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■不当処分を許すな! 闘う教職員と連帯し、

 国際主義を掲げ来春、反「日の丸・君が代」を闘おう




 〇七年九月安倍極右政権は崩壊した。改憲のための国民投票法や防衛庁「省」昇格法とともに、教育基本法改悪、教育三法改悪を強権的手法で成立させた政権は、その強権的手法により崩壊した。その後成立した福田政権は安倍カラーを払拭した政権を目指すとされているが、その本質は安倍と大差はない。福田政権も「対テロ特措法」の延長を目指し、それが不可能だと知るや新法を成立させてまでもインド洋での自衛隊による給油活動継続に執念を燃やしている。すなわち、福田もまた安倍と同様にアフガニスタン、イラク人民虐殺を「対テロ」の名の下で強行しようという輩に過ぎないということだ。

 そして福田政権は教育政策においても安倍政権を本質的に継承している。すなわち、愛国心教育と差別・選別教育の拡大を基調とした侵略戦争遂行のための「教育改革」の継承である。

 安倍退陣以後の十月二十三日に教育再生会議の総会がおこなわれている。ここに福田が出席し、改めて政府主導の教育「改革」を確認。大学への「飛び入学」や「教育バウチャー制度」などを論議している。また文部科学省の諮問機関である中央教育審議会(中教審)では、これまでの「ゆとり教育路線」を転換し、四十年ぶりと言われる授業時間を増やす改定の決定を十月三十日におこなった。これらはまさに、福田政権の下でも差別・選別教育が強行されるということの宣言に他ならない。すなわち、一部の国家エリートと大多数の兵員予備軍を意識的に作り出していこうという教育政策である。そのイデオロギー的根拠こそ「愛国心」教育に他ならない。福田政権による教育「改革」攻撃を許すな!

 一方、教科書検定で沖縄戦「集団死強制」の日本軍関与の事実を削除した問題で、沖縄人民は怒りを爆発させている。実に十一万以上に及ぶ人々が弾劾集会に結集し、今次教科書検定を糾弾している。この沖縄人民の怒りに慌てふためいた福田政権は事態収拾のため、教科書各社に沖縄戦「集団死強制」の日本軍関与を認める訂正を再申請させている。しかし、産経新聞社や新潮社さらに旧「新しい歴史教科書をつくる会」などの民族排外主義者どもは、この沖縄人民の怒りを「集会参加者は実は一万人」などと言うとんでもないデマを撒き散らし、歴史教科書における沖縄戦「集団死強制」日本軍関与の記述に真っ向から反対している。まさに「南京大虐殺は幻」論と同様の歪曲をもって沖縄人民のたたかいに敵対しているのである。教科書採択問題と同様、この沖縄戦「集団死強制」における日本軍の関与の問題は、右翼との攻防環になっていくことは間違いない。

 さらに来春、東京都における「日の丸・君が代」攻防は重大な局面を迎える。東京都教育委員会は、「君が代」不起立をおこなってきた教員に免職処分、すなわち解雇を視野に入れた弾圧を強行しようとしている。都教委は「君が代」不起立という、まさに教職員の思想・信条の問題に対して、解雇をちらつかせて「日の丸・君が代」強制反対運動の鎮圧を画策しているのである。一切の「君が代」処分を許すな!

 たたかう教職員は、今夏八月十五日に韓国ツアーをおこない、改めて国際主義の観点でたたかうことの意義を確信してきている。韓国労働者階級人民のたたかい、戦闘的労働組合のたたかい、そして韓国の教職員のたたかいの息吹に触れ、実践的具体的に交流する中から日帝足下における教育「改革」路線との総対決を確信してきたのである。

 われわれはこれらたたかう教職員とともに、国際主義を掲げて「日の丸・君が代」強制に反対していこうではないか。一切の「君が代」処分を許すな! 侵略戦争遂行のための「教育改革」とたたかおう!


