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 ■改悪教育基本法の実働化を許すな!

 不当処分弾劾!

 闘う教職員と連帯し「日の丸・君が代」の強制に反対しよう!




 今春、東京都教育委員会は「日の丸・君が代」の強制に反対した教職員二十名に対し懲戒処分を下した。すでに九回の処分を受け、今春の卒業式でも「君が代」不起立で闘った根津さんに対しては停職六カ月という結果であった。東京都教育委員会は根津さんに対して免職―解雇を視野に入れた処分を策動していたが、当該教員と市民・労働者の闘いがこの攻撃を粉砕したということである。しかしながら不当処分であることに間違いない。われわれは「日の丸・君が代」強制反対に対するあらゆる行政処分を徹底的に弾劾していく立場から、根津さんに対する停職処分を糾弾していく。

 そしてこれらの処分が出される三日前の三月二十八日、日帝―文部科学省は新学習指導要領を告示した。新学習指導要領は本年二月に改定案が出されていたが、文部科学大臣の一存により急遽、「君が代」を「指導する」から「歌えるよう指導する」に変更された。これは改悪教育基本法の実働化に向けた攻撃であることは間違いない。明確に今春の卒・入学式攻防と連動した攻撃である。

 われわれは教育の戦時的・ファシズム的再編ともいうべき改悪教育基本法の実働化と断固闘っていく。教職員・市民・労働者の重包囲で「日の丸・君が代」強制と闘っていこうではないか。闘うアジア人民との連帯にかけ、日本帝国主義の侵略戦争清算・賛美攻撃と闘っていこう!「教え子を戦場に送るな」の精神で闘おうとする教職員と連帯し、改悪教育基本法の実働化を阻止していこう!



 ●1章 闘う教職員に対する不当処分弾劾!



 三月三十一日東京都教育委員会は卒業式の「君が代」斉唱時の不起立などを理由に、教職員二十名に対して懲戒処分を下した。解雇攻撃がかけられていた根津さんに対しては停職六カ月の処分であった。

 あくまでも不起立者ゼロを獲得目標とする都教委の思惑は今年も粉砕されたのである。そして根津さんに対する免職―解雇攻撃もまた、阻止された。都教委は根津さんに対して解雇―免職を出したくとも出せない状況に追い込まれたのである。これはまさに根津さんを先頭とする反「日の丸・君が代」闘争の大衆的勝利である。

 しかしながら、都教委は「君が代」不起立に対してあいも変わらない懲戒処分で臨んだことは間違いないのであり、例え解雇にならなかったにせよ六カ月の停職処分というのは重弾圧であることは間違いない。職場から半年も放逐されるということは、当該教職員に対して大きな経済的・精神的ダメージを与えることになることを忘れてはならない。

 今年の免職―解雇はなかったが、「日の丸・君が代」の強制に反対する教職員に対して懲戒処分が撤回されたわけでもなんでもない。また「不起立を何回しても解雇にはならない」と都教委が確約したわけでもない。確かに「君が代」処分で免職―解雇を出しにくくなったとはいえ、都教委の姿勢はなんら変わっていないのだ。今年度の解雇阻止とは、あくまでも「日の丸・君が代」強制を巡る大衆運動と当局―権力との力関係の結果としてみなくてはならない。すなわち、大衆運動が衰退すれば、すぐさま解雇恫喝が復活することは必至である。

 そもそも、「日の丸・君が代」処分で東京都が採用している累積加重方式とは、回を重ねるに従って処分内容が重くなるということである。その意味では、例え処分が訓告や戒告から出発しようとも、最終的には免職―解雇を振りかざしたものにならざるを得ない。それこそが累積過重方式の本質であろう。つまり、東京都の「君が代」処分がいかに軽微なものであろうとも、東京都は常に解雇―免職をちらつかせているのである。そしてその「伝家の宝刀」を抜くか否かの判断は、反対運動との関係が大きな根拠になる。教育委員会が「前例」だけで判断する時代は終わっていると見るべきである。すなわち、「日の丸・君が代」強制を許さないという大衆運動がないかぎり、都教委はいつでも免職―解雇を出すことができるということである。ゆえに、一切の「日の丸・君が代」処分を許してはならない、という立場に立った幅の広い運動が必要なのである。



