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  ■激化する改憲攻撃との闘いを進めよう

 ―戦争国家化と生活破壊の集大成=憲法改悪阻止へ―

   (第五回)  参院選以後の改憲動向について




 与党の大敗北を強制した七月参院選を起点にしてすさまじい政治的流動化が生起しています。九月十一日の臨時国会開会とそこでの施政方針演説にもかかわらず、翌十二日安倍は突如内閣総理大臣の辞職を表明してそのまま入院。臨時の代理もおかずに政権中枢を欠いた状態が二週間近くも継続。急遽実施された自民総裁選において福田康夫が自民総裁に就任し、内閣総辞職と次期首相指名の手続きを経て福田内閣が成立という、実に泥縄式の政権交代劇が行われたわけです。まさに前代未聞の事態であり、公明党も含め与党は政権担当能力を喪失したと指摘できるような政治危機が官邸主導で招来されたともいえる事態でした。

 しかしこのように珍奇な終焉を演じて見せたとはいえ、安倍政権の一年間においては教育基本法改悪―教育三法、防衛省設置法、そして改憲手続法(国民投票法)の成立など、憲法改悪へ向けた悪法が産出させられています。徹底して弾劾するとともに、あらためてこうした悪法の廃止を直接に要求してゆかねばなりません。そうしてさらに、生起している政治的流動化の中でいったんは後景に退かせられた憲法改定の動向について、このかんの動きと労働者民衆のたたかいを総括付けながら、改憲論議そのものの停止に向けていっそうたたかいを攻勢的に進めてゆくことが必要です。


●1 安倍政権の崩壊と改憲攻撃

 参院選における与党大敗北と民主の大躍進という結果は、改憲へむけた動向という点においては以下のような意味を持つものでした。現時点での参院会派勢力は改選・非改選をあわせて、自民・無所属の会八十四、公明二十一、民主・新緑風会・日本百十五、共産七、社民・護憲連合五、国民新四、無所属六というものです。自・公与党は総計百五に過ぎず、参院過半数百二十一を大幅に下回ります。自・公与党体制が継続すると仮定して、三年後の参院選において改選議席の自民四十九、公明十一の計六十議席を計七十五議席へともってゆかなくては参院過半数を制することはできません。これはよほどのことがない限り絶望的。つまり、向こう三年間だけでなく、六年間の与党参院過半数割れという事態が継続する可能性は濃厚だということです。その上に、安倍の下で強引に進められた改憲手続法に最大野党の民主党が大反発し、自民党主導の改憲論議について態度を硬直化させている状況があります。もちろん民主党自身が憲法改定そのものには賛成であり、なかんずく「制約された自衛権の明記が必要」というかたちでの憲法九条の改悪論をもつ政党ですから、議会内政治の動向あるいは政治再編の動向によって改憲論議の次のステージが開始されることはありえます。しかし現時点では改憲論議が大きく進行することはありえないといえます。実際自民党総裁選においては、福田、麻生ともその公約には「憲法改正」の字句すら皆無であったことがそれを示します。

 安倍が「美しい国」とか「戦後レジュームからの脱却」などのスローガンとともに明言してきた「二〇一〇年改憲発議(衆参両院での改憲案発議と国民投票実施)」や「任期中の改憲」は、誰も引き継ぐことなく潰え去ったということができます。もちろん改憲手続法が成立させられたということで、総体としての改憲への道筋は一歩進められたことになりますが、憲法審査会そのもののたなざらし状態を慢性化・恒常化させることも含めて、この法そのものの廃止を直裁に要求することも必要です。

 このような政治的大流動の中で注目しておかなくてはならないのは、ストレートにとまでは言えないにしても安倍改憲公約を粉砕した、安倍政権のシンボルを打ち破り頓挫させたという経験は大きいという点です。

 「戦後レジュームからの脱却」などという特異かつ危険なスローガンをかかげた安倍は、その一連の言動からして、国家主義・復古主義の色彩の濃厚な新保守主義勢力の頭目であったということができます。まさに今夏参院選においても自民党公約の筆頭に「新憲法制定を推進する」とあからさまな改憲方針が掲げられていたことは、いまやすでに旧聞となりましたが記憶にはあたらしいところです。これが頓挫し、改憲公約もろとも政権が崩壊したわけです。ある意味では「自主憲法制定論」や「帝国憲法(明治憲法)を手本とする憲法を」などの復古的立場からする改憲論議は安倍の頓挫をもって終止符を打つことができた、ともいえる状況です。


●2 敗北の強制の意義をしっかり確認し、次のステップへ

 いま必要なことは、このかんの改憲論議とそれに反対する行動の一定の総括をこの節目において行いつつ、次のあらたな改憲論議や策動を許さない陣形をがっちりと労働者民衆の根底に打ち込む作業です。

