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 ■日米同盟深化路線との対決を

  「日米同盟」の動揺と鳩山安保外交路線の形成過程




 現行日米安保条約五十年目の年は、「日米同盟」の「危機」とか「亀裂」などと表現される状態で幕を開けた。いうまでもなくその状況は、民主党が選挙マニフェストや選挙演説で語り連立政権合意においても継承された「緊密で対等な日米関係」「日米地位協定の改定と米軍再編の見直し」、さらには「在日米軍のあり方の見直し」などという、従来の「日米同盟強化一辺倒路線」からの転換の意図が明らかになり、同時に「東アジア共同体の創造」という方向に外交の重点を置こうとしている鳩山連立政権の姿勢と動向という点に米側が敏感に反応しているところから生まれている。

 九月、政権発足と国連総会出席・日米首脳会談をもって出帆した鳩山政権は、だがしかしその直後からの米軍再編の見直し論議の具体化に入るや、ただちに内外の圧力にさらされることとなった。「普天間移設問題」をめぐる対立と強力な抵抗勢力の発生である。米政府は憤然と「辺野古新基地案がベスト」と言い募り、そしてそれに同調した形で旧政権勢力・自民党が、あるいは日本「本土」の大メディアが大合唱を開始した。執拗かつ強引な米側の「合意どおりの実行」要求がたびたび突きつけられる。米国防長官ゲーツのごとく、あからさまな恫喝含みの要求もあったのだが、こうした米側の「合意どおりの実行を」という要求は、むしろ日本における旧政権勢力や大メディアによって「増幅・飛躍」をさせられて、上のごとくの「危機・亀裂」などの論調として直接には鳩山政権攻撃となった。だがそれは本質的には普天間基地の無条件の閉鎖と辺野古新基地建設反対闘争・要求への攻撃であり、沖縄民衆をはじめとした基地所在地住民そして多数の労働者民衆の米軍再編計画への反対闘争への攻撃である。だが、もちろん「米軍再編見直しなどの政権合意―公約を実現せよ」とする労働者民衆の声が収まるわけはない。十二月に鳩山政権は与党三党間で「沖縄基地問題検討委員会」の立ち上げと普天間移設先見直し決定の年越しを決めた。本年五月を区切りとするものである。それを見て米政府は普天間代替基地を辺野古沖へとする従来案をゴリ押しする方針を転換させた。とはいえその転換には他の意図も込められているし、あくまで日本政府の検討とその結果を待つという姿勢に過ぎない。

 こうして、安保五十年の年明けは、普天間問題をはらみながらも現状では棚上げ化・迂回化したかたちで「日米同盟の深化」(鳩山)、「日米同盟の刷新」(オバマ)というような首脳談話・声明や防衛・外交閣僚共同声明をもって始まることになった。

 われわれはこの小論において@鳩山政権がどのような安保・外交方針を進めようとしているのかに関しての政権発足時点の内容を分析し確認するAその上で、今後一年間にわたって日米政府間で「同盟深化」のための協議・交渉が進められることになるのだが、その出発点となった日米両首脳による安保五十年談話や日米2プラス2共同声明などを分析・批判する。そしてBこの状況に対して日本の労働者階級人民のとるべき態度とたたかいの方向性を明らかにしてゆきたい。



 ●1章 政権発足時の安保外交方針


 鳩山連立政権発足時の安保・外交方針をまず確認しておこう。特徴的な点は上にも述べたが対米関係および対中国を軸とした東アジア関係である。この二つを「友愛」という用語で括りバランスをとりながら日本外交の新路線を策定してゆこうとしたフシが鳩山にはあるのだが、それは政権内外や米政府などからの反発や打撃を受けながら変容を開始したと見られる。だが、そこで語られている内容は従来の自公政権に対する批判(特に対米一辺倒の安保・外交路線への)を受けながら明らかにされた「公約」であり、あいまい化や霧散化をさせないという意味において確認しておくことにも意味がある。のみならず、日帝支配階級の分解が政権党の交代というかたちで明白化する中で旧勢力と新支配勢力との攻防を見る上にも必要な座標軸である。


 ▼1節 日米関係と米軍再編見直し

 民主党はその選挙マニフェストの「外交」の項目の一番目に「緊密で対等な日米関係を築く」とし、「日本外交の基盤として緊密で対等な日米同盟関係をつくるため、主体的な外交戦略を構築した上で、米国と役割を分担しながら日本の責任を積極的に果たす」「米国との間で自由貿易協定の交渉を促進し、貿易・投資の自由化を進める。―以下略―」「地位協定改定を提起し、米軍再編や在日米軍のあり方についても見直しの方向で臨む」とした。この「緊密で対等な日米同盟関係をつくる」、「日米地位協定の改定提起」「米軍再編や在日米軍のあり方の見直し」という点は連立政権合意文書においても踏襲された。

 「対等な日米同盟関係」という文言をめぐっては、同時に提唱する「東アジア共同体」ということとあいまって、米国内では「日本政府の米国離れ、中国を軸としたアジアへの接近」とか「反米政権」などの報道もなされた。米国務省などは火消しに回ったのではあるが、沖縄での米軍再編―普天間基地移設先見直しなどについて、日本政府の態度に苛立ちを募らせた。

 鳩山は臨時国会での所信表明演説においてこの「対等な日米同盟関係」ということについて、「日米両国の同盟関係が世界の平和と安全に果たせる役割や具体的な行動指針を、日本の側からも積極的に提言し、協力していけるような関係」とし、さらに「日米の二国間関係はもとより、アジア太平洋地域の平和と繁栄、さらには、地球温暖化や『核のない世界』など、グローバルな課題の克服といった面でも、日本と米国とが連携し、協力し合う、重層的な日米同盟を深化させる」とした。その上で「在日米軍再編につきましては、安全保障上の観点も踏まえつつ、過去の日米合意などの経緯も慎重に検証した上で、沖縄の方々が背負ってこられた負担、苦しみや悲しみに十分に思いをいたし、地元の皆さまの思いをしっかりと受け止めながら、真剣に取り組んでまいります」と述べたのであった。

 従来の自民党政権下での日米同盟関係とは米国側から示される行動方針を受け入れ実行するという意味での「従属的」なものであったが、それから脱却するという点を「対等」という文言に込めていることを語ってもいた。この領域での変化については次章で見てゆく。


