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  ■日帝―菅政権の釣魚台略奪弾劾!

  排外主義煽動を粉砕し、沖縄への自衛隊配備増強を許すな




 九月七日、釣魚諸島(尖閣諸島)付近の海域で、中国の漁船と日本の海上保安庁の巡視艇が衝突するという事故が発生した。海上保安庁は、漁船の船長と乗組員を拘束、船長を公務執行妨害と外国人漁業規正法違反の容疑で逮捕した。菅政権は「尖閣諸島は歴史的に日本固有の領土であって、(中国との間で)領土問題は存在しない」という態度をとった。そして、逮捕した船長について「日本の国内法にもとづいて粛々と手続きを進める」として、起訴にまで至ろうとした。しかし、中国政府からの厳しい抗議がつづくなかで、九月二十四日に那覇地検は処分保留で船長を釈放した。この過程で、与野党からマスコミに至るまで、声をそろえて「日本の主権・領土を守れ」と排外主義的ナショナリズムを煽りたてた。菅政権は、このような排外主義的ナショナリズムを煽ることによって、日本の戦争国家化を一挙におしすすめ、沖縄をはじめとした反戦反基地運動をおしつぶしていこうとしている。われわれは、この事態に対して正面から反撃を組織していくことを呼びかける。以下、歴史的経過については、故・井上清さんの「『尖閣』列島―釣魚諸島の史的解明」(一九七二年刊行)を参考としている。


 ●1章 戦争国家化を推進する菅政権


 ▼1節 日中間の対立をあおる菅政権

 中国漁船と巡視艇の衝突事件が、これほどの日中間の対立に至った責任のほとんどは、明らかに日本政府の側にある。菅政権は、「中国の漁船が日本の領海を侵犯したことが原因だ」として、日本が一方的な被害者であるかのように主張してきた。このことがまったくの誤りであることをまず明確にしておかねばならない。
 一九七二年の日中国交正常化と一九七八年の日中平和友好条約の締結にあたって、中国は釣魚諸島の領有権問題の棚上げを提案した。当時の中国の最高実力者であったケ小平は、一九七八年の日中平和友好条約締結にあたっての記者会見で次のように述べている。「尖閣列島をわれわれは釣魚島と呼ぶ。……確かにこの問題については双方に食い違いがある。国交正常化のさい、双方はこれに触れないと約束した。……こういう問題は一時棚上げしてもかまわないと思う。十年棚上げしてもかまわない。われわれの世代の人間は知恵が足りない。われわれのこの話し合いはまとまらないが、次の世代はわれわれよりもっと知恵があるだろう。その時はみんなが受けいれられるいい解決方法を見いだせるだろう」と。こうして、日中国交正常化にあたって釣魚諸島の領有権問題は棚上げされ、最近では周辺海域での海底油田の共同開発プロジェクトも進行してきた。
 日中国交正常化からの約四十年間に、釣魚諸島をめぐっていくつかの事件がおこった。日本側では、「尖閣列島の防衛」を叫ぶ右翼が何度も釣魚諸島への上陸を試みた。また、中国や台湾の漁船や日本の釣魚諸島領有に対する抗議船が、日本が領海・排他的経済水域と規定する海域に入り、海上保安庁の巡視艇によって警告・排除されるという事件も発生した。しかし、今回の事件に至るまで、日本政府の対応は日中国交正常化にあたっての領有権問題の棚上げという合意にもとづき、抑制的なものであったと言える。たとえば、二〇〇四年三月二十四日に、中国の活動家七人が釣魚島に上陸したとき、海上保安庁は彼らを逮捕はしたが、起訴せずに二日後に「強制退去」させた。また、二〇〇八年六月十日に台湾の遊漁船「聯合号」と海上保安庁の巡視艇「こしき」が衝突し、「聯合号」が沈没するという事件が発生した。この事件で、海上保安庁は双方の過失による海難事故として処理し、双方の船長を業務上過失往来危険罪の容疑で書類送検、台湾側に沈没させたことの賠償金を支払った。
 このようなこれまでの対応からすれば、今回の中国漁船と巡視艇の衝突事故への日本政府の対応は、きわめて強硬なものであった。日本政府は、二〇〇八年の事件と同じように、海難事故として処理することもできたはずである。しかし、日本政府は中国漁船の船長を逮捕し、「日本の国内法にもとづいて粛々と手続きを進める」として、船長の起訴にまで至ろうとした。そして、「日本の領土と主権が脅かされている」とする排外主義的ナショナリズムを煽りたてた。さらに、「尖閣列島をめぐって(中国との間で)領土問題は存在しない」などと、まさに問答無用というべき態度を取ったのである。
 そもそも、釣魚諸島の領有権を主張する中国にとって、日本の国内法を中国領である釣魚諸島とその周辺海域に適用すること自体が受け入れ難いものである。また、「尖閣列島をめぐって領土問題は存在しない」という態度は、日中国交正常化にあたっての釣魚諸島の領有権問題を棚上げにするという日中両政府間の合意を破棄するに等しい発言であった。そして、菅政権は十月二十六日の閣議において、「日中国交正常化の過程で、尖閣諸島の領有権問題を棚上げにするという日中両政府間の合意は存在していない」との国会答弁書を決定し、政府間合意の存在そのものを公然と否定するにまで至っている。釣魚諸島について日本の領有権を主張することと、「尖閣諸島をめぐって領土問題は存在しない」という態度をとることとはまったくちがう。中国や台湾が釣魚諸島の領有権を主張している以上、国際的には厳として領有権をめぐる対立が存在しているのだ。この事実すら否定し、問答無用という態度をとることは、中国政府との一切の対話の道を絶ち切り、武力によってこの対立に決着をつけるところにまで行き着きかねないものである。このような日本政府の態度に対して、中国政府が厳しく抗議したのは当然であった。今回の事件をめぐって、日中間の軍事的衝突にまで至りかねない対立を生みだした主要な責任は日本政府の側にあるのだ。

