共産主義者同盟(統一委員会)

 

■政治主張

■各地の闘争

■海外情報

■声明・論評

■主要論文

■綱領・規約

ENGLISH

■リンク

 

□ホームに戻る

  ■7月参議院選挙の結果が示したもの

  日帝―菅政権打倒する労働者階級人民の決起を




 ●1 参議院選挙結果の概要

 昨年八月末の総選挙において政権を獲得した民主党にとって、七月参議院選挙は自民党をさらに追いつめ、参議院における単独過半数を獲得することで長期安定政権を確立することを目的としたものであった。そのために小沢前幹事長を中心に、支持基盤である連合との関係をさらに強めつつ、自民党の支持基盤であった業界団体を切り崩し、選挙態勢をつくりあげていった。しかし、このもくろみは、今年に入ってからの鳩山前政権の急速な支持率の低下によって、もろくも崩れ去った。
 参議院選挙直前になって、政治情勢はめまぐるしく変化した。鳩山前政権は五月二十八日に、普天間基地の辺野古移設を明記した日米共同声明と閣議決定を強行した。それは閣議決定への署名を拒否した社民党の福島党首の閣僚罷免、社民党の連立政権からの離脱という事態を引きおこした。支持率の低下によって窮地に陥った鳩山前首相は、小沢前幹事長を道づれにする形で六月二日に辞任、六月八日に民主党と国民新党の連立による菅政権が成立した。菅首相は、いわゆる「政治とカネ」の問題で非難を浴びつづけた小沢前幹事長の勢力を内閣と党の要職から排除し、菅政権と民主党の支持率はX字形の急速な回復を示した。いったんは参議院選挙における民主党圧勝、単独過半数獲得が予測された。しかし、菅首相の消費税増税発言を転機として菅政権と民主党の支持率は急速に下降し、民主党はそこから回復できないままに投票日を迎えた。
 他方で自民党もまた、昨年の総選挙前の渡辺喜美の離党と「みんなの党」の結成につづいて、総選挙後には舛添要一の離党と「新党改革」の結成、平沼赳夫・与謝野馨らによる「たちあがれ日本」の結成など、徐々に分解を開始していった。また、保守系の地方議員を中心に「日本創新党」が結成された。民主党の支持率の低下は自民党の支持率の回復にはつながらず、民主党政権の打倒をかかげた保守政党が乱立する形で参議院選挙を迎えた。
 こうして行われた七月十一日の参議院選挙は、前回の〇七年参議院選挙をわずかに下回る投票率となり、民主党は大敗を喫した。改選議席五十四議席に対して、当選者は選挙区二十八議席、比例区十六議席の合計四十四議席にまで大きく後退した。とりわけ、二十八ある選挙区の一人区では八勝二十敗という惨敗であった。民主党は非改選の六十二議席を加えても、百六議席にとどまった。連立与党の国民新党も一議席すら獲得できない惨敗であった。その結果、連立与党の参議院での議席は百九議席となり、過半数の百二十二議席を大きく割り込んだ。
 他方で自民党は、改選議席三十八議席に対して、当選者は選挙区三十九議席、比例区十二議席の合計五十一議席となり、民主党を大きく上回った。しかし、自民党にとってもこの結果は、決して手放しで「勝利」と言えるものではなかった。比例区での得票率24・07%、獲得議席十二議席は、これまでの参議院選挙で最低となる敗北であったからである。選挙区でも、自民党の総得票数は民主党を下回った。選挙区での「勝利」は、現状では民主党と自民党という二大保守政党のどちらかしか議席を獲得することが困難な一人区が二十八もあるという選挙制度に助けられたものであったと言える。乱立した保守新党では、みんなの党だけが躍進した。みんなの党は、改選議席ゼロに対して、選挙区三議席、比例区七議席の合計十議席を獲得した。とりわけ比例区では、民主党・自民党に次ぐ13・59%の得票率であった。これに対して他の保守新党は、新党改革とたちあがれ日本がそれぞれ比例区で一議席を獲得しただけで、日本創新党は議席を獲得することができなかった。公明党もまた、改選議席十一議席に対して、選挙区三議席、比例区六議席の合計九議席に後退した。
 社民党は、新社会党の副委員長であった原和美を比例区候補に加え、前回参議院選挙では九条ネットという形で独自候補を擁立した新社会党系との協力関係をつくり、選挙にのぞんだ。しかし、改選議席三議席に対して、選挙区では議席を獲得できず、かろうじて比例区で二議席を確保しただけであった。比例区の二百二十四万票・得票率3・84%は、前回参議院選挙での二百六十三万票・得票率4・47%からさらに後退したものである。日本共産党は、改選議席四議席に対して、選挙区では議席を獲得できす、比例区での三議席だけとなった。比例区では、前回参議院選挙の四百四十万票(得票率7・48%)から、三百五十六万票(6・10%)に後退し、東京選挙区では唯一の選挙区での現職議員を失った。
 このような参議院選挙の結果、菅政権は一挙に不安定化した。九月十四日に民主党代表選挙が予定されているが、民主党内での菅政権主流派と小沢派との対立と確執が深まっている。連立与党が参議院での過半数を失ったことから、連立の組み替えに至る可能性もある。そして、民主党代表選挙の結果によっては、民主党の分裂・政界再編の可能性も無いとは言えない。