 ▼2節 アジア諸国・地域への外交政策、朝鮮半島政策

 ◆1項 東アジア共同体構想


 「中国、韓国をはじめ、アジア・太平洋地域の信頼関係と協力体制を確立し、東アジア共同体(仮称)の構築をめざす」と、民主党は選挙マニフェストに書き込んだ。連立政権合意文書においても同様の確認がなされている。そして鳩山は所信表明演説において、政権発足後のアジア歴訪をも踏まえて次のように語った。「先日来、私はアジア各国の首脳と率直かつ真摯な意見交換を重ねてまいりました。韓国、中国、さらには東南アジアなどの近隣諸国との関係については、多様な価値観を相互に尊重しつつ、共通する点や協力できる点を積極的に見いだしていくことで、真の信頼関係を築き、協力を進めてまいります」と。また、「東アジア共同体」にかんしては、「他の地域に開かれた、透明性の高い協力体としての東アジア共同体構想を推進してまいりたい」とした。「価値観を同じくする諸国との関係を密にする」という旧政権の「価値観外交」からの転換を意図したものであった。

 つけ加えれば鳩山は、従来アジア諸国・地域との摩擦となってきたヤスクニ参拝問題については、選挙の前から「(政権を担うことになるなら)首相在任中は参拝せず閣僚にも自粛させる」と明言しており、歴史認識の問題については、侵略戦争と植民地支配を謝罪した「村山談話」について「新政権は歴史をまっすぐ正しく見詰める勇気を持った政権だ。談話の思いはこの政権でこそ尊重されなければならない」と踏襲する考えをあらためて国会での答弁において重ねて表明した。

 かたや、こうした鳩山連立政権の対アジア外交方針が、上に述べた「日米同盟」や米軍再編見直しをめぐる日米間の対立と並行して進行する点に対して米政府の疑心や懸念あるいは焦燥はいやましに昂じた。その点を配慮してか、当初、東アジア共同体構想のアウトラインを表現する際にはその構成に米国は含まれていなかったのだが、十月下旬のASEAN首脳会談時には、同構想の提案とあわせて「日米同盟」を基軸とする点の確認や構成の枠組みについて現時点では論議する意味はない、という態度へと修正が開始された。さらに十一月の日米首脳会談を経た直後には「アジアにおける米国のプレゼンスは、我が国を含めたアジアの平和と繁栄に重要な役割を果たしてきており、今後も果たすことでしょう。我が国が日米同盟を引き続き、日本外交の基軸と位置付ける最大の理由の一つは、そこにあります」(シンガポールAPECでの政策講演)と、ますます日米同盟が基軸であるという点にアクセントをおくものへと変化した。中国が現時点でのアジア地域での国家間バランスの変動を危惧しているという点も要因であるとも指摘されている。


 ◆2項 日韓関係、朝鮮半島政策

 鳩山政権の朝鮮半島外交方針の出発点も簡単におさえておこう。

 日韓間に存在する懸案は、「独島(日本名『竹島』)問題」や「歴史認識・歴史教科書問題」、さらに「在日韓国人ら永住外国人の参政権問題」や「天皇訪韓問題」などが「懸案事項」となってきたところであるが、これらはさしあたって「封印」された。これらは、政権内部でも意思統一に困難性を抱える問題もあり、さらに自民党や民間の右派勢力による不断の揺さぶりという要素も多大である。

 鳩山政権の朝鮮民主主義人民共和国(以下「共和国」とする)政策については、「国際的な協調体制のもと、北朝鮮(ママ)による核兵器やミサイルの開発をやめさせ、拉致問題の解決に全力をあげる」と示された。さらに所信表明演説においては、「拉致、核、ミサイルといった諸懸案について包括的に解決し、その上で国交正常化を図るべく、関係国とも緊密に連携しつつ対処する」とし、「核問題については、累次の国連安全保障理事会決議に基づく措置を厳格に履行しつつ、六者会合を通じて非核化を実現する努力を続け」「拉致問題については、考え得るあらゆる方策を使い、一日も早い解決を目指します」とした。「拉致」「核・ミサイル」を列挙する点では小泉から麻生へと至った旧政権と変わりはないが、「拉致問題が最重要課題」、「その解決なくして日朝関係正常化はない」とされてきた「圧力」一辺倒の態度からの変化の兆しは見える。「包括的な解決」とか拉致問題解決のために「考えうるあらゆる方策」を使うとしている点などである。だがこれらは言葉だけの問題に過ぎない面もある。鳩山連立政権下で首相、外相、官房長官と拉致問題担当相による「拉致対策本部」が発足したが、新対策本部は、民主党の拉致問題対策本部長を務めた中井洽(ひろし)担当相(国家公安委員長)が事務局長として実務を取り仕切ることになる。この中井担当相は、自民党の対北圧力重視派に勝るとも劣らない対北圧力論者でもある。

 さらに関連して、「在特会」などの排外主義勢力が「外国人の参政権反対」を中心課題としながらその行動を激烈化させている。



 ●2章 「日米同盟」の動揺局面


 上記のような内容が鳩山政権の出発点的内容であったわけだが、これが相当程度の圧力にさらされたことはこのかんの報道などで明らかである。米国防長官ゲーツの恫喝、国務省サイドからの執拗な通告、これに完全に同調する国内メディアや旧勢力の「普天間問題について従来案どおりにせよ」という大合唱が顕著にそれを表すものだ。十一月オバマ来日と日米首脳会談および「トラスト・ミー」発言の真意をめぐる問題などを通じてそれは頂点に達した。また、オバマは鳩山政権への強力な圧力に並行した形で「東京演説」を行いそこで「アジア太平洋国家としての米国」という立場・態度を鮮明にした。

 COP25の場での米国務長官H・クリントンとの会話をめぐる齟齬(そご)などもありながら、米側は辺野古新基地案どおりの再決断と実行を押し付け、かたやあくまで普天間移設先の見直しに固執する鳩山政権は、沖縄基地問題協議会を立ち上げ、年内決着の先送りを決定し、与党三党による移設先をめぐる協議の本格化に至る。

 もちろんこれらの経過が示すものは、日米軍事同盟をめぐる政策において日米政府間の意思が背反していることが公然と明らかになりその状態が継続しているということではある。先にも触れたが、それに重大な危機感を募らせる部分によって「日米同盟の危機・亀裂」と表現されてもいる。だが、「緊密で対等な日米同盟関係」という政策目標が、同盟関係もろとも頓挫・崩壊してゆく見通しは、残念ながらいまのところ立たない。しかし、日米関係がとりわけその軍事同盟関係という面において「動揺局面」にあるということは確かなことである。この局面とは、鳩山政権が言ったり書いたりしていることから生まれているのではなく、沖縄民衆をはじめ米軍基地所在地の住民市民が、そして日米安保体制打破を要求する労働者人民がまさに創造してきたものなのである。このような視点から「動揺局面」をとらえ、さらに「日米軍事同盟の危機」を促進しながら破棄の方向に大きくたたかいを進めることが必要である。

