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                                                                   2013年1月
2013年を闘う決意

三里塚芝山連合空港反対同盟

   



  



  ■事務局長 北原鉱治さん

  三里塚の原点は生きるために闘う


 ・沖縄について

 一九七一年に沖縄の全軍労から講演依頼があり、三里塚の話を島民にしてほしいということだったが、パスポートが許可されず沖縄に行くことができなかった。半年後の「本土復帰」で沖縄に行くことができたが、出会った人々は私のことをどう見たか。大和んちゅが来て「また沖縄県民を騙すのではないか」という不協和音を感じた。信用してなかったのだ。その後毎年沖縄に通うことで、三年目になってようやく初めて講演をすることができた。また初めて、半農半漁の家に民宿した。その時農民は「米軍居留地内の畑ではどんな作物を作っても良いものができる。私たちの掘ってすぐ岩が出てくる土地では良い作物はできませんよ」と言っていた。またタクシー運転手は、「あなた方のようにできればいいが、闘うと米軍が出てきてすぐ追い返される」と言っていた。私は心の中では戦中から今でもアメリカと闘っている気がする。安保はなくさなければならない。本当に沖縄県民のことを考えるなら、不十分な返還ではなく米軍は沖縄から出て行かなければならない。

 ・市東孝雄さん農地国策裁判

 国を相手の闘いだ。企業と裁判所が一体でやっている。こんな空港の中に囲い込んで、住めるなら住んでみろと、それが彼らの持ち札だ。こんなことを許して良いのか。
 市東東市さんは本当に一本気だった。うちに来たとき、「もし俺が死んだら、俺には子供が多いからそのときは相談乗ったり、面倒見てくれ」と言った。東市さんが死んだ後、孝雄さんは「北原さん、親父の跡を受け継いでやりますので、よろしくお願いします」と言った。そして空港に囲い込まれても闘い続けている。この問題は大きな日本の展望の中にあるんだ。どう人間として闘うのかは難しいが、三里塚闘争の原点は「生きるために闘う」ということだ。そうすると闘い方が変わってくる。大きな展望にたって、三里塚闘争をみんなのものにしようじゃないか。

 ・学生青年労働者へ

 三里塚闘争四十七年は全国の学生、若い労働者、それら未来のためにある。「来るもの拒まず、去るもの追わず」で闘ってきた。まず三里塚の大地を踏みなさい。ここで何が起きているかを君たちは知るべきだ。
 昔、一九六〇年の安保闘争で殺された樺美智子さんのお母さんがうちに訪ねてきて話したことがある。あの頃の学生は自分たちの未来を作るために闘った。自分がやらなくても誰かがやってくれるだろうなんてことを思っていた人は少なかった。
 今は学生、若い労働者にとって暗澹たる時代だ。戦前は学徒出陣が行われたように、私の時代と比べると、いつ戦争になってもおかしくない状況だ。このままではそうなる。だから、声あるものは声を出せ、勇気あるものは勇気をもって立ち上がるんだと。そうしなかったら君たちの未来はないんだ。自分が動かなければ世の中は何も変わらないんだ。