 ●2 選挙結果が意味するもの

 このような選挙結果を分析するにあたって、あらためて次のことを確認しておきたい。今回の参議院選挙は、最も得票率の高かった党が最も多くの議席を得ることにならなかったという特異な結果となった選挙であった。民主党は、単純得票率(全投票数に占める得票率)では32%を占め、議席占有率では36%であった。これに対して自民党は、単純得票率では民主党をはるかに下回る24%であったにもかかわらず、議席占有率では42%となった。もともと少数政党に不利な選挙制度であることに加えて、保守二大政党間においても得票率と獲得議席数の優劣が合致しないというねじれた結果になったのである。このことに留意しつつ、以下、選挙結果を分析するいくつかの視点を提起する。
 まず第一に明確にしておかねばならないことは、昨年八月末の総選挙において圧勝した民主党が、なぜこれほどの大敗を喫したのかということにある。昨年夏の自公政権の崩壊は、小泉「構造改革」路線による階級矛盾の深まりを背景として、生活を破壊され生存権すら奪われてきた広範な労働者人民のまさに怒りの爆発と言える事態であった。また、日米同盟にもとづく米軍再編・日米軍事一体化を推進し、戦争国家化の道を突き進んできた自公政権に対する労働者人民の不信と怒りの結果でもあった。こうして圧勝した民主党を中心とした鳩山前政権が成立した。
 自民党にかわって政権を掌握した民主党もまた、日帝ブルジョアジーの利害を代表する保守政党だということにおいて、自民党と本質的な違いはない政党である。しかし、鳩山政権は、いくつかの点においてそれまでの自公政権とは異なる政策をとろうとした。民主党は自公政権を打倒するために、小泉政権以来の「構造改革」路線に対抗して「国民の生活が第一」というスローガンを掲げ、二〇〇七年の参議院選挙や昨年の総選挙において労働者人民の要求の一部を選挙公約(マニフェスト)に取り入れてきた。また、子供手当てや農家への戸別所得保障制度の創設などを公約に含めてきた。そして、安保・外交政策においては、日米同盟を基軸としつつも、「東アジア共同体」の創設と「対等な日米関係」を掲げ、アメリカからの相対的な自立を志向しようとした。それは、急速に資本主義的発展をとげる中国との関係を強化し、東アジアに独自の勢力圏を築くことによって、日米同盟一辺倒であった自公政権とは異なる路線をもって日本帝国主義の延命をはかっていこうとするものであった。これらのことが、昨年九月に成立した民主党政権に自公政権とくらべてリベラルな性格を与え、広範な労働者人民の期待感を生みだした根拠ともなった。その象徴が、普天間基地の撤去問題を焦点とした米軍再編の見直しであり、労働者派遣法の抜本改正などであった。
 しかし、鳩山政権は安保・外交政策をめぐっては、アメリカによるすさまじい圧力に直面し、アメリカから相対的に自立していこうとする志向はおしつぶされていった。アメリカ・オバマ政権は、昨年十二月の小沢前幹事長が率いる民主党国会議員百四十三人の訪中、民主党内から公然と「日・米・中正三角形」論が語られるような事態に危機感をつのらせた。そして、アメリカからの相対的自立を志向する動きを牽制し、普天間基地撤去問題では自公政権と合意した辺野古移設以外のあらゆる案を強硬に拒否し続けた。日本のマスコミもまた、「日米同盟の危機」を煽りたてた。その結果、日米同盟を基軸とした鳩山政権は、対米関係の悪化を恐れ、まともな対米交渉もできないままにアメリカの圧力に屈していき、日米同盟にもとづく米軍再編・日米軍事一体化の推進へと回帰していったのである。また、小泉「構造改革」路線からの転換においても、深刻な財政危機とあいまって選挙公約は次々と反古にされ、新自由主義政策のわずかな手直しにまで後退していったのである。その過程はまた、自公政権時代からそのまま居座った外務省・防衛省・財務省などの官僚に、民主党政権が取り込まれていく過程でもあった。こうして民主党政権は、いったん取り入れた労働者人民の要求を次々と切り捨て、日帝ブルジョアジーの利害を代表する政権としての性格を明確にしていった。これらのことは、民主党に期待した多くの労働者人民にとって裏切り以外の何ものでもなかった。民主党の大敗は、必然的な結果であったと言える。
