寄稿(2021年3月)                                                     ホームへ
二〇二〇年中学校教科書採択をふり返る
教科書ネットくまもと 田中信幸
   


      
 二〇二〇年の中学校教科書採択の報告を、今頃になって行うことは「遅すぎる」という批判を受けるかもしれないが、昨年の採択は一九九七年以来続いてきた歴史修正主義者との教科書記述をめぐる争いに、画期的な勝利をもたらした闘いであった。
 「新しい歴史教科書をつくる会」(以下「つくる会」)系教科書の最終的な需要数は、育鵬社歴史:一二五三三冊(占有率1・1%)育鵬社公民:四二八七冊(0・4%)自由社公民:二七七冊(0・0%)日本教科書道徳:二四八九〇冊(0・7%)であった。
 「つくる会」から分裂した八木秀次らが創り上げた「日本教育再生機構」が支援する育鵬社教科書は、安倍政権の支援を受け、二〇一五年の採択で歴史(6・4%)公民(5・8%)と売り上げを伸ばしたが、今回は激減した。唯一歴史だけを新規採択したのが、安倍前首相のお膝元である、山口県下関市だけであった。藤岡信勝が居座る自由社は、歴史は検定不合格で採択対象外、公民は二七七冊で〝消滅の危機〟となった。
 また、道徳教科書は育鵬社が経営的に独力で発行できなくなり、ヘイト本出版社晋友舎が支援する日本教科書から八木秀次が中心となり発行したが、二年前に採択した大田原市、加賀市が継続となり、小松市は不採択となった。新たに、千葉県東葛東部地区で採択となったが占有率は0・7%に留まった。

 ●1章 日本教育再生機構の没落

 「つくる会」教科書が出現して二〇年を迎えるが、右派教科書運動の動きは二〇一五年以降急速に衰えてきたことが挙げられる。育鵬社が念願の道徳教科書出版が出来なかったことだけではない。司令塔とも言うべき「日本教育再生機構」の機関誌『教育再生』が二〇一七年から発行されなくなり、公式ウェブサイトも削除された。
 その背景について上杉聰氏によれば、同機構の事務局長で二〇〇五年から八木を表に立てながら実質的に日本会議の教科書運動の牽引者であった宮崎正治が二〇一六年五月に死去したことが大きいという。宮崎は全共闘運動に対抗して作られた生長の家「反憲学連」の元委員長で、日本会議事務局で活動を継続してきた。さらに二〇〇六年の「つくる会」分裂の中心メンバーであり、二〇一五年大阪のフジ住宅が社員を動員し展示会場のアンケート不正記入させた事件を指導したのが宮崎であったという。一昨年には「日本教育再生機構/大阪」が解散しており、本丸である改憲に向けた運動も安倍退場により閉塞状況に陥っている。

 ●2章 全国各地での住民の反撃

 全国の教科書運動を闘ってきた人々は、二〇一五年の育鵬社教科書の採択増加を前にして、危機感を強めた。二〇一七年小学校道徳の採択、二〇一八年中学校道徳の採択、そして二〇一九年の小学校教科書採択と毎年の教科書採択で鍛えられ、裁判闘争から地域での学習会、教育委員会への働きかけ、継続的なチラシ配布など多彩な活動を闘ってきた。
(東京)東京で唯一育鵬社の歴史・公民教科書を採択してきた武蔵村山市では、二〇一一年の育鵬社採択以降九年間で四〇回の市民集会を開き、チラシ全戸配布は延べ一五万枚に及ぶという住民の粘り強い闘いが続けられ、今回は育鵬社を阻止することができた。
(横浜)横浜市では、中田宏市長(当時)の介入により二〇〇九年は自由社歴史、二〇一一年からは育鵬社歴史・公民教科書を採択してきた。二〇一一年、市長は現在の林文子に交代したが、自民党と政策協定を結び、審議会答申を無視して育鵬社を選んできた。
 これに対して横浜の市民達は二〇〇九年「横浜教科書連絡会」を結成し、集会・街頭宣伝・学習会や署名・要望書委提出などを繰り返し続けてきた。こうした粘り強い闘いにより、一四年間続いてきた今田教育長と自民党による政治介入をストップさせ、育鵬社教科書を不採択に追い込むことができた。
(大阪市)大阪維新の会が居座る大阪では、大阪市を中心に各地で闘いが続けられた。大阪市では、二〇一五年に起きたフジ住宅によるアンケート水増し事件を追及し、真相究明を求める陳情書が議会で採択され、「外部観察チーム」が発足。二〇一四年に橋下市長(当時)が八区に分かれていた採択地区を一区にして、育鵬社が「総取り」を可能にしていたことを問題にした。これを受けて、「大阪の会」が提出した元の採択区に戻す陳情書が市議会で可決され、吉村市長(当時)もこれを認めざるを得ず、二〇一九年から四採択区化が実現した。さらに「学校調査票」を通じて、五年間使わされてきた育鵬社歴史・公民教科書への教師たちからの批判が噴出し「育鵬社NO!」が突きつけられた。この結果四つの採択区で全て育鵬社はゼロとなった。
(東大阪市)「教育再生首長会議」(二〇一四年発足)の現会長である野田義和市長が二〇一一年の採択から政治介入し、育鵬社歴史・公民教科書が採択されてきた。野田市長はネット上でヘイト団体の外国人差別発言に「いいね」を発信するなど極右政治家として東大阪市を混乱させた。これに抗議してオール東大阪教科書運動が幅広い市民の支持に支えられ、九年間にわたり集会・学習会や市教委への申し入れを繰り返し、市長の不正介入を追及し育鵬社をゼロに追い込んできた。

 ●3章 これからの課題

 昨年の教科書採択を巡る闘いで、右派勢力は後退を余儀なくされたが、彼らがおとなしく引き下がるだろうという甘い願望は禁物である。昨年は家永教科書裁判東京地裁の杉本判決から五〇周年であった。杉本判決は「教育の本質は、こどもの学習する権利を充足しその人間性を開発して人格の完成を目指す」ことだとし、「国にいわゆる教育権があるとするのは相当ではない」国は「教育を育成するための諸条件を整備することである」「国家が教育内容に介入することは許されない」と明確に判示した。ところが、一九五五年から始まる教科書検定は、国家意思を教科書に書かせることが主たる目標となり、安倍政権下では「政府見解」を書かせることが増えた。特に日本の侵略・植民地支配、天皇制についてである。
 先進国で教科書検定制度を採るのは日本と中国であるが、この限界を昨年の採択は示している。教科書検定に邁進する文科省は同時にICT(情報通信技術)の導入、「GIGAスクール構想」などをうちだしているが、どうもこれは杉本判決とは真逆の、新たな「人格形成の国による管理」に一段と近づいていると言わざるを得ない。