 だが、突如として米側は一転迂回的な方向へと転換を開始した。それは年末段階で決定されたといわれる。米国の国際政治学者にしてたびたび米政府高官を歴任したジョセフ・ナイのニューヨークタイムス紙への寄稿論文がその転換を告げ報せる役割を果たす。ナイはこの論考において、「一つの課題よりも大きな同盟」という形で、普天間問題で日本側を責めたてるのは日米同盟全体の利益にはならないとしたのであった。

 こうした態度転換を受けて一月十五日にワシントンで開催された「安保五十年シンポ」においては、日本側から参加した鳩山の外交アドバイザー岡本行夫は「鳩山政権は日米同盟とはなにかについて、いま急速に学習しているところだ」などと述べて、米側が迂回的に態度をとることが米側の思惑にかなう結果を出すのだと説明したという。こうした脈絡の上で、日米両国は安保五十年を迎えたわけである。

 ここで見ておくべきは、米軍再編をめぐる主要なアクターとしての@日本政府、A米政府および軍、B基地所在地の住民や自治体および日本の労働者という関係において、その三者間でのすさまじいばかりの争いがすでに存在しており、住民や労働者民衆の意思や態度をこそ慎重に考慮して米側が迂回の方向に舵を切ったといえる点である。凡百のメディアは「日米同盟の亀裂・危機」などとはやしたて、鳩山政権を袋小路に追い込む役割を果たそうとしているが、この「危機・亀裂」というものの根底には沖縄民衆の普天間即時閉鎖と沖縄外への移設要求が決定的に高まっているという事実があることを明らかにしていない。しかしオバマ政権にしても鳩山政権にしても容易な結論を出せなくなっている現実を強制しているのはこの点にこそ根拠をもつという認識こそ重要だ。米軍再編計画について、それが日米政府間で協議されている間は「国際問題」としての意味が多大であり、〇六年の米軍再編『日米ロードマップ』合意をもって、それは「国内問題」という意味合いへと移行した。それから四年経過し、そのかんの民衆のたたかいが、「国内問題」としての米軍再編問題を「国際問題」の領域へと再度押し戻しつつ、国内・国際の二つの領域においてともに矛盾を拡大・激化させているのである。

 なお、紙幅の都合により、対東アジア外交方針についての変化に関してはいくつかの点を指摘しておくにとどめておく。結論的には、普天間問題・米軍再編見直し問題に対する米政府および自民党らの旧政権勢力あるいは大メディアによる過剰なまでの「日米同盟の危機・亀裂」キャンペーンの展開とあいまって、対東アジア外交方針も修正を余儀なくされている局面である。



 ●3章 1・19日米安保五十年声明・談話批判


 このような経過のうえに現行安保条約締結から五十年の一月十九日、日米首脳はそれぞれ談話と声明を、また日米安保・外務閣僚は共同声明を発出した。

安保・外交という重要領域における「動揺局面」が継続する中では、とても両首脳による一本の共同声明が出されるというわけにはゆかないところである。少々内容に立ち入って紹介しながら分析・批判しておこう。


 ▼1節 鳩山談話

 鳩山の談話は次のようなものである。「日米安保体制は、我が国の安全のみならず、アジア太平洋地域の安定と繁栄に大きく貢献してきました。我が国が戦後今日まで、自由と民主主義を尊重し、平和を維持し、その中で経済発展を享受できたのは、日米安保体制があったからと言っても過言ではありません」と安保を最大限美化している。次いで「現在及び予見し得る将来、日米安保体制に基づく米軍の抑止力は、核兵器を持たず軍事大国にならないとしている我が国が、その平和と安全を確保していく上で、自らの防衛力と相俟(あいま)って、引き続き大きな役割を果たしていくと考えます」と、「共和国」の核・ミサイル実験をあげつらいつつ臆面もなく語っている。特に重要なのは「米軍の抑止力」の役割を最大限持ち上げているという点である。さらに「日米安保体制は、ひとり我が国の防衛のみならず、アジア太平洋地域全体の平和と繁栄にも引き続き不可欠」「日米安保条約に基づく米軍のプレゼンスは、地域の諸国に大きな安心をもたらすことにより、いわば公共財としての役割を今後とも果たしていく」と、アジア太平洋地域レベルでの日米安保体制の意義を強調もしているのだ。

 アジア地域諸国にとっても安保は必要とされているということを「安保=公共財」なる用語で説明することが最近散見されるが、日帝の軍事大国としての突出の悪夢に対する「ビンのふた」としての日米安保の意味と中国の台頭に対する東南アジア諸国の必要を合わせた形での形容であろう。そのうえで「日米安保体制を中核とする日米同盟を二十一世紀にふさわしい形で深化させるべく、米国政府と共同作業を行い、年内に国民の皆様にその成果を示したい」と日米同盟の深化への決意を表明している。


 ▼2節 オバマの声明

 オバマの声明は「日米同盟は、アジア太平洋地域全体における特別な利益を守り、この五十年間に比類なき進歩を可能にした」と、日米同盟の意義を述べている。そして「この同盟は平和と安全保障に関する共通の価値観と利益の上に建てられ、国家、そして国民の間に存在する変わらぬきずなを反映している」と、巧妙に「平和と安全保障に関する共通の価値観」とか「きずな」などの「殺し文句」を埋め込みつつ、「日本の安全保障に対する米国の関与は揺るがない」とたたみかける。そして「共通するさまざまな課題に対する両国の協調は、決定的に重要な国際貢献の一つ」などとしながら「21世紀の同盟関係を新たにすることを約束し、両国を結びつける友好関係と共通目的を強めよう」と結んでいる。

 すでに、オバマは昨十一月の訪日時の東京演説において「アジア太平洋国家としての米国」ということを高らかに打ち上げるとともに「日米同盟」を「安全と繁栄の基盤」と呼び、「日米同盟」を通じてアジアに関与する姿勢を明確にしたのであったが、その内容を再度確認するとともに、ある意味では鳩山に対する強烈なメッセージを込めているとも思われる。


 ▼3節 日米安全保障協議委員会(2プラス2)共同声明

 鳩山、オバマ両首脳の談話・声明が記念日のコメントということもあり、簡潔にそれをたたえるという色合いを持つという点は否めないのであるが、日米防衛・外交閣僚の安全保障協議委員会(2プラス2)による共同声明は無視することのできないものである。

