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  ■全国から岩国現地へ総力決起を!

  09・岩国労働者反戦集会の成功に向けて奮闘しよう





 米軍再編をめぐる動きが、急激な展開を遂げている。

 十一月八日、沖縄では「辺野古への新基地建設と県内移設に反対する県民集会」が開催される。そして十一月二十八―二十九日、岩国現地では、愛宕山フィールドワークと住民交流集会、〇九岩国・労働者反戦交流集会、女性企画、青年学生の前夜祭、岩国国際集会、米軍基地抗議デモなど、多彩な現地闘争が行われる。

 米軍再編がゆれに揺れているこの時期、米軍再編、日本帝国主義の戦争動員と闘う階級的労働運動、労働者反戦闘争の前進は、きわめて重要な位置を持っている。

 全ての先進的労働者に、ともに決起し、闘いを前進させるために連帯することを訴える。



  ●1章 揺れる米軍再編。反基地闘争の高揚


 米軍再編が、日米政府による協議のテーブルに乗ったのは、二〇〇二年のことである。二〇〇一年に起こった9・11事件を起点≠ニして、米軍再編の本格的検討が始まったと言われている。二〇〇二年八月の米「国防報告」は、「テロへの先制攻撃」をうち出した。これを前後して、〇一年十月に米英軍によるアフガニスタン空爆が開始され、続いて日本は十一月に「テロ特措法」を制定し、米英軍と一体化した後方活動として、インド洋での給油活動を開始した。

 しかし今、世界では仕組まれた「テロとの戦争」≠ナあった、という事実がボロボロとこぼれ落ちはじめている。アフガン戦争の「不朽の自由作戦」(〇一・十)は、9・11事件の数年前から準備されていた事実が明らかとされ、またイラク戦争の根拠となった「大量破壊兵器」は今日に至るも発見されてはいない。アフガン・イラクの政情や治安は悪化・泥沼化し、度重なる増派を繰り返しながら、軍隊は腐敗し、無差別殺戮と人権抑圧が深まる一方である。確実なのは、当時、この戦争を遂行したブッシュやチェイニーなど、米支配層たちの関連企業が大儲けしたことだけが、事実として存在している。

 米支配層たちのイカサマ≠ヨの怒りにとどまらず、今、生み出され始めているのは、米帝の利益となれば、世界中のどこへでも先制的に戦争攻撃、すなわち侵略戦争を仕掛けられるということへの怒りであり、この戦争遂行を支える米軍再編への怒りである。

 先日の衆議院選挙における民主党の地すべり的な勝利、政権交代は、小泉政権以降の「構造改革」という自己責任(社会的保障の切り捨て)≠ニ弱肉強食(底辺への労働者間競争)≠ェもたらした貧困と雇用・生活破壊への怒りを背景としたものであったが、沖縄や岩国に見られるように、米軍再編による基地強化ありき・戦争国家化ありき、に対する民衆の怒りを示すものでもあった。
 九月になって民主党政権の組閣がはじまり、社民党・国民新党との連立政権としての政策検討がはじまったが、それを後押しするように、矢継ぎ早に、米軍再編現場からの闘いが活発化している。

 九月二十六日には、神奈川で三千五百名が結集し、「空母母港化三六周年・原子力空母ジョージ・ワシントン横須賀基地母港化一周年抗議・原子力空母配備撤回を求める九・二六全国集会」が開催された。関東を中心とする自治労、国労、東交をはじめとする都市交、私鉄、各県の教組、全水道、全国一般なんぶ等の中小労組、全港湾等の労働組合、部落解放同盟、神奈川を中心にする市民団体等が参加し、公園を埋め尽くした。

 沖縄では、米オバマ大統領来日を前に、十一月八日、「辺野古への新基地建設と県内移設に反対する県民集会」が数万人規模で行われようとしている。一九九七年の名護市民投票で、海上ヘリ基地建設拒否の住民の意思が示されて以降、「海上ヘリ基地建設反対・平和と名護市政民主化を求める協議会」(略称「ヘリ基地反対協議会」)を軸にして、辺野古への新基地建設阻止の闘いが続けられてきた。民主党は、十月三日、前原国交相が「辺野古への移設は疑問」との見解を表明、九月二十四日の訪米の際には「県外移設」を主張していた鳩山首相は、アメリカ国防省からの圧力に動揺し「結論先送り」を打ち出し、民主党政権は揺れている。動揺する民主党政権につけ込み、オバマ政権はゲーツ国務長官を通し、沖縄新基地建設への圧力を強め、早くも岡田外相が弱音を吐いている。