 ▼2節 沖縄への自衛隊大増派を目論む

 このような菅政権の強硬な態度は、五月二十八日の日米共同声明をもって、民主党政権が米軍再編・日米軍事一体化と日本の戦争国家化の推進へと大きく舵をきったことと深く結びついている。昨年九月に発足した鳩山政権は、日米同盟の維持とともに「東アジア共同体」の創設を掲げ、中国との関係を強化することでアメリカ・EUと対抗する日本独自の基盤を東アジアにおいて形成しようとした。昨年十二月に、民主党の小沢幹事長(当時)が百四十三人の民主党国会議員を引きつれて中国を訪問したのは、象徴的な事態であった。それは、アメリカからの相対的自立を志向するもので、日本の一部の多国籍資本の要求を反映したものであった。しかし、この志向性はアメリカ・オバマ政権からのすさまじい圧力、外務省官僚・防衛省官僚などと結びついた岡田や前原や北澤などによっておしつぶされていった。彼らは普天間基地の辺野古移設をあらためて決定しただけではなく、米軍再編・日米軍事一体化と日本の戦争国家化の推進という自公政権と何ら変わらない路線に民主党政権を立ち戻らせたのである。菅政権は、このような基盤のうえに成立した政権にほかならない。九月七日に中国漁船の船長の逮捕を主導したのも、岡田や前原であったと報道されている。
 菅政権は、中国政府からの激しい抗議に直面して、中国漁船の船長を処分保留で釈放せざるをえなかった。自民党や右翼勢力は、これを「弱腰外交」と一斉に非難し、「日本の領土と主権を守れ」と叫びつづけている。しかし、菅政権には他の選択肢は無かったとも言える。中国との貿易は、二〇〇九年に日本の輸出入総額の20%を越え、輸出においても輸入においても中国は日本の最大の貿易相手国となっている。また、日本の多国籍資本による中国への投資もますます増大している。このような中国との対立が深まることは、日本の資本主義に深刻な打撃を与え、中国市場をめぐる争奪戦においても大きく立ち遅れていくことになるからである。菅政権は、こうして中国との決定的な対立を回避しつつ、他方で排外主義的ナショナリズムを煽りたて、一挙に日本の戦争国家化を推進していこうとしている。防衛省は、二〇二〇年までに沖縄に配備される陸上自衛隊を現在の十倍の二万人まで増強し、宮古・八重山諸島にまで配備しようとしている。また、海上自衛隊の潜水艦を現在の十六隻から二十隻以上に増強しようとしている。菅政権は、実際に中国との戦争を発動することはできないにせよ、沖縄島や宮古・八重山諸島に軍事力を集中することで、中国に対する軍事的な牽制を強めようとしているのだ。またそれは、「中国の脅威」を過大に宣伝し、排外主義的ナショナリズムによる「国民統合」をおしすすめ、米軍による「抑止力」の維持を理由とした普天間基地の辺野古移設を正当化していくという狙いに貫かれたものでもある。