 共同声明は「日米同盟が、日米両国の安全と繁栄とともに、地域の平和と安定の確保にも不可欠な役割を果たしている」「日米両国の安全と繁栄の基盤として機能」してきたとその意義を高く評価している。その上で「日米安保体制は、アジア太平洋地域における繁栄を促すとともに、グローバル及び地域の幅広い諸課題に関する協力を下支えするもの」との位置づけを明確にし「この体制をさらに発展させ、新たな分野での協力に拡大していく」としている。

 そして「閣僚は、同盟に対する国民の強固な支持を維持していくことを特に重視している。閣僚は、沖縄を含む地元の基地負担を軽減するとともに、変化する安全保障環境の中で米軍の適切な駐留を含む抑止力を維持する現在進行中の努力を支持し、これによって、安全保障を強化し、同盟が引き続き地域の安定の礎石であり続けることを確保する」というレトリックをもって、日米安保に対する「国民の支持」の重要性に言及しながら、その実米軍駐留による「抑止力維持」を「アジア太平洋地域の安定の礎石」というかたちで正当化している。その上で、あらためて「日米同盟」の「共通戦略目標」を「日本の安全を保障し、この地域の平和と安定を維持すること」として再確認し、@対「共和国」政策での協力A責任大国として中国が国際舞台へ登場することへの歓迎と協力Bアジア太平洋地域での自然災害・人道支援の協力C共通の利益を有する幅広い分野での米軍と自衛隊の協力深化D核抑止力の維持と大量破壊兵器拡散防止の強化E国際テロとのたたかい、ソマリア沖での海賊対処の自画自賛などを列挙している。そして「過去に日米同盟が直面してきた課題から学び、さらに揺るぎない日米同盟を築き、二十一世紀の変化する環境にふさわしいものとすることを改めて決意」するとしながら「幅広い分野における日米安保協力をさらに推進し、深化するために行っている対話を強化」すると方向付けている。


 ▼4節 ペテンと汚濁にまみれた安保五十年

 この三つの談話・声明は何よりもペテンである。

 何よりも「日本の平和と繁栄、アジア太平洋地域の安定と繁栄」に日米安保が貢献したなどと、一体歴史のどこを見たら言えるのか。ベトナム戦争において日米安保がどのように機能したのかを見るだけでもそれがペテンであることは明らかだ。さらに、南北分断状況が継続し戦争状態が継続したままの朝鮮半島情勢と日米安保とが深くかかわっていることをどう説明するのか。ことさらにアジア太平洋地域の「不安定性」を強調する気は毛頭ないが、その「平和とか安定」が日米安保(同盟)によって生み出されたなどというのはまさにペテンである。アジアにおける「冷戦」の産物こそが日米安保であり、アジア諸国における軍事独裁体制を支持し癒着しながら新たな植民地支配を継続してきた後ろ盾こそが日米安保ではなかったか。それは戦争特需や帝国主義的利権をももたらしはしたがそれを「繁栄」などと誰が言えるのか。そしてソ連崩壊や中国の資本主義国家への踏み出しなどをもってするアジア冷戦体制の終焉期には、朝鮮半島と中台両岸関係を「脅威だ」「不安定要因だ」と言いながら日米安保体制の内容変更をなし崩しに行い(九六年日米安保再定義)、さらに「9・11」以降の「対テロ戦争」を口実としてその拡大・深化へと突き進んでいるのが実際の日米安保体制・日米同盟なのである。労働者民衆の望む内容や形態における「アジアの平和と繁栄」に対する敵対物・破壊要因であり続けるものが日米安保なのである。まして、現在の世界的大不況と景気の二番底におびえる日本および米国が「繁栄」をそれぞれ口にして「日米同盟」の意義を賞賛する構図は悪い冗談としか言えない。

 いまひとつ言うならば、この三つの声明・談話においては、具体的な普天間問題への言及は避けられている。双方それに言及せずに各文案をひねりだしたのであるが、実際には「普天間問題」や「米軍再編の見直し」作業の着地点を見すえながらこれらの声明・談話があるということである。「日米安保体制に基づく米軍の抑止力」「米軍のプレゼンスは公共財」(鳩山談話)、「両国の協調は、決定的に重要な国際貢献の一つ」(オバマ声明)、「変化する安全保障環境の中で米軍の適切な駐留を含む抑止力を維持する現在進行中の努力」によって、「安全保障を強化し、同盟が引き続き地域の安定の礎石であり続けることを確保する」(日米安全保障協議委員会共同声明)などの内容は、動揺局面にある「日米同盟」について今後の「深化・刷新」へむけた論議の基調を再提起するものである。

 要するに日米同盟の深化なり刷新なりの針路と帰結点が示されるものであるということだ。在沖・在「本土」米軍部隊(以下「在日米軍」とする)と基地存在の永続化による「抑止力」の不可欠性や維持の確認という点は、まさしく「日米地位協定改定」「米軍再編や在日米軍のあり方の見直し」という点にかかわる根幹的な課題である。まさにその「抑止力とは何か」あるいはそれを必要とする「脅威」とは何かという点が、このような「見直し」をめぐる日米協議においては不可欠にして根本的な問題なのであるが、それをスルーするかたちで無前提的にそれが必要とされ維持されるべきものとされている。上記のごとくに枠付けされ、方向付けがなされたなかでの「緊密で対等な日米関係」というべきものへと、鳩山政権発足時の方針がまさに「変化」を見せている。言うまでもなくそれを主導しているのは米政府であるし、岡田外相、北澤防衛相を先頭とした鳩山政権がそれに応じているのである。



 ●4章 闘いの方向・方針・課題


 こうして政権発足時点での「緊密で対等な日米関係」「地位協定改定・米軍再編・在日米軍のあり方の見直し」という方針は、普天間問題などのその個別の具体論における深刻な矛盾の顕在化にもかかわらず、総体としてはアジア太平洋地域での緊密な協力体制の維持と、それをもってする日米双方の対アジア戦略の展開の基盤として「日米同盟」を深化・刷新するという点での合意が成立したところである。

 今後、普天間問題を含め個別具体的な米軍再編見直し協議などを俎上に上らせつつ、十一月横浜APEC時の日米首脳会談において「新日米安保共同宣言(仮)」が策定されてゆく方向が確定した。そのかん、一月の名護市長選や七月参院選、十一月沖縄知事選などをも経ながらこの「日米同盟の深化・刷新」作業がほぼ一年を通じて展開されることになる。

