共産主義者同盟(統一委員会)






■政治主張

■各地の闘争

■海外情報

■声明・論評

■主要論文

■綱領・規約

■ENGLISH

■リンク

 

□ホームへ

 
  
■『戦旗』1678号(5月5日)3面

  
 
石川一雄さんの遺志を継ぎ、
 狭山第四次再審闘争を全力で闘おう!

                       
全国狭山闘争連絡会議
       
 



石川一雄さんの急逝受け、各地で追悼

 狭山事件の冤罪を晴らすため、六二年の長きにわたり闘い続けてきた石川一雄さんが、三月一一日夜、帰らぬ人となった。八六歳だった。昨年末に肺炎を患ったものの、幸いにも回復されていた。「5・23狭山集会になんとしても参加したい」と骨折した足の治療にも前向きに、入院されていた先での誤嚥性肺炎だった。ようやく鑑定人尋問実現の展望が見えてきた矢先の突然の訃報に、全国の狭山を闘う仲間が慟哭した。三月一一日は、一九六四年に埼玉県の浦和地裁で死刑判決が下された日である。そして石川さんが亡くなった夜の一〇時三一分―10・31は、一九七四年に寺尾差別判決(無期懲役判決)が下された日だ。あまりにも象徴的な日時に、石川さんが見えない手錠を外せぬままこの世を去ってしまったこと、本当に無念でならない。誰よりも石川一雄さん本人が無念であったと思う。「再審無罪を勝ち取るまでは、両親の墓参りもしない」と、獄中でどんなに恋しかったか知れず、死に目にも会えなかった両親の墓前に、立たないままであった。見えない手錠を外し、ご両親の墓前に立って欲しい、冤罪によって奪われた権利を、尊厳を、奪還して欲しい、生きているうちに!……石川さんが老いや体調不良を口にするようになってからは特に、皆が祈るような気持ちで狭山闘争を闘ってきたのだった。
 「石川一雄さんは無実です」「家令裁判長!(袴田事件再審無罪の)次は狭山です!」と、毎月23デーに街頭行動を重ねてきた各地で、三月二三日は石川さん追悼のスタンディングが行われた。石川さんの遺影を掲げ、あるいは祭壇をこしらえ、悲しみや悔しさ、そして石川さんの遺志を継ぎ再審無罪まで闘う決意を街ゆく人に訴えた。足を止め、祭壇に手を合わせていく人や、「なにか署名はありますか」と、再審法改正を求める署名に協力してくれる人も多くあった。
 四月一六日、日本教育会館で石川一雄さん追悼集会が行われた。ホールとサテライト会場ともに満場の、約一〇〇〇人が全国から結集した。祭壇上には、「私は無実です」と手書きしたシャツを着て微笑む石川一雄さんの写真が映し出された。「SAYAMA―みえない手錠をはずすまで」「獄友」などの映画を制作してきた金聖雄監督が、石川さんを偲んで編集したショートムービーを上映、つづく李政美さん小室等さんらによる追悼のうた。部落解放同盟中央執行委員長西島藤彦さんはじめ、狭山闘争を共に闘ってきた各界からの追悼のことばが続いた。「今度こそ狭山と思っていたのに、残念でならない。巖も残念がっている」と袴田ひで子さん、「三八四名もの議員連盟が頑張っている再審法改正を、なんとしても勝ち取る」と鴨志田祐美弁護士、「徹底的に頑張る」と鎌田慧さん。最後に石川早智子さんが登壇し、「一雄、長い闘いだったね。一雄、無念だったね。第四次再審請求を一雄の分まで頑張るから、見守って欲しい」と涙ながらに語りかけた。狭山を闘う全国の仲間がこの場に駆け付け、早智子さんと共に涙を流した。これが狭山闘争なんだ、石川さんが人生のほとんどを懸けて残した仲間なのだと、心に刻まれた追悼集会であった。


石川早智子さんが第四次再審を請求

 石川一雄さんが亡くなったことにより、東京高裁は三月一七日付で狭山第三次再審請求の審理を打ち切った。刑事訴訟法の再審規定(再審法)には、請求人が死去した場合の受け継ぎについて規定がない。三月四日には第六四回の三者協議が行われており、狭山弁護団が証人尋問の必要性について訴えた意見書などを提出、家令裁判長は次回協議を異例の一月後、四月上旬に行うとしていた。家令裁判長が、再審開始の実現に向けた大きな一歩である事実調べ・鑑定人尋問を行う判断をするかとの、大詰めの局面を迎えていたのだ。
 「家令裁判長!次は狭山です!」と全力で訴えてきた取り組みは、全て振り出しに戻ってしまうのだろうか? 二〇〇六以来一九年に及ぶ第三次再審請求で提出されてきた新証拠二七八点は引き継がれるのだろうか? 妻の早智子さんが第四次再審を請求したとして、担当裁判長が替わりゼロからのスタートとなれば、また長く先の見えない闘いを早智子さんに強いてしまうことになる。皆が不安な半月を過ごした。
 四月八日、石川早智子さんと狭山弁護団が記者会見を行い、四日に第四次再審請求を東京高裁に申し立てたと報告した。審理を担う高裁の部署は、第三次と同じ第四刑事部となり、引き続き家令裁判長が担当することとなった。弁護団は二七八点の証拠を改めて提出した。会見で早智子さんは「何としても夫の無念を晴らしたい。亡くなった今もかかっている『見えない手錠』を外したい」と、涙ながらに訴えた。弁護団は「第三次で積み上げてきた証拠を基に、迅速に審理を進め、証人尋問を実現させたい」と語った。
 検察官の抵抗が、証拠開示や再審開始に向けた審理を遅らせ、何十年もの過酷な闘いを石川さんに強いてきた。そしてついには石川さんの命を奪ってしまったのだ。家令裁判長定年退官までの残された一年で、なんとしても再審開始の扉を開かせなければならない。検察が証拠隠しをしないよう、再審開始決定への不服申し立てをしないよう、再審手続のルールを整備するよう等求める「再審法改正」を、今国会でなんとしても実現させなければならない。
 狭山事件は、被差別部落への徹底した見込み捜査、マスコミによる差別煽動、部落差別に基づいた冤罪事件である。国家権力による最大の部落差別攻撃である。冤罪を晴らすためと同時に、差別により人生を奪われた全ての人々の解放のために、石川さんは生涯闘いに身を投じてきた。「狭山闘争の勝利なくして部落の解放なし」と闘われてきた意味を再確認し、第四次再審闘争を早智子さんと共に全力で闘っていこう。石川さんの無念を、なんとしても晴らそうではないか。


5・23狭山集会に結集しよう!

 五月二三日、「狭山事件の再審を求める市民集会」が日比谷野外音楽堂で開かれる。石川一雄さんは仲間の前に元気な姿で立ちたいと、大腿骨骨折の手術に挑もうとしていた。残念ながら一雄さんの姿なき狭山集会を迎えることになってしまった。しかし、一雄さんの不撓不屈の魂は、決して消えることなく私たちの中にある。石川早智子さんと共に、全国の部落解放を闘う仲間と共に、狭山第四次再審闘争を闘う決意を、会場に溢れる結集で示していこうではないか。地域・職場で、狭山闘争への結集を改めて強く呼びかけ、司法を動かす世論のうねりをつくり出していこうではないか。
 全国の闘う仲間の皆さん、5・23狭山集会で会おう!

 


Copyright (C) 2006, Japan Communist League, All Rights Reserved.