寄稿(2017年8月)                                                     ホームへ
民主主義の荒廃に抗して
安倍内閣の醜状から天皇制廃絶を考える
菅孝行

   


    
 ●はじめに

 この文章は、本紙発行主体からの依頼原稿として執筆された。筆者と発行主体とが政治的立場を同じくするものではない。筆者は筆者の立場で自由に書いた。従って、読者に必ずしも論旨に対する同意を求めない。ただ、安倍晋三のいう「戦後レジーム」の倒壊期に何を見、何をめざすかをめぐる討議材料として読者に活用されることを期待する。

 ●1章 民主主義政治の荒廃・政策の腐朽

 西谷修は次のように述べている。「いま起こっていることの最大の特徴は、どんな理論枠も歴史的文脈もいらず、ただひどい悪党が政権をとって、官僚も警察も握り、メディアも抱き込んで好きなようにやっていて、たんに形式的合法化として国会を開いている、ということだと思います」(『図書新聞』三三一二号、木下ちがやとの対談)。西谷はまた「黄門さま」の「印籠」に代る「公共的正義」の審級もまた官邸(閣議決定)が握ってしまったという。
 行政権力による歯止めのない完全な〈お手盛り〉が横行しているということである。熟議なき強行採決への怒り、という次元で思い出されるのは、一九六〇年、「日米安保条約改訂に賛成の者も反対の者も」、政府・与党が投げ捨てた「民主主義」の旗を拾って抵抗せよと呼びかけた竹内好の「民主か独裁か」である。竹内が激しく批判したのは安倍の祖父である岸信介による、安保改訂ありきの5・19の強行採決だった。
 一九六〇年に先立つ占領統治の時代から、民主主義の荒廃が進む節目は幾つかあった。はじまりは一九四七年、国政の権能を有しなくなった筈の新憲法下の天皇裕仁がアメリカに求められて発した「沖縄メッセージ」は、国民代表の意思決定とは無縁の裕仁と占領軍の合作だった。これで、米軍の沖縄占領というシステムが確定した(資料は一九七九年、進藤栄一が発掘した)。サンフランシスコ講和条約を反共的部分講和へ牽引したのは「ダレス・裕仁会談」であった。戦後初期の民主主義破壊は、国会や首相によってではなく国政への権能がなくなったはずの裕仁の手で行われていることに着目すべきである。政府は必ずしも十分に裕仁を「ロボット化」(後述)できていなかったことになる。
 次の節目は一九七六年である。ロッキード事件の捜査で、保守エスタブリッシュメントとアメリカは、田中角栄抹殺のために民主主義的に制定された国法を曲げた(国内法にない司法取引で得た証言で田中は有罪となり投獄された)。これは、田中角栄が日中国交回復をアメリカに無断で推進したことへの超法規的報復だった。これでアメリカの意向に沿わぬ政策を推進する政治家が後を絶った。
 政権本体の手による民主主義破壊の最大の策謀は、八〇年代の国鉄分割民営化であろう。中曽根は国営企業民営化による利益追求を謳いつつ労戦の闘争力を根底からそぎ落とした。これに呼応して労組自身の手で右翼労戦統一が進み、総評解体への道が開かれ、労働運動が曲がりなりに担保していた中層下層の労働者の主張や要求の物質的基盤が解体された。「空白の二十年」の時期、主権者は小泉の振った既得権剥奪・規制緩和・自由競争賛美の旗に踊って、資本と権力のフリーハンドを肥大させ、加速度的な格差拡大に荷担した。