 こうした状況においてわれわれ日本の労働者階級人民はいかにたたかうか、また何を突き出しながらたたかうべきか。


 ▼1節 反安保の論陣を張ろう

 何よりも日米安保体制打破へむけた論陣を形成することである。

 「地位協定改定」、「米軍再編や在日米軍の見直し」という問題は当然にも日米関係の見直しということとリンクし波及する。鳩山自身「日米同盟のレビュー(見直し)」ということを語ってもきた。たとえいま、その方向や枠付けが上の安保締結談話・声明などにより日米政府当局者間においてなされているからといって、この問題領域においてはいまひとつのアクターの存在があることを忘れてはならない。「米軍再編や日米関係のあり方の見直し」ということをめぐる闘争構造を見ておく必要があるということだ。まさにそのアクターこそ日米軍事基地に日々さいなまれている地域の住民であり、そして労働者階級人民である。まさに、この部分、たたかいを基軸にし、さらに大量に反安保闘争、反米軍闘争、米軍再編反対・日米地協定抜本改定・廃止へ向けたたたかいを創造し発展させることこそ重要である。ここでは「対等か従属的か」の問題ではなく「そもそも安保条約・体制は粉砕の対象なのだ」という立場と論理が厳然として存在する。

 この点について少し分け入っておこう。戦後日本の労働者階級のたたかいは、日米安保とのたたかいの歴史ということも可能である。六〇年安保闘争、七〇年安保―沖縄闘争を頂点としつつその後大きな高揚はないにしても、米軍基地をめぐるたたかい、あるいは日米軍事協力強化や一体化への反対などとしてこのたたかいは一貫して継続してきた。だけれども、そのたたかいが基盤を広げ深化し、またがっちりと世代的継承がなされているのかということからすれば厳しいものもあるのも確かだ。そのような中で、すでに米軍基地存在や日米安保それ自体への疑問や問題意識が社会的に消失し、自衛隊海外派兵の拡大と常態化そこでの日米軍事一体化の常態化などの政治的社会的環境の下で育ってきた世代の登場がある。特に若い世代に対して意識的労働者階級は今こそ日米安保に対する批判と打破の内容を語り、ともにたたかうべきことを伝えなくてはならない。またそれは鳩山連立政権の発足と普天間・米軍再編見直し問題がクローズアップされる中では実に好機なのである。そしてこの努力は確実に成果をあげうるのだ。

 昨夏、沖縄において琉球新報社と毎日新聞社が共同アンケートを行なった。「日米地位協定について」や「日米安全保障条約について」などの設問だが、後者の「日米安保について」の回答を紹介しておく。「維持すべき」16・7%、「平和友好条約に改めるべき」42%、「破棄すべき」10・5%、「米国を含む多国間安保条約に改めるべき」15・5%、「その他」15・4%という結果である。実に、七割近くが「現行日米安保を改めるべき」としており、そのうち、「破棄」および「平和条約へ」というのが全体の過半数を占めている。まさに米軍基地―日米安保に日常的に向き合う沖縄民衆が保持するこの政治的意識こそ重要であり、これを基盤にして辺野古新基地反対沖縄内世論八割という現実が形成されているのだ。「本土」の労働者民衆の中にこそ沖縄民衆のような日米安保条約破棄・安保体制打破の方向へと政治意思を形成してゆくべきときなのである。それが果たせる時、日米間の矛盾、日帝支配層間の対立と矛盾を突きながら、米軍再編計画や日米同盟そのものの粉砕・打破へ向けたたたかいの発展がかちとられる。

 この点にかかわって二点その論議の軸となる点を指摘しておく。


 ◆1項 「日米同盟」そのものを根底的に批判しよう

 第一に、日米安保とは何か、またその変質・拡張として語られている「日米同盟」というものに対して徹底的に批判しなくてはならない。全面的な批判を行なうゆとりはないが特に重要なポイントを指摘しておく。

 そもそも旧安保も含めて、日米間の「安全保障条約・体制」とはどのような範囲と目的をもつものなのかということに関してであるが、それは現行日米安保条約の第五、第六条に集中的にあらわれている。第五条は、「日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃」に対して日米が「共通の危険に対処するように行動する」としている。そして第六条は「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される」というものである。第五条では日本および在日米軍基地などへの「武力攻撃」の発生に対して共同対処することが示され、第六条においては米軍の駐留の目的・意味が「日本国の安全」と「極東における国際の平和および安全」を維持するためとされている。「日本の安全」ということと「極東における国際の平和と安全」ということが並行して示されている。

 この二つの目的が並行している点については、旧安保条約(一九五一〜六〇年)の第一条に示された「極東における国際の平和と安全の維持に寄与」するために米軍を日本に配備するが、それは「外部からの武力攻撃に対する日本の安全への寄与」にも「使用することができる」という点を引き継いだものに他ならない。「安保条約のように、適用地域(日本国)と別に地域外における軍隊の使用を規定する方式をとっている条約は他にない」と日本政府外務省担当者自身がかつて述べているが、その「地域外」とは「極東」に他ならない。またその「極東」の範囲が「フィリピン以北」というのはあくまで日本政府の説明にすぎず、当時の米軍の認識とは「中国本土やソ連(当時)、オーストラリア、ニュージーランドなどであった」という。すなわち「アジア・太平洋地域全体」における米軍の自由な活動のための基地として日米安保に基づく在日米軍基地は存在し続けているということだ。現在、その「極東条項」についての日本政府の説明が実際の運用実態とかけ離れ始めていることは、米海軍第七艦隊の横須賀母港化と西太平洋からインド洋全域での展開、沖縄・「本土」の米軍基地から中東へと米軍が派兵されている実態からも明らかだ。後述するが、「周辺事態法」(九九年)において、軍事的に対処すべき事態は「地理的概念」ではなく「事態の性質」とされたことも記憶に新しいところである。

 だが、このような日米安保の変化・拡張が顕在化しているのが「冷戦体制」終焉以後だという点に注目する必要がある。冷戦体制のさなかにおいては、日本がひたすら自衛隊を増強し自国防衛に専念することと、日本が提供する基地を米軍が使用してアジア太平洋地域での軍事展開・軍事的プレゼンスの強化を行なうことに矛盾は顕在化してこなかった。その限り「相互性」は担保されていたという見方もできる。もちろん、この過程が沖縄においては米軍支配の継続であり、在沖米軍基地の無制限使用の過程でもあった点は絶対に見逃すことはできない。

