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   現代日本の保守主義批判―歴史・国家・憲法」温暖化

                          伊藤述史著  お茶の水書房(2008年8月)




 残暑が厳しかったこの九月、ある同志にすすめられて、『現代日本の保守主義批判』という本を、汗をかきかき読んでみた。ことし八月に御茶の水書房から発刊されたばかりの本である。著者の伊藤述史(敬称略)は五十代半ばの気鋭の政治学者である。本の内容はそのタイトルどおり、現代日本に台頭するナショナリズム、そのにない手としての「現代保守主義」(伊藤)の特徴を明らかにし、その本質をえぐりだそうとするものだ。論述は現代保守主義の歴史観や国家論などへの批判から、国家や国家主義への統合に抗(あらが)う思想や戦略の提言をも含んでいる。全体として学術書風の展開であり、難解な箇所も少なくない。それでも、意外と読みやすく思えたのは、章を短く区切る独特の工夫された論文構成のせいか。そしてそれ以上に、ここで展開されている内容が、時代状況や私たちの問題意識ともフィットしているからであろう。

 資本の運動がグローバル化する他方、国家の障壁はますます堅固になり、壁の内側では自国民を排外主義的に統合しようとする動きが強まっている。まさに『新自由主義』の著者、D・ハーヴェイが指摘する「新自由主義国家に内在する不安定さに対する回答としての新保守主義」の「台頭」といわれる事態である。そうした新たな保守主義は、現代日本においてはどのような特徴をもって頭をもたげてきているのか、またそれらは、どのような言説をもって人々のあいだに影響力を広げていこうとしているのか―これは私たちにも大いに関心のある問題である。

 二十一の章からなる本書は、「第一部 歴史と国家」「第二部 現代改憲論」の二つの部分から構成されている。第一部で「現代保守主義」の基本的な性格がさまざまな面に光を当てて描写され、第二部ではその具体的な現れ・適用としての現代保守主義による憲法論・改憲論が批判されるという構図となっている。論述のなかでは西部邁、佐伯啓思、坂本多加雄、中西輝政、藤原正彦…といった保守派「論客」の面々の主張が具体的に取り上げられ、それらの特徴が分別され整理されたうえで、ていねいな批判が加えられている。現代日本・保守主義の主張の全体像を俯瞰(ふかん)するうえで格好の著である。



 ●グローバリゼーションとナショナリズムの相互規定的な関係


 現代の保守主義はグローバリゼーションの産物である。本を読んで、あらためて想起させられるのはこのことである。この点に関連した論述は、本著のあちこちに散見される。たとえば冒頭部分では「現代保守主義が台頭してきた要因」として次のように記述されている。「現代保守主義の台頭は、冷戦後のグローバリゼーション、あるいはネオ・リベラリズム(新自由主義)の潮流に沿った親米保守政権による構造改革路線の推進と関連している」(以上P5)。つまり、日本においてもグローバリゼーションの動向に遅れまいと、小泉政権などの保守政権が新自由主義・構造改革路線を実行してきたが、それは日本社会に見過ごせないほどの亀裂をつくりだした。「そこで社会的統合を回復するために高まってきたのが、現代保守主義の言説である」というのである。日本の「国家支配層」にとって、「社会的統合を回復し」「国民国家としての一体性を確立する」ことは、「国際社会における国益」(以上P6)を追求していくために絶対に不可欠である。支配階級にとっては、この問題はまさに死活的な意味をもつ。そして、この「社会的統合の回復」「国民国家としての一体性の確立」の課題を、支配階級の走狗として引き受けているのが現代保守主義であり、その手に握られている武器がナショナリズムなのである。グローバリゼーション(世界化)の時代とは言いながら、支配階級にあっては、「国民」や「社会」を統合していく切り札は、あいも変わらずナショナリズム(民族主義)でしかない。「帝国主義の時代」と一般に呼ばれる二十世紀初頭の時代と何ら変わるところがない。

 ここで著者に学んでおさえておくべきは、グローバリゼーションとナショナリズムは機械的な「二項対立」関係にはないということである。たしかに、「国民国家の統合はグローバリゼーションの波のなかで侵食され、これに抗してナショナリズムが国民国家の統合の回復を叫んで台頭してくる」(P15)。ナショナリズムが「グローバリゼーションの波」に対抗するかたちで勢いづいてくるという限りで、両者は対立の相を示す。だが、問題はそれほど単純ではない。伊藤によれば、他方で、「グローバリゼーションとナショナリズム」は「表裏一体の関係」にあり、「グローバリゼーションはナショナリズムを媒介として拡大」(以上P16)していくのである。グローバリゼーションとナショナリズムの一見、固定的に対立し合っているように見える関係の背後には、両者の相互規定的な関係があることを著者は鋭く指摘している。



 ●「祖国のために死ぬこと」を求める保守主義


 第三章以降、第十二章までは、現代保守主義がふりまく言説の特徴について詳しく展開されている。保守主義者たちはこんな主張をしていたのかと驚かされる点も多い。現代保守主義は「国家支配層が唱える親米的な言説と、親米保守政権に対抗する在野の反米ナショナリストの言説」(P6)の二つに分けられるというのが著者の見解である。大きく分けて「親米」と「反米」である。近年、頭角を現してきているのが「親米保守政権に対抗する在野の反米ナショナリスト」たちである。この本では後者を代表する西部邁、佐伯啓思などの言論に焦点があてられている。