 ●2章 安倍政権による民主主義の二重の破壊

 二〇一二年に成立した第二次安倍政権は、民主党政権の失敗を奇貨として民主主義を徹底破壊する政治手法によって邪悪な政策を次々に実行した。まず安倍は、政府批判派狩りを正当化する特定秘密保護法を、委員会質疑を打ち切って強行採決した。違憲という批判の強かった戦争法制も、強い反対の声を踏みにじって強行採決した。南スーダンで自衛隊が経験した戦闘も「ないこと」に改竄した。「共謀罪」法案も、TOC締結に必須と偽って、参議院の委員会採決をスキップさせてまで強行採決したのは記憶に新しい。これも治安弾圧の専権を手にしたいが為のお手盛り法案である。警察官の恣意があらゆる犯罪に最大限に許容されるという意味では治安維持法を上回る権力犯罪正当化の立法というべきだろう。
 籠池問題はまさしくただの「ひどい悪党」の勝手放題である。加計問題で顕在化したのは、「岩盤規制にドリルで穴をあける」という一見公共的な政策の指針が、お友達に利権を配分するための手段以外の何ものでもないという事実である。「悪党」の私的欲望による政治の横領だ。バレそうになればトカゲのしっぽ(籠池)を切り、本人や配偶者や側近の巨悪がいよいよ露顕しそうになれば、「あったことをなかったことにする」ために手段を選ばず、隠蔽に荷担した官僚は栄転させ、真実を明かした官僚は処分や左遷の対象にする。
 空疎なスローガンを掲げてきた経済政策、労働政策も、実態と齟齬する名目上の雇用改善の数字が羅列されるばかりで、近頃では「アベノミクス」というキャッチフレーズも使えなくなった。従来通りの成長幻想を見切る大胆な戦略転換を構想する力も意思もない安倍とその側近は、軍需(武器輸出禁止三原則の破棄)、原発(再稼働・新設・輸出)、高度情報技術の開発に成長の活路を見出そうとする。これらの産業は雇用や大衆の消費に貢献する循環を作り出さない。それゆえよしんば「経済成長」しても、富は独占資本にのみ還流し、格差はさらに拡大の一途を辿る。
 軍事・外交における対米隷属の深化は目を覆わしめる。アメリカと共同でなければ戦争もできない――自由に戦争ができればよいと言っているのではない――軍隊を持ち、アメリカの核の傘の下にいるから核の禁止も主張できない、「もんじゅ」が失敗して再処理技術の開発の破綻が明らかになったのに、アメリカに求められればやめられない。核技術開発の総体が従属的にアメリカと一体化している。だがこの国の電力産業と電力関連巨大資本は、対米癒着で巨利を得ているから、脱原発の声がどれほど高まっても、これらの企業の意向に逆らって原発の比率を下げる気が政府には全くない。
 これだけ対米一辺倒の安倍晋三は、他方で祖父の衣鉢を継ぐと言って、対米自立、核武装を妄想する。「戦後レジームからの脱却」とは、占領政策のフレームワークからの自由を手にして「大東亜共栄圏」の妄想に回帰しようということを意味している。そういう観点からも改憲が?〈悲願〉となる。それゆえ、自衛隊の国防軍への転換(九条改訂)だけでなく、憲法の三原則(国民主権・基本的人権・絶対平和主義)の精神の否定(前文否定)、立憲主義の否定(九九条空洞化)と憲法の国民の順守義務への換骨奪胎、天皇元首化(一章改訂による神権天皇制復活)、個人の尊厳の否定(一三条削除)、性差別・人種差別・障害者差別・身分差別の一切の容認(一四条の削除)、個人に対する家族の優位(二四条削除)などが目論まれる。驚くべきことに、対米隷属の政治と神権天皇の下での「大東亜共栄圏」の欲望が一体化しているのだ。理路を見失った安倍は異論の一切を拒絶し、責任は全て敵におしつける。