 だが、冷戦体制の終焉以後、そのような「相互性」には矛盾が生じた。ソ連が存続している時期の日米安保体制の目的は「ソ連の武力侵攻からの防衛」という点にほぼ集中していた。陸自の北海道重点配備に典型的なように日本政府は「専守防衛」ということで自国の防衛をおこない、米政府・米軍もそれが米国自身の防衛に直結するところからそれを許容し、その目的を第一にして自らはアジア太平洋地域における軍事的プレゼンスを維持・強化してきたのであった。その最大の「脅威」のソ連が崩壊したのである。「日本への武力攻撃への共同対処」という目的そのものが希薄なものとなったのだ。「同盟漂流」(船橋洋一)などと語られる時期とは、九〇年から日米安保共同宣言(九六年)までを指すものである。だが、この過程とは「新たな脅威」が「発見」されそれへの日米安保に基づく「共同対処」が再構築される時期でもあった。九四年朝鮮危機は米軍の対「共和国」戦争開始一歩前であったが、日本を米軍戦闘行動の出撃拠点として使用するうえで数々の不備が顕在化したものでもあった。法制度的にも基地および諸施設の活用という点においても、また自衛隊との共同行動という点においてもである。それゆえに「日米新ガイドライン」が策定され「周辺事態法」をはじめ諸有事法制相次いで成立させられたのである。また「湾岸戦争」以降、中東地域における米軍の活動に対する日本の「貢献」ということはいっかんして課題とされてきた。そのような日米安保における「相互性」の揺らぎに対処するに、第六条「極東条項」はまさに「再発見」されたのである。

 今世紀に入り、「9・11」を受けた米国の「対テロ戦争」以降、日本政府は「世界の中の日米同盟」(小泉)などとひたすら米軍の軍事行動への支援と派兵をもってする共同軍事行動へと踏み込んでいるが、それらは上記の日米安保における「相互性」をあらたに充填・充実させるためのものであると言いうる。

 さらに、「極東条項」がはらみ持つ本質的な問題性も指摘されている。それが「国連憲章五一条」において規定する「集団的自衛権」行使要件をも超え出る性質を最初から備えているという見解である。「極東における国際の平和と安全の維持に寄与するため」にという、他の条約に例を見ない「特殊かつあいまい」なこの条項は、国連憲章五一条における集団的自衛権行使の要件である「(加盟国に対する)武力攻撃の発生」という限定、対象地域の特定も何も規定されていないというわけだ。

 実際のところいま、在日米軍を含め米軍はアジア太平洋地域あるいは中東地域で軍事行動をくりひろげ、日本政府も後方支援はもとより自衛隊派兵と共同軍事行動をエスカレートさせてきたところである。それを可能にしたのは、「(日本への武力攻撃だけでなく)日本の安全に重大な影響を及ぼす周辺事態」にも有効に対処するために日米安保条約を運用するとした日米新ガイドライン(九七年)、その「周辺事態」を「地理的概念ではなく事態の性質」に即したものと定義づけた「周辺事態法」(九九年)、さらにその「周辺事態法」の延長に「テロ対策特措法」(〇一年)や「イラク派兵特措法」(〇三年)などが重ねられてきたがゆえにである。日本政府の行為という点では明らかに憲法九条違反であり(イラク派兵違憲の四・一七名古屋高裁判決や各地での市民平和訴訟など参照)、日米安保という観点からすれば、その範囲と目的が逸脱・拡張され変質しているのだ。ところが、その米軍の行動や「日米安保協力」と称してその米軍に対して行なわれる日本の支援、そして米軍と自衛隊との共同軍事行動には国連憲章の縛りもかからないというのである。「日米安保条約が国連憲章の目的と原則を再確認しその遵守を謳っている以上、米軍の行動には憲章五一条の規定に従い『武力攻撃の発生』という縛りをかけることが必要不可欠であった。ところが譲歩の結果この縛りを欠くことになったため、またしても国連憲章を無視した米国の『一方的行動』を想定した条約となってしまった……」(下記・豊下楢彦氏論考)ということだ。

 「日米同盟の深化」(鳩山)、「二十一世紀の同盟関係を新たに」(オバマ)などという言辞は、この安保第六条の「特殊性」「あいまい性」を温床として増長させられてゆくことは大いに予想できることである。

 日米安保の実態的展開に即して述べてきた点を、「防衛」概念ということに即してまとめておこう。日米安保条約に規定された「日本の安全」と「極東における国際の平和と安全」とは、二つの軸において変質・拡張してきたといえる。一つは「距離軸」であり、「国土」の防衛(安全保障)から、「国益」の防衛へとシフトしてきた。「伝統的に軍隊は、領土・領海・領空、総じて『国境線』の確保を任務とする」が「それが『守るべきもの』を『死活的な利益』に求めるようになるや、『防衛』目的で設置された軍隊を、『海外派兵』に転用させる効果的な論理となる」ということである。いまひとつの軸とは、「時間軸」である。「武力攻撃の着手時点ではなく、『脅威』の内容と程度に応じて、事前・先制・予防的に行動する考え方が押し出されてくる」。「対テロ戦争」を呼号し、核兵器をも含む先制攻撃を叫んだブッシュ・ドクトリンは記憶に新しいが、日本においても軍事的対処を必要とする事態について「地理的概念」から「性質概念」への転換(上記「周辺事態法」など)や「敵基地先制打撃論」や「専守防衛」原則の廃止論などは現在進行形の問題である。

 加えて「軍事力強化の必要性」に関しての「説明責任の転換」が生じる。「冷戦時代からの組織や装備を存続させ、さらに税金を費消して新たな装備を調達し続けられるか」という課題に対して「新たな『危機』や『脅威』を生み出す(創り出す)必要性も生まれる」。「『脅威』があるから軍事力が必要なのではなく、軍事力の維持のために『脅威』が創出される」というわけだ。

 「アジア太平洋地域の安全と繁栄」、それが「日米安保を基盤とする」という認識、そして「幅広い分野における日米安保協力をさらに推進し、深化する」ということが何を意味するものかについて冷厳に批判しぬき、「新安保共同宣言」というべきものが策定されてゆく過程で生起してくるであろう日米政府間の齟齬や相違、あるいは日本における支配層の分解と矛盾の拡大をも徹底して突きながら日米安保条約・体制の打破へのたたかいをその理論創造とともに進めよう。

 【注】文中にいちいち出典を明示しなかったが、この項は豊下楢彦氏の諸論考に論点の多くを負っている。『集団的自衛権とは何か』(岩波新書)『安保条約の成立』(同)、「『新しい戦争』と『旧い同盟』」『世界』〇二年一月号所収、「日米安保における『対等性』とは何か」(『世界』〇九年十一月号所収)など。右派の日米安保五〇年のとらえ方としては「日米同盟の課題」(坂元一哉・『国際問題』bT88)などを参照した。

