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   震災下で自衛隊が画歴史的な治安出動

  日米軍による反革命治安弾圧・地域制圧ねらった「救援活動」

                       



 三月十一日から二カ月、東日本大震災の被害は未だ全貌があきらかでない。大津波は海岸側の街を根こそぎにして、多くの犠牲者を出した。そして、福島第一原発の危機状況は変わらず、放射能汚染は広まっている。家を失った被災者、原発からの避難者の生活再建はまだまだだ。
 未曾有の大災害に対して、直ちに大規模な救援が必要だった。初動は被災地地元で、自らも被災しながらの救援が民間の人々や行政によって行なわれた。世界各国で、救援部隊が準備され日本へ向かった。
 その後の救援と被災者支援、福島第一原発の事故対応は現在に至るも自衛隊の主導下で行われ、日米軍の共同軍事行動がかつてない規模で行われた。そして、四月に入ってからは、マスコミが「ありがとう米軍」、「ありがとう自衛隊」というキャンペーンを繰り広げ、「トモダチ作戦」の終了(縮小)と共に日米安保・日米共同軍事行動が礼賛されている。北沢防衛相はわざわざ、米空母を訪問し謝礼してみせた。沖縄では在日米軍が、救援派遣を「普天間基地が本土に近いことは極めて重要」などと、海兵隊の居座りをアピールしている。
 十万人の自衛隊員と、多くの資材が投入され行方不明者の捜索、遺体収容、がれきの撤去、被災者への支援等が行われた。税金によって準備されているこれらの労力と資材・物資が救援に動くのは当然だろう。自衛隊員はボランティアではなく、身分保証と給与を与えられて災害救助の仕事をしているのだ。この災害出動に対して、自衛隊のために五十四億円が予備費から追加されることが、閣議決定されてもいる(三月十八日)。
 一方で米軍は「トモダチ作戦」と銘打って、一万六千人の米兵を投入した。トモダチ作戦は約六十七億円かかったとされるが、災害最中(三月三十一日)に可決された「おもいやり予算」は今後五年間(これまでは三年間)毎年千八百八十億を日本が米軍に差し出すことになる。無償の友情でもなんでもない。トモダチ作戦は四月始めに終了した。
 人命救助の緊急性、被害の甚大さから誰もが支援活動を求められており、彼らがその物量をもって、より効果的な救援活動に従事することはいわば当然である
 しかし、この大規模な災害救援活動は同時に、「軍の治安出動」「朝鮮有事の日米共同軍事行動」の実践として行われたことを確認しておかなくてはならない。朝鮮半島の南北統一の闘いを鎮圧し、中国に対抗してアジア支配を目指すための軍事行動、そして日本労働者人民の闘いに対する治安出動でもあるのだ。この災害支援の中で日米軍の、初めての行動が数々行われた。「平時」では、問題とされ議論にさらされる行動も「有事」ということで、「軽々とやっている」(自衛隊の一元管理についての陸幕幹部発言)のだ。災害救助をチャンスとして、新たな領域に侵出し、踏み込み、突破した。何が行われたのか確認しよう。
 自衛隊の出動は地震直後の防衛省災害対策本部設置より始まり、海上自衛隊のヘリによる偵察・情報収集から始まった。三時過ぎ頃から、東北の県知事の要請により各駐屯地から、救援車両が出発。夜六時には北沢防衛相が正式に大規模震災災害派遣命令を出し、続けて、原子力災害派遣命令を出した。夜には、原発へ〇七年に「対テロ・有事対策」として創設されたばかりの陸自中央特殊武器防護隊が出発している。初出動である。
 在日米軍司令部は地震直後に連絡要員を防衛省に急派、「日米共同班」を設置、プラン作成に入った。同時に「朝鮮有事」のための米韓軍事演習に向かっていた原子力空母ロナルド・レーガンを日本に向かわせた。それ以降、物資の輸送基地として三陸沖に留まり、文字通り空母としての実戦を二十日間にわたって行ったのである。海上自衛隊と共同で物資輸送をするなどした。
 翌日十二日に、菅政権は自衛隊の動員を八千から五万、十万へと拡大決定。自衛隊二十二万の半数弱の歴史的「大作戦」体制をとった。十四日には、陸海空自衛隊の三軍統合司令部を設置、統合任務部隊を創った。同じ日、予備自衛官を募集、六千四百人が応じたという。これらの事は自衛隊発足以来初めてのことであり、自衛隊の実戦態勢のステージを大きく上げたひとつの事件である。
