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■今春「日の丸・君が代」攻防に勝利しよう

  2・10集会から、卒・入学式攻防に決起しよう




 日帝は「教育改革」を旗印に教育分野において戦争のできる国家体制構築を目論んできた。しかしこの攻撃はけっして日帝の思惑通り進行しているわけではない。

 「教育改革」の頂点として位置付けられた一昨年の教育基本法改悪攻撃は全人民規模の反対闘争を巻き起こし、国会前闘争として国家権力中枢における大衆闘争として爆発した。そして日帝文部科学省は昨年、教科書検定において沖縄戦「強制集団死」への日本軍の関与を削除し、その歴史的事実を隠蔽しようとした。しかし沖縄人民の島ぐるみの糾弾闘争のまえに削除部分を再修正させるという前段未聞の失態を演じることになった。一方、天皇代替わりから「愛国心」教育の要として位置付けられてきた「日の丸・君が代」強制の攻撃は、二十年近くたつ現在もその目的を達していない現状にある。いまだ多くの現場教職員が「日の丸・君が代」強制攻撃と果敢にたたかっている。日帝の「教育改革」攻撃とのたたかいは、教育基本法と教育三法改悪以降の現在も熾烈な攻防としてたたかわれているのであり、たたかう教職員と市民、労働者の団結した力がこの攻撃を阻止しているといっても過言ではない。

 そして本〇八年、教育基本法改悪の実働化としての「日の丸・君が代」強制攻撃が浮上してきている。東京都教育委員会は昨年、「君が代」不起立貫く教職員に対して、今年度も不起立すれば免職処分も有り得ることを示唆した。これは都教委からする「日の丸・君が代」強制とのたたかいに対する事前恫喝であるとともに、今後はたたかう教職員をクビにしてでも「日の丸・君が代」を強制する旨の反動的決意表明でもある。こうした事態は多くの現場教職員・市民・労働者の怒りを呼び起こし、免職処分を許さない広範な大衆闘争の陣型が作られようとしている。
 我々もまた、この教育基本法改悪の実態化ともいうべき「日の丸・君が代」強制攻撃とたたかっていこう。侵略戦争のための「教育改革」攻撃を阻止しよう。たたかう教職員に対する一切の「日の丸・君が代」処分を許すな。沖縄人民の糾弾に応え、歴史教科書の歪曲を許すな。たたかう教職員と連帯して「2・10総決起集会」の勝利を勝ち取っていこう。


  ●1 08年「日の丸・君が代」強制を許すな


 昨〇七年十一月二十七日、東京都教育委員会教育長中村正彦の名で「教職員の服務の厳正について」と題された文書が各都立学校長あてに出された。

 これは「平成十九年度(ママ)服務事故防止月間の実施に当たり、改めて本通知を発出し、都内公立学校における教職員へ服務事故に対する注意喚起を図る」目的で出された通知である。要するに、教職員としての「してはならない行為」を並べて、毎年出される通知である。「セクシャル・ハラスメントについて」「わいせつ行為について」だとかの社会常識から、体罰、自動車通勤、個人情報の管理や兼業・兼務、さらには無許可の海外旅行という事細かな領域が九項目の「非違行為」として列挙されている。

 そしてその第一番目に「上司の職務命令及び法令等の遵守について」という項目がある。いわく、「卒業式、入学式、周年行事等の儀式的行事において、上司の命令に従わない服務規律違反が依然として発生している」としたうえで、「こうした事態は……公教育に対する都民の信頼を著しく損ねる」ため、「教育公務員は、その職責を深く自覚し、上司の職務命令及び法令等を忠実に遵守しなければならない。校長等管理監督者は、改めて、教職員の服務規律の厳正な取り扱いを徹底すること」を求めている。ちなみに、ここで言われている「卒業式、入学式、周年行事」という文言は今年度から新たに挿入されたものである。

 一読してわかるように、明らかに卒・入学式の反「日の丸・君が代」闘争を意識した通知である。この通知の政治的特徴は第一に、東京都教育委員会が明確に反「日の丸・君が代」闘争が存在していることを公然と認めた点にある。すなわち、教職員のたたかいを未だ鎮圧することのできない現状の吐露でもある。第二に、そのたたかいが大衆的にたたかわれていることの証明であり、東京都教育委員会は今後ともすればより一層の大衆的広がりをもつことを懸念していることの証明である。第三に、校長管理職を弾圧の全面に立たせることを意図したものである。総じて、東京都教育委員会は今春「日の丸・君が代」攻防を何がなんでも鎮圧するするという意志の表明でもある。卒・入学式の「君が代」不斉唱に対しては服務規律違反ということで処分を下すということであり、その事前通告である。