 また、「防衛概念の変質・拡張」という論点については、水島朝穂「平和政策への視座転換」『平和憲法の確保と新生』(北海道大学出版会)所収)に依っている。


 ◆2項 軍事力強化こそ戦争・抑圧・貧困の元凶

 第二に、日米安保を徹底批判するということは「軍事を背景とした平和」論を徹底的に批判するということでもあるが、さらに軍事力に依らない平和を創造することが労働者階級人民の利益だという点に関して述べておこう。くりかえしになるが、安保五十年に際しての談話や声明において述べられている日米安保の意義についての言及や賛美は、徹底的にペテンである。ベトナム戦争、自衛隊派兵の常態化以降のアフガン戦争・イラク戦争と在沖・在「本土」米軍基地の活用などをみるまでもなく、日米安保は東アジアあるいは太平洋地域・中東地域に及んで、平和のためにところか、侵略と戦争のために機能した。「アジアには冷戦体制が残存する」という理屈でアジア米軍十万人体制が今世紀の当初においても維持されてきたが、これは「冷戦体制が残存しているから」ではなく、手を変え品を変えながら「冷戦的体制がそれによって不断に形成・捏造されてきた」と今では語るべきである。

 そしてまた、「軍事による平和」という安保・外交をめぐる政治の継続は、その当事国内政において、とりわけ労働者民衆にとっては抑圧の強化であり、搾取の継続・強化であるという点が明らかだ。「9・11」以降の米国社会を見よ。民衆の自由は侵害され、生活領域への監視が常態化し、軍事と警察という国家暴力が日常に入り込む社会が形成されている。同様のことは日本社会においても進行するばかりである。その抑圧は、労働者民衆の基本的人権を脅かすばかりでなく、国家暴力装置の本来的な役割としての資本による労働者への搾取と支配の維持・強化に最大の効力を発揮する。

 ところがその日米安保を鳩山は「公共財」と称した。そこには底なしの憲法の精神ヘの背反、その平和主義への蹂躙がある。「軍事的価値と人権保障は両立しえないという経験則に従って、日本国憲法は軍事的なものに公共財としての価値を認めない立場を確立したのではなかったか」(麻生多門「憲法と基地問題」 〇六年七月 法律時報臨時増刊『続・憲法改正問題』所収)という憲法学者の指摘は重要である。この論者は続けて「平和という問題は、個々人の抱く価値観として『私的空間』に閉じ込めるのではなく、むしろ制憲当時に与党の中にさえ支配的であった、『非武装絶対平和主義』という実質を充填された『準則』として、社会共同の枠組みとして構成されるべきテーマではないだろうか」としているが、「憲法の平和主義と日米安保(日米同盟)」という点にかかわって深く考えるべき指摘である。

 さらに搾取の継続に基づく資本制社会の維持ということとともに、まさに軍事費の増大という点がある。これは青天井にかさみ続けとどまる限界はないという意味での全社会的な巨額の浪費・冗費に他ならない。米国の経済学者ジョセフ・スティグリッツが、イラク戦争にかけた軍事費の総計を計算し、それが社会的な意味ある投資として活用されたならば現在の米国民の生活苦や医療保険などの社会福祉政策の貧困は生起していないということを『世界を不幸にするアメリカの戦争経済』(徳間書店 〇八年五月)において述べているが、まさに一方における膨大な貧困層を生みだしながらも巨大独占や軍需産業はこの世の春を謳歌するという社会が米国であり、そしてまた軍需産業の隆盛ということは措くとしても、多くの面で日本の姿なのである。

 さらに、安保が抑圧そのものだという点とあわせ、日本の社会や政治のあり方を完全にゆがめるものとして機能し続けているという点をあきらかにしておかなくてはならない。そもそも現行安保条約の締結は「核兵器持ち込み密約」「朝鮮有事時の際の戦闘作戦行動密約」とあわせてなされたものだ。元々からゆがみきり腐敗した外交政策の産物なのであり、それが「沖縄密約」「沖縄核密約」を続々と産出させた出発点なのでもある。これのどこに賞賛する値打ちがあるのか。

 憲法と並存し、あるいは実態としては憲法の上に日米安保があることで社会や政治がゆがみぬき、それによって労働者民衆がどれほど災厄をこうむっているのかという点であるが、基本的人権の侵害の事例は米兵犯罪に限らず、爆音被害をはじめ基地被害そのものとして日々生産されている。日米軍事基地の所在する地方自治体はその財政も行政も含めますます軍事に依存し、住民はむしろ損失・損害を日々累積させている。最近の調査において、基地交付金などの収入をはるかに上回る経済効果が、基地撤去後の跡地利用の調査で計測されてもいる(前泊博盛「『基地依存経済』という神話」『世界』二〇一〇年二月号所収)など。岩国での事態が明らかにしめすごとく、安保政策に対して批判・反対する自治体には国家の全体重をかけた圧力の発動もなされた。住民投票を通じた住民意思がそこでは攻撃され、岩国基地大強化に反対し続けた井原前市長は汚濁にまみれた攻撃にさらされ続けたのである。日米安保の存在のゆえに憲法の三大原則はおろか財政・地方自治などの諸条項そのものも破壊されているのだ。

 こうした安保条約・体制への批判、「日米同盟の深化・刷新」という日米支配層の目論見に全面的に対決してゆく論陣と陣形を形づくることが安保五十年のいま求められている。新「日米安保共同宣言」への道を許さず全面的に対決し「日米安保の破棄・日米同盟の破壊」へ向けた論陣をがっちりと職場・学園・地域に張り巡らせてゆこうではないか。


 ▼2節 闘いの方向と課題

 ◆1項 米軍再編との闘いを発展させよう

 続けて、具体的なたたかいの課題という点について明らかにしておきたい。

 第一に、「日米同盟の深化・刷新」に対抗してゆくうえで、米軍再編とのたたかいこそ最も有効で緊要な日米同盟を打ち砕くたたかいの場であることをあらためて確認しておこう。鳩山は、日米安保五十年に際しての談話発表を前にして「普天間問題が解決できなくて日米安保を信頼ある形に進めることはできない。五月までにきちっと解決することが試金石になってその先に進む」と述べた。これは、懸案の米軍普天間飛行場移設問題の円満な解決が同盟深化のカギを握るとの認識を表明したものだ。日米同盟の深化のために普天間問題の解決(移設問題の決着)を行なうというが、果たして誰にとっての「円満な解決」なのか。具体的な「移設先」をめぐっては「現行の辺野古案がベスト」と言い続ける米側との協議はさらに難航することは必至である。だが、述べてきたように「日米同盟の深化・刷新」というゴールは日米同一でもある。この矛盾が日米政府間で顕在化している事態こそ重要だ。労働者階級の普天間問題への回答は「普天間基地の無条件閉鎖・返還―辺野古新基地建設阻止」以外ではありえない。つまり、日米両政府間の米軍再編見直しをめぐる矛盾の顕在化や継続を徹底して突きながら、頑として基地の縮小・撤去への方向性を貫くことを通じて日米同盟の亀裂をさらに拡大し、日米安保そのものの「見直し」から廃止へと要求を高次化させてゆくのである。まさに「日米関係そのもの」「日米安保そのもの」をたたかいの俎上に載せ、さらに日米安保の破棄・廃絶へとたたかいを進めてゆくのだ。「日米地位協定」の抜本的改定や「思いやり予算」廃止の要求もきわめて重要なたたかいだ。