 いくつか論点を提示しておきます。

 第一に、今次参院選において当初安倍が力説してやまなかった改憲問題がなんら争点にならなかったということをどのように考えるか、ということです。公明は措くとして自民は党首自身が前のめりに改憲を呼号し、一昨年には自民党新憲法案なるものを公表した手前、彼ら自身が改憲を主張しなくてはならない立場にあったと思われます。結果は安倍自身すら改憲の「かの字」もいえない体たらく。そんなことを選挙演説ではとてもじゃないが語れない、語れば不利になるという状況があったのこと。安倍は戦争の匂いがする、と自民への投票を拒んだ自民支持者の存在も報道されています。かたや有権者においてはどうか。こちらもまた、進行する生活破壊状況や年金問題をどうする、という点においてきわめて実直に投票行動を行いつつ、現在の選挙制度のもとでの「戦略的投票行動」を通じて民主へと大量の票を投じた、という報道がなされています。つまり改憲はなんら争点にすらならなかった、否、なりえなかったということができます。

ではそれはどういうことなのか。いま言われている「憲法改定」ということの「底の浅さ」が露呈した、と総括づけることができるのではないか、と思われます。

 二〇〇〇年国会での憲法調査会設置と両院憲法調査会論議から最終報告提出(〇五年)や上述自民党新憲法案公表(同年)などがこのかん連続してきました。読売改憲試案(第一次九四年、第二次二〇〇〇年、第三次〇四年)や折にふれた各社世論調査などメディアの改憲誘導もそれぞれの節目ごとに相当程度なされたところです。さらには二〇〇五年日本経団連『わが国の基本問題を考える〜これからの日本を展望して〜』発表という形で、日本財界の改憲提言も取り揃えられてもきました。その上に先の第一一六国会で改憲手続法が成立し、まさに「改憲本番」ともいえる舞台装置が出来上がったところでした。こうした一連の過程においてまさしく、政界・財界・メディア界という支配層の総力をあげた改憲攻撃であったにもかかわらずそれがいったん頓挫したわけです。そして労働者民衆はそのことに対してなんらの不便も困難も感じていない、むしろ胸をなでおろしているところです。

 そのような点からは結局この間の「改憲論議」とは、日米同盟強化や自衛隊海外派兵そして新自由主義的社会改変を強く求める人々にのみ基盤を置いた改憲運動でしかなかったという結論が導かれます。またそのようなものでしかありえなかったことを表わすものです。そもそも憲法改定へむけた運動の基盤は労働者民衆の側にはなかったということが言えるわけです。

 第二に、より積極的に支配層の改憲動向とそれへの労働者民衆の対抗を通じて見ておかなくてはならない点は、このかんの改憲論議の巻き起こしということや、国会での憲法論議、憲法調査会報告あるいは自民党の新憲法案提出などを通じながら、それこそ全国各地に澎湃(ほうはい)として憲法改悪反対の声と行動が生起したということです。当然にも主要に「憲法九条の改悪を許さない」という点に反対運動の論点は集中しています。それは自衛隊のイラク・アフガン派兵とか、自衛隊の軍隊としての確立の実態、そして米軍再編計画の策定と進行に見て取れるところの行き着く果ても見えない日米同盟強化への危機意識がこのように噴出している結果だということができます。それと同時に、「制定後六十年も経って古くなったから憲法を変えるべき」とか「現実にそぐわない」「新しい人権規定が必要」とか言いながら出されてくる改憲論とはその実、上記したような改憲主張を行う部分・勢力にのみ都合よく憲法を変えたいというものばかりという現実を見透かすに十分であった、とも言うことができると思います。まさに「いま」の「この時点」で改憲を呼号することの実像、本音というものが明確化されることを通じて、こうした人々の語る改憲はなんら市民・国民にとって良いものではないという刻印が押されてしまった、ということもいえるかと思います。

 それに関連して第三に、現在の諸改憲論・構想や自民新憲法案までもが一通り出尽くした中で、これらを検討しながら実際には憲法改悪に反対する運動が創出され展開しているわけですから、それらの中身の吟味・検討や批判の活動がかなりの規模と水準で行なわれたという点があります。これこそ実に私たち革命党が着目しておくべき問題です。おしなべて「いま憲法を変えることは憲法の改悪にしかならない」という状況下で、種々の改憲案や論議をその手口をも含めて批判の対象としつつ、憲法改悪に反対する活動が取り組まれています。中身の問題として、これら改憲案や議論それ自体への批判を通じてあらためて現在の日本国憲法の由来や意義を再確認する作業が広範に取り組まれたというわけです。そうした作業をつうじて、つまるところ現憲法の内実や水準があれこれの改憲案や論議に対して優位性を持つということが確認されてきたと思われます。自民党や民主党などの保守政党が圧倒的に国会の議席を支配している中において、あるいはまた生活の現場において、個々の市民ではなく企業や一握りの富裕層が重きを置かれる社会の現実において、そして自衛隊が海外に派兵されこれが拡大・継続するすう勢の中において、憲法を改定することはそのまま憲法改悪にしかならない・なりえない、というところから多くの民衆が「憲法改悪反対」とか「改憲阻止」あるいは「憲法九条改悪反対」の声を上げてきたわけです。そしてそのようなスローガンをかかげながら、支配層の想定する国や社会のあり方を批判しつつ、社会の主人公としての自己認識を再確認してきたのです。