 ●2章 日本政府の「基本見解」とは何か

 釣魚諸島(尖閣諸島)の領有権をめぐる中国政府・台湾当局と日本政府の対立が顕在化していくのは、一九六八年に釣魚諸島周辺の大陸棚にぼう大な海底油田が存在していることが明らかになって以降であった。一九七〇年にまず当時の琉球政府が日本領だとする声明を公表、これに対して一九七一年六月に台湾当局が台湾領だとする声明、同年十二月に中国政府が中国領だとする声明を公表した。そして、日本政府もまた、一九七二年に「尖閣諸島の領有権に関する基本見解」を公表した。現在まで、日本政府の立場は、この「基本見解」から変化していない。そして、日本共産党や社民党までが、ほぼこの「基本見解」と同じ論拠から、「尖閣諸島は日本固有の領土だ」と主張している。したがって、排外主義的ナショナリズムの煽動を打ち破るためには、まずこの「基本見解」を徹底して批判しておかねばならない。それは、後に詳しく述べるように、日本帝国主義が日清戦争に乗じて釣魚諸島を中国から略奪したこと、このことを明確にしておくことがぜひとも必要だからである。

 ▼1節 「基本見解」の要旨

 「基本見解」の要旨は、次のものである。@尖閣諸島は、一八八五年以降政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行い、単にこれが無人島であるのみならず、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重確認の上、一八九五年一月十四日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行って正式にわが国の領土に編入することとしたものである。A同諸島は、歴史的に一貫してわが国の領土たる南西諸島の一部を構成しており、一八九五年五月発効の下関条約第二条に基づきわが国が清国から割譲を受けた台湾及び澎湖諸島には含まれていない。従って、サンフランシスコ講和条約においても、尖閣諸島は、同条約第二条に基づきわが国が放棄した領土のうちには含まれず、第三条に基づき南西諸島の一部としてアメリカ合衆国の施政下に置かれ、一九七一年六月十七日の沖縄返還協定によりわが国に施政権が返還された地域の中に含まれている。以上の事実は、わが国の領土としての尖閣諸島の位置を何よりも明確に示すものである。B中国が尖閣諸島を台湾の一部と考えていなかったことは、サンフランシスコ講和条約第三条に基づき米国の施政下に置かれた地域に同諸島が含まれている事実に対し従来何等異議を唱えなかったことからも明らかである。また、従来中華人民共和国政府及び台湾当局がいわゆる歴史的、地理的ないし地質的根拠等として挙げている諸点はいずれも尖閣諸島に対する中国の領有権の主張を裏付けるに足る国際法上有効な論拠とは言えない。

 ▼2節 強盗の論理「無主地先占の法理」

 この主張は、国際法上の「無主地先占の法理」なるものに基づくものである。「無主地先占の法理」とは、どの国家も支配していない土地(無主地)は、先に支配した国のものになるというものである。ここに言う「無主地」とは、人が住んでいない土地だけではない。人が住んでいても、警察・軍隊や行政機関による国家の実効的支配が及んでいない土地も含むものである。たとえば、ヨーロッパ諸国によって植民地支配される以前のアフリカやアジア・アメリカの多くの地域がそうであった。どれほど多くの人が住んでいても、そこに国家が形成されておらず、国家による実効的支配が及んでいなければ「無主地」とされ、多くの地域が植民地支配下に置かれていったのだ。こうして「無主地先占の法理」は、十五世紀に始まるヨーロッパの強国による植民地の獲得を正当化する理論として形成され、帝国主義の時代において国際法として確定していった。まさに「強盗の論理」そのものなのだ。北アメリカ大陸に渡ったイギリス人によるアメリカ先住民の土地の略奪と支配、オーストラリアにおける先住民アボリジニの土地の略奪と支配などは、すべてこの「無主地先占の法理」によって正当化されたのである。日本政府の「尖閣諸島の領有権に関する基本見解」もまた、「尖閣諸島」に「清国の支配が及んでいる痕跡がない」ことをもって「無主地」であったとし、一八九五年の閣議決定によって日本の領土に編入したことを「無主地先占の法理」をもって正当化するものである。「基本見解」に対する個々の批判の前に、この主張が帝国主義による植民地略奪を正当化する「強盗の論理」に立脚するものであることをまず確認しておきたい。現在では、この「無主地先占の法理」は絶対的な国際法ではなく、これへの国際的な批判も広がってきている。
 