 そして戦前戦後七十年余にわたって、軍事基地との共存≠ノ耐えてきたかに見えていた岩国においても、二〇〇六年の岩国住民投票以来、米軍再編による岩国基地強化に対する怒りの闘いが噴き出している。いま岩国住民たちは四つの裁判を起こし、神奈川から岩国への艦載機移転の差し止め、移転に伴う米兵(家族)の米軍住宅や施設建設による基地拡大の拒否、さらには四百七十六名の爆音訴訟など「静かな夜を返せ」と米軍基地そのものへの疑義を投げかけている。具体的には、岩国爆音訴訟の空≠フ裁判、沖合移設事業埋立承認処分取消請求訴訟の海≠フ裁判、愛宕山開発事業認可取消処分取消請求訴訟の陸≠フ裁判、市長協議報告書非開示取消請求訴訟のテーブル≠フ裁判がうちそろい、今年九月には、四原告団連絡会議を結成した。沖縄における新基地建設を断念させる闘いのうねりと結合し、岩国においても、新政権に対する「米軍再編を見直せ」という猛追が始まっている。

 今、こうして繰り広げられている攻防は、改憲と戦争国家化の実質化としてある米軍再編を破たんさせていくのか、危険水域に入っている戦争動員の道に屈するのかをめぐる、歴史的な節目となっている。全人民的政治闘争、労働者人民の反戦反基地の闘いを強化していく好機を逃さず、国際的な反帝共同行動の前進、日本帝国主義打倒を実現する階級闘争を成長させていくことが先進的労働者には要請されている。とりわけ、米軍再編攻防の中で、登場してきている労働者反戦闘争に注目していくことが必要となっている。



  ●2章 進む戦争動員と労働者。戦後の反戦闘争


 米軍再編は、改憲と戦争国家化を実質化するものであるが、それまで「平和であった日本がアメリカの戦争に巻きこまれていく」というような単純で一方的なものではない。

 米軍再編の背景には、帝国主義世界の野蛮な仕組みでもって、いっそう暴力的に略奪的に世界を覆いつくそうという巨大独占(多国籍)資本の要望が存在している。「世界の警察」としての米軍事力を背景に、アメリカの世界的金融支配と投機(金融グローバリゼーション)を推し進め、世界経済を回していくという現代の資本循環≠ニでもいうべき流れが、とりわけ戦後には形成されてきた。昨年からの恐慌は、これらが袋小路に入り、根本的に崩れつつある危機的な事態をあらわとするものであったが、それ以前から、過剰に発達したアメリカ戦争産業を背景に、アジア・中東をはじめ資源・市場の略奪と支配をめぐる米帝の侵略的野望と構想は、絶えることなく続いてきた。

 戦後の日本の政治・経済は、まさにこのような戦後米帝支配の中で復興し成長してきたのであり、それを間近に見ながら、戦後日本の労働運動・反戦闘争は担われてきた。新たな労働者反戦闘争を見ていく前に、戦後の反戦闘争を規定してきた要因を見ていこう。


  ▼@節 常に侵略戦争の下にあった日本

 「平和な国・日本を守れ」という主張がある。現状の日本社会のある層の断面からみれば、一つの率直な要求・願いだろう。しかし歴史的に見れば、戦前、日本帝国主義は侵略戦争の直接当事者であったが、帝国主義戦争に敗北した戦後も、日本の戦後復興の政治・経済は、アメリカ帝国主義のアジア侵略反革命戦争と強くつながって形成されてきた。しかも、単に米帝に強要されたのではない。数次にわたるアジア・太平洋侵略戦争の統帥者でもあった天皇が、米帝に要請し、作り上げた道筋である。

 一九四五年八月十五日以前に、当時の日帝支配層は、断末魔の状態にあったといっていい。日帝が、欧米との植民地略奪戦争を繰り広げていたのはアジア・太平洋地域であり、この多くの地域で、反帝民族解放勢力による抗日活動に帝国日本軍は敗退していた。日本国内においても、厳しい治安弾圧体制下であるにもかかわらず、国内生活の窮迫もあって、抑えようもなくサボタージュ活動(例えば、四一年川崎造船所三千五百名サボタージュ、富士通信機スト、四三年朝鮮人工夫の大規模スト、小作争議、農民の供出拒否…)などの反抗が拡大していた。四五年二月には、近衛文麿が「敗戦より共産主義革命を恐れる」と天皇に上奏文を出している。