 ●3章 アメリカの黄昏・中国覇権の構想

 その点でトランプと安倍は酷似している。アメリカ国民はトランプを大統領にし、アメリカ国家は〈世界の憲兵〉の立場を降りた。自ら招いた中東の戦乱の戦費を賄えず、資本制の高度化(認知資本主義化、「レント資本主義」化、感情労働化)の亢進で、実体経済の雇用が停滞し、アメリカには膨大な失業をとどめる手段はなくなったのだ。
 経済の致命的破綻を背景に、トランプはラストベルトの失業者と、世界金融資本の要求と主張をともに代表するポーズをとって登場した。トランプは、ラストベルトの失業者から集めた票で大統領の座につきながら、巨大独占へのなりふりかまわぬ利益還元を図るほかの道はない。黄昏のアメリカが、トランプの下「アメリカ・ファースト」を掲げて暴走すれば、その爆風で一挙に何百万人が命を失い、何千万人が吹き飛ばされ、何億人が更なる貧困に沈む。その害悪のスケールはISの軍事力の比ではない。
 元来、世界単一市場による淘汰を志向する資本制と、それぞれ一国的な政治権力は絶対的矛盾を孕んでいる。世界最大の覇権国家であったアメリカは、それを織り込んだ上で、矛盾の両極をブリッジしてきたのだった。だが、アメリカは保護主義を掲げて、ブリッジをやめ、入れ替わりに、中国が自由貿易主義を主張し始めた。
 中国はこの矛盾を消去するために、中国という一国による世界市場の支配を狙い始めた。筆者には「一帯一路」の構想は中国がその実験に着手した第一歩に見える。AIIB(アジアインフラ投資銀行)はこの目的のための資金調達機関として設立されたのではないか。中国の軍事力・経済力はアメリカには及ばない。だが、構想はパックス・アメリカーナの後を伺っている。もちろんこれはもう社会主義でも共産主義でもない。目的は世界帝国による世界単一市場の支配であり、中国の覇権は異論の自由を絶対に許容しないコンサーバティブな権力である。我々は、国内で安倍と闘うと同時に、「アメリカ・ファースト」のエゴイズムとも、中国の世界支配の野望とも闘わねばならない。

 ●4章 抵抗と変革 闘争のふたつの範疇

 降りかかる火の粉をすべてふり払う、それが抵抗闘争というものだ。抵抗の対象は、ひとつには世界大に広がる権力犯罪や軍事組織の犯罪の帰結としての大量殺人――難民殺害、難民受け入れ拒否(日本の犯罪性はハンパでない)、反テロという名の「有志連合」による大量虐殺とIS等による武力行使の悪循環――と、それを産出した多層的構造的暴力の一切であり、もうひとつは、日本国家主権内部の政治的抑圧である。
 戦後史七十余年の過程を経て、抵抗運動の基盤が破壊されてきたなかで、反原発、反戦争法制、反共謀罪の大衆運動は――日本の運動には世界大で行使されている殺戮・難民産出・人権侵害の暴力に対する視野が欠落しているとか、沖縄を生贄にしていることにあまりに鈍感だとか、政治現象・社会現象の表層に対する一過的な意思表示に過ぎないとかいった批判がなされ、それらの批判はそれぞれ正当ではあるけれども、それでもなお――少なくとも、抵抗運動の次元、あるいはカンパニア闘争の次元ではよくたたかってきた。
 問題はその先にある。集合的意思表示がカンパニアだということは、主張が制度の改変に届かない。従って資本や権力の意志を変えさせるところまで到達しない。とにかく暴露のために声を上げる、ということがカンパニア闘争の意義にほかならない。また、抵抗運動は、NOの集団的意思表示の闘いであって、多くは敗北する。敗北しても闘いの蓄積それ自体には意義がある。
 現実変革(「革命」という観念に手垢がついていなければ躊躇なく革命といってもよい)の闘争は抵抗やカンパニアとは次元を異にする。これは〈国のかたち〉を変え、ゆくゆくは国家を入眠させ、廃絶する構想の実現だ。こちらは勝たなければ意味は乏しい。

 ●5章 支配の三つの次元

 現実を定義する規定力には三つの次元が存在する。第一が資本制、第二が政治権力、第三が幻想の共同性である。第一、第二は多言を要しまい。問題は第三の次元つまり幻想の共同性である。それぞれの国家はそれぞれ固有の性格の幻想の共同性をもつ。これは被統治者による統治の権威の承認、あるいは権力が背負う権威(文化的価値)の被統治者による内面化の次元である。支配階級の「特殊利害」を「一般利害」として受け入れる幻想が共有されることによって、資本制の支配と権力の統治が普遍的に価値あるものとして承認される。国家が秩序を維持しうるのは幻想の共同性が物質的な規定力を発揮するからだ。
 幻想の共同性とは、同一の主権の下にある国民に共有される宗教的価値あるいは文化の規範にほかならない。統治形態を変えるには、幻想の共同性の切断、一掃が不可欠である。アメリカのように共和制の国家であっても、国家の価値を担保する宗教的文化的価値の「国民的」共有は暗黙に行われている。ベラーはそれを「市民宗教」といった。大統領が聖書に手を置いて宣誓するのはこれに基づく。アメリカの統治形態を変えるということはこの文化的価値の規範を失効させることを含んでいる。イギリスでは女王が英国国教会の首長である。世俗の権力は同時に国教の最高位を占めている。イギリスで国のかたちを変えるということは、単に生産関係のシステムを変え、統治機構を一新するというにとどまらず、英国国教会の首長を君主としてきた国家の精神的規範からの離脱をも意味する。