 ●3章 釣魚諸島は「日本の固有の領土」ではない

 日本政府は、「尖閣諸島」が「歴史的に一貫してわが国の領土たる南西諸島の一部を構成」するものだと主張する。しかし、地理的に見れば、釣魚諸島が琉球弧(南西諸島)の一部でないことは明らかである。釣魚諸島は、中国大陸の大陸棚の東の端に位置しており、琉球弧とは水深二千メートル以上の海溝によって隔てられている。また、南西から東へと流れる黒潮の向きや偏西風のために、近代に至るまで中国から釣魚諸島を経由して琉球弧には航行できたが、琉球弧から釣魚諸島へと航行することはきわめて困難であった。明や清から琉球に派遣された冊封使も、中国から琉球に至る往路は釣魚諸島を経由して琉球へと航行したが、琉球から中国に至る復路については釣魚諸島を経由する航路をとることができず、大きく北に迂回して中国に向かったのである。すなわち釣魚諸島は、黒潮や偏西風のために琉球弧からほぼ隔絶されていたのであり、歴史的に琉球弧の一部であるという主張には何の根拠もない。

 ▼1節 歴史的に中国領であった釣魚諸島

 そして、歴史的にも明治以前の時期、中国においても琉球・日本においても、釣魚諸島は中国の範囲だと認識されていた。中国の文献からは、遅くとも十六世紀の中ごろまでに釣魚諸島の島々に中国名がつけられ、明や清の時代に中国から琉球に派遣された冊封使が記した文献に釣魚諸島はひんぱんに登場している。一五三四年に明から派遣された冊封使である陳侃(ちんかん)が書いた「使琉球録」では、古米島(現在の久米島)をもって「及チ琉球ニ属スル者ナリ」と記している。一五六二年に派遣された冊封使である郭汝霖(かくじょりん)の「重編使琉球録」では、釣魚諸島の東の端にある赤嶼(現在の赤尾嶼)を「琉球地方ヲ界スル山ナリ」としている。また、一六八三年に派遣された清の冊封使の「使琉球雑録」でも、赤尾嶼と久米島の間に「郊(溝)」があり、「郊(溝)」とは「中外ノ界ナリ」(中国と外国の界だ)と記している。さらに徐葆光(一七一九年入琉)の有名な「中山傳信録」においては、久米島を「琉球西南方界上鎮山」と記し、久米島が中国と琉球の界となる島であることを示している。中国には、同様の明・清時代の文献がいくつもある。これらの記録は、いずれも明や清の冊封使、すなわち明や清の王朝が、釣魚諸島と久米島の間に中国と琉球の境界があると認識していたことを示している。日本政府は、これについて中国から琉球への航路にある島嶼を標識として順番に記しただけで、どこにも「尖閣諸島」が中国領だとは明記されていないと強弁している。確かに中国領と明記されてはいない。しかし、それは冊封使たちが中国と琉球の境界が釣魚諸島と久米島の間にあると認識していたという事実を意図的に無視し、隠蔽するものである。さらに、明の胡宗憲が一五六一年に編纂した「籌海図編」(ちゅうかいずへん)では、釣魚諸島を倭寇からの防衛地域に含めている。これらの文献は、明の時代から中国が釣魚諸島を中国の範囲だと認識していたことを示している。

 ▼2節 琉球・日本においても中国領だと認識

 他方で、明治以前に釣魚諸島を琉球や日本の範囲だとする文献、あるいは中国の範囲ではないとする文献は、琉球においても日本においても存在していない。琉球においては、釣魚諸島を中国の範囲だとする前掲の冊封使の記録を再録したものがあるだけである。明治以前の日本においても、釣魚諸島を記載した文献としては、林子平の「三国通覧図説」しか存在していない。この付図で林子平は、徐葆光の「中山傳信録」にもとづき、釣魚諸島を中国本土と同じ色で塗り、日本や琉球に属する島嶼とは明確に区別している。これらの事実は、明治以前において、釣魚諸島は中国だけではなく琉球・日本においても中国の範囲だと共通に認識されていたことを示している。確かに明や清という前近代的王朝による支配は、近代国家や帝国主義による領有とは大きく異なるところがある。まして、無人島であった釣魚諸島に、明や清による「支配の痕跡」を探したとしても、存在しなくてあたり前なのだ。だからと言って、中国の範囲だと共通に認識されてきた釣魚諸島を「無主地」だと規定し、略奪してもかまわないということにはならない。それは、すでに批判した「無主地の先占」という強盗の論理を適用したものであって、断じて認めることのできないものである。