 ●2章 08年闘争の攻防の特徴



 今年度攻防の特徴を提起すれば、その第一として「不起立者ゼロ」を獲得目標とする都教委の目論みを完全に粉砕したことが挙げられる。

 根津さんの闘いはもとより、少なくとも二十名の教職員が不起立もしくは反対行動を貫徹した。〇三年の「10・23通達」以降、数は減っているとはいえ確実に「日の丸・君が代」の強制に反対する教職員の闘いは継承され熾烈に闘われているのである。しかもこの二十名という数は、あくまでも処分が出された教職員の数であって、実際に反対行動をする、もしくはこの行動を支持・支援する教職員となるとその数はもっと増えるであろう。
 この闘う教職員が存在するという事実こそ、日帝が推し進めんとする「愛国心教育」、改悪教育基本法の実働化を具体的実践的に粉砕しているということを確認しなければならない。

 第二に解雇免職攻撃を阻止したことの意義である。

 これは根津さん自身の闘いもさることながら、多くの教職員の反「日の丸・君が代」運動総体が切り開いた地平である。

 本年二月八日東京地裁で「君が代」不起立を理由に再雇用拒否は違法だ、という判決が出された。これは都教委が「君が代」不起立を理由に退職後の再雇用を拒否したことを不当とする裁判であったが、原告の元教職員側の主張がほぼ認められる結果になった。また同様の裁判闘争として〇六年の通称「予防訴訟」と呼ばれる裁判でも、「『君が代』強制は違憲・違法」という判断が下されている。

 今回都教委が免職―解雇に踏み切らなかったことの背景には、これら裁判闘争の勝利があることは間違いない。都教委は根津さんを免職―解雇したとしても、当然起こるであろうその後の裁判闘争で勝利する自信がなかったのである。

 同時に根津さんの解雇問題において多くの教職員が「解雇反対」の声を挙げ、またこれに市民・労働者が合流することによって社会問題化していったことも根拠の一つである。

 すなわち根津さん自身の不退転の闘いと、裁判闘争を含む多くの教職員の反「日の丸・君が代」の闘いが結合することによって解雇は阻止されたのである。かかる地平がない限り根津さんの闘いは個として分断されたものとして、その勝利の意義は半減されたに違いない。けっしてそうではないことに、今年度の解雇阻止の闘いの意義はあるということを確認しなければならない。

 そして特徴の第三として、解雇攻撃は阻止したとしても停職六カ月を含む「君が代」不当処分は徹底的に弾劾されなければならない。

 停職六カ月とは半年間職に就くことを認めないということである。半年もの間「無職」状態を強要すること自体、精神的・経済的に大変な重圧である。これが教員生活のなかで一度のことならまだしも、二回・三回と強制されることになれば、それだけで十分な解雇攻撃である。否、あからさまな「解雇」ではない分、余計に悪質である。

 停職六カ月を最大とする今春不当処分は、明らかに思想・信条の自由に対する介入である。すなわち近代ブルジョア法の枠組みとも相いれないファシズム的弾圧そのものだ。

 「君が代」強制に反対した各教職員は式運営そのものを妨害したわけではない。管理職をぶん殴ったとか、ゲバルトで式場そのものを破壊しただとか、シュプレヒコールを挙げて式を混乱させたとかいうわけではない。ただ「君が代」斉唱時に起立しない、歌わないという形で自らの意志を堂々と表明しただけである。

 「日の丸・君が代」強制反対に関するあらゆる処分は徹頭徹尾不当である。われわれは今春二十名の教職員に対する不当処分を怒りをもって弾劾しなければならない。



 ●3章 改悪教育基本法の実働化を許すな



 今春「日の丸・君が代」攻防の最中、日帝―文部科学省は改悪教育基本法下における初めての学習指導要領を告示した。

 三月二十八日告示されたこの新学習指導要領には総則に「我が国と郷土を愛し」という文言が挿入され、小学校の音楽では「君が代」について「指導する」としていたものを「歌えるよう指導する」と変更されている。しかもこれら挿入・変更は二月の公表段階では明らかにせず、告示日直前に文部科学大臣の独断で強行されたものである。

 明らかに、改悪教育基本法の実働化の攻撃である。福田政権も極右民族主義者安倍の路線を継承して、教育の戦時的再編―ファシズム型再編に邁進しようとしているのである。しかもこの改悪は今春攻防の最中に強行されたわけであり、明らかに東京都の反「日の丸・君が代」攻防を念頭においたものであることは間違いない。