 ●6章 天皇制の始末と「8・8おことば」問題

 日本でこれらと対応するのが象徴天皇制である。この国では、天皇制の始末抜きには政治の根本的変革は成り立たない。日本は資本制を採用する国家であり、議院内閣制に基づく三権分立の民主主義的統治機構を持つ国家であるとともに、日本国家の宗教的価値の担保者は天皇であり、国民の天皇崇敬を自明の前提として幻想の共同性が維持されている。勿論戦前の「神権天皇制」と戦後の象徴天皇制は異なる。島薗進は、一方で「神権的国体論」による神権天皇制の復活を画策する勢力に対しては象徴天皇制を支持する勢力と共同して闘う必要を説きながら、他方で次のように述べている。
 「象徴天皇制それ自体の中に、神聖天皇を政治制度に組み込もうとする政治意識を育む側面が含まれています。また、たとえ君主制を一掃した統治形態を立憲主義の原則に立って成立させたとしても、公共空間から精神文化や宗教的伝統を完全に放逐することはできません。いかなる統治形態も、それを超える価値に支えられます。
 価値中立的な立憲主義というものはありえないのです。裏返せば、宗教的伝統を切断したフランス革命やロシア革命がそうであったように、革命権力もまた甚大な弊害を生む、その弊害も看過できないということです。立憲主義に立つということは、それを冒す力との絶えざる抵抗の継続だともいえるのです」(「安倍政権と日本会議 その思想基盤と戦後」『変革のアソシエ』二九号)。
 「公共空間から精神文化や宗教的伝統を完全に放逐すること」はできず、「いかなる統治形態も、それを超える価値に支えられ」ており、「価値中立的な立憲主義」はありえないから、「立憲主義に立つということは、それを冒す力との絶えざる抵抗の継続だ」という指摘は、天皇制を打倒したあとにも幻想の共同性との闘いは続くことを示唆する。