 ▼3節 日清戦争に乗じた釣魚諸島の略奪

 このような釣魚諸島の略奪は、明治政府によって周到にもくろまれたものであった。一八六八年に成立した明治政府は、ロシアやイギリス・フランス・アメリカなどと対抗して、成立直後から日本の領土拡張・植民地略奪を武力でもって開始していった。琉球に対しては、琉球王国を廃絶し、一八七九年の「琉球処分」をもって日本国家のもとに強制併合した。また台湾に対しては、一八七四年に出兵・武力侵略を強行した。朝鮮に対しては、一八七五年の「江華島事件」を利用して武力で威嚇し、翌七六年には不平等条約である「日朝修好条規」の締結を強制した。そして、朝鮮への支配権をめぐって清国との対立を深め、一八九四年の日清戦争の準備に全力をそそいでいく。
 この過程で明治政府は、清国との戦争に備えるという軍事的目的から、一八八五年に初めて釣魚諸島に着目していった。まず内務省が、釣魚諸島を領有する意図をもって、沖縄県に調査の実施を内命する。しかし、沖縄県は釣魚諸島が中国領かもしれないので、これを日本領とすることをためらった。それに対して、内務省はなおも領有を強行しようとしたが、外務省もまた中国の抗議を恐れて今すぐの領有に反対し、「他日の機会」を待つべきだと主張した。その結果、一八八五年十二月に、やま山県有朋内務卿と井上馨外務卿の連名で、日本の領有を示す国標の建設は「目下建設ヲ要セザル儀ト心得ベキ事」とし、ただちに領有することをあきらめた。この経過について琉球政府の声明では、沖縄に移住した古賀辰四郎が一八八五年にアホウドリの羽毛採取のために釣魚島の借地を申請、これを受けた沖縄県が釣魚島を日本領とすることを政府に対して上申し、ここから日本領とする動きが始まったかのように描いている。しかし、事実はそうではない。釣魚諸島の領有を強く主張したのは、帝国軍隊の建設と領土拡張政策を主導した内務卿・山県有朋であり、沖縄県は中国領の可能性があるとして日本による領有をためらったのである。
 このような明治政府にとって、釣魚諸島を略奪するための絶好の機会がその九年後に訪れる。一八九四年八月、日清戦争が開始された。日本はこの戦争に圧勝し、一八九五年四月の下関講和条約において、中国から台湾・澎湖諸島・遼東半島を割譲させた。明治政府が釣魚諸島を領有し、そこに国標を建てることを閣議決定したのは、日清戦争における日本の勝利が確定的となった一八九五年一月十四日であった。まさに日清戦争の勝利に乗じて、中国から奪い取ったのである。日清戦争で敗北しつつある清国は、これに抗議することもできないと見越した上のことであった。しかも、明治政府はこの閣議決定を一切公表しなかった。そして、日本の領有を示す国標も建てられず、釣魚諸島に国標が建てられたのは、釣魚諸島の領有権をめぐる対立が顕在化した後の一九六九年五月であった。実に一八九五年の閣議決定から七十四年後のことであった。したがって、中国は日本が一八九五年に釣魚諸島の領有を閣議決定したことを長い間知りようもなかった。まさに、日本は日清戦争の勝利に乗じてひそかに中国から釣魚諸島を奪い取ったのである。

 ▼4節 ごまかしに満ちた「基本見解」

 日本政府の「基本見解」は、日本政府が「尖閣列島」を領有したのは、たまたま日清戦争と時期が重なっているだけで、日清戦争の結果、下関条約によって清国から割譲させたものではないこと。したがって「尖閣列島」は、カイロ宣言によって領有の放棄を規定された「日本国が清国人から盗取した」ものではないという立場に立っている。確かに、下関条約で清国から割譲させたのは台湾・澎湖諸島・遼東半島であって、釣魚諸島は含まれていない。下関条約など一切の条約や協定にもとづくことなく、日本は日清戦争の勝利に乗じてひそかに中国から釣魚諸島を略奪したのである。下関条約によって公然と略奪することと、ひそかに略奪することとの間に何の違いがあるというのか。また、「基本見解」はサンフランシスコ講和条約において、釣魚諸島が沖縄などの南西諸島とともにアメリカの施政権下に置かれたことに対して中国が異議を唱えなかったことをもって、中国もまた釣魚諸島を中国領と認識していなかったことの論証としている。しかし、当時の中国は一八八五年に日本が釣魚諸島の領有をひそかに閣議決定していたことを知りようもなかった。さらにサンフランシスコ講和会議に中国政府も台湾当局も招請されておらず、講和条約の署名国でもなかった。このような条件下にあった中国が異議を唱えなかったことをもって、どうして中国が釣魚諸島を中国領だと認識していなかったことの論証になるというのか。中国が異議を唱えなかったとしても、釣魚諸島が歴史的には中国領であって、これを日本がひそかに略奪したという事実は何らかわらない。(補注:中国は釣魚諸島は台湾に付属する島嶼だという立場から、一八九五年一月の閣議決定をもって日本に略奪され、一八九五年四月の下関条約によって台湾とともに日本に割譲されたという見解に立っている。)