 今春、東京都における「日の丸・君が代」攻防は大きな山場を迎える。「君が代」不斉唱の教職員に対して解雇攻撃が目論まれている。我々は、解雇はもちろんのこと「日の丸・君が代」を巡るあらゆる行政処分攻撃に対して、それは思想弾圧であり絶対に許してはならない攻撃としてたたかう。改悪教育基本法路線との全面的対決として、「日の丸・君が代」阻止をたたかい抜いていかなければならない。


  ●2 改悪教育基本法路線を粉砕しよう


 この免職―解雇も視野に入れた「日の丸・君が代」強制攻撃は、一昨年の教育基本法改悪と連動したものであり、その実態化に他ならない。すなわち、我々は今春攻防を一昨年の教育基本法改悪反対闘争の地平を継承したたたかいとしてたたかっていかなければならないということである。同時にそれはまた、日帝の推し進めようとしている「教育改革」との全面的対決として構える必要があるということでもある。

 極右反動であり戦後最低の首相と言われた安倍によって「教育改革」は推進されてきた。安倍は教育基本法の改悪と教育三法の改悪を労働者階級人民の反対の声を無視して強行した。これを安倍は「教育再生」「戦後レジュームからの脱却」等と自画自賛したが、先の参院選で大敗北し政権から逃亡することになる。この安倍の肝入りで発足した「教育再生会議」なるものも、命運つきたと言われている。そして安倍の後首相に就任した福田は失敗した安倍路線から距離を置くとされるが、いわゆる「教育再生」路線に関して特にこれといった意見を出しているわけでもない。それはまた、福田は安倍の「教育再生」路線に関して基本的に継承するという意志の現れである。ただ安倍みたいな一知半解の輩が「教育、教育」と騒がないという程度の差でしかない。

 また重要なのは、日帝ブルジョアジーにとっても「教育改革」は切迫した課題だということである。

 〇六年四月日本経団連は「義務教育改革についての提言」という文章を発表している。この文章で経団連は@画一的で均質的な教育からの脱却、A学校や教員が質の高い教育を目指して切磋琢磨すること、B学校や教員の取り組みを評価し教育内容の改善に結びつけることをこれまで提言してきたとし、そしてこれらを「『多様性』『競争』『評価』の観点から抜本的な改革を断行することを求めてきた」とする。そのうえで、具体的には公立学校の「@学校選択制の導入、A教員評価を含めた学校評価の実施・公表、B教育の受け手の選択を反映した学校予算配分の実施の三点について検討を深め」提言するとしている。

 一言で言えば、この「提言」は教育現場への市場原理―競争主義の意識的導入を主張しているのである。安倍が主張してきた「教育再生」は基本的にこの経団連の提言に基づいている。教育三法の改悪における教員免許更新制度の導入、学校選択制度、さらには全国学力テストの実施とその公表として具体化してきた。しかしその弊害も、東京都足立区における教育委員会―学校ぐるみの学力テストの不正として明らかになっている。

 しかし経団連は安倍の退陣以降の〇七年十二月五日、教育審議会のまとめに対してコメントを出し、これまで政府で確認された「教育改革」路線―すなわち安倍の「教育再生」路線を継承することを求めている。加えて、より一層の「学校選択制」と教員・学校の「切磋琢磨」さらには個に見合った教育を要求している。

 明らかに日経連―日帝ブルジョアジーの基本的要求として「教育再生」攻撃はあったのであり、けっして極右民族主義者安倍の個人的資質から導き出される攻撃ではない。であるならば、基本的に福田政権であろうとも「教育再生」路線―すなわち改悪教育基本法路線は継承されていくということであろう。

 この経団連の「提言」から、日帝ブルジョアジーは義務教育段階から教育の市場原理導入―すなわち意識的な教育格差の拡大を要求していることが見て取れる。

 そもそも日本の義務教育制度は、富国強兵政策のなかで兵士として最低限の能力を被支配階級に保障することが目的であったと言われている。弾の数を計算できるだけの計算力、上官に報告できるだけの文章力の保障が義務教育の目的だと言われている。一方で国家的エリートの育成を目的とすることで教育体制を整備していった。ある意味、教育政策―義務教育体制の確立は帝国主義国家としての存立基盤でもあったのである。