 いずれにしてもこの間の改憲をめぐる攻防を通じながら、立憲主義の再確認であるとか、平和主義の意味の再確認や深化などが広く労働者民衆の内部において大きく発展してきたことは実に多大な成果であったといえるのではないかと思われます。あるいはまた、上に述べた改憲論議の底の浅さ、国民的基盤を持つ訳ではなかったということも、実際に暴露されつくした観もあります。


●3 福田政権下での新自由主義的な改憲論への転回

 次のステップという点で、簡潔に述べておきます。安倍政権は自民党新憲法案を抱きかかえたまま自壊しました。少なくとも立憲主義の否定や社会権条項を逐一消し去るような新規定を盛り込み、復古的な色合いもちりばめた〇五年自民党新憲法案は早晩歴史のくずかご行きとなることは必至かと思います。あまりに使えない。だけれども、九条の改悪の問題や九六条(憲法改正)の改定という根本的かつシンプルな改憲攻撃は継続すると見ておかなくてはなりません。焦点は憲法九条二項の削除と新規定という点にあり、いまひとつは都合よく改憲ができる仕組みを改定憲法中に埋め込むための作業ということになります。日米同盟深化の路線が継続し、帝国主義的グローバリズムの進展および新自由主義的な国家・社会改変の路線が続く限り、憲法のこの点での改悪動向は継続するということです。

 あらためて、日本経団連が、あれこれと現憲法に対する注文をつけた後に九条二項の削除を通じた戦力保持と集団的自衛権行使明文化、および九六条改定(改憲発議要件の緩和)を要求した点を想起しておくべきです。これへの対抗を引き続き行ってゆかなくてはなりません。

 そしていまひとつ、そうした次の改憲攻撃に対して備え、これをも打ち砕いてゆく上で、特に現憲法の社会権条項が明文改憲の対象として取りざたされてはいないにもかかわらず実質的に死文化しつつあるという点に注目すべきかと思われます。そして、現に条文として明記されているこれら諸条項を「ありのまま」に実施させるたたかいが強く求められていることを強調すべきだと思います。

 繰り返しになりますが、安倍の新保守主義路線を前面に掲げた改憲攻撃はいったんは終焉させたということはできても、現在の改憲論のもう一つの軸である新自由主義路線に基づく改憲攻撃、日本帝国主義のグローバル化路線に根拠を置く改憲攻撃とのたたかいにはいまだ決着がついているわけではありません。日帝グローバリズム戦略の上での必須の問題としての憲法九条二項の破壊とのたたかいと、他方で生存権(二五条)や労働権(二七条)、団結権(二八条)そして教育を受ける権利(二六条)などの社会権的基本的人権の実質的無化、事実上の改憲状態(愛敬浩二氏いうところの『改憲実態』)を許さないたたかいはむしろこれからいっそう重要です。

 詳述は別の機会におこないますが、これら社会権諸条項について特に二五条生存権規定について若干述べておきます。この条項に何かしら抜本的な改定条文案がつけられたことはありません。「憲法二五条は、九条と異なり、裁判過程のみならず現実政治における理念的な歯止めとしてもほとんど機能してこなかった」(中島徹「改憲構想における生存権と社会保障」『憲法改正問題』日本評論社)という現実があります。したがって「やぶ蛇」をおそれあえてこれには触れない、ということです。しかしいま、新自由主義改革が継続し、「自立」とか「自己責任」とかが社会の基本原理のごとくに言われている中で、国と行政による社会保障制度と施策は後退と無化へと突進しているのが現状です。このような中、餓死を典型として、貧困に起因する死が続出しています。まさに二五条生存権は、その一項二項ともに新自由主義とのたたかいにおいて労働者民衆の最重要なたたかいの武器とすべきときなのです。他の社会権条項も基本的に同様の事態です。すなわちおしなべて社会権条項は「プログラム規定」として、「実際に国民個々に具体的な法的権利を与えたものではなく政府と各行政の努力目標のようなもの」として「権利」の二文字を書き込んだ条項であるにもかかわらず、事実上の死文と化されようとしているのです。

 上記日本経団連が提出した改憲提言中の九六条改定要求とは、実に社会権的諸内容をもふくめ、必要な時にいつでも改憲できるものへと改憲のハードルを下げておくための戦略的提言でもあると思われるだけに、この領域におけるたたかいはきわめて重要性を増していると思います。

 引き続き憲法九条改悪阻止へ向けたたたかいを、アジア民衆のダイレクトな声を日本国内に反響させながら進展させてゆくたたかいはいっそう重要なたたかいとなっています。そしてもう一つ、新自由主義のもたらす災厄があちこちで火を吹いている状況下、とりわけ社会権条項を政府および各行政当局をして実施させるためのたたかいが緊要な課題であることを指摘しておきたいと思います。

                               (九月下旬/S・S)

 

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