 学習指導要領に「歌えるよう指導する」と明記されたということは、児童―生徒が「君が代」を歌えるようにすることを義務化するということである。すなわち教職員のみならず、子どもたちにも「君が代」が強制される。その先兵になるのが音楽専科教員であり、今後音楽専科教員に重圧が集中することは明らかである。

 教職員の闘いを圧殺することができなかった日帝は、なりふりかまわない手法をもって、全教育現場に「日の丸・君が代」―「愛国心」教育を強制しようとしている。告示日直前に文部科学大臣の独断で学習指導要領に重大な変更が加えられるという事自体、当然起こるであろう反対運動の高揚を回避したいという思いの現れに他ならない。

 すなわち今回の新学習指導要領の改悪強行から見えるのは、追い詰められた日帝の姿である。教育基本法を改悪し、教育三法を改悪したが、一向に収まる気配を見せない反「日の丸・君が代」―反「愛国心」教育の闘いをにがり切った思いで眺めているのが日帝なのだ。

 日帝からすれば、教育基本法を改悪したのにそれが実現できないとすれば、〇六年の教育基本法改悪の意義の根幹にかかわる事態になってしまう。すなわち、日帝―権力サイドからしても改悪教育基本法の実働化は、その総括をかけた引くに引けない問題である。逆にわれわれからすれば、この実働化を阻止するということは教育基本法改悪反対闘争の地平を継承しこれを拡大させる闘いということになる。

 故に今後、教育の戦時的再編を巡る闘いは熾烈を極めるものになっていくことは間違いない。闘う教職員と連帯し、「日の丸・君が代」強制に反対する闘いを軸に、改悪教育基本法の実働化と闘っていこうではないか。



 ●4章 教育の戦時的再編を許すな



 侵略戦争遂行のための教育の再編攻撃とは、「愛国心」教育と一体のものとして教育の格差拡大―差別・選別教育の推進である。

 東京都杉並区の和田中学校における通称「夜スペシャル」と呼ばれる、有料夜間授業が世間の話題になった。この有料夜間授業の実態としては、思うように参加希望者が集まらなかったが運動部顧問が必死に生徒をかき集めてようやく成立したと言われている。この和田中の取り組みが差別・選別教育論議に一層の拍車をかけたことは間違いない。

 本年四月二十二日、第二回目の「全国学力テスト」が実施された。昨年の第一回目早々に足立区の学校で教員が子どもに正答を教えるというカンニングまがいの行為が発覚し、今回も事前に過去問題を学習させる等という明らかな「学テ対策」が発覚してもなお文部科学省はこの全国学テにこだわり続けている。

 文部科学省がその理由とする「学力調査」などは欺瞞と言わざるを得ない。「全国学力テスト」の本質は学校間競争の激化、強いては公教育における教育格差の拡大―差別・選別教育の制度・政策的導入であることは明白である。各都道府県教育委員会や校長・管理職はそのことを百も承知であるがゆえに、不正ギリギリの行為をしてでも学テの成績を上げることに躍起になっているのである。この「学力テスト」政策の行き着くところは、成績下位者の排除として作用することは明らかである。すでにアメリカ、イギリス等ではこうした傾向が余りにも頻発したために社会問題化し、学力テストは行われないようになっている。

 日帝は社会的底辺にあるものを救済する気がないように、教育格差の底辺にあるものを引き上げる気などさらさらないのである。日帝が推し進めようとしている教育政策は「全体の底上げ」などではなく、エリートと非エリートの徹底した線引きである。「戦後民主主義教育」を新自由主義―競争主義の徹底した導入によって解体―再編していこうというのが基本路線である。それは、いわゆる「戦後公教育」体制の解体―再編として表現されることになる。「全国学力テスト」や「ゆとり教育」路線から四十年ぶりの授業時間増への転換なども、そうした文脈でとらえることべきであろう。そして差別・選別教育が「愛国心」教育と一体のものとして貫徹されるとき、それは現代における教育勅語体制の完成となるのである。

 また、このような差別・選別教育―「愛国心」教育は 子どもたちだけの問題ではなく教職員に対しても強行されている。「学校序列化」とは教職員の序列化であり、教職員相互の関係を破壊していく。厖大な仕事量をこなす必要もあるなかで、職場としての教育現場はかつてなかったような分断された空気に支配されようとしている。職員会議の解体、中間管理職の導入、教員評価制度の導入などが職場団結を破壊する攻撃としてかけられてきているのだ。そのことによって現場教職員に多大な重圧がかけられ、自殺に追い込められる教職員も少なくない。昨今の教職員を巡る種種の問題は、日帝による教育現場の分断支配政策に本質的な原因があるのである。