●1 「教育改革」攻撃粉砕、新自由主義と闘おう


 東京都では教育基本法の改悪に先立つ二〇〇三年に通称「10・23通達」と呼ばれる通達を出した。このあまりにも有名な通達は、全都で巻き起こる反「日の丸・君が代」闘争に対して、現場教職員のたたかいを押さえ込もうという意図で出されたものであったことは明白であった。通達は、卒業式・入学式における「日の丸・君が代」に関して細かな実施指針を提示し、これを校長による職務命令として定めたのである。しかし、その法的根拠はあまりにもデタラメであった。当時、改悪されていなかった教育基本法はもとより教育三法などから見ても、違法であることは間違いない代物である。すなわち教育基本法改悪を見越したうえでの、先取り攻撃であった。

 そして東京都教育委員会・教育庁は極右民族排外主義者石原の意を受けて、通達に従わない教職員に対して処分を乱発した。戒告、減給、停職などの処分と再雇用教員の不採用・解雇が強行されたのである。処分者数は現在まで実に三百八十八名も数えると言われている。

 しかし、東京都ではこうしたファシズム的手法を用いても教職員のたたかいを押し潰すことはできなかった。最低でも三百八十八人の教職員が具体的に抵抗の意思を体現したのである。また、卒・入学式での「不祥事」を恐れる管理職が、不起立・不斉唱があったにもかかわらず、あえて報告しない例もある。さらに、卒業式に係を受け持つという手段で、式場に「出ない」という戦術をとる教職員もいる。さすれば、三百八十八名というのは氷山の一角でしかなく、このたたかいを有形無形に支持・連帯する現場教職員はかなりの数になると考えられる。同様に教職員のたたかいを支持し、支援する保護者・児童・生徒もそれなりに存在する。このような観点からすれば、「10・23通達」以降も反「日の丸・君が代」運動は大衆運動として十二分に機能してきたわけであり、その攻撃の政治的意味は半減しているといっても過言ではない。

 「通達」を出したのはいいけれども、政治的に追い詰められていったのは東京都教育委員会であり都知事石原であった。都教育委員会はこういった状況を巻き返したい思いであることは明らかである。

 一方、極右政治家安倍の首相就任によって、いわゆる「教育改革」なるものが提唱され、教育基本法の改悪と教育三法の改悪が強行された。広範な教職員、市民、労働者は国会前で連日にわたる座り込み闘争を貫徹し、「改悪反対」の声を挙げ政府を揺さぶり続けた。しかし安倍はこうした声を無視し、強権的手法で改悪を強行成立させていった。そして安倍は、その帰結として最終的には権力の座から放逐されることになる。

 教育基本法と教育三法の改悪の主要な点として、われわれが注目しなければならないのは、第一に侵略戦争遂行のためのイデオロギー的柱としての「愛国心教育」であり、第二にわれわれが差別・選別教育と言うところの「教育格差」であり、第三に「教員免許更新制度」に端的に表現されるところのたたかう教職員の職場からの放逐であり、第四として校長・教頭以外の新たな管理職設置に代表されるところの教育現場の分断と支配である。

 第一、第二については主に教育基本法改悪の内容であり、第三、第四については主に教育三法改悪の中身であろう。もちろん、両者ともこれら内容がスッキリと別れているというものでもない。むしろ両法案改悪が渾然一体となったところに〇六年から〇七年にかけての「教育改革」の特徴があると言うことだ。
 より端的に言えば、「愛国心教育」とたたかう教職員の職場からの排除は両者一体の不可分の攻撃として押さえておかなければならないということである。

 もちろん、われわれはここで教育基本法や改悪教育三法の法文解釈的論議をしているわけではない。両法律が改悪されたことの政治的意味について論議しているわけであり、教育基本法と教育三法がまさに同時一体的に改悪されたことの国家意志をこそ問題にしなければならない。

 さらに別の側面から見れば、安倍が提唱した「教育改革」とは、小泉が進めてきた「新自由主義」路線の教育版でもある。

 言うまでもなく「新自由主義」とは、徹底した市場原理の導入である。小泉はこの路線を意識的に追求し、郵政民営化をはじめとした「民間活力の導入」を合言葉に競争原理の積極的導入をおこなってきた。意識的政策的レベルの格差の拡大である。これは「富める者はより富み、貧しい者はより貧しく」という標語に表現されているように、全社会的に格差が拡大されることに結果した。

 安倍がおこなってきた「教育改革」は、この「新自由主義」の思想を教育に適用させていこうとするものであった。教育基本法の改悪と教育三法の改悪と同時に、学力テストの導入などによる公立学校の業績評価制度や習熟度別クラス編成ないしは飛び級制度の導入策動などである。

 こうした動きは児童・生徒だけではなく、教職員そのものにも適用され、管理職による業績評価によって給与・賃金の格差が助長されている。さらには地域・学校または教員・職員間で賃金の開きが生じている。一方、非正規労働者の積極的使用や事務作業などを民間委託として処理していく傾向が生じている。これらは人件費の抑圧という側面と、教育に携わる労働者を細分化し分断したうえで国家意志を貫徹する目的もあるということは明らかである。