 現代のブルジョアジーにとっても、いわゆる「戦後民主主義教育」を解体し、流動的下層労働者群と一部エリートの育成が課題であることは明白である。義務教育体制を「多様性」「競争」「評価」によって複線型として再編することによって、意識的にエリートと非エリートを線引きしていくのである。「画一的で均質的な教育からの脱却」とは、まさに「戦後民主主義教育」を徹底した市場原理と競争主義の導入によって改編することの文章的表現に他ならない。

 昨今話題になった、東京都杉並区の和田中学校の有料夜間授業もこうした流れに位置付けられる。和田中学校では民間進学塾の講師を招き、成績上位者を対象にして夜間の中学校で有料の授業を行う取り組みが計画されている。東京都教育委員会は一旦はこれに反対を表明したが、直後に譲歩。石原の賛意もあり、公立学校ではじめてとされる取り組みが開始されようとしている。この夜間有料授業は全生徒もしくは理解力が遅い生徒が対象ではない。あくまでも「成績上位者」を対象にしていることに注意しなければならない。つまり全体の「底上げ」が目的ではなく、成績上位層のさらなる「引き上げ」が目的である。

 かつての「落ちこぼれ」の対義語として「吹きこぼれ」なる用語が吹聴され、露骨なまでの選別教育が喧伝され、経済力のある一部エリート候補生のみが手厚い教育を保障されようとしているのである。この杉並区和田中学校の有料夜間授業こそ日本経団連が言うところの「義務教育改革」の実態化の端的な例であり、今後恐らく全国的に波及すると思われる。

 これら「教育格差」の意識的拡大―すなわち義務教育段階からの選別教育は当然、内部矛盾を蓄積していく。この内部矛盾を「愛国心」でまとめ上げようというのが改悪教育基本法路線である。「教育格差」と「愛国心」が車輪の両輪として機能することによって、教育分野における戦争遂行体制を構築せんとする攻撃が改悪教育基本法路線である。「日の丸・君が代」強制攻撃はその路線の要として位置付けられているのである。


  ●3 教職員・市民・労働者の団結で闘おう


 一方、こうした「教育格差」は児童―生徒のみならず現場教職員の分断をもたらす攻撃である。市場経済主義―競争主義が貫かれている職場ではそれも当然であろう。むしろ、この教職員間の分断こそ「教育改革」の主目的とも言える。教職員間の「競争」「評価」によって教職員を個に分断し、教職員組合などの教職員同士の団結体を破壊することをもって、教育現場の支配を貫徹せんとしているのである。それは、日教組執行部の屈服以降も職場現場で頑強にたたかう教職員組合、「愛国心」教育とたたかう教職員の運動の最後的解体を策していることは間違いない。すなわち、かかる攻撃を跳ね返す意味でも教職員組合の断固とした堅持、職場でのたたかいを重視した職場団結の形成が必須の課題として浮上してきている。

 またかかる課題は正規職だけの団結ではなく、非正規雇用との団結をも視野に入れたたたかいに発展する可能性がある。

 昨年十二月十四日政府・与党による「教育の達人七千人プラン」なる計画が明らかになった。これは、現場の教員の負担を軽くし教育水準を向上させる目的で、定年退職した教員の再雇用や社会人経験者の活用として、非常勤講師を全国の小・中学校に七千人派遣する計画である。配置する非常勤講師は主幹が受け持つ授業の半分を肩代わりさせるということである。
 そもそも、他の教員に授業を肩代わりさせてまで設置しなければならない主幹教員とはどういう存在なのか、という議論もあるが、今回の非常勤講師七千人という動きは教育現場における非正規雇用の拡大政策として位置付けることができる。

 文部科学省は安倍の「教育再生」路線のもとで教員定数の増員を決めた。しかし、かつての「骨太の方針」では教員定数の一万人削減を謳っている。この方針矛盾の解決策として現場教職員の非正規雇用を意識的に位置付ける傾向にある。ここ数年は教職員組合対策の観点もからめて非正規雇用が積極的に導入されているのである。

 十二月十五日付け『東京新聞』の「七千人プラン」の記事では、「教員経験者は『即戦力』となり、必要に応じて柔軟な配置が可能。在職中の働きぶりを見極めて、質の高い教員を確実に確保でき…」「常勤ではないため、行政改革の方針にも抵触しない」と報じている。まさに、民間資本の非正規雇用と同様の「必要に応じて柔軟な配置が可能」という位置付けで教育労働者を確保しようとしているのである。「必要にして柔軟」とは簡単に解雇・移動できる労働力ということだ。民間よりも悪質なのは、「在職中の働きぶりを見て」という線引きであって、いわば「日の丸・君が代」に反対した教員や「愛国心教育」に反対した教員は最初から採用しないことを前提にしている点である。都立高校の再雇用予定者が、定年間際に「日の丸・君が代」に反対したことをもって内定が取り消しになった事実を忘れてはならない。

