寄稿(2019年2月)                                                     ホームへ

一緒に背負う旅 その2

「偽満州国」と731部隊の罪証に向き合う旅

田中信幸


   


     
 一年前『戦旗』紙上で二〇一七年一二月の南京訪問記を発表させていただいた。今回はその続編として、二〇一八年九月、中国東北地域、中国では「偽満」と呼ばれる旧満州国の支配地域と七三一部隊罪証陳列館訪問、および父の遺品の贈呈などについて報告させていただく。今回の訪問は、二〇一七年一〇月に熊本に来られた七三一部隊罪証陳列館の金成民(キムソンミン)館長からの招待によるものであった。
 私の父武藤秋一は、二度目の招集により一九四一年八月から四三年八月まで、ノモンハン事件(一九三九年)の根拠地である内蒙古の海拉爾(ハイラル)に派兵され、対ソ戦争に向けた塹壕掘りと要塞戦の訓練を経験している。この期間には対ソ戦争は起きず、父の三度の兵役では珍しく直接の戦闘は経験しなかった。しかし、零下四〇度にもなる凍てつく平原での激務はつらかったと父は語っていた。
 九月一七日、福岡空港から中国大連空港に到着した。迎えてくれたのは、七三一部隊罪証陳列館学芸員の譚天(タンティアン)さんである。日本語ができる三〇歳位の若者だ。新幹線で瀋陽(奉天)まで行き宿泊した。瀋陽は近年発展が著しい大都市である。
 翌日九月一八日は、一九三一年に関東軍が引き起こした謀略事件、柳条湖満鉄爆破事件が起きた日であり、中国では「国恥日」として「勿忘9・18(9・18を忘れるな)」というスローガンが掲げられていた。私たちは記念式典が行われている9・18歴史博物館を訪問した。
 9・18謀略事件は満州事変の出発点となった事件であり、関東軍参謀の板垣征四郎、石原莞爾、奉天特務機関長土肥原賢二らの陰謀で、一九三一年九月一八日午後一〇時、自ら南満州鉄道の柳条湖区間の線路を爆破した。関東軍はこれを張学良軍の犯行であると発表し、兵営北大営を奇襲攻撃した。これ以降関東軍は全面戦争を仕掛け、翌三二年三月には溥儀を皇帝に担ぎ上げ、満州国の建国を宣言した。四五年の敗戦までつづく中国全面侵略一五年戦争の開始であった。
 記念館の周囲のモニュメントを見て回ったが、その中で私の目に入ったのは事件から六〇周年の二〇〇五年に日本人が寄贈した「反覇権・反戦争・反侵略」の記念碑であった。これを建立したのは全日建運輸労働組合近畿地本関西生コン支部をはじめとした全日建近畿地本の組合四団体、社民党大阪府連や部落解放同盟住吉支部など関西の闘う人たちである。関生支部は昨年から権力による異常な組織破壊攻撃の大弾圧がつづいているが、日本の侵略戦争の謝罪と日中の平和友好を願う活動をきっちり果たしていることに心を打たれた。その後、瀋陽市内にある「偽満州国」時代の日本が建てた建築群などを見学した。
 翌一九日は、長春市内の「偽満州国」関連の史跡を見学した。長春は「偽満」時代は新京と呼ばれ首都であったことから、たくさんの当時の遺構が残っている。有名な旧関東軍司令部で現在は共産党吉林省委員会の建物など、いずれも日本の建築家によって一九三〇年代に建てられている。当時の最高検察庁の遺構もそのままで、現在は医科大学であるが、ここは反満抗日分子の拷問部屋があったと言われる。「偽満」時代は日帝の警察や憲兵によって守られ、中国人の搾取と収奪、拷問などと深くつながる建築がほとんどであった。一九日夕方ハルピン(哈爾浜)についた。
 二〇日は平房にある「侵華日軍七三一部隊罪証陳列館」を訪問した。約二時間かけて館内の展示物を観覧することが出来た。作家の森村誠一が八〇年代に『悪魔の飽食』という表題で七三一部隊の罪状を告発する本を書いたが、展示物は人間の尊厳を根底から奪い尽くす「悪魔の所業」と表現する他ないものばかりだった。人体実験の対象にされた「マルタ」と呼ばれる人々は、その多くが反満抗日運動で検挙された者や思想犯として検挙された者の内、思想性が強く転向の見込みのない人などが「特移扱」とされ、七三一部隊に送られたと言われる。
 中国人、朝鮮人、モンゴル人、ロシア人の他、女性や子どもも含まれていたという。展示物では「マルタ」を使った細菌実験、凍傷実験、銃弾実験、細菌爆弾実験など数え上げたらきりがない残酷な人体実験を行う様子が表現されていて、息苦しくなってしまった。
 一一時から、金成民館長と面会し、持参した遺品などを贈呈することが出来た。金館長も大変喜ばれ、館内で新たに増設する「平和資料館」(仮称)に展示したいと明言された。今回贈呈したものは次の通りである。
一、ノモンハン事件で戦死した父の戦友石川仁吉氏からの手紙九通
二、ハイラル派遣中父が書いた手紙、父宛に届いた手紙葉書類一八通
三、父が所持した『冬期陣中必携(兵用)』、『従軍兵士の心得』、『詔勅集』
四、武藤秋一日誌原本CD、秋一に届いた戦場の兵士からの手紙スキャン二三通
五、『赤き黄土』――地平からの告発 来民(くたみ)開拓団――一冊
六、満州開拓団入植図、熊本県関係開拓団配置要図
七、『熊本兵団戦史 ――支那事変編――』、『満ソ殉難記』等書籍類四冊
八、七〇年代における医学連「七三一部隊から防衛医大へ」の取り組み報告
 この中で、『赤き黄土』は熊本県鹿本町から派遣され、敗戦直後に集団自決に追い込まれた部落民だけの開拓団である「来民(くたみ)開拓団」の記録である。また医学連の 「七三一部隊から防衛医大へ」は一九七三年から七六年にかけて医学連が独自の調査で作成したスライドを使った全国の医学系大学での上映運動の記録である。スライドと音声については今後DVD化して贈呈する予定。森村誠一『悪魔の飽食』出版より一〇年前から、国内で七三一部隊の罪状を告発する運動が存在したことを伝えるために持参した。
 父との約束である「戦争責任を一緒に背負う」ための旅は今度で二回目であるが、七三一部隊罪証陳列館の金館長のご厚意によって充実した日程となった。将来建設される「平和資料館」に持参した歴史資料が陳列されるなら光栄である。最後に父が派兵された戦場はフィリピンであるが、いつの日か「一緒に背負う旅」フィリピン編が叶うことを願うばかりである。