 ●4章 排外主義と対決し、沖縄への自衛隊増派阻止

 釣魚諸島をめぐって、日本国内の状況はきわめて危険なものとなっている。菅政権と民主党・自民党のみならず、社民党や日本共産党までが日本政府の「基本見解」に同調し、中国への非難を強めている。すべてのマスコミも、「尖閣列島は日本の固有の領土」だと何の検証もなしに宣伝し、「日本の領土と主権を守れ」と煽りたてている。このような状況のなかで、排外主義ナショナリズムが日本の労働者人民のなかに広く浸透し、右翼勢力は中国大使館への大規模な抗議デモや中華学校への攻撃をくり返している。このような排外主義的ナショナリズムと正面から対決し、日本の戦争国家化を阻止していくことは、すべてのたたかう労働者人民の火急の課題である。

 ▼1節 日本政府は略奪を謝罪し、領有権を放棄せよ

 歴史的に見て、釣魚諸島が中国領であったこと、そして日清戦争に乗じて日本帝国主義がこれをひそかに略奪したことは明らかである。われわれは、日本政府に対して略奪を謝罪し、釣魚諸島の領有権を放棄することを要求する。日本政府は、かつてのアジア植民地支配と侵略戦争の過程で略奪した朝鮮・台湾などをサンフランシスコ講和条約によって放棄した。しかし、日本軍性奴隷とされた女性たちや強制連行の犠牲者たちに対する国家としての誠実な謝罪と賠償をなお実行していない。また、略奪した独島や釣魚諸島の領有権をなお主張しつづけている。そして、政府や民主党・自民党の内部から、かつてのアジア植民地支配と侵略戦争の歴史を歪曲し、正当化しようとする動きが生みだされつづけてきた。首相や天皇の靖国神社公式参拝を要求する動きも持続している。このような中で、かつてのアジア植民地支配と侵略戦争に歴史的な決着をつけていくこと、すなわち日本政府に対して略奪した土地をすべて放棄させ、アジア各国・地域の犠牲者たちへの国家としての謝罪と賠償を実行させていくこと、植民地支配と侵略戦争の歴史の歪曲・正当化を許さず、在日朝鮮人への差別と迫害を中止させていくことなどは、反帝国主義の立場からする日本の労働者人民の現在の重要な課題である。このようなたたかいを組織することなしに、アジア各国・地域の労働者人民からの信頼をかちえ、連帯関係を築いていくことはできない。そして、日本の労働者人民を排外主義から解き放ち、戦争国家化に突き進む日本帝国主義とのたたかいに立ちあがらせていくことはできない。
 日本政府に対して釣魚諸島の略奪を謝罪し、領有権を放棄するように要求することは、このような植民地支配と侵略戦争に歴史的な決着をつけていくたたかいの重要な一部である。独島や釣魚諸島の領有権問題は、東アジア各国・地域の労働者人民のなかにおいて、日本政府がかつてのアジア植民地支配と侵略戦争の歴史を歪曲し、正当化しようとしていることの象徴という位置を持ちつづけてきたのだ。このことをしっかりととらえておく必要がある。問われていることは、かつての日本帝国主義によるアジア植民地支配と侵略戦争に歴史的な決着をつけていくことであり、そこにおける日本の労働者人民の政治的態度なのだ。釣魚諸島の領有権をめぐって、日本の労働者人民のなかに「日本固有の領土」論、「日本の領土と主権を守れ」という排外主義的ナショナリズムが広く浸透している。これに反撃しようとする勢力は圧倒的に少数であり、孤立した状態にある。だからこそ、先進的労働者人民は職場や学園・街頭などあらゆる場所において「日本固有の領土」論に反撃し、日本政府が釣魚諸島の略奪を謝罪し、領有権を放棄すべきことを訴えていかねばならない。圧倒的な孤立のなかから反撃を組織し、排外主義的ナショナリズムの嵐を打ち破っていこう。(補注 「領有権を放棄せよ」という要求について、言うまでもなく、われわれは日本の領有権を認めてはいない。しかし、日本政府が釣魚諸島の領有を閣議決定し、日本領として不当に実効支配しているもとでは、「日本に領有権がある」という主張を撤回するだけではなく、実効支配の解消など釣魚諸島の領有そのものを放棄せよという要求が必要となる。その意味で「領有権の放棄」という表現を用いている。)