 敗戦を前後する二十年間(一九四〇〜一九六〇)は、戦後世界における日本帝国主義の生き残り、日米安保同盟に示される国際的性格を決定する、支配階級と労働者人民との攻防の一時代である。

 天皇制・帝国官僚・独占資本によって構成される「国体護持」のために、天皇をはじめとする支配層は、戦争末期には、沖縄戦、あまたの大規模空襲、広島・長崎への原爆投下を引き起こし、戦争災禍を民衆の頭上に降りそそぎ、反抗の芽を摘むとともに、自らの延命交渉の条件づくりとした。日帝支配層は、敗戦となるや、米帝への沖縄売り渡し、広島・長崎の被爆者の声の圧殺、米軍基地接収と駐屯に対する反基地闘争圧殺、戦後労働運動の破壊のうえに、米帝による朝鮮戦争に全面協力し、兵站拠点としての役割を米帝に実証するために血道をあげた。日帝支配層は、占領米軍の銃剣による弾圧・支配を助けに、五五年体制といわれる戦後支配体制を作り上げ、中心帝国主義・米帝の血にまみれたアジア覇権が確立する中で、その上に日米安保体制(一九六〇〜)を構築した。

 侵略戦争を推進した支配構造は、戦前から戦後へと一貫して生き続けてきている。戦前においては「大東亜共栄圏」なる日帝単独の侵略・植民地化が目指されていたが、戦後は、米帝によるアジア侵略反革命戦争の兵站拠点となりながら、米帝のアジア支配を背景に、経済的侵出を繰り広げてきた。日本の政治・経済・社会は、常に帝国主義の侵略戦争とともにあったのである。朝鮮戦争への協力から、米帝・米軍の本格的な兵站拠点とせんとする対日軍事援助(MSA)の時期(一九四九〜五六)には、全港湾による荷揚げ・荷積み拒否闘争、合化・全日通・鉄鋼労連のスト、日鋼赤羽のPD工場や米軍基地スト、全駐労十六万人ストなどが行われ、米軍による銃剣と日本資本家によって大弾圧が行われている(同時期、沖縄では軍事基地反対闘争において基地内で二十三名が射殺されている)。これら闘争主体は処分対象(レッドパージ)となり、左派労働運動拠点は経営・権力・二組の連携した攻撃で次々とつぶされ、御用労組へとすげ替えられていきながら、六〇年代の日韓闘争、ベトナム連帯闘争、七〇年安保闘争へと、脈々と反戦運動は闘い継がれていった。

 現在の状況は、階級闘争の攻防の歴史の結果である。日本の先進的労働者は、この強大な支配との闘いを挑みつつ、今日に至っている。しかしながら、それは左派少数派運動へと不断に打ち砕かれてきた。戦争動員が新たな段階を迎えている今、労働者反戦運動の大衆的な再生は、日本の労働者人民の現在と未来にとって、極めて重要な意味を持っている。


  ▼A節 戦争動員は新たな段階に入っている

 日本労働者人民への戦争動員攻撃は、二〇〇〇年を前後して新たな段階に入ってきた。兵站拠点にとどまらない共同軍事行動への転換である。

 一九九六年には、朝鮮半島有事に際しての「日米協力のあり方」として、日米防衛協力指針(日米ガイドライン)が締結され、一九九八年の「周辺事態法」によって、地理的に極東に限定されない日米安保の再定義が、日本の国内法においても整備された。二〇〇〇年には、アメリカの要請(アーミテージレポート)で、有事関連法案が準備されていった。詳しくは触れないが、コンセプトは、米軍とともに世界中どこへでも自衛隊が戦争遂行できるというものである。その内容たるや、米軍は何者にも拘束されず自由に部隊展開し、「物品・施設または役務の提供、その他の措置」を受けられるとしている。そして他方、自治体や企業・住民など、日本は軍官民をあげた戦争体制に組み込まれ、拒否をすれば法違反として罰せられ、政府や自衛隊軍が直接、執行を強制できることをうたっている。

 ソ連・東欧政権が崩壊し、ベルリンの壁が崩れ、中国やベトナムが改革開放政策へと舵を切ろうとしているこの時期、なぜ日米安保の範囲が拡大し、日本の戦争国家化が進んでいったのか。この時期の、もう一つの特徴は、グローバリゼーションの障壁の突破≠竍メガ・コンペティション(大競争)≠ノ象徴される日米欧の巨大資本の多国籍化と資本間抗争の激化である。それによってもたらされる帝国主義権益の防衛と再分割抗争である。それは典型的には、戦争産業と石油権益のために、米帝によるアフガン・イラク戦争として現れた。先述したようにアフガン戦争、あるいはイラク戦争も、9・11事件の数年前から準備されていた歴史的事実が明らかにされつつある。