  ■事務局次長・「用地内」東峰   萩原進さん

  反戦反核かかげ現体制と闘おう


 市東さんは、親をなくし、家を継いで農業をやろうとこの地に帰ってきた。もう空港による強制収用はない、ここで自分は安泰に農業をやれると思い、今日まで十何年、自信と誇りをもってやってきた。そしたら今度は、知らぬ間に空港会社が地主になっていて、農地法で一方的に土地を取り上げようとしている。こんなことは許してはいけない。
 現在は経済ももうパンクしちゃって、何がいいかという尺度もなくなってしまった。シャープ、パナソニック、トヨタなども先が見えない時代だ。農業も、どんどん農家戸数が減り、自給率がどんどん下がり、それを外国から持ってくればいいというやり方でここまでやって来た。原発問題とか、あるいは土地を取り上げてきたつけが、今、出てきた。
 3・11によって今までの生き様そのものを点検し、見直さなくちゃしょうがない。裁判所は原発を野放しにした責任をはっきり取らねばならない。市東さんの問題では、一つの方向、判決を出そうとしている。これは重大だ。単に市東さん個人、あるいは三里塚の農民個人ではなく、今置かれている労働者の問題も、あるいは沖縄や福島の問題、そういうものがみんな一緒くたになっている問題だ。このような情勢下での歴史的な判決であることを裁判長・多見谷に突きつけよう。
 成田空港会社は、三十万回飛行、二十四時間化を求めている。こんな非常識を許してはならない。
 ビジネス便の就航、一般航空便、格安航空便と三本の柱を掲げて、空港の拡大を吹聴している。格安航空の就航でさかんに騒いでいるが、これは必ず原発と同じで、事故が起きる。そのとき誰が責任を持つのか。これは何も空港に限らず、今の社会で、安けりゃいい、もうければいいという思考がまかり通っているというのはとんでもない。必ず自分で自分の首を絞める。
 政府はこれまで、成田だけで国際空港を名乗り、日本の玄関であると言ってきたが、羽田と成田をもって、日本の表玄関だと言い始めた。これはやはり五十年に渡る闘いの大成果だ。空港政策そのものを見直すべきだ。空港を作ることによって、空港敷地だけでなく莫大な農地や森林や河川などが荒らされた。今後も荒らされ続ける。そういうものを見据えた場合、今ここでストップをかけなかったらとんでもない話になる。
 二〇一三年、裁判闘争をはじめ、市東さんの闘いを我々は強固に継続して、勝利していく。裁判は、もう我々の証言闘争、最後のところしかないが、それをもって終わりにはさせない。現地における闘いと一体的に闘い抜く。
 我々は反戦、反核を掲げ、そして、労働者と連帯を求め闘う。そして、弱者と言われる人々との共同闘争、被差別の人たちとの連帯を求めて闘い抜く。あらゆる層を大結集して、今の体制と闘い抜こうと広く呼びかける。大きなうねりを築き上げる勝利の年としていきましょう。



  ■「用地内」天神峰  市東孝雄さん

  福島・沖縄と共に国策と闘う


 闘う仲間のみなさん。裁判傍聴、日頃のご支援、本当にありがとうございます。本二〇一三年も体を張った農地死守を闘います。土地収用法が失効して、「もう農地は取られない、ずっと農業ができる」そう思って私はここに帰ってきました。そうしたら空港会社は、「話し合い」どころか「農地法で取り上げる」といって、裁判を起こしました。以来七年にわたり、同盟の仲間や弁護団、支援のみなさんとともに裁判を闘っています。裁判では、明け渡し対象地が間違っていること、空港会社が唯一の根拠にしている同意書・境界確認書は偽造であることを明らかにしました。全国各地の、原発を問う裁判で、裁判所は原発建設にお墨付きを与えてきましたが、三・一一を境に安全神話が崩壊しました。この際、裁判所は心を入れ替え、国策には疑いの目で審理せねばなりません。私の農地については即時棄却すべき事案です。しかし、千葉地裁の多見谷裁判長は空港会社に肩入れし、旧態依然の不公平な訴訟指揮を続けています。昨年七月には旧地主の藤崎が亡くなり、我々が求めていた証人調べの機会が奪われてしまいました。月一回の裁判日程を無理やり設定し、年度内の結審・判決を狙っています。判決次第では、畑と作業場に対する強制執行が予想されます。私は農地強奪に対して一歩もひかず闘います。
 家のそばで、三月末の供用開始を目指して第三誘導路工事が強行されています。騒音、振動、排ガスで眠りを妨害されています。許せない攻撃です。
 景気低迷や日中間の問題等で観光客が減り、貨物も増えていません。成田空港は凋落の一途です。三十万回飛行は机上の計算に終わるでしょう。二百億円もかけた第三誘導路は全く無駄な工事です。即時中止するべきです。
 十月の集会で福島の農民は、有機農法には放射能制限効果があること、福島の農地を再生させる決意を語りました。山下俊一をはじめ、棄民化政策をすすめる福島県行政を弾劾しました。福島農民に連帯し、すべての原発を廃炉にするまで、闘います。沖縄には欠陥機オスプレイが強行配備されてしまいました。沖縄の人々は配備阻止のため普天間基地の入口を封鎖して闘い抜きました。島ぐるみでオスプレイ撤去に向け闘っています。オスプレイは日本各地で低空飛行訓練をするとされています。全国で反対の声をあげ、撤去させましょう。
 TPPは日本農業を破壊し、労働者の生活も破壊します。絶対反対で闘います。福島・沖縄との団結をさらに固め、国策に反対し、農地死守を闘いぬきます。かけがえのない友、鈴木謙太郎をなくした悲しみを乗り越え、遺志を引き継いで闘います。反戦・反核・反権力・反差別の三里塚闘争勝利の日まで、本年もご支援よろしくお願いします。闘争、援農など、ぜひ現地に来てくださるよう呼びかけます。