 この路線は福田の下でも基本的に継承されていると見るべきである。安倍の路線から一歩距離を置く福田だからと言って、劇的に転換されるという根拠はない。むしろ日帝ブルジョアジーの意向からしても、「教育改革」路線が継承されることは間違いない。国内における安価な労働力の確保と一方の国家的エリートの育成は、産業界からの要請でもある。そしてこの安価な労働力は、戦時において戦闘員として消費されていくものとして位置づけられることは明白である。

 まさしく「教育改革」路線とたたかうということは、とりもなおさず、「新自由主義」とのたたかいでもあるということである。このような位置づけを明確にすることによって、教育労働者と市民、そして他産業労働者との団結が形成される根拠になりうる。それは同時に、全世界的に巻き起こっている「新自由主義」のグローバルな展開に反対するたたかいとの結合の根拠としても位置づけられるということになる。


●2 「君が代」処分=「解雇」恫喝の闘争破壊許すな


 ファシスト石原を都知事にすえる東京都は、日帝の「教育改革」攻撃が他道府県に比して激烈に進行している。来春に「日の丸・君が代」強制に反対しようという教職員に対して、免職処分―すなわち解雇をちらつかせての闘争破壊がおこなわれようとしている。

 今春の「君が代」斉唱を拒否し続けた教職員に対して、最大停職六カ月の処分が出された。この停職六カ月処分の教職員に対して、東京都教育委員会は来年は免職もありうることを示唆し、にわかに免職処分が現実味を帯びてきたのである。これは教育基本法と教育三法を改悪することをもって、「愛国心教育」に反対する教職員を現場から排除しようという日帝の「教育改革」と軌を一にした攻撃に他ならない。

 そもそも教職員に対しておこなわれる懲戒処分は、あくまでも行政処分である。すなわち各地方自治体による独自の内規による処分である。当然、同じ行為に対する処分内容は各地方自治体によって違ってくる。つまり、その処分内容が妥当なものかどうかの客観的法的規定はないということでもある。東京都の「日の丸・君が代」処分は、最初は戒告、次に減給、次に停職一カ月・三カ月・六カ月と累積的に処分内容が重くなる。しかし、これとて、なにか客観的法的根拠があるわけではなく、あくまでも東京都サイドによる内規に照らしての処分である。東京都では累積的であるが、「日の丸・君が代」の強制に何回反対しても戒告以上は出ない所もある。

 すなわち、これら懲戒処分の内容には自治体の政治判断が大きく関与しているということであり、おそらく本音からすればそれが唯一の根拠であろう。その時々の首長の意向と大衆的反応を計算して処分内容を決めているにすぎない。とするならば、「君が代」問題における教職員の処分は名目は何であれ、政治弾圧以外の何物でもないということになる。

 このような観点で今回の東京都の解雇策動を見れば、第一に「解雇」をちらつかせながら、反「日の丸・君が代」運動をつぶそうとするどう喝に他ならない。「君が代」に反対したら免職―解雇という言辞をもって、たたかう教職員にどう喝を加え運動に動揺を与えようとする攻撃である。

 第二に、これは教育基本法と教育三法改悪という政治情勢の流れに乗った攻撃である。解雇がどう喝として機能する前提として教育基本法と教育三法の改悪があることは間違いない。「君が代」処分―解雇どう喝は日帝の「教育改革」と連動しているのである。

 そして第三に、「君が代」処分問題で東京都は全国に先がけて初の「解雇者」を出すことも辞さないという宣言でもある。かつての「10・23通達」がまさに教育基本法改悪の先取り攻撃であったように、東京都は「日の丸・君が代」問題で解雇者を出すことによって「教育改革」の尖兵になろうとしているのである。

 今後、事態はこうした攻撃を許さないという大衆的反対運動との関係で推移していくと思われる。「君が代」問題における行政処分は、ある意味、政治判断が唯一の根拠でもあるから、その時々の政治情勢に大きく左右されることになる。つまり、「解雇」どう喝に対する大衆運動の反応と広がりによって事態はいくらでも変わる可能性があるということだ。