 こうして初動から、自衛隊三軍の統合、米軍との統合体制がとられ、軍隊主導の災害救援=治安出動体制がとられた。仙台の陸自駐屯地、防衛省、米軍横田基地の三カ所に「日米共同調整所」が設置された。この「共同調整所」は災害出動ではなく、「有事」の時のために想定されていたものだ。
 また、これとは別に原発事故対応がとられた。陸自中央特殊武器防護隊百八十人が原発現場に入った十四日に、三号機建屋が水素爆発し、いったん部隊は後退する。その後、冷却のための自衛隊ヘリによる放水、自衛隊消防車による放水がおこなわれる。
 十七日には北沢防衛相が米原子力規制委員会(NRC)と会談、対策協議会が置かれ、二十二日には正式の「日米連絡会議」ができる。NRCは原子力空母を擁する米海軍の技術者が多く、原子力保有―核武装の日米共同の利害、また、米の情報収集のために大きく介入してきた。トモダチ作戦終了後も、原発対応に張り付いている。さらに、四月二日に来日した米海兵隊の放射性物質・化学兵器専門部隊CBIRF(シーバーフ)百五十名は被災地から遠く離れた横田基地から一歩も出ず、「除染」訓練を公開しただけだった。原発の危機的状況は変わらないのに「危機は去った」と引き揚げた彼らは基地の中で何をしていたのか。米軍独自の情報収集・危機管理訓練・秘密行動がトモダチの名のもとで行われた。現場に近づかず、「フクシマケース」をサンプル調査したのだ。米軍の原発事故対応は、この姿勢で一貫している。いち早く米人を避難させ、横須賀から空母ジョージワシントンを日本海側に避難させ、また、ロナルド・レーガン空母自体も遠ざけた。
 こうした日米軍統合体制で「有事」の民間施設の徴発が行われたのである。民間空港・港湾の利用、高速道路の利用の占有、津軽海峡フェリーでの自衛隊の輸送などが行われた。山形空港・仙台空港が米軍の基地として使われた。岩手花巻空港、福島空港も自衛隊の基地となった。
 災害支援にかこつけて、突破的に行われたことを、見ておかなくてはならない。米ドック型揚陸艦トーテュガ(岸壁のない場所でも、物資人員を揚陸できる軍艦。船内に水を取り入れ、直接舟艇を出せる。上陸作戦用)による自衛隊員と車両の搬送が行われ、青森大湊港に上陸用舟艇で上陸した。気仙沼の離島へ米海兵隊三百人が揚陸艇で上陸、戦争そのものの作戦がおこなわれた。強襲揚陸艦エセックス(垂直ヘリなどで、強襲上陸できる軍艦)も物資輸送の拠点となった。
 統合幕僚会議の決定で陸自の七十四式主力戦車二台を、原発から二十キロの「現地調整所」に派遣、戦車の災害派遣は初めて。原発のがれき撤去のためとされるが、統幕の独走で出動した可能性が大きい。その後も、北海道の第一戦車群(百十輌保有)は、各地で被災地の整備などに出動している。これらの、戦艦や戦車はトラックなどと違う。このような戦闘的重装備の出動が必要とは思われない。これらの出動は、救援ですらない。被災民、地域住民への威嚇であり、地域制圧の軍事力の誇示行為である。
 そして、見落としてならないのは、原発事故現場で「自衛隊の一元管理体制」が原子力災害対策本部長の菅によって指示されたことである。警察、消防、東京電力などの共同作業を自衛隊が指揮することが命令されたのだ。これも史上初めてのことである。それぞれの活動分野を持つ実働部隊の指揮権を自衛隊が持ったのである。国民保護法ですら、このような指揮権を認めていない。このことを「自民党政権でできなかったことを民主党政権が軽々とやった」と防衛省幹部が評価している事態だ。
 総括すると、①日米統合司令部の設置 ②日米統合作戦が実戦として行われた。米軍による自衛隊の輸送と上陸や米空母での自衛隊との共同行動 ③米軍の戦闘部隊の展開、揚陸艦や海兵隊などの戦闘実践に踏み込んだ ④民間の空港・港湾・船などの「有事」徴用 ⑤自衛隊の陸海空三軍統合が初めて行われ ⑥自衛隊中央即応集団(海外派兵の先遣隊・いわば自衛隊の海兵隊)の原発への出動、所属下の対テロ・有事特殊部隊である中央特殊武器防護隊の初出動 ⑦現場での自衛隊の指揮権の確立 (⑧一部にシビリアンコントロールの破壊が疑われる事態の発生)
 このような事態が進行しているのだ。われわれは、これらの点を厳しくチェックし、大衆的に暴露して行かなくてはならない。
 自