 ●7章 「おことば」が露顕させたこと

 この課題と向き合うに当たって、昨年八月八日の天皇明仁がNHKで行った「おことば」の放送と、その後、政府が対応して天皇退位法が制定されるに至った経過は、様々な示唆に富んでいた。八月八日の明仁の主張は行間まで読めば次のようなことである。
 〈象徴天皇の職務には憲法に明記された国事のほかに、国民の統合の象徴であることを見える形で示すための国内各地や海外に赴く公務が不可欠であり、それが極めて膨大なので、高齢になった自分にはその責務を果たせない。だから退位できる道筋をつけてほしい。自分には国政の権能がないから権能を有する政府・議会が考えてほしい。それには皇室典範の再検討が必要だ。摂政を置くという方法は、摂政は象徴ではないから適当でない〉
 明仁のメッセージはどのような波紋を生み、どう収拾されたか。まず「8・8」放送を契機に明らかになったことを順不同で列挙してみたい。①天皇の公的行動の一切や即位・葬儀の礼の様式・内容は、政府が決めてきた。②今回の発言の段取りも明仁の意を受けて宮内庁長官が計らった。③国政の権能を有しない筈の天皇が、これまでとは明らかに異なる形であからさまに〈物を言った〉ことが注目された。④そのこと自体が、現行憲法では内容の如何以前に悉く「違憲」である。⑤国政の権能を有しない天皇には退位権も即位拒否権もない(だから裕仁の末弟である三笠宮は皇室典範制定時に、人権蹂躙だと批判する論文を書いた)。⑥天皇の国民統合の象徴としての仕事の核心は「祈り」であり、「祈り」を権威あるものたらしめているのは私事としての皇室神道である。⑦つまり、天皇は国家の宗教的権威として儀式の職務を遂行してきた。⑧国政の権能に触れないで「祈り」の職務は遂行できない(何らかの政治性を帯びざるを得ない)から、この天皇の職務も違憲である。⑨神道指令で国家神道を否定され、憲法で国政の権能を有しないと定められた筈の天皇は、同じ憲法の私的な権利条項のひとつである信教の自由と、国事の一つに定められた「儀式」の条項にブリッジされて、実は〈国家の神〉の権威を保有し続けてきた。
 8・8発言を巡る事態は、象徴天皇制とはどういうものかを余すところなく露呈させた。それは、存在それ自体が矛盾以外のものではあり得ない、権力による政治利用システムである。天皇は、権力が自らのよって立つ「私的利害」を「一般利害」に虚構するための「ロボット」に他ならなかった。欺瞞は制度それ自体に内属している。
 「おことば」を政府が受けとめれば皇室典範に改訂を加える必要が生じる。改訂のプロセスに入れば、先述の本質的矛盾が露呈せざるを得ない。その結果、憲法一章の議論が改憲論議の大きなテーマになり、「お試し改憲」の装いの下で、国家緊急権から九条改訂までやりおおせ、行きがけの駄賃に一章改憲もクリアしたい政府にとって最悪である。だから政府は8・8の「おことば」を阻止しようとした。しかし、宮内庁長官は内閣府をスキップして放送を実施させた。政府は報復のために長官を更迭し、首相の腹心を後任に据えた。

 ●8章 8・8以後の奇妙な現象とその理由

 「おことば」以後の様々な潮流の反応は「よじれ」に満ちている。八木秀次のような強硬な「国家主義者」は、勝手に退位されたら天皇制の存立に関わるとして、8・8の明仁の意志表明の内容に断固反対した。「おことば」は無視しろということだ。八木のような「天皇制」主義者には明仁天皇への一片の崇敬もない。安倍に連なる神道政治連盟と、日本会議の中軸部分の反応も相似形である。また、宗教的権威としての天皇制に固執する神道学者も、天皇は専ら宮中の儀式をやっていれば体に負担もかからないから退位条項はいらないと「おことば」に背を向けた。他方、反天皇制を自任する勢力も8・8発言に断固反対し、明仁の「壊憲」「欺瞞」を言い募った。
 「おことば」で国政に容喙(ようかい)するのは違憲なのだから、形式論理でいえば極右と左派の主張は「正しい」。だが、この酷似は一体どうしたことか。憲法を自由勝手に変えたい極右が、都合の悪い天皇の発言を黙らせたいのは理解可能だし、彼らの言動はよかれあしかれ目的に適っている。だが、そもそも第一章を持つ憲法など信じてもいない左翼が天皇の言動を一章に反するから「壊憲」だと言い募るのは滑稽ではあるまいか。彼らは、制度の否認を語るべきときに、「個人」明仁への罵詈雑言を以ってそれに代えているとしか私には見えない。欺瞞が制度にあるとき、明仁は「壊憲」だと騒ぎ立てる意図を疑う。
 他方、明仁の護憲主義に共感してきた反安倍派平和主義者の大半は、明仁の形式的違憲性を無視して、「おことば」を支持した。政治的な内容に即して考えれば、明仁が(一章を含めた)「憲法(の精神)を守っている」のに対して、政府は権力による戦争の自由を憲法三原則の上に置く改憲を目指しているのだから、明仁に荷担する心情には必然性がある。だが、ここでも奇妙な現象が起きた。安倍の政治手法と政治内容のあまりの「荒廃」に倦み疲れた人々のうち、君主制に抵抗の希薄な層は、明仁に希望を見出し、あまつさえ内田樹(『月刊日本』五月号、『朝日新聞』六月二十日)は自ら「天皇主義者」を名乗った。
 内田ほど話題にはなっていないが、先代天皇裕仁の狡猾極まる敗戦処理の暗躍を徹底批判した歴史学者豊下楢彦の『昭和天皇の戦後日本』の最終章には、われわれの未来を照らす指針は明仁にあるという愕然とするほどの明仁天皇賛美が語られている。ここには、反天皇制派主流とは反対の「個人」と制度の混同がある。憲法上の規定から「個人」たりえぬ天皇明仁の言動への共感を以って君主制を肯定してしまうとはどういうことだろうか。ただ、注意すべきは――ことほどさように、支配階級の私的利害は一般利害として主権者たちに幻想されているということなのだが――内田樹の背後に無数の内田が存在するということである。だからこそ、島薗進は一章支持の護憲派への配慮が不可欠だと語る(『変革のアソシエ』二九号)のだし、樋口陽一は明仁をヴァイツゼッカーに比肩すべき存在と評価する(『朝日新聞』二〇一六年十一月二日夕刊 塩倉裕記者)。

