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                                                                2021年3月
米韓合同軍事演習の中止を求める声明 
                  米大使館前で
                     
アジア共同行動日本連絡会


 米韓両政府の正式な発表は三月五日夜の段階ではまだ出ていないが、韓国の政府と軍を取材した韓国メディアの報道によれば、毎年三月に行われている米韓合同軍事演習が今年は八日から一八日まで、実働演習を抜きに、コンピューター・シミュレーション方式の合同指揮所訓練のみが防御と反撃の二段階に分けて実施される予定だ。コロナウイルス事態で一四日間の隔離期間が必要とされ、海外に駐屯する米軍兵士が韓国に入国するのが困難なために規模を縮小したという。同様の訓練は八月にも行われているが、米韓両政府は年二回の合同軍事演習を「毎年恒例の防衛訓練」と主張している。
 しかし、これは真っ赤な嘘だ。第一に、米韓合同軍事演習の真の目的は、朝鮮民主主義人民共和国人民軍による南への侵略を防衛することではない。米軍が作った5015作戦に明らかなように、共和国がミサイル発射する「兆候」なるものをつかんだ瞬間に敵基地に先制攻撃を加えるなどして北を侵略し、その後数日間で首都平壌を占領して共和国の指導部を打倒し、最終的には体制を転覆すること。それが今回の軍事訓練の目的だ。
 第二に、実働部隊の訓練がないから演習も格下げになったわけでは全くないことを押さえるべきだ。兵士が数万、数十万いても、命令・指令が下らなければ、あるいは下ってもでたらめな内容であれば、それは無用の長物で張子の虎だ。日々変化している味方と敵の戦力や不測の事態など膨大な変数を組み込んだ無数の仮定事態の一つ一つに正しく対応し連携できるのかを検証する、いわば軍事侵略の肝といえる訓練なのだ。
 第三に、今回の訓練は、実質的には、米韓だけではなく日本も加えた日米韓合同軍事演習である点だ。日本政府の「戦争のできる国」づくりの重要で不可欠な自衛隊の侵略訓練だということだ。私たち日本の労働者階級人民の責任が最も厳しく問われているのだ。
 米国の民主党バイデン政権はトランプとは違って軍事同盟の堅持と強化をうたいながら「北の核・ミサイル問題」を深刻にとらえ、それへの対応を重要視している。大統領選挙中のトランプとの討論会で「北が核を凍結すれば金正恩委員長と会うのは可能だ」と明言し、完全で検証可能で不可逆的な「非核化」とは違う基準を提示はしたものの、対北戦略を確立する作業が進む中での就任後初の大規模な米韓合同軍事演習であり、金融資本と軍需産業の利害を代表するバイデンにとって中止はあり得なかった。
 他方、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)政権は、今年の新年の辞や三一節演説で平壌共同宣言と南北軍事合意の意義を再確認するとともに「平和と繁栄の朝鮮半島」を共に作っていこうと北に呼び掛けたが、北を侵略して体制転覆するための米韓合同軍事演習は行う方針だ。共和国が一貫してそれに反対して中止を訴えてきているにもかかわらずだ。そのうえ、今年
 一月一日には、平壌を空から強襲して占領する任務の第二迅速対応師団が創設された。また、共和国の東海岸に海から強襲上陸するための戦力も増強済みだ。
 そして日本政府は、韓国を露骨に外した日米豪印の枠組みによるアジア太平洋軍事協力構想をぶちあげ、共和国と中国を目標とする敵基地攻撃能力保有にすでに踏み出した。共和国に対しては口先とは違って話し合う気などさらさらなく、「北の非核化」を掲げてバイデンの「核凍結」発言が方針化されることをけん制し、南北の対話と統一への道をつぶすことを国益と確信している。加えて、同盟国の財政のみならず実践上の負担増を求める米国の要求に乗る形で自衛隊が米軍と一体化し、その指揮下で軍事衝突の最前線に立つ訓練を日々行っている。今回の合同軍事演習にも米軍の後方支援国として深くかかわる。日本にとって今回の演習は、防衛省統合幕僚監部が駐韓米軍・米軍アジア太平洋司令部・在日米軍・在沖米軍・韓国軍と一体化して「ワンチーム」となり、侵略軍としての団結と連携力を強化する絶好の機会なのだ。つまり、米韓合同軍事演習の本質は日米韓合同軍事演習であり、共和国を侵略し体制転覆することを目的とする第二の朝鮮侵略戦争策動だ。従って、米韓合同軍事演習反対は日本の、日本政府の、日本人の問題であり、日本の労働者階級人民にとって第一級の課題なのだ。
 私たちアジア共同行動日本連絡会議は、日本帝国主義による朝鮮侵略と植民地支配の血の歴史を忘れず、その責任と戦後責任を果たすことが己の責務であることを自らの胸に深く刻み、南北在外の朝鮮人民に連帯して、日本政府の戦争策動の一環である米韓合同軍事演習に断固反対し、その中止を強く求める。

           二〇二一年三月六日