 〇六年米軍再編『日米ロードマップ』合意からすでに四年が経過しようとしているが、沖縄におけるたたかいとその成果をはじめ、岩国における基地大強化反対―愛宕山米軍住宅絶対反対のたたかいの継続と発展、神奈川におけるたたかいの継続や拡大はがっちりと進行している。もちろん各地の住民のたたかいがストレートに基地の撤去や日米安保の廃止をかかげるものでないことは当然であるにしても、そのたたかいの内実は実際のところ、米軍再編を通じて日米同盟を深化・刷新・強化してゆこうとする日米支配層・政府の意図に正面から対抗するものであることもまた確かなのである。

 ところが、鳩山政権は「米軍再編の見直し」公約にもかかわらず、また、政権発足直後の「米軍再編見直しに向けての『検証』」を口にしておきながら、来年度予算案に総額千三百二十億円もの経費を計上した。岩国に関しては総額四七四億円という巨額を計上している。とりわけ許せないことに、「米軍再編関連施設用地」の名目で愛宕山跡地買い取り費用一九九億円をも計上している。「晴天の霹靂(へきれき)」とはまさにこのこと、愛宕山の米軍住宅化への突破口だ。だが岩国市民は怒りをもってこの予算案計上を弾劾し、昨年末から「予算案からの削除要求」「愛宕山予算執行停止」をかかげ、新たな局面に即したたたかいを始めている。岩国基地四訴訟の断固たる大衆的推進を軸としながら岩国のたたかいは本年もさらに発展する。こうした岩国のたたかい、沖縄・神奈川のたたかいに対して支持支援を寄せともにたたかうことを通じてこそ、日米安保・安保体制そのものの破棄・廃止への道が開かれるのである。


 ◆2項 憲法改悪阻止のたたかいと一体にたたかおう

 第二に、憲法改悪を許さないたたかいがますます重要である。特に「日米同盟の深化・刷新」とは憲法九条の破壊、あるいは「安保の法的基盤の再整理」というかたちでの集団的自衛権行使解禁ということと抜きがたく結びつく。政権合意の「平和主義、国民主権、基本的人権の憲法三原則遵守」は、七月参院選以降はそもそもの連立政権の存亡をも含め解消される可能性があると見なくてはならない。したがって、生存権や労働権などの徹底した保障要求とあわせ、憲法の平和主義の実現という点を基軸的に押し出しながら、改憲阻止のたたかいをいっそう強化しなくてはならない。憲法改悪の攻撃は、日米同盟の深化論議とあいまった形で、五月国民投票法施行などをテコに激化する条件は常にあると見なくてはならない。政府の憲法解釈を一元的に行なう位置にある内閣法制局長官の国会答弁禁止もまた、その脈絡から捉えることができる。

 これとともに、鳩山政権の安保・防衛政策はいまだその形を見せてはいないという問題もある。「防衛計画の大綱」策定を本年末まで先送りすることが決定されているが、その間隙をつく形で、米政府によって述べてきたような「日米同盟深化」の方向付け・枠付けがなされたところである。であるならば、鳩山は麻生政権の最末期に急ピッチで仕上げられた「安保防衛懇談会報告」が示す諸内容を全部あるいは相当程度取り入れた形でその大綱作りへと至る可能性も濃厚となる(『本紙』第一三三四号参照)。そこでは「専守防衛」の見直しや、武器輸出三原則の緩和・変更などが提言されていたが、それらもまた前政権下の日米同盟の強化という方向で案出された経緯がある。(なお、「日米同盟」という用語の経緯については、『本紙』一二七三号・〇六年など参照)


 ◆3項 アジア太平洋民衆とともにアジア米軍総撤収へ

 第三に、何よりもアジア米軍総撤収のスローガンに基づくアジア太平洋地域における労働者民衆のたたかいの連携・連帯を強化してゆくべきときだ。「日米同盟」あるいは韓米行政協定、米比VFA(米軍一時駐留協定)などの軍事的協定・条約とのたたかい、また米政府による台湾への巨大な規模の武器売却に対するたたかいは同時・同質のたたかいである。「アジア太平洋国家としての米国」を強調し、「日米同盟」をテコとしてこの地域に強力にコミットしてゆくことを「東京演説」を通じてオバマはすでに明らかにしているところだが、その故にこそ日米、韓米、米比、米台(中)のそれぞれの関係における軍事協定や実際の軍事展開の意義や位置付けはいやましに高まる。オバマの東京演説とは米帝がアジア太平洋地域における軍事的コミットの強化の宣言でもあるのだ。アジアにおける反帝闘争の中心的な課題の一つとしてアジア米軍総撤収のたたかいをいっそう発展させてゆくことが必要だ。アジア共同行動がいっかんして進めているこのたたかいを断固支援し、このたたかいのさらなる発展をともにかちとろう。

 アジア外交路線という点は本論でほとんどとりあげることができなかった。侵略・植民地支配への謝罪と補償を完全に実行させ、かつての侵略・植民地支配に根拠をもつ領土問題・領有権をめぐる紛争事態に終止符を打たせ、折からの排外主義の台頭とたたかいながら、アジア民衆の力で平和と友好の実質を形成してゆくことが何よりも重要である点を指摘しておく。そして、鳩山政権のアジア外交路線策定と「日米同盟」をめぐる日米間の協議過程とが一体に進む中では、このアジア労働者民衆との連帯・連携は極めて重要な意義をもつことを指摘しておく。(完)


 【追記】
 脱稿直後、名護市長選での辺野古新基地計画反対をかかげる稲嶺進氏の当選という情報が入った。沖縄民衆をはじめとした全国の基地所在地住民と労働者階級人民は、米軍再編計画を打ち砕くたたかいの地平をさらに一段押し上げた。いっそう米軍再編計画を打ち砕くたたかいを発展させよう。

 この勝利が「普天間問題」をめぐる日米政府間の齟齬をさらに拡大する意義をもち、辺野古新基地建設計画廃止という成果を大きくたぐり寄せるものであることは確かだが、それゆえにいっそう強力に「普天間基地の無条件即時閉鎖・返還」のたたかいを強化しなくてはならない。
 

 

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