 とりわけ、五月二十八日の日米共同声明において、「米軍の抑止力の維持」を理由として普天間基地の辺野古移設を明記したことは決定的な事態であった。四月二十五日の九万人が結集した県民大会に示された沖縄人民の民意、まさに「島ぐるみ」のたたかいに敵対し、辺野古新基地建設を改めて決定した。それは普天間基地の撤去問題への対応にとどまらず、民主党政権がかつての自公政権と同様に、日米同盟にもとづく戦争国家化を推進していくという宣言に他ならなかった。そればかりではない。労働者派遣法の抜本改正はとことん骨抜きにされ、成立のメドすらまったく立っていない。「後期高齢者医療制度」や「障害者自立支援法」の廃止も、先送りや棚上げとなってきた。警察での被疑者の取調べの全面可視化は放棄され、選択的夫婦別姓制度や外国人の地方参政権の導入も見送られた。そして、昨年の総選挙では否定した消費税増税を公然と掲げるに至ったのである。他方で、民主党政権は韓国哨戒艇「天安」沈没事件をめぐって韓国・米国とともにきわめて強硬な態度を取り、臨検法案を成立させるなど、朝鮮民主主義人民共和国への戦争態勢にさらに深く関与してきた。また、自公政権下での共和国への制裁措置をそのまま継続し、四月から実施された高校無償化制度からの朝鮮学校の排除を画策するなど、民族差別・排外主義にもとづく政策をとってきた。民主党の大敗は、まさにこのような民主党政権に対する労働者人民の不信と批判の高まりを示すものであった。とりわけ、沖縄選挙区では民主党は候補者を擁立することすらできず、比例区の現職であった沖縄県連の代表が落選するなど、惨憺たる事態に陥った。
 これらの背景には、民主党政権が日本経団連との関係を急速に緊密化させてきていることがある。とりわけ、「強い経済、強い財政、強い社会福祉」を掲げた菅政権の成立以降、この動きは急ピッチである。菅政権成立直後の六月八日に枝野幹事長が民主党幹事長として一年ぶりに日本経団連本部を訪問、六月十八日には政権交代後初めて日本経団連・経済同友会・日本商工会議所の財界三団体のトップがそろって首相官邸を訪問した。日本経団連は四月十三日、「経団連成長戦略二〇一〇」を公表している。そこでは、「企業活動の活性化が日本経済を活性化させ、雇用を増大させ、国民生活を豊かにする」として国際競争力の強化を正面から掲げ、そのための条件整備として法人税の実効税率の30%への引き下げ、労働市場の流動化、消費税の10%への増税による財政の健全化などを提起している。その内容は、小泉「構造改革」路線のもとでの新自由主義政策とほとんど変わらない。菅首相の参議院選直前の唐突とも言える消費税の10%への増税という発言は、決して思いつきではない。法人税の実効税率の引き下げのための財源を確保し、新たな大衆収奪をもって危機的状況にある日本の国家財政の破綻を回避するためにブルジョアジーがかねてから強く要求してきたものなのである。このような日本経団連との関係を緊密化することによって、民主党政権は多少の手直しは避けられないとしても新自由主義政策に回帰していこうとしている。