 ●9章 明仁と政権の確執

 偏見ぬきに見れば、明仁と政権の間には長い確執があることは明らかだ。そもそも憲法の改廃は主権者の意志によるべきものであり、少なくとも立法府から発議されるべきものであるはずなのだが、政府は改憲――九条空文化のみならず、前文の精神、つまりは憲法三原則および立憲主義の否定、個人の尊重の制約、国民の諸権利(人権)の制約など――に並々ならぬ意欲を燃やし、明仁は平和主義に強く拘泥し、事あるごとに護憲の意志を表明(これとて憲法の規定に反しているのだから「違憲」である!)してきた。明仁は戦争法制の審議にも時折きわどく異議らしきものを差し挟んだ。皇后に至っては戦争法制制定直後の誕生日の記者会見で、多くの若者たちが真剣に戦争と平和の問題について考え行動したことを頼もしく思う、と反対運動への共感を示した。かつて皇后は精緻な立憲主義条項をもつ五日市憲法草案を自力で構想した自由民権運動の活動家を高く評価したこともあった。水俣病患者の「守り人」である石牟礼道子とも長く親交を結んでいる。在特系と思しき書き込みは、美智子皇后は共産党の回し者と批判している。
 明仁は安倍の強烈な靖国参拝志向に対して、かつて小泉の靖国参拝にサイパン慰霊を以って対応したように、ペリリュー島慰霊を以って答えた。国家に殉じた「英霊」への慰霊だけでなく、現地人や「敵兵」もひとしく慰霊するという姿勢を示したのである。靖国否定の立場は歴史修正主義に立った十五年戦争肯定論への否認をも意味するだろう。小泉政権時代、東京都が教育現場で推進した国旗掲揚国歌斉唱強制に対して、その先兵となっていた米長邦雄に対して、園遊会の席上「強制はいけない」とたしなめた。二〇一三年四月二十八日(「主権回復の日」=「屈辱の日」)の式典では、安倍のサクラが挙げた「天皇陛下万歳」の声に天皇夫妻はさりげなく応答を拒んだ。これも政治意思の表明だろう。
 明仁には、延命の方便として象徴天皇制を受け入れた裕仁と違って、平和・人権・国民主権の天皇という役割存在として象徴職に就いた自覚がある。だから、国民の統合が妨げられることのないよう、沖縄に何度も足を運ぶ。原爆被爆地・原発被災地・水俣病被災地にも積極的に出向くのである。だから「個人」としての明仁は、平和・人権・民主主義・立憲主義の破壊をすすめる安倍一派(日本会議・神政連)の勢力より遙かに〈まし〉に映る。
 だが、職務に忠実な明仁の目指すところは、護憲すなわち象徴天皇制の永続であり、その職務への自覚は象徴天皇制を護持する「祈る天皇」たる自覚にほかならない。それが明仁の護憲である。問われるべきは、「天皇主義」で平和を実現しようとする護憲派は、本当に、この国は君主制でいいのか、護憲派は民主主義者ではないのか、民主主義者は君主制を容認することに矛盾を感じないでよいのか、ということである。

