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■3・22 山口 上関原発を建てさせない山口大集会 三月二二日、山口市の維新百年記念公園・野外音楽堂において、「上関原発を建てさせない山口大集会」が開かれた。今回で九回目となる。主催は「上関原発を建てさせない山口県民連絡会」(以下、県民連絡会)。県内外より八〇〇人が参加した。 石破政権は二月に第七次エネルギー基本計画を閣議決定した。原子力について「可能なかぎり依存度を低減する」との文言を外し、「最大限活用」に一八〇度方針転換した。福島の原発事故は収束の目処は立たず、使用済み核燃料も溜まり続けている。こうした状況で開かれた集会は、原子力に頼る社会から決別しよう、という司会の力強い挨拶から始まった。 集会冒頭、昨年亡くなられた「上関原発を建てさせない祝島島民の会」(以下、島民の会)前代表の清水敏保さんへの黙祷を行った。 主催者挨拶では、県民連絡会共同代表である島民の会現代表の方が、「島民の会は中国電力の目の上のたんこぶとなる。原発マネー中毒を治療する注射の針として頑張る」と決意を述べた。 今年のゲストスピーカーはジャーナリストの青木美希さん。著書である「なぜ日本は原発を止められないのか?」は二〇二四年に第三回脱原発大賞を受賞している。 講演では、福島現地を取材した際の音声が紹介された。帰宅困難とされる地域ではインタビューの合間にもサーベイメーターのアラームが鳴り響く。サーベイメーターのアラームは0・3マイクロシーベルト毎時に設定されている。原発事故前の一〇倍の値だ。除染が完了したとされる避難指示解除地区でも0・37マイクロシーベルト毎時が観測された場所もある。 放射線量、土の汚染、健康被害(労災認定)のことがマスコミで報じられなくなっている。記者が原稿を書いても、「帰還が遅れる」という理由で記事にならないことが紹介した。 福島からの声では、「甲状腺がん支援グループあじさいの会」共同代表の方が発言された。小児甲状腺がんの治療のため学業を中断することになった子どもたちの学業再開を支援する活動について報告された。 上関町からは、島民の会・事務局長と上関の自然を守る会共同代表が発言した。島民の会の事務局長は、祝島で五年ぶりに島内デモを再開したことを報告。上関町長や推進派が、少子高齢社会に対応するためには中間貯蔵施設の受け入れが必要としていることに反対し、町の魅力を活かした町づくりをしっかりと取り組むことが大事と話した。上関の自然を守る会共同代表は、未利用魚の商品化など、漁民とともに自然を活かした町づくりに挑戦していることを報告された。 県内の取り組みとして、柳井市平郡島と田布施町から報告が行われた。平郡島の東西連合自治会長の方は、三〇八ある自治会の内、一六一自治会で回覧板を使ったアンケートを行い、放射性廃棄物の中間貯蔵施設建設に72%が反対だという民意が示されたことを説明した。 また、田布施町では、今年二月に行われた町議会議員選挙で、中間貯蔵施設建設計画反対を掲げた候補者六名が全員当選し、三月には中間貯蔵施設建設に反対する決議を県内で初めて可決させた。集会には四名の町議が参加した。岸信介、佐藤栄作の出身地であり、保守地盤が厚い地域でこうした結果を勝ち取ったことを力強く報告した。 連帯挨拶として、平岡秀夫衆議院議員が発言した。 福島や全国のみなさんと連帯して、日本の原子力政策を変えるために運動の輪を広げること、「百年後の未来の子どもたちに『核のごみ』ではなく、『奇跡の海』と呼ばれる素晴らしい自然を残すために、共に闘いましょう」とする集会宣言を採択した。 集会の最後に、「奇跡の海」と書かれた紙を全員で掲げ、原発反対をアピールした。 会場周辺では、マルシェが開かれており、展示や物販が行われた。冷たい雨に降られた昨年とは異なり、今年は好天に恵まれた。集会参加者同士の交流も昨年以上に行われていると感じられた。 |
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