●3 闘う教職員とともに、来春「君が代」攻防と闘おう


 すでに「君が代」解雇問題に対して様々な反対運動が沸き起こっている。大小各地集会はもちろんのこと、都庁前での糾弾集会やビラまきなどのたたかいが教職員・市民・労働者によっておこなわれている。われわれもまた、これらのたたかいに結合しながら、たたかう教職員に対するあらゆる処分攻撃に対してたたかっていこうではないか。

 われわれは来春の「日の丸・君が代」攻防に次の観点でたたかっていきたい。

 第一に昨年から今年にかけてたたかわれた教育基本法改悪反対闘争と教育三法改悪反対闘争の地平を継承した、日帝の「教育改革」攻撃との対決として取り組んでいく。

 「愛国心教育」とたたかう教職員の教員現場からの排除、さらには差別・選別教育と教職員間の分断支配―教組の解体こそが「教育改革」の実体である。「君が代」に反対する教職員を現場から排除しようという攻撃は、まさに教育基本法改悪の実体化に他ならない。東京都教育委員会はその先兵であることを宣言した。来春の「日の丸・君が代」攻防は明らかに、日帝の「教育改革」攻撃そのものとのたたかいとして位置づけられなければならない。

 第二に、第一からの帰結として、来春のたたかいは「愛国心教育」に反対すると同時に断固としてたたかう教職員の職場を防衛するたたかいとしてたたかわれなければならない。

 「愛国心教育」とたたかう教職員の職場からの排除は、表裏一体の攻撃である。「愛国心」教育の貫徹はこれに反対する教職員を職場から一掃することなしにはありえない。

 であるならば、われわれはたたかう教職員とともに「愛国心教育」に反対すると同時に職場現場を防衛するたたかいを支持しなければならない。職場からの撤退を前提にした反「愛国心教育」のたたかいはありえない。「反対しかつ職場に残る」たたかいこそが日帝の野望を粉砕するのだ。

 第三に「君が代」強制とたたかう教職員の職場を防衛するということは、すなわち教育現場における団結を防衛するたたかいでもあるということだ。

 たたかう教職員に対して免職―解雇も視野に入れた弾圧とは、教育委員会の意にそぐわない教職員に重弾圧を加えることをもって、教職員間の分断を謀り、職場での孤立を促そうという攻撃である。

 こうした攻撃の背景には、「新自由主義」に基づいた「教育改革」路線がある。業績評価による賃金格差を拡大させ、教育労働者を個に分断し、一方で「君が代」を強制しこれに反抗する者の排除を容易たらしめようとしている。すなわち教育現場における徹底した市場原理の導入と、「愛国心」教育弾圧が一体となっているのである。

 来春の「君が代」攻防を「教育改革」とのたたかいとして位置づけるのであれば、当然こうした教育の「新自由主義」とのたたかいとしても位置づけられなければならない。

 第四として、われわれはあらゆる反「君が代」処分に対して反対していく。

 「君が代」強制問題に関しての処分が免職であろうと、訓告・戒告であろうと、それは等しく政治・思想弾圧である。処分の重さは教育委員会サイドの政治判断でしかない。すなわち、この問題での訓告・戒告処分は免職処分と同質の政治内容を有していると見ることができる。「君が代」強制反対における懲戒処分に重いも軽いもない。「教育改革」路線下の東京都においてはすべての処分が教職員の排除とたたかいの鎮圧を目的にしたものである。あらゆる「君が代」処分に対して反対していくたたかいが問われる。

 こうした観点の明確化は、われわれは教育現場で「君が代」強制に反対した、いかなるたたかいにも敬意を表するとともに、断固としてこれらのたたかいを防衛する決意の表明でもある。


●3 広範な大衆闘争として、反「日の丸・君が代」を


 日帝の「教育改革」攻撃は差別・選別教育や教育現場の分断支配と教組の解体を特徴とする。すなわち、教育現場での団結をことごとく破壊することを獲得目標にしている。ゆえにわれわれは広範な大衆運動をもって、すなわち団結・連帯を武器とした大衆運動をもって、「教育改革」攻撃とたたかっていかなければならない。教職員間の団結を基礎としながら、市民・労働者、そして児童・生徒までも含めた大衆運動陣形をもって来春の攻防を勝利していこうではないか。

 また、われわれはこうしたたたかいこそが「教育改革」攻撃とのたたかいにとって最重要な環であると考える。日帝が「愛国心教育」をもって労働者階級人民を分断し支配しようとするならば、われわれは反「日の丸・君が代」強制のたたかいをもって労働者階級人民の団結を促進していくのである。このような観点がなければ、今後長期にわたる「教育改革」攻撃とのたたかいは不可能であるし、その展望を勝ち取ることもできない。