 ●10章 「個人」と制度を峻別せよ

 「個人」たりえぬ「個人」として精一杯の政府批判を試みる天皇明仁に共感することと、彼を天皇職にとどめている制度(統治形態)を是認することとは全く別のことである。国政の権能を持たない天皇は、個人としては安倍に強い批判を抱いて行動しても、国民の明仁への共感はガス抜きとしてのみ機能し、天皇は権力の荘厳化、異端狩りの権威づけに、制度的に使いまくられる。天皇代替わりの儀式でも、オリンピックでも、改憲憲法の発布でも、権力に好き勝手に道具にされる。忌むべきはこのような制度上の機能なのだ。民主主義者ならばこれと闘わなくてはなるまい。「天皇主義者」になってしまっては闘えない筈である。
 8・8に明仁はボールを投げた。政府は明仁の意向に原則無視を決め込んで、明仁が退位することだけを可能にする法を制定した。いまや、我々の応答こそが求められている。
 因みに8・8で顕在化した象徴天皇制の制度的欺瞞の歴史的淵源はGHQの占領政策に遡る。占領政策を通じて、「鬼畜米英」を掲げて世界制覇を目指した神権天皇制の「国体」が、アメリカに規定された象徴天皇制の「国体」に変換されたのである。その骨子は、天皇主権・軍の統帥権放棄を前提とする天皇制の維持、つまり宗教的権威の担保、天皇の戦争責任免除、その引き換えとしての非戦・非武装・沖縄の対米譲渡であった。神道指令は国家神道の廃棄ではなく、国家神道の密教化あるいは私事化、非公然化にほかならなかった。これを受け入れたということは、人権は要らないから国体をくれという決断を裕仁が下したということである。こうして国政の権能を有しない象徴天皇が誕生した。皮肉なことに裕仁が徹底的に国政の権能を行使することを通してこの制度が成立したのだった。
 新憲法制定時、横田喜三郎、宮沢俊義によって天皇は国政の権能を有せず、政府のロボットであるから、君主が存在しても日本は民主主義国家だという、「天皇ロボット」論が議論された。その前提は、政府は君主より絶対に民主的だから、その政府のロボットにすれば、君主を民主主義のロボットとして制御できるというものだった。樋口陽一は、それを「天皇ロボット」論の「健康な構図」と呼んだ(『朝日新聞』二〇一六年十一月二日夕刊)。
 七十年を経て、天皇は交替し、政権の性格も変転して天皇制国家内部での逆転が起きた。皮肉にも〈天皇は政府のロボットたるべし〉という骨格は残っているから、明仁が安倍に水差す行為は、形式的には全て違憲となり、天皇をロボットとして抑え込もうとする安倍や日本会議・神政連派が形式的には合憲となる「不健康な構図」ができあがったのである。

 ●11章 抵抗・カンパニアから日常性の奪回へ

 本紙読者は、政治闘争を抵抗の次元に特化し、市民個人のパーマネントレジスタンスに自足することをもって良しとはしない筈だ。断っておくが、天皇の権威を傘に着た国旗国歌強制に対する反対闘争、天皇・皇族来臨を理由とする戒厳令的弾圧反対の闘争の意義を否定しているのではない。ただ、それは天皇の権威に名を借りた弾圧への抵抗闘争であって、統治形態を転倒させる闘争は、それとは相対的に別個のものだと言いたいだけである。
 天皇制を無くす闘いは、弾圧への抵抗や、天皇制のイデオロギー的暴露の段階を超えて、資本制とお仕着せの国家の統治に代えて、別の社会の諸関係を作り出しその規定力で現実を定義することができなければ勝利できない。幻想の共同性の呪縛の規定力は、資本と国家に横領されている日常性の諸関係から生まれるのだから、日常性の奪回こそが先決だ。
 現実世界は資本制の支配のもとにある。資本制は権力によって総括されている。資本と権力によって日常性の骨格が決定され、日常性が古典的概念を用いれば「帝国主義」を日々再生産している。これを切断する闘いこそが現実変革の名に値する。またそれなくしては、幻想の共同性の制度を解体することはできない。
 かつて、労働力の売買の現場である職場が、奪回の闘いの拠点と考えられた。そこは労働力商品化の現場であり、「帝国主義」を日々再生産する日常性の根幹をなす矛盾の坩堝(るつぼ)だからである。資本と権力の支配を切断するには、そこに攻防の前線を敷き、そこを奪回して陣地としなくてはならないと考えられた。機械、鉱山、交通、運輸などの労働が職場のモデルに想定できた。そして、その延長として地域を陣地にすることが想定された。高野時代の総評の「ぐるみ闘争」は、その典型である。
 今、殆どの労働力売買の現場は、産業構造の転換やこの国の労働運動総体の対応力の乏しさゆえに、極めて闘いの場とはなりにくい。職場を拠点とした地域の陣地化も構想しにくい。しかし、矛盾は社会全域に飛散している。だから、古典的には陣地化の対象とはならなかった医療、介護、保育、生活相談、生活支援の場などが闘いの拠点となる可能性を帯び始めている。

