を訪問し友好を深めました。金さんからはサプライズがあり、ガラスで作った立派な表彰の楯が私に贈呈されました。
 その後独立紀念館に行き、これまでの交流についての総括と今後の課題について議論しました。紀念館としては「広く浅く」でかまわないので、できる限り多くの日本人の来館を期待されていました。
 今まで熊本県民中心だった歴史研修ツアー(二〇〇七年~二〇一二年実施)を他の県の人も対象に入れ、特に若い人たちが参加できるように工夫することを確認しました。二〇名以上であれば、独立記念館が研修についての費用負担をするとのこと。忠南の市民団体も協力して、韓国の民主化運動について提案すると言われました。
 次に忠南の環境団体を訪問しました。地震の前までは「環境ネットワークくまもと」との交流が続いていましたが、地震以降疎遠になった交流の再建について意見交換しました。
 そして夕方から、忠南の市民団体主催の集会が開かれ、会場には道議会議員も数名参加されました。はじめに私が熊本県民からのメッセージを読み上げ、その後忠南の各領域の代表から意見表明がありました。これまでの日韓の自治体間の姉妹関係締結が、国同士の対立が表面化すれば、機能不全に陥っているので、市民主体の交流に発展させる必要があるとか、日本企業について「戦犯企業」に絞って不買運動を進めるべきだという提案も出されました。
 全教組退職者の方は「NO安倍」のゼッケンを付けて連日忠南各地でスタンディングしていることを報告し、「反日」になってはいけないと呼びかけました。実はこの方は今年一月一七日からの全教組忠南支部と熊本高教組との交流で来熊され、再会を喜び合いました。
 私からは、第一に安倍政権を倒すことが日本人の課題としてあり、この課題に全力で取り組むことを表明し、さらにドイツとフランスの和解の事例などに学び、青少年交流などを大規模に粘り強く続けることの重要さを話しました。そして熊本と忠南のこれまで進めてきた歴史認識の共有化を柱に据えた交流をさらに発展させていくことが大切だと呼びかけ、その後懇親会で大いに盛り上がりました。
 帰国後一二月四日に開いた報告会は、年末の忙しい時期にもかかわらず県内から二〇名の人たちが集まり、今後若者中心の訪問団派遣や県内外からの参加による歴史研修ツアーの訪問団を出すことなど積極的な方向性が確認されました。現在、青少年の派遣について日程は八月後半を予定し、二〇名以上の派遣を目指しています。さらに県内外からの訪問団派遣についても秋までにはできるように計画を進めています。