 第二に、民主党に対抗する自民党などの保守政党の動向についてである。自民党は、昨年の総選挙につづいて敗北すれば、党が崩壊しかねない危機のなかで参議院選挙に臨んだ。改選第一党となったことで、自民党は民主党に対抗する保守二大政党のひとつという位置を保持することができた。しかし、自民党が選挙区での勝利にもかかわらず、政党への支持率が直接反映する比例区で敗北した理由は、かつての自公政権に対する拒否感がなお広く労働者人民のなかに存在していることにある。また、比例区で大きな集票力をもってきた医師会などの業界団体が、民主党に掘り崩されてきた結果でもある。そして、民主党政権が日帝ブルジョアジーの利害を代表する政権としての性格を明確にしていくにつれて、自民党は政策的にも民主党との違いがますます不鮮明となってきている。
 このようななかで注目しておくべきことは、民主党への対抗軸を鮮明にしていくために、自民党と乱立する保守新党にまたがって、より右翼的排外主義的な結集を図っていこうとする動きが顕在化してきていることにある。六月九日、元航空自衛隊幕僚長の田母神を委員長とする「頑張れ日本!全国行動委員会」の主催で、「頑張れ日本!救国国民総決起集会」なるものが開催された。この集会において、自民党内の議員集団「創生日本」会長の安倍晋三元首相、たちあがれ日本代表の平沼赳夫、日本創新党代表の山田宏が田母神とともに中心的な発言を行い、小池百合子などの自民党議員、拉致被害者家族会事務局長の増元照明、拉致被害者を救う会会長の西岡力、新しい歴史教科書をつくる会会長の藤岡信勝などが次々と発言を行った。これらの部分と在特会などの排外主義差別者集団とが実際上連携していることは明らかである。
 今回の参議院選挙で躍進したみんなの党は、小泉「構造改革」路線の継承、新自由主義政策の推進を立場とする政党である。この点においてみんなの党は、骨抜きにされた民主党の労働者派遣法改正案に対してすら反対し、「小さな政府」を標榜するなど、その立場は徹底している。そしてまた、みんなの党の特徴は、そのポピュリズムにある。みんなの党の参議院選挙のマニフェストは、冒頭に公務員の十万人削減と給与の二割カットを掲げ、犠牲を集中されている労働者人民の怒りを公務員バッシングへと向けていくものであった。民主党と自民党の双方から離反した層の受け皿がみんなの党であるかのように描いたマスコミの報道とそのポピュリズムによって、みんなの党は参議院選挙において躍進した。みんなの党は、きわめて危険な体質をもつ政党にほかならない。
 第三に、今回の参議院選挙における社民党・日本共産党の後退をいかにとらえるのかということにある。民主党の大敗、そして自民党が比例区において過去最低の議席になるという敗北を喫したことは、昨年夏に自公政権を崩壊へと追いやった労働者人民の新自由主義政策への怒りや拒否感がなお持続し、さらに拡大してきていることを示している。民主党政権の成立から一年を経ても、ますます非正規雇用労働者が拡大し、労働者に犠牲が集中されていく構造はなんら変わってはいない。また、普天間基地の辺野古移設をめぐっても、五月二十八日の日米共同声明を圧倒的多数が拒否した沖縄だけではなく、世論調査によれば「本土」においても半数前後の労働者人民がこれに反対した。しかし、社民党・共産党はともに、これらの犠牲を集中される労働者人民、自民党と民主党という二大保守政党に不信を抱く労働者人民をみずからのもとに引きつけていくことができなかった。
