寄稿(2021年2月)                                                     ホームへ

学術会議会員任命拒否に断固抗議する
〝憲法一五条適用〟は全権委任だ

坂本 三郎(元教員)

   


      
 ●1章 菅政権の暴挙

 「学術会議会員任命拒否」は菅政権の危険な本性を白日のもとにさらけ出した。安倍政権の、今となってはすっかり色あせてしまったが、「美しい国」、つまり侵略的ナショナリズムの外皮すら持ち合わせず、権力の行使自体を究極の目的とするこの政権の本質が完全に暴露されてしまったのである。菅政権によるこの暴挙に断固抗議し、ただちに撤回を求める。
 究極の権力の行使は、逮捕・監禁そして生命の剥奪である。戦後の憲法体制のもとにおいては、あからさまな権力の行使は、さまざまな「制度」によって、全体的には現在までのところ、まだ阻まれている。その中で、安倍・菅政権はその「制度」の枠を次々に狭めてきた。それは〝人事〟を手中に収めることによってである。〝人事〟を収めることによって〝組織〟を丸ごと手中に収めようとしたのである。
 それは、「内閣人事局」で官僚に人事面で縛りをかけることから始まった。「民主党」政権時代の「政治主導」という言葉を逆手にとって、意に沿わない幹部職員の配置替えを強権発動して行った。菅はそのことを自分の著書で誇らしげに語っている。公務員組織は上意下達の自動機械である。トップを押さえれば全てを支配できることも可能になる。
 次に、各省の管轄下にある中教審など既存の審議機関の上部に、内閣直属の機関を置いて、審議機関を完全支配した。まず、省庁を越えて、教育行政に君臨したのが「教育再生実行会議」である。かくしてその結果、教育に対する支配を完成させた。
 類似する手法で、NHKを報道機関から政府の広報機関に変え、民間放送局の放送内容や中枢スタッフに介入した。そういう安倍の権力政治の中枢にはこの人物、菅義偉がいた。
 安倍・菅政権は日本銀行や内閣法制局などのような独立性の高い機関を人事面から支配し、政権の野望の手足とした。そして、現在は司法にまで及んでいる。
 そして、最後の「聖域」が彼らの及ぶことのできなかった「学術」であったのである。学術会議会員任命拒否は、このような安倍・菅政権の一連の野望の到達点である。しかし、と同時に次なる策動の出発点でもある。

 ●2章 学問、教育、文化に対する攻撃

 日本学術会議は一九四九年に発足し、当初は構成する学会会員による直接選挙で会員は選ばれていた。諮問に対する答申だけではなく、政府に対する勧告権も持っている。戦前・戦中、学問が国家の行う戦争に協力したことに対する反省の上に立って設けられたものであり、軍事研究協力拒否では現在まで一貫している。
 自民党政府にとっては、この学術会議は長年にわたって目の上のタンコブであり、完全な支配下に置こうとしてきた。一九八三年に法改正を行い、選挙による会員選出を廃止し、会議による推薦制をとったのもそのような狙いからであった。しかし、その際も首相による任命は、単に形式的なものにすぎないとの確認が国会でされたことは、周知のことである。
 そのような了解をかなぐり捨てたのが安倍・菅政権であり、わけても今回六名の任命拒否を行った菅政権である。学問や教育、およそすべての文化活動はそれ自身の価値に基づいて行われるべきものであり、政治権力なかんづく国家権力からは独立していなければならない。これが自由で民主主義的な社会の根本原則である。
 しかし安倍・菅政権は、この根本原則を破壊し、教育など様々な文化活動を、自分たちの野望実現のための手足としようとしてきた。学術会議会員の任命拒否の「理由」も説明できず、苦し紛れの「言い訳」も至るところで破綻しているにもかかわらず、学術を権力で支配しようという野望と強い意志だけは一貫している。そして、これを機に、学術会議の組織改編によって、その根幹を破壊しようとしている。

 ●3章 「憲法一五条を根拠に」の意味

 学術会議の改編によって、技術面でも、イデオロギー面でも、この国の《学術》全体が今、大きな転換点に直面させられてようとしている。学術だけではない、教育をはじめとする文化総体が、権力の道具にされようとしているのである。
 そしてさらに危険なのが、憲法一五条の解釈改憲による「全権委任」の策動である。国民主権の原則に基づく公務員の選定罷免の国民の権利を定めたこの条文を逆用して、〝国民から付託された〟首相に特別職を含めた全公務員の任命・監督権があるという驚くべき「解釈」をしているのである。この考えは、かのナチス・ドイツのもとで猛威を振るった「全権委任法」すなわち「授権法」と同根のものである。
 「憲法一五条を根拠に」、というのは国会で「任命拒否」の理由を追及された菅が、苦し紛れの思いつきで言い出したのではない。二〇一八年にすでに政府部内で確認され、内閣法制局の公式見解となっているのである。このような「見解」を追認した内閣法制局を断固糾弾する。
 学問や文化の自由という、これまで広く認められてきた当然のことが、安倍・菅政権なかんづくこの菅政権のもとで大きな危機に直面している。ことは、〝一般庶民〟と掛け離れた〝学者〟の世界の話ではないのである。