 二〇〇一年、日本では「テロ特措法」が制定され、十一月には、自衛隊がインド洋での給油活動≠ニいう米軍戦闘展開の後方活動に入り、実際的な戦時体制に入っていく。〇三年には有事関連三法が成立、翌〇四年には、現代の国家総動員法である「国民保護法」が制定され、国は各地方自治体や指定公共機関に対し有事対応計画≠作成するよう求める動きに入った。アフガン・イラク戦争での米軍と自衛隊による一体的な戦闘は、兵器備品の補充・修理・運搬などの労働に、すでに日本の労働者たちが動員されていることを示している。憲法九条改憲があれば、戦争遂行国家化は堰を切ったように日本社会を覆い尽くすだろう。

 しかしながら、それと反比例するかのように、例えば、一世を風靡した「三十六歳フリーター。希望は戦争」という論争に見られるように、反戦闘争の現実性が見えなくなっていく事態が進行した。

 戦争動員の新たな時代を反映するいくつかの出来事を見てみよう。

 一つは、広島である。今年八月六日、「核武装」論者の前空自幕僚長・田母神俊雄が「日本会議広島」の講演集会(千三百名)において「広島市民として再び核兵器の犠牲者とならないために何をなすべきかを考えよ」と論じるというキナ臭い%ョきがうごめいた。米オバマ大統領の「核なき世界」宣言やノーベル賞受賞に広島市はわいているが、「平和都市広島」はきわめて危うい状況にある。広島では、九〇年代後半以降、「教育正常化」の名の下に、戦後、被爆教師による生徒への体験語りから始まった全国有数の平和教育は、破壊され荒廃の一途を辿らされてきた。また戦前軍都≠ナあった広島は、戦後も米帝のアジア侵略戦争の兵站基地であったが、ますます軍事拠点としての性格を強めている。爆心地から遠くない呉港までは、海上自衛隊の全艦船中の四分の一が集結する軍事施設が密集している。海自最大の潜水艦基地があり、海外派兵の有数拠点としてアフガン・イラク戦争での米軍艦艇の燃料補給艦を送り出してきた。少し足を伸ばせば、米海兵隊と海自の航空部隊が駐留する岩国基地が存在している。山口県上関では、住民たちの強い反対運動にもかかわらず原発が持ち込まれようとしている。しかし、原水禁運動などを実質的に担ってきた労組は、総評解体以降、本格的に戦争と対決しなければならないこの時代に、弱体化する一方となっている。

 もう一つは、総評解体以降の日本最大のナショナルセンターである連合の動きである。今年の連合定期大会(十月八―九日)は、壇上に民主・社民・国民新党など政権与党の閣僚が並び、政権との太いパイプを示すものとなった。大会では、松下電器産業(現パナソニック)労組委員長から電機労連委員長を経て連合事務局長を務めてきた古賀伸明・新会長が就任。新事務局長は、東京電力労組出身の南雲弘行・電力総連特別執行委員がなった。連合の中心を占める大企業労組は、戦後一貫して「労働者の利益は企業の発展によってもたらされる」とする労使協調・生産性向上路線を推進し、日本の左派労働運動と対立してきた。電機・電力体制≠ニいう新執行部の下で、原発関連業界の意向に沿った原発推進が語られ始めており、また海外に広がる企業権益、国内における大企業本工利益を代表する動きが強まることが予測される。

 また「在日特権を許さない市民の会」のような草の根ネット右翼≠ネどと称する排外主義運動が台頭し始めている。これらは日米地位協定や思いやり予算などによる在日米軍の特権には一言も触れず、在日朝鮮・韓国人やフィリピン人など、弱い立場にある滞日アジア人を標的にし、社会的排除を公然と主張するものである。弱肉強食∞優勝劣敗℃ミ会が進む中で、より弱者を痛めつけることで溜飲を下げるというような風潮が広がり、その正当化として、歴史歪曲と侵略戦争賛美が行われている。


  ▼B節 戦争動員の背景である日本独占資本の海外権益

 この間、見られた象徴的な事態をいくつかあげてきたが、これらの背景には、国内労働者・農漁民を切り捨てて、アジア―海外での略奪的権益を拡大する日本帝国主義―独占資本の経済的基盤がある。