 社民党は、日米共同声明にもとづく辺野古移設の閣議決定への署名を福島党首が拒否し、連立政権を離脱して参議院選挙に臨んだ。その結果、沖縄においては比例区での得票率がトップになるなど支持を拡大したが、全国的には大きく後退した。その理由はまず、昨年九月の鳩山政権の成立以降、民主党が次々と労働者人民の要求を切り捨て、新自由主義と戦争国家化の道へと回帰していくことに対して、社民党が連立政権内でほとんど対抗できず、その追認をつづけたことにある。さらに、辺野古移設をめぐって福島党首が罷免される直前まで、社民党の執行部の多くはさらに妥協してでも連立政権にとどまろうとしていた。党首の罷免によって言わば強制される形で連立政権から離脱したものの、いくつかの選挙区では民主党との選挙協力を維持するなど、それはきわめて不徹底なものであった。その背景には、この間の何度かの国政選挙を通して、社民党が民主党との選挙協力に依存する体質を強めてきたことがある。労働者人民のたたかいの先頭に立つことによって信頼をかちえていくのではなく、民主党への依存を強めていった結果、社民党の党組織はさらに弱体化していった。社民党の議員のなかでも最も民主党に依存してきた辻元清美が、連立政権からの離脱に反発して参議院選挙後に離党したことは、必然的な帰結であったと言える。数人の沖縄選出議員などの奮闘、保坂展人や原和美を保守二大政党に対抗する議員として送りこもうとする左派労働運動・市民運動の努力などがありつつも、社民党はまさに存亡の危機を迎えている。
 日本共産党もまた、大きく得票数・得票率を後退させた。共産党は、小泉政権登場直後の二〇〇一年の参議院選挙において、一九九八年の参議院選挙で獲得した過去最高の八百二十万票・得票率14・6%をほぼ半減させた。しかし、それ以降の二〇〇四年、二〇〇七年の参議院選挙、二〇〇五年、二〇〇九年の総選挙においては、これ以上の後退に歯止めをかけ、ほぼ得票数・得票率を維持してきた。この時期、小泉「構造改革」路線がもたらした「格差社会」が問題となり、「蟹工船」ブームが訪れるなかで、共産党は首都圏青年ユニオンの組織化などの新しい実践を組織し、入党者数も急増した。しかし、今回の参議院選挙において再び大きく後退したのはなぜなのか。
 昨年の政権交代後、日本共産党は連立政権には加わらなかったが、「建設的野党」と称して鳩山政権に対して是々非々主義とも言うべき態度をとった。鳩山政権が新自由主義と戦争国家化へと回帰していくにつれて批判を強めてはいったが、その民主党政権に対する批判は不徹底なものであった。自民党のみならず民主党からも離反し始めた労働者人民を共産党が引きつけていくことができなかった大きな根拠はここにある。そのことは、日本共産党が「ルールある資本主義」の実現を当面の目標とすることによって、ますます資本主義の改良へと純化してきたこと、また米軍再編や日本の戦争国家化とのたたかいを憲法九条の擁護と対米従属からの脱却という枠に封じ込めてきたことと深く結びついている。新自由主義政策とは、資本の動きに対する規制を取りはらうことによって、資本主義の矛盾をむきだしのものとする。犠牲を集中される労働者人民の貧困と無権利、生存権すら奪われるような現実は、帝国主義的グローバリゼーションの結果であり、人が人らしく生きることと資本主義がもはや相いれないことを示すものである。このような現実に対する労働者人民の怒りと抵抗のなかにこそ、現社会の根本的変革への希求が萌芽として内包されている。日本共産党には、労働者人民のたたかいに内包されているこの変革へのエネルギーを解き放ち、自己解放闘争へと発展させていくことができない。現社会の根本的変革への希求を資本主義・帝国主義への批判と結びつけ、資本主義にかわる新たな社会としての社会主義・共産主義をめざそうと呼びかけることもしない。このような日本共産党は、新自由主義政策や米軍再編・戦争国家と先進的にたたかおうとする労働者人民を結集させることができず、その結果として自民党や民主党から離反するより広範な労働者人民を引きつけていくこともできなかったのである。