 こうした動きはけっして一過性の動きではない。すでに、教育現場では非正規雇用が拡大しており、主幹職の設置も併せて旧来の「校長・教頭と教員一般」という枠組みだけでは教育現場の状況を把握することはできない。

 すなわち、今後教育現場における職場団結の形成はますます意識的なものにならざるを得ないということである。正規―非正規の違いを見据えた上で、その分断すら乗り越える団結の有り様が問われてくるのは必至である。

 教育現場における教職員同士の団結こそが、「愛国心教育」「日の丸・君が代」強制のたたかいの重要な拠点であることは言うまでもない。これまでもそうであったが、「日の丸・君が代」強制とのたたかいは一部教員の突出したたたかいではない。不起立・不斉唱などのたたかいを有形・無形に支援する多くの教職員と市民・労働者が存在するのである。であるからこそ日帝国家権力と教育委員会は、これらたたかう教員を現場から排除し、孤立化させることこそ弾圧の主軸に据えるのである。職場における団結はもとより、地域住民としてたたかう市民・労働者と団結して「日の丸・君が代」強制に反対していことが問われるのである。不起立闘争をはじめとした、様々な戦術を駆使した大衆運動として「日の丸・君が代」強制とたたかっていこうではないか。


  ●4 2・10集会に結集して闘おう


 本年、東京都における「日の丸・君が代」攻防は重大な局面を迎える。強制に反対する教職員に対して免職処分がかけられようとしている。免職―解雇攻撃を絶対に許してはならない。

 「日の丸・君が代」強制とは、いまさら言うまでもなく「愛国心教育」攻撃そのものである。日帝のアジア侵略戦争で振られていた旗を教育現場に強制することは、侵略戦争を賛美し、再び子どもたちに銃を持つことを強制することである。「君が代」とは天皇制を賛美する歌曲である。天皇制が千代も八千代も、石に苔が生えるまで続きますようにという歌である。「貴あれば賎あり」。天皇制が続く限り差別は存続する。教育現場への「日の丸・君が代」の強制とは、子どもたちに差別を教え戦場に送る教育なのである。

 「日の丸・君が代」に教職員が反対することは全くもって正しい。そしてそのことによって下される行政処分は間違っている。いかなる処分であろうとも、「日の丸・君が代」処分は思想弾圧以外のなにものでもない。思想・信条はもとより宗教的自由すら認めないファシズム型弾圧そのものである。つまり教育現場のファシズム的改編攻撃そのものである。

 改悪教育基本法路線は「愛国心教育」と新自由主義的「教育格差」―差別・選別教育をもたらす。そしてこの路線は教育現場の分断支配とたたかう教育労働者の排除を本質とする。すなわち「愛国心教育」とのたたかいとは、たたかいかつ教育現場にこだわり団結を創造することで貫徹されるたたかいである。たたかう教職員を孤立化させてはならない。

 二月十日、東京中野のゼロ・ホールにおいて「都教委包囲ネット」が主催する「『日の丸・君が代』強制反対!処分撤回!2・10総決起集会」が開催される。全国からたたかう教職員が結集した昨年の12・22集会の地平を継承し、三〜四月の卒・入学式攻防に向けた大衆的意思統一として集会が組織される。我々は国際主義派として、この2・10集会を断固支持し連帯し共にたたかっていく。

 2・10集会に結集し、今春攻防をたたかおう!そして今春の「日の丸・君が代」攻防を突破口に、教科書採択攻防に向かおうではないか!我々は歴史教科書からの沖縄戦「強制集団死」削除問題で爆発した沖縄人民の糾弾の声を真正面から応えなければならない!そしてそれは、アジア人民の糾弾に応えるたたかいでもある。二千万アジア人民を殺戮した侵略戦争賛美を許すな!「教え子を戦場に送るな」の精神でたたかう教職員とともに、教育の戦争遂行体制構築を粉砕しよう!自国帝国主義打倒のたたかいとして、国際主義の真価をかけて今春「日の丸・君が代」攻防に勝利しようではないか!

 

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