 ●5章 「日の丸・君が代」強制と闘おう



 しかしこうした状況下おいても、「教え子を戦場に送るな」という日教組の精神を継承し、反戦を掲げ団結を求めて闘う教職員が断固として存在する。日教組中央の枠組みにとらわれず、教職員の権利と団結を守るべく闘う教組が存在することもまた事実である。

 教職員の団結形態としての教職員組合の存在は日帝の「愛国心」教育―差別・選別教育と真っ向から対立する存在でもある。この間の教育を巡る権力の攻撃は、この団結体の解体を目的にしていると言っても過言ではない。故に教職員が団結すること、共同した闘いを組織することこそが改悪教育基本法の実働化に対する痛打として位置付けられる。

 かかる観点で今春攻防を振り返れば、都教委は根津さんの闘いと教職員総体の闘いが今以上に結合することを恐れて解雇―免職を出すことができなかったと見ることができる。解雇―免職を強行することによって、全都に燎原の火のごとく教職員の闘いが広がることこそを最も恐れたのである。反「日の丸・君が代」闘争をこれ以上に大衆的にしたくない、という政治的計算が都教委側に働いたと思われる。逆に言えば、そうした状況が創出される可能性が、東京の教職員の現場にあったということであり、二十年にわたって闘い続けてきた教職員の反「日の丸・君が代」闘争の蓄積が「解雇阻止」という地平を切り開いてきたということでもある。

 すなわち、確かに改悪教育基本法下において教育現場は分断されようとしているが、闘う教職員組合は断固として存在し旗を守り抜いているし、反「日の丸・君が代」を頂点とする「愛国心」教育に対する闘いは多くの教職員の心を揺さぶり続けている。そのことは、分断支配を乗り越えた教職員相互の団結が一挙に広がっていく可能的根拠を指し示しているし、同時にそのこと自身が改悪教育基本法下における分断支配攻撃を打ち破っているということである。

 われわれはこうした現場教職員の闘いと固く結合して、反「日の丸・君が代」を闘っていこうではないか。そしてこの闘いは前衛的な諸個人の闘いではなく、あくまでも広範な大衆運動として闘われねばならない。「不起立」闘争を先頭としながらも、柔軟でねばり強い闘いが改悪教育基本法の実働化を粉砕していくのである。今春、東京都の教職員を先頭とする闘いがそのことを証明している。解雇阻止の地平とは、二十年にわたる多くの教職員総体が培ってきた闘いの地平である。

 そしてわれわれはこの反「日の丸・君が代」闘争を闘うアジア人民との連帯にかけて闘っていく。いうまでもなく、「日の丸」は侵略戦争時の国旗そのものであり、デザインを含めてなんら変わったところはない。つまり、侵略戦争を賛美し、その精神と思想を継承した旗であることは間違いない。「君が代」とは天皇制に忠誠を誓う歌である。いわば「天皇主権」を思想的に表現する歌に他ならない。われわれはかつて日帝足下労働者階級人民がアジア侵略戦争を阻止することができず、二千万アジア人民を虐殺していった負の歴史を痛苦にとらえかえし、再びみたびのアジア侵略戦争を必ずや阻止するためにも「日の丸・君が代」の強制と断固として闘っていかなければならない。そしてこの闘いを、闘うアジア人民との実践的・具体的連帯の闘いとしてキッチリ位置付けていかなければならない。反「日の丸・君が代」の闘いとは、その端緒が八〇〜九〇年代の天皇代替わり決戦であったように、間違いなく天皇制問題を内包した闘いである。そして改悪教育基本法体制が教育勅語復活であるということを視野に入れるとき、あきらかにアジア侵略戦争をいかにとらえかえすのかという、現在の日帝足下労働者階級人民の歴史的総括を問う闘いでもある。

 闘う教育労働者と連帯し、アジア人民との連帯にかけた反戦闘争として「日の丸・君が代」強制と闘おう。


 ●補足

 五月二十三日都教委は今春入学式で起立しなかった教職員二名に対して懲戒処分を出した。これで、〇三年の「10・23通達」以来、処分が出された教職員は延べ四百十人に達する。不当処分を弾劾し、闘う教職員と連帯していこう!

 

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