 ●3 保守二大政党制と対峙する新たな階級闘争の組織化へ

 このような選挙結果分析の視点をふまえ、総括的にみるとき、今回の参議院選挙の結果は何を意味しているのか。われわれは、戦後五五年体制崩壊以降の日帝ブルジョアジーの政治支配体制を保守二大政党制支配と批判してきた。すなわち、それは階級矛盾の深まりにもとづく労働者人民の不満や怒りをその基本路線において大きな違いがない二大保守政党間の政権交代に集約し、日帝ブルジョアーに対する階級闘争へと発展することをおしとどめ、階級支配の安定化をはかるという政治支配体制である。この保守二大政党制支配は、労働運動のナショナルセンター(連合)を一方の保守政党の支持基盤へと編成し、小選挙区制などの選挙制度によって少数政党による議席の獲得をきわめて困難にすることを不可欠の条件とするものである。
 このような観点から見たとき、昨年の総選挙から今回の参議院選挙に至る過程は、このような保守二大政党制支配がその力を発揮した過程だったと言える。小泉「構造改革」路線による新自由主義政策の推進は、日本における階級矛盾を一挙に深刻化させ、階級支配そのものの危機に至りかねない事態をもたらした。しかし、昨年の総選挙においては、自公政権から離反した労働者人民の多くは民主党への政権交代に集約された。今回の参議院選挙では、民主党政権から離反した労働者人民は分解し、少なくない部分が自民党やみんなの党などの民主党に対抗する保守政党へと集約された。一年前後で次々と首相が交代するという事態が示すように、この数年をふりかえってみれば、政権はきわめて不安定であるにもかかわらず、日帝ブルジョアジーによる階級支配そのものが危機に陥っているわけではない。
 しかし、次のこともまたはっきりとしている。昨年の政権交代以降、多くのたたかう労働者人民が自らの要求を鳩山政権に突きつけ、その実現のためにたたかい抜いた。確かにその要求のほとんどは、民主党政権によって拒否され、実現されているわけではない。だが、この一年は決して無駄ではなかった。このたたかいの経験を通して、さまざまな領域において労働者人民のたたかいはより広範で強固なものとなり、民主党への幻想からも解き放たれてきた。とりわけ、反戦反基地運動の領域における前進はめざましい。沖縄では、名護市長選挙や県議会決議、四月二十五日の県民大会の大成功によって、圧倒的多数の沖縄人民が普天間基地の撤去と辺野古新基地建設に反対し、軍事同盟としての日米安保に対する批判までが大きく広がってきている。岩国においても、愛宕山米軍住宅建設を阻止するための座り込みが開始され、実力闘争をも内包した新しいたたかいの局面にむかっている。そして、沖縄・岩国・神奈川のたたかいを結合し、米軍再編と対決する構造がさらに強化されてきた。また、沖縄のたたかいに連帯する「本土」での取り組みも全国・各地で組織されつづけた。労働運動においても、労働者派遣法の抜本的改正を要求するたたかいが全力で組織され、最低賃金の引き上げやセーフティーネットの整備など、小泉「構造改革」路線のもとで奪われた権利を奪い返し、破壊された労働と生活を再建していくためのたたかいが組織されつづけた。
 このようなたたかいの前進に立脚しつつ、民主党と自民党という二大保守政党、そしてみんなの党などの保守新党には決して集約されることのない、全国・各地方における階級闘争の組織化こそがいま求められているのだ。保守二大政党制支配を突き破る階級闘争のうねりを全力でつくりだしていこうではないか。
 それはまず第一に、徹底して議会外の大衆的なたたかい、実力闘争をも内包したたたかいを広範に組織していくことにある。保守二大政党制支配は、日帝ブルジョアジーにとって議会内から少数政党、左派抵抗政党を排除し、保守二大政党が議会内で圧倒的多数を占めることを可能とする。しかし、議会内の多数派が、そのまま議会外での多数派であるわけではない。今回の参議院選挙においても、総有権者数とくらべた絶対得票率においては、民主党でも18%、自民党に至っては13%を獲得したにすぎないのだ。議会外の大衆的なたたかい、実力闘争をも内包したたたかいの発展のために奮闘し、その基礎のうえに全人民的政治闘争を組織化していくこと、そして反帝国際主義をもってこれを領導していくことこそが求められている。とりわけ、沖縄の普天間基地撤去・辺野古新基地建設阻止をめぐるたたかい、岩国基地大強化・愛宕山米軍住宅建設阻止闘争をはじめとした米軍再編をめぐるたたかいは、今年の秋から来年にかけて重大な局面がつづいていく。沖縄のたたかいに連帯する全人民政治闘争の組織化を推進し、十二月岩国集会の成功を全力でたたかいとろう。そして、横浜APEC反対闘争を貧困と戦争に反対する反帝国際共同闘争としてたたかい抜こう。