 ▼2節 自衛隊の大増派と日米合同軍事演習反対

 このことと結びつけて、沖縄への自衛隊の大増派に断固として反対していくことが、重大な課題となってきた。八月末の新安保懇報告書を受けて、菅政権は自公政権も実行できなかった集団的自衛権行使の合憲化、非核三原則や武器輸出三原則の見直し、自衛隊の「敵基地先制攻撃能力」の保持など、日本の戦争国家化に大きく踏みだしていこうとしている。沖縄への自衛隊の大増派は、現在の在沖米軍の総数二万二千人に匹敵する規模の自衛隊を配備しようというもので、防衛省はこれを年末に策定する次期の「防衛計画の大綱」に盛り込もうとしているのだ。それはまさに、沖縄人民の基地あるがゆえの苦しみを倍加させ、米軍と自衛隊の双方によって沖縄人民が踏みにじられていくという、まったく新しい状況を生みだしていく。そして、このような大増派が実現されるならば、それは中国に対する軍事的牽制にとどまらず、沖縄を出撃拠点として日米両軍が東アジア―全世界に出撃していくという日米同盟のまったく新しい段階をもたらすものとなるのだ。
 菅政権はまた、八月二十三日の日米外相会談で、「尖閣諸島」が日本に対する米軍の防衛義務を定めた日米安保条約第五条の適用範囲であることをオバマ政権と再確認した。しかし、「尖閣諸島」をめぐるオバマ政権の態度は、単純ではない。この会談の直後、ベーダー国家安全保障会議アジア上級部長は、次のようにオバマ政権の態度について説明している。@米国は「尖閣諸島」に対する日中の領土紛争には関与しない、A安保条約は日本の施政下にあるすべての地域に適用される、B「尖閣諸島」は一九七二年以来、日本の施政下にあると。アメリカは、「尖閣諸島」の領有権をめぐる日中間の対立には中立の立場を取っており、中国との関係を配慮して、軍事的にも抑制的に対応しようとしている。これに対して菅政権は、「尖閣諸島」が中国によって占領されたとき、日米安保にもとづいて米軍が出動することの確約をオバマ政権に求め続けてきた。このようななかで、十一月中旬のオバマ来日直後から、大分県の日出生台演習場と「東シナ海」において、日米合同軍事演習を実施する計画がすすめられている。この演習は、中国によって「尖閣諸島」が占領されたという想定のもとで、日米両軍が「不法占領された離島」を武力でもって奪還することをテーマとしたものである。この「離島奪還」演習が、上記のような日米関係のなかで、日本政府の側の主導で準備されていることは明らかである。米軍側は、自衛隊への支援という位置づけで、横須賀を母港とする空母ジョージ・ワシントンなど第七艦隊が参加する。このような日米合同軍事演習が実施されるならば、それは中国との軍事的緊張を一挙に高めていくものとなる。アジア−全世界の労働者人民への連帯にもとづき、このような沖縄への自衛隊の大増派を阻止していかねばならない。そして、十一月にもくろまれている「離島の奪還」をテーマとした日米合同軍事演習に断固として反対していこう。