 こうした人物たちの主張は、現代の保守主義者としての「現代的特徴」をおびてはいるが、しかし、その結論とするところは、時代を少なくとも第二次大戦での日本の敗北以前にまで引き戻そうとするものであり、言葉の真の意味での「反動」「復古」である。そこには過去の「保守主義」と本質的に区別される新しいものは何もない。どんなナショナリストも多かれ少なかれ、日本民族は不変・固有の傑出した伝統・文化をもつ世界に冠たる優秀な民族であると主張する。戦前にはそれが、天皇制ファシズムのもとでの日本民族を中心とした「五族協和」「大東亜共栄圏」などの侵略思想に凝固した。そこにおいて対決すべき対象、超克すべき対象として意識されていたのは西欧的文明・西欧的近代であった。伊藤によれば、現代の保守主義もまた、「西欧的価値観を日本の歴史的経験や伝統とは相容れない、まったく異質なものとして捉え」「西欧的価値観を否定的に評価し」ている。そして、「西欧から日本に移植されたとされる理性主義、進歩主義、ヒューマニズム、近代主義、あるいはこれらに基づく技術的な論理性、合理性に対して、日本に固有の歴史や伝統、道徳などを対置する」ことが、「現代保守主義の一貫した方法である」(以上P24)という。

 現代保守主義にとって、日本の戦後史は対米従属の歴史であり、まさにこの「西欧的価値観」によって守られるべき日本の固有性が破壊されてきたという恥辱の歴史である。そこから本来の日本のあるべき姿を取り戻していくということがかれらの本質的なテーマとなる。伊藤は次のように指摘して言う。現代保守主義には、「日本の戦後は戦前までの歴史的な遺産をすべて見失ってしまったという認識がある。現在の日本の政治、経済、社会の衰退、日本人の精神の荒廃はこのためであり、日本の再建のためには戦前までの歴史的な遺産を見直し、これを回復しなければならないというわけである」(P107)。

 現代保守主義がもっとも恐れているのは、「歴史の切断」であり、そのことによって「国家意識の衰退」が進み、国家が空洞化していくことである。国家こそ、かれらの至上の価値である。たとえば「佐伯は『国家が解体したり衰弱すれば、個人も空中分解してしまうであろう』と述べるが、国家がなければ個人の人格的統合もなし、というわけである」(P114)。西部は「国家のためにならば『死を選ぶ』こともありうべし」(P131)とさえ言う。

 現代保守主義が国家のうちに求めているのは、「不変的で均質的な実体として」(P33)の歴史や伝統という「精神的な共同性」(P107)である。その中心には天皇がすわる。そうした国家を支えていく国家意識にあふれる「国民」を形成していくことが、現代保守主義の至上命題である。

 さらにこの本では、現代保守主義の大衆観、民主主義観、グローバリゼーション批判、地域・コミュニティへの関心、倫理・道徳の重視などの問題が多岐にわたって語られている。興味深い内容もたくさんあるが、ここでは、その紹介については割愛せざるをえない。



 ●戦後憲法は「無国籍憲法」と批判する保守派


 第二部の内容は「現代改憲論」批判である。日本の支配階級にとって改憲とは、戦後史の右からの修正・清算であり、これをばねにして帝国主義国家としての再強化をはかろうとする総路線としての意味をもつ。それは戦後的価値観や規範に対する激しい攻撃を不可避にともなう。本書では、九つの章に分けて現代保守主義の改憲論が批判されている。現代保守主義は「戦後憲法を、抽象的な理念に基づく無国籍な憲法であると批判」(P207)しており、「押しつけ憲法」論の立場から「戦後憲法成立の正当性」を問題にし、現行憲法の「平和主義」「立憲主義」を槍玉にあげる。そして憲法前文に「日本固有の国柄」「国民の義務の規定」などを入れるべきこと、また第九条に、「国家の自衛権と自衛軍の保持を明記する」(P229)ことを強硬に主張する。著者の伊藤は、こうした現代保守主義の改憲論を包括的に批判している。そして現行憲法に内包された「平和主義」「国民主権」などの理念を擁護しながらも、それにとどまらず、「国境を越えた諸人民の連帯を形成していくこと」(P254)が重要という観点に立って、それらを発展させていくべきことを問題にする。平和主義も国民主権も、あるいは国民さえも一国的な、ナショナルな枠組みでとらえられるべきではなく、憲法がうたう平和主義・国民主権の理念は「国境を越えた諸人民の連帯」をとおしてはじめて実現できることを大胆に主張している。改憲論批判はおうおうにして現状保守という陥穽(かんせい)におちいりがちである。ここにはそうした限界を超えていく積極性が示されている。

 以上、非常に雑駁ではあるが『現代日本の保守主義批判』の内容の一端を紹介してきた。この本は、いま現実に進んでいる事態―ナショナリズムの鼓舞によって労働者人民を帝国主義的膨張の道に統合していこうとする支配階級の動きに、いかに抵抗・対抗していくのかを考えていくうえで示唆に富む。焦眉の課題である改憲論批判を深めていくためにも役立つだろう。ぜひ手に取って読んでみることをおすすめする。

 

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