 昨年の金融恐慌以来、企業再編が活発化してきた。世界的には、リスクマネーの枯渇から、M&A(合併・買収)は低調だが、日本では多様な産業で大型再編が進んでいる。例えば、キリンホールディングスとサントリーホールディングスとの統合計画。素材分野でも、三菱ケミカルホールディングスが三菱レイヨンを買収。半導体ではNECエレトニクスとルネサステクノロジが統合する。これらは、アジア―海外での権益争奪戦をより大規模にすすめるための、企業のグローバル展開をにらんだものである。綿紡績は国内能力八割減をうちだし、来年度に量産品撤退、インドネシアなどアジアへの移管を行うことを明らかにした。経済産業省では、アジアや中東地域で、インフラ関連の受注をめざす日本企業への包括的支援をうちだした。縮小する市場をめぐる争奪を見越して、日本独占資本の再編成が加速している。鳩山政権は、東アジア首脳会議(サミット)において、「東アジア共同体構想」を打ち出して、これらを裏づけた(十月二十三―二十五日)。

 製造業大手は、アジアでの収益急回復を実現し、三井物産などは千五百億円を越える海外利益を還流させているが、これらの企業収益・権益をどのように防衛するのか、という声が大きくなるのは時間の問題である。日本では失業率が史上最悪を記録し、労働者は経済的危機の実感の渦中にあるが、この不安感につけこんで、日帝―独占資本の権益拡大によって、自らの困難が突破できるかのような幻想が、マスコミや右翼、そしてまた労働貴族たちによって振りまかれているのである。



  ●3章 米軍再編反対闘争と労働者反戦闘争の新しい動き


 新たな段階へと入ってきた戦争動員攻撃を前に、日本労働運動は重要な局面に立たされているといっていいだろう。にもかかわらず、九〇年代以降、連合指導部によって地評・地区労の解体が進められ、反戦平和闘争の基盤が弱り、その全国的機能は後退していっている。

 しかしながら他方で、先進的労働者・労働組合の闘いによって、各地区における反戦闘争の継承と、新たな反戦運動の形成をめぐる努力が進められてきた。とりわけ着目すべきは、米軍再編や戦争動員に対する労働運動を基盤とする反戦・反基地運動が、それぞれに連携性をもって登場しつつあることである。それらはまた、帝国主義の危機の時代に対応した戦争と貧困≠ヨの反撃や国際的な共同行動を、労働運動の内在的な課題しつつ登場してきている。

 この新たな動向を捉えていくために、簡単に戦後日本労働運動と反戦運動について振り返ってみよう。


  ▼@節 戦後日本労働運動と反戦運動

 紙面の関係上、きわめて大雑把に整理すると、日本における労働者の反戦闘争は、戦後における朝鮮戦争から六〇年安保までの第一波(戦後高揚期)、ベトナム戦争から七〇年安保までの第二波(総評労働運動下)、そしてイラク戦争や有事法制を経て現在の米軍再編の中で生み出されようとしている現在の第三の波(総評解散以降)がある。

 前述した日本の戦後支配の性格から、日本労働運動にとって反戦闘争は重要な位置を持ち続けてきた。しかしながら、日本帝国主義―独占資本という「国体」を打倒し、アジア―世界の闘う民衆とともに、帝国主義世界から社会主義世界へと舵を切る労働者・民衆の権力樹立を視野に入れた階級闘争の構築と結びつくことはできなかった。

 まず、戦後高揚期から六〇年安保の反戦運動を見てみよう。

 炭鉱の朝鮮人・中国人労働者の暴動が口火となって、爆発的な勢いで拡大した戦後の労働運動は、独占大企業や報道機関への戦争責任を追及し、軍需物資をため込んでの資本家どもの生産サボタージュと闘い、次々と労組を結成し、生産主体・社会主体としての労働者の権利を拡大していった。しかし米帝・占領米軍は、これを黙って見てはいなかった。米よこせ闘争、食料メーデー、生産管理闘争が拡大し、四六年秋には、国鉄首切りを発端に、東芝・新聞通信・全炭などによるストライキが三百万人に拡大。この流れを堰きとめるために、翌年四七年、占領軍マッカーサーによる二・一ゼネスト中止指令を皮切りに、激しいレッドパージ弾圧を行った。朝鮮戦争の遂行、停戦以降の本格的アジア侵略反革命戦争の兵站拠点としての日本産業の軍事化(MSA)、日米安保条約の締結という政治的流れが背景である。