 ▼3節 中国への批判とわれわれの態度

 釣魚諸島の領有権をめぐる日本と中国の対立が深まるなかで、現在の中国共産党と中国政府への反発から、釣魚諸島が歴史的に中国に帰属するものであることを明確にし、日本政府に対して釣魚諸島の略奪の謝罪と領有権の放棄を要求することへの危惧や逡巡が左翼の活動家層の中からも生みだされてきている。このことは、領有権をめぐる対立が顕在化した一九七〇年代初頭には存在しなかったものである。文化大革命の渦中にあった当時の中国とはちがい、現在の中国は急速な資本主義的発展をとげ、今や世界第二の経済大国になろうとしている。また軍事的にも急速に軍備を増強し、「南シナ海」での南沙諸島・西沙諸島の領有権などをめぐって、軍事力の行使をも含めて周辺諸国とのさまざまな対立を生みだしてきた。釣魚諸島の領有権をめぐっても、釣魚諸島周辺海域の資源の排他的独占の要求が内包されていることは事実である。これらから、釣魚諸島の領有権をめぐる日本と中国の対立について、どちらに与することも出来ないという逡巡が生みだされてきているのだと言える。
 しかし、われわれが歴史的に釣魚諸島が中国に帰属するものであることを明確にし、日本政府に対して釣魚諸島の略奪の謝罪と領有権の放棄を要求するのは、現在の中国政府と支配層を支持するからではない。日本の労働者人民にとって、釣魚諸島問題とはまず何よりも日本帝国主義によるアジア植民地支配と侵略戦争の歴史的な決着をつけていくたたかいの重要な一部であって、まさにかつての植民地支配と侵略戦争に対する政治的態度を迫る課題だからである。現在の中国がどうであれ、釣魚諸島が歴史的に中国に帰属するものであること、これを日本が日清戦争に乗じて略奪したという事実は何らかわらない。そして、現在の排外主義的ナショナリズムの煽動は、すべて「尖閣諸島」が日本の固有の領土であって、日本が略奪したものではないということに論拠をおいている。この論拠そのものを正面から批判することなしに、排外主義的ナショナリズムに反撃することはできない。
 そしてまた、われわれが上記のように主張するのは、中国と日本の労働者人民の国際主義的な連帯のためであり、アジアにおける反帝国主義を基礎とした階級闘争の新しい結合のためにである。急速な資本主義的発展のもとで、中国社会においてはますます社会的矛盾が深まり、日系企業における労働者のストライキの拡大など、中国労働者階級の「新たな目覚め」ともいうべき事態が進行してきている。その中から、中国の社会主義の再生をめざす階級闘争とその新たな主体が生みだされていくであろう。釣魚諸島の領有権をめぐって、中国で発生する「反日デモ」について、中国政府と中国共産党が愛国主義・国家主義をもって国内を統合するための「官製デモ」とのみとらえてはならない。確かにそのような側面も否定できない。しかし、これらのデモのなかで「格差反対」などのスローガンが叫ばれているように、そこには深まる社会矛盾への労働者人民の怒りが流入し、かつての植民地支配と侵略戦争の歴史を歪曲・正当化する日本政府への怒りが広く内包されているととらえておかねばならない。日本帝国主義の中国侵略戦争が終結したのは六十五年前であり、そのすさまじい記憶はなお労働者人民のなかに鮮烈に受け継がれている。このような中国労働者人民との連帯は、明確な反帝国主義の立場を基礎としてこそ可能となる。だからこそ、釣魚諸島が中国に帰属するものであることを明確にし、日本政府に対してその略奪の謝罪と領有権の放棄を揺らぐことなく要求していかねばならないのだ。

 ▼4節 事態を悪化させないための当面の方策

 以上、日本の労働者人民が取るべき原則的な立場を提起してきた。釣魚諸島の領有権をめぐる日本と中国の対立は、日本が釣魚諸島の略奪を謝罪し、領有権を放棄することによってしか根本的に解決することはできない。しかし、このことを菅政権に迫り、排外主義的ナショナリズムの煽動に正面から反撃を組織しようとする勢力は、残念ながら圧倒的な少数派である。これ以上事態を悪化させないために、領有権をめぐる対立が存在するもとでも可能な当面の方策として、以下のことが実行されていくべきだと考える。
 その第一は、菅政権が「尖閣諸島をめぐって(中国との間で)領土問題は存在しない」とい表明を撤回し、日中国交正常化の過程での釣魚諸島の領有権問題を棚上げにするという両政府間の合意に立ち戻ることにある。日中間の対立がここまで激しくなった直接の原因は、菅政権が逮捕した船長を日本の国内法で起訴しようとしたことに加えて、この「領土問題は存在しない」という表明をもって日中国交正常化時の両政府間合意を事実上破棄したことにある。菅政権がこの問答無用というべき表明を撤回しないかぎり、日中両政府間のいかなる対話も成立しようがない。
 第二には、釣魚諸島の領有権をめぐっていかなる軍事力の発動、軍事的威嚇をも行わないことを日中両政府が公式に表明することにある。その前提こそ、菅政権が沖縄への自衛隊の大増派と「離島奪還」日米合同軍事演習を中止することにある。九月七日の衝突事故以降、中国政府が軍事的対抗措置を何もとっていないにもかかわらず、菅政権は沖縄への自衛隊の大増派や「離島奪還」演習を計画化するなど、まさに軍事的衝突に至りかねない状況をつくりだしてきた。このような菅政権の対応は、国際紛争を解決する手段としての戦争、武力による威嚇と武力行使の放棄を規定した憲法にも違反するものであり、断じて許されないものである。
 第三には、日中両政府が釣魚諸島周辺海域での資源や漁場の排他的占有を行わないことを表明することにある。とりわけ、釣魚諸島周辺海域は、中国・台湾・沖縄の漁民たちにとって共通の漁場となってきた。日中両国政府は、これらの漁民たちの自由で安全な操業を保障しなければならない。ここにおいて、釣魚諸島を実効支配する日本政府の責任は決定的である。日本政府がまず、資源や漁場の排他的占有の意思を放棄することを表明しなければならないのだ。

 

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