  ■中郷  鈴木加代子さん

  市東さんの農地を守り抜く


 おやじがなくなって、部落で一軒残っているわが家は、陰に陽に移転を勧められています。深夜看板に石を投げて音を立てたり、猫の毒殺、等の嫌がらせも続いています。ですが私は、したたかにしなやかにこの地に根をはり、農家として生き続けます。近所の移転した人たちも、表面では関係ないんだと装っても、心のどこかで落ちたというのが引っかかっていると思います。自分の心はどんなにごまかしてもごまかしきれない。「誰彼が悪い」と人のせいにするのではなく、闘争は、自分の意志でやらないとどうしようもない。おやじに再び会ったとき、堂々と会えるように、後悔しないよう生きたいと思います。移転の勧めに従い、大金をもらって農家もやめ、楽な暮らしができるかもしれませんが、福島、沖縄の仲間の苦しみを片手に自分だけ楽をすることは、したくない。米軍機が、日常茶飯事上空を飛ぶ沖縄の状況。暮らせないのに生活補助を切られる福島の農民、漁民。八ッ場ダムもしかり。自分らが悪いのではない。国策なら何をしてもいいのか。人が死ぬようなことでもしてもいいのか。
 うちなんかは古村で何百年の歴史があります。市東さんちは三、四代の歴史があります。国策で出て行けと言われても、もともと住んでいたのです。私たちが「危ない」って言っているのに「安全」と言い張り、「への字」誘導路で供用を始めました。今になって直線化したいから畑を取り上げるため裁判を起こすという理不尽。戦後の農地解放で市東さんの土地になるはずであったが、小作地のままに今日に至っている理不尽。爺ちゃん、父ちゃんは理不尽に対して、先頭で闘ってきました。今私が折れて楽な暮らしをするのは父ちゃんは嫌だろうと思います。体が悪くなったらしょうがないが、動けるうちはともに闘います。この一年、娘と二人で本当にやっていけるのか、試行錯誤の連続です。人参、大根など外してしまいました。支援にすべてをやらせたらもっと楽かもしれません。しかし自分でやれなければ、やれる自信がなければ農家はできません。ここに嫁いで数十年、おやじとともに、大地とともにやってきました。自信はあります。
 ここも暫定滑走路飛行ルートの直下なので、市東さんの闘いは自分の闘いです。用地内よりも自分らの闘いとして、信念を曲げたくない一心でやっています。
 市東さんの畑を守りきれないようなら、沖縄、福島でも勝てないでしょう。三里塚の農民運動はつぶれません。鈴木幸司の銘「闘えば必ず勝つ」を胸に、がんばります。ともに闘いましょう。