 そしてあえてたたかい方を提起するとするならば、広範な大衆運動展開を基軸とした縦横無尽の戦術を駆使してたたかっていこうではないか。

 来春以降の「日の丸・君が代」攻防は、教育基本法と教育三法改悪下という情勢の中でたたかわれる。当然、従来通りのたたかいでは情勢的変化に対応できないであろう。労働者階級人民の団結を基礎にした、創意工夫あふれる縦横無尽の戦術が問われる。これまでの不起立闘争をはじめとして、様々な戦術を駆使した反「日の丸・君が代」闘争の大衆的展開を推進していこう。


●4 沖縄人民、全世界人民の闘いに連帯し、闘おう


 九月二十九日、沖縄において「教科書検定意見撤回を求める県民大会」がおこなわれた。実に十一万の沖縄人民が結集し、沖縄戦「集団死強制」の日本軍関与の事実を削除しようとした教科書検定を批判した。この大会は仲井真知事をして「ある種のマグマというかエネルギーが爆発寸前にあるのではないかと予感させられるような大会だった」と言わしめている。大会決議では「教科書は未来を担う子どもたちに真実を伝える重要な役割を担っている。だからこそ子供たちに、沖縄戦における『集団自決』が日本軍による関与なしに起こり得なかったことが紛れもない事実であったことを正しく伝え、沖縄戦の実相を教訓とすることの重要性や、平和を希求することの必要性、悲惨な戦争を再び起こさせないようにするためにはどうすればよいのかなどを教えていくことは、我々に課せられた重要な責務である」と述べている。「本土」においても、東京都国立市などの自治体レベルで日本軍の関与を否定する教科書検定意見の撤回を求める決議が出されている。

 こうした沖縄人民の怒りは政府・福田を追い詰め、歴史教科書検定をやり直させることになった。

 しかし『産経新聞』や『週刊新潮』などの右翼メディアは、大会の結集人数を「実は四万人」「実は一万人」などと意図的に歪曲し、その意義を低めようとしている。こういった手法はまさに「南京大虐殺は幻」論と同一のものである。

 一方、かつての旧「新しい歴史教科書をつくる会」につながる連中は、「政治介入反対」という論調で歴史教科書検定の再申請に反対している。すなわち、9・29の教科書検定意見撤回を求める沖縄県民大会によって、一度検定を通過した教科書を再検定することは政治介入であるという主張である。しかし、これほど恥知らずな主張もない。そもそも教科書検定作業には「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーが入っていることは公然の事実であり、今回の沖縄戦「集団死強制」における日本軍関与を削除するように仕向けていったのはこのメンバーではなかったのか。これほど露骨な政治介入はあるまい。

 いずれにせよ、「南京大虐殺は幻」「日本軍慰安婦は公娼」とならぶ主張として、「9・29県民大会は実は数万人」と主張する部分が出てくるのは間違いない。数年後の教科書採択問題でこの問題が浮上してくると思われる。沖縄人民のたたかいに連帯し、来春の「日の丸・君が代」攻防とともに歴史教科書の歪曲を許さないたたかいを進めよう。

 また韓国では「新自由主義」的教育政策との攻防が熾烈にたたかわれている。

 韓国政府は教育評価制度の導入とこれに連動した成果給制度を導入しようとしている。全教組は教育評価法制化阻止闘争と等級成果給阻止闘争を本年度下半期の重要な闘争と設定し、たたかいを準備している。現場教職員を校長・副校長さらには親や生徒によって「多面的」に評価し、そしてなんと「ABCDという等級によって」成果給を決める攻撃である。まさに日本における業績評価と同じ構造であり、「ABCD」という用語まで日本と同じである。

 さらにたたかう教職員は「民衆教育改編運動」として入試撤廃と大学標準化運動を全国的に展開しようとしている。韓国では入試競争の激烈化と大学の序列化という制度の中で教育の公共性が喪失している。これを取り戻すたたかいとして、また「新自由主義」教育に反対していくためのたたかとして入試撤廃と大学標準化を主張している。今年の下半期以内に「入試撤廃―大学標準化国民運動本部」を全国単位として結成し、その最初の事業として全国的な「自転車大長征」をおこなう。

 これらの韓国のたたかう教職員と連帯し、国際的中身で来春攻防をたたかおうではないか!

 

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