 ●12章 陣地の構築・陣地の横結

 別のところに書いた拙稿で、筆者は次のように述べた。
 「高齢者・障害者・患者などへの介護・看護・世話の現場、子どもの保育の場、様々な問題を抱えた人の生き方、暮らし方、働き方などへの相談・助言・癒しの場、そうした〈いのちの質の支えの場〉こそが重要だ。そこで〈われわれ〉の作り出す関係の力が、権力や、資本などの社会的権力の規定力を凌駕できるかどうかに社会の帰趨は懸かっているのではあるまいか。〈いのちの質の支えの場〉において、人びとが誰を信じるに値する他者と認知するかが、社会の帰趨を決定する。〈われわれ〉の〈関係の力〉が、資本や権力の規定力、幻想の共同性の核心(日本では天皇)への畏敬・親愛を凌駕すること、それだけが資本と権力による人々の分断を超えることを可能にする」(『変革のアソシエ』二九号巻頭言)。
 地域・職場はもとより、これらの日常の生きる場の関係が闘いの陣地として組織化できているかどうかが重要だ。誰が問題解決に寄与し、誰が問題を抱えているひとびとから信用されているかが試金石となる。それは孤立した個人に出来る仕事ではない。これらの生きる場の組織化には、世界認識と闘いの方針を共有する誓約集団の組織者が不可欠である。
 陣地とは資本と闘い権力と闘う力を蓄積する関係形成の場である。また、自助・相互扶助・生きる知恵を出し合い支え合う関係形成の場である。労働・保育・介護・医療・生活相談・生活支援の場の陣地化が進めば、資本制の支配は切断され、権力への恐怖や権威への崇敬が現実定義力を失い、関係の規定力が転倒する。命を毀損する様々なハラスメントをかいくぐって生きることができ、クビを切られても生きのびられ、権力の威嚇を恐れなくなり、国家の権威を有難がらなくなる。そういう転倒が進展した分だけ、支配階級の私的利害が一般利害と錯覚されなくなる。それがわれわれの解放の過程だ。解放とは資本制と国家権力と国家の宗教的権威に浸透され包囲された空間のただなかに、資本にも権力にも権威にも畏怖も崇敬も親和も感じることのない集団性を組織することである。
 日常の生きる場に陣地を作れ、陣地を相互に横結せよ、それが生きる場の規定力を奪い取る契機となる。それなくして、資本総体、権力総体との拮抗は作り出せない。それなくして幻想の共同性は再編・休眠に導けない。彼我の力の総体の長く続く拮抗の下で、資本制と既存の国家権力による統治にとって代わるシステムを実現する実験が進む。これが「機動戦」である。制度としての天皇制の最終的な始末はここで現実の課題となる。〈命の質の支えの場〉のヘゲモニーをわが手で作り上げた時天皇制は消滅する。


 後記
 *筆者は似た趣旨の文章を『情況』二〇一七年春季号に書いている。
 *「陣地戦」「機動戦」の概念は、筆者なりのグラムシの理解に基づいている。

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

◎菅孝行さんの主要著書
『天皇論ノート』一九七五年、田畑書店、一九八六年に明石書店から再刊
『賎民文化と天皇制』一九八四年、明石書店
『天皇制国家と部落差別 現代日本の統合と排除』一九八七年、明石書店
『天皇制問題と日本精神史』二〇一四年、御茶の水書房
 ほか多数