 第二には、このようなたたかいが立脚する新たな階級闘争の構造を全国・各地方に建設する努力を組織していくことにある。労働者人民に犠牲が集中され、階級矛盾がこれほどまでに深まっているにもかかわらず、階級闘争のうねりを大きく組織できない根拠は、労働者がその団結組織すら奪われ、ばらばらに分断されているという現状にある。そのもとで、不安定な非正規雇用を強いられ、ワーキングプア化した労働者が、その原因をつくりだした新自由主義政策を立場とする自民党やみんなの党に投票するという事態もあちこちで生みだされた。崩壊した社共・総評を中軸とした戦後階級闘争構造にかわる新たな階級闘争構造を全国・各地に建設すること、そこに犠牲を集中される労働者を組織し、その階級意識・政治意識を高めあげていくというまさに地をはうような努力を組織していくことが、すべての原則的な共産主義党、先進的労働者人民の共同の努力として求められているのだ。
 第三には、資本主義にかわる対抗社会構想として社会主義・共産主義を労働者人民に正面から提起し、労働者階級と被抑圧人民・被差別大衆の解放の希望として再生させていくことにある。人が人らしく生きることと資本主義はもはや相いれないこと、少なくない労働者人民がこのことを肌で直観する時代が始まりつつある。議会を支配する保守二大政党は、いくつかの違いはありつつも、資本主義と日本の帝国主義を擁護するということでは共通の立場に立つものである。その反人民的政策とたたかうだけでは、保守二大政党制支配と正面から対決することはできない。労働者人民のたたかいに萌芽として内包されている現社会の根本的な変革の希求とむすびつき、資本主義への批判へといざない、社会主義・共産主義へと向かううねりをつくりだしていくこと、革命的労働者党と先進的労働者人民のなかにこれを切りひらく力を形成していくことが求められているのである。
 就任にあたって菅首相は、普天間基地の辺野古移設を明記した五月二十八日の日米共同声明にもとづき、米軍再編・日米軍事一体化を推進していくことを表明した。また、菅首相の私的諮問機関「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」(新安保懇)が八月上旬に提出する報告書の全容が明らかとなったが、それはまさに自公政権時代の日本の戦争国家化をそのまま継承していこうとするものである。すなわち、「基盤的防衛力」の概念がもはや有効ではないとして、集団的自衛権行使の一部合憲化、自衛隊の「敵基地攻撃能力」の保持、離島地域への自衛隊部隊の配備、非核三原則の見直し、PKO参加五原則の見直し、武器輸出三原則の見直し、潜水艦の増強などを列挙している。そして、七月二十五日から二十八日にかけて日本海で行われた米韓合同軍事演習に、日本の海自自衛官四人が初めてオブザーバーとして参加した。他方では、労働者派遣法の抜本改正など小泉「構造改革」路線からの転換を意味する諸政策を先送り・棚上げしつつ、日本の多国籍資本の国際競争力を強化するための法人税の実効税率引き下げや消費税増税など、多少の手直しを加えただけの新自由主義政策への回帰と大衆収奪の強化に向かおうとしている。このような菅政権を徹底して批判し、日帝・肝政権との断固たるたたかいへと労働者人民を組織していかねばならない。そして、保守二大政党制支配と対峙する階級闘争の組織化を全国・各地方で推進していこう。


 

当サイト掲載の文章・写真等の無断転載禁止
Copyright (C) 2006, Japan Communist League, All Rights Reserved.