 米占領軍は、戦争兵站として日本の生産協力を安定的に確保することを不可欠としており、それは日本の資本家階級にとっても、生産・流通の独裁的経営権を立て直すなおすために、願ってもない方向だった。占領米軍の暴力支配をバックに、逮捕・拘束・解雇などによって、戦闘的な労働組合つぶしが進められ、ストライキばかりか集会すら禁止される中で、一九五〇年に米占領軍の肝いりで「総評」が結成された。総評は、アメリカやイギリスの帝国主義労働運動によって組織されている国際自由労連の一翼として準備されたが、現場から湧き起こった労働者の反戦闘争によって「平和四原則」をスローガンとし、自由労連一括加入拒否へと至っていく。いわゆる「ニワトリからアヒルへ」の転換である。

 当時は、戦争原体験が生々しく残り、また米占領支配への憤りが自然発生的にも存在した。朝鮮戦争を、日本の独占資本は戦争特需≠ニして喜んだが、鉄鋼や金属・化学労働者は兵器をまともに作らず、港湾や運送では積み込みや運搬を拒否し、米軍基地内でも権利を求めてサボタージュやストライキが行われた。砂川・富士など労働者・農民・学生が、国土の米軍基地への土地接収や軍事訓練に対し、反米の怒りを燃やして闘いのうねりを起こし、米占領軍による沖縄基地内労働者の大量射殺に対して、連帯闘争が志向された時期でもある。しかし総じてそれは、アジアの反帝闘争と切断し、一国的な「城内平和」を求めるというような民族主義的(国民的)運動としての色彩を強く持つものであった。

 反戦闘争は、米占領軍による御用労働運動の枠組みを取っ払い、反戦平和勢力の一翼に総評・日本労働運動を押し上げたが、日本帝国主義―独占資本に対する労働者階級の闘う陣形を構築することにはならなかった。戦闘的な労組拠点は、王子製紙や三井三池争議を最後に、資本家・権力・二組によって破壊され、十五カ月にわたる六〇年安保闘争は、鉄鋼・化学など民間基幹産業労働者の不参加に制約されるものであった。当時の岸政権は、五五年体制(総評大田路線「日本的組合主義」)に見られるような労働者階級の組合主義的集約構造の上に、日米安保同盟という日本帝国主義の政治的条件を確立したのである(このような中で、日本共産党・社会党は犯罪的な役割を果たし、これへの路線的組織的分裂によって共産主義者同盟が六〇年安保闘争を切り拓いていく)。

 そして次に、六〇年代の総評労働運動下における反戦運動である。

 戦後動乱期の鎮圧と、米帝の侵略反革命戦争の兵站基地化を足場として、日本帝国主義―独占資本の延命と戦後復興が実現した。アジア諸国への戦後賠償を免除され、代替という名でアジア諸国への経済侵出を行っていけたのも、このような政治的位置からであった。五五年体制で安定的経営権を握った資本家は、米帝の兵站産業と技術革新、アジア再侵出で大きな成長を遂げていった。

 六五年日韓条約の締結、ベトナム戦争(米軍の北ベトナム爆撃)という情勢は、アジアにおける日帝の役割を実感させるものであった。戦後の国民運動は大きく分解し、一方において、「ベトナム侵略戦争反対、日本の戦争協力・加担反対」というプロレタリア政治要求を掲げた部分(反戦青年委員会など)が登場するとともに、他方で、IMF・JCという労使協調・帝国主義労働運動派が組織的に登場し、後に産業別の、そしてナショナルセンター的な運動を展開していく(これを担った民間大単産が、後の労戦統一の主役となっていくのだ)。

 ベトナム反戦闘争から七〇年安保闘争は、五五年体制を左から突破しようとする新左翼諸党派などによる左派の闘いによって切り拓かれた。一九四八年の「政令二〇一号」以降、官公労労働者は争議権・団体交渉権を剥奪されていたが、国鉄や全逓・全電通などは大量処分者を出しながら闘いを継続していた。民間大単産の争議は三池闘争を最後として終結し、企業の独占強化に伴う企業合併・吸収の下で、産業別組織の改変とともに、組合分裂と左派排除が進んでいた。このような中で、総評労働運動下における組合主義的政治闘争を突破していこうとしたのである。

 現在の反戦運動は、この政治的分解の歴史の上に存在しているのだが、後のアジア民衆や非正規雇用労働世代に批判されるように、大きな限界を持つものでもあった。六〇年代後半の一連の反戦闘争は、日本労働運動の企業内労組主義と日本型労使関係をそのままに、労働運動の右傾化を政治闘争・実力闘争で突破しようという狭さが共存しているものであった。またベトナム侵略への加担反対をスローガンとしながら、アジアの反帝勢力との結合は断たれたままであった。


  ▼A節 米軍再編闘争の中で開始された労働者反戦闘争

 八九年総評解散から二十年。闘わない・闘えない連合労働運動路線の下で、労働者の戦争動員攻撃が進められてきた。しかし他方、この二十年は、全労協系や独立左派・コミュニティユニオンなどの先進的な活動を先頭に、連合内外を貫いて、実に多様な新たな労働運動再生の試みが繰り広げられてきた。

 それは労働者反戦闘争の領域においてでもある。とりわけ米軍再編が日米協議のテーブルに乗り、米帝の兵站拠点から本格的な軍事展開の日米一体化が、目に見える政策として現われ、軍事基地強化が進む中で、米軍基地現場である沖縄―岩国―神奈川において闘いが登場してきている。

 われわれは、これらを支援・連帯し、闘いを前進させていくことが必要である。米軍再編に対する闘いはそれぞれの特徴を持っているが、ここでは岩国連帯の労働者反戦交流集会実行委運動に見られる、新しい萌芽を見ていく。

 岩国・反戦労働者交流集会実行委自身は、岩国連帯・現地闘争を呼びかける一年毎の課題共闘として存在し、米軍再編反対・労働者反戦闘争再生を求める労働運動活動家に広く開かれている団体である。長らく米軍の災禍に耐えてきた岩国は、〇六年の住民投票において基地強化NO≠フ声を上げたが、議会与党の自民党による予算決定拒否をはじめとする圧迫を受け続けてきた。岩国は負けない≠ニいう岩国現地市民・住民たちを応援する形で闘いは始まった。〇六年秋、アジア共同行動による岩国国際集会が始まるが、岩国・労働者反戦交流集会実行委が姿を現すのは、翌〇七年からである。今年が三年目の労働者反戦交流集会であり、今後も進化し続ける可能性があるが、その登場の特徴は、以下五点に見ることができる。

 第一に、アジアからの米軍総撤収を掲げた韓国・フィリピン・台湾、そしてアメリカなどの反帝勢力の共同闘争に参加する中で、米軍再編との闘争を広く労働者反戦闘争として再生していこうという呼びかけ人が生まれ、それによって労働運動としての共闘が開始されたことである。

 第二に、第一回目は十一名の、第二回目は二十六名の、第三回目は六十五名(〇九・一〇・一九現在)の呼びかけ人が立っているが、いずれも貧困や非正規雇用化、野宿や滞日外国人労働者問題などを担い、新たな労働運動の再生を志向してきた労働運動活動家たちである。全国一般全国協や全日建連帯、全港湾、郵政労働者ユニオンをはじめとする全労協、国鉄闘争団、地域ユニオンなどで活動し、自らの労働現場課題を、米軍再編による日米一体戦争国家化に対する闘いと結びつけていこうという方向性を内包している。

 第三に、従って岩国・労働者反戦交流集会は、〇七年の第一回目から、それぞれが地域で、職場で行っている反戦運動の経験交流にとどまらず、あるいは歩合制で戦車を運ばせられている請負トラック労働者の現実、郵政民営化によって郵貯資金が戦費調達へと流されていく危険、非正規雇用化と失業が戦争労働へと若者を追いやっていく現実などが、活発に討議された。〇八年は、米軍基地への沈黙が雇用破壊をもたらした現地報告、米軍再編と連動し広島・呉で進む軍事拠点化、教育労働者への攻撃など、岩国周辺労働者の声が生々しく語られ、派遣村から始まる新しい社会的動きを、戦争と貧困を許さないものにしていこう、との呼びかけが発せられた。

 第四に、岩国現地の住民要求への立脚である。全国から労働運動活動家が呼びかけ人となっているが、根っこは負けない岩国≠フ闘いへの連帯が形成されている。〇九年一月、「山口県都市計画審議会」における愛宕山住宅開発事業取り消しに対する緊急申し入れが行われたが、短期間のうちに、百以上の賛同団体が要請書に名を連ねた。そして岩国住民による米軍再編問題への立場である「次世代に渡す社会に米軍基地はいらない」という決意を、日本社会全体のものと受け止めている。

 第五に、岩国住民自身がそうであるが、沖縄、神奈川の闘いと連携し、米軍再編そのものを許さない方向性を持って進んでいることである。米軍再編の持つグローバルな性格から、個別の反基地闘争にとどまらず、地域を超え、国境を越え、現在の世界・帝国主義世界のあり様にたいする反帝国際共同闘争への萌芽を闘い自身がはらんでいるのである。

 われわれは、かつての反戦運動の限界を超え、帝国主義―独占資本の戦争と貧困攻撃に対決する階級的労働運動再生の重要な一翼として、米軍再編に対する労働者反戦闘争が生まれつつあることに注目し、断固としてともに闘いを前進させていかなければならない。



  ●4章 岩国現地へ!労働者反戦闘争の前進を勝ちとろう


 政権交代の流動期にこそ、戦争動員と闘う大衆的反戦闘争をひき起こすことが必要である。今、沖縄の闘いによって、日米帝はゆれに揺れている。

 現在、〇九岩国・労働者反戦交流集会実は、各地域ごとの呼びかけ人が基調論議を積み重ねながら、あるいは十一月八日、沖縄における「辺野古への新基地建設と県内移設に反対する県民集会」に結集し、そして十一月二十八―二十九日、岩国現地闘争に総力で結集しようと準備を行っている。その中で、労働者反戦闘争の性格や、どのような立場で闘っていくのか、議論が百出している。米軍再編を許さないと立ち上がった労働者たちの、様々な立場からの議論は、新たな大衆的反戦運動の生みの苦しみ≠フ過程でもある。

 全ての先進的労働者は、全力で岩国現地闘争を成功させていくために努力するとともに、次の闘いを推進していこう。

 第一は、帝国主義の戦争動員攻撃の時代を迎え撃つ、労働者反戦闘争の強固な隊列を形成することである。帝国主義侵略戦争との闘い、帝国主義本国労働者の戦争動員、労働者同士の分断と殺し合いを阻止することは、世紀を超えた労働者階級の課題であり続けている。戦後日本労働運動は、二度と戦争はしない、被害者にも加害者にもならない、として出発したが、現在、日本労働運動は、大きな困難期にあると言える。

 先進的労働者の団結と闘いで、これを突破していこう。米軍再編に対する闘いの新たな特徴を前述してきたが、先進的労働者は、これをよりハッキリとしたものへと強化していくことが任務である。岩国・労働者実行委運動自身は、年毎の課題共闘であるが、これを一過性のものに終わらせず、沖縄、神奈川、そして全国の反戦・反基地・反安保闘争のうねりを作り出していく闘いの一翼へと打ち固めていこう。

 第二は、資本主義に取って代わる次の社会=社会主義と労働運動との結合を、先進的労働者の共通課題に乗せていくことである。昨年の恐慌は、一挙に数千万人に及ぶ失業者を全世界で拡大した。生産力と生産技術の発展は、労働者階級にとっては失業と雇用・生活破壊となってあらわれる。そして独占資本家たちの利潤を求める強欲は、尽きることはない。アメリカの経済危機は、十年以上も前から存在したが、これを繰り延べたのは、アフガン・イラクなど中東地域への戦争であった。現在も資源市場争奪をめぐって抗争的状態に世界はあるといっていい。資本主義に代わる社会を獲得することなく、戦争と貧困の脅威はなくなることはない。次の社会は、それを担う主体の成熟なくしては語れない。米軍再編と闘う住民、そして労働運動の中から、帝国主義を打倒し、どのような社会システムをつくりあげていくのかの試行錯誤が開始されていく必要がある。

 第三に、アジア・太平洋地域、アメリカ、世界の闘う人民とともに、反帝・国際共同行動を前進させていくことである。米軍再編は、国境を越えて全世界的規模で推進され、帝国主義―多国籍資本のガードマン・侵略部隊として、米軍は国境を超えて活動する。米帝に連なる諸国が、これに連動する。これを打ち破っていく反帝・国際共同行動が、今ほど重要なときはない。それは帝国主義を打倒し、いかなる世界をつくるのかにも結びつく問題である。帝国主義―多国籍資本に苦しめられる諸国労働者・民衆と結びつき、米帝の暴力装置=米軍基地を総撤収させ、国際的な階級闘争の発展を推し進めていくことが必要である。

 これらの遠大な課題の一歩一歩を築き上げるものとして、岩国・労働者反戦交流集会実運動を成功させ、戦後第三波の反戦運動を帝国主義の戦争動員と闘う階級闘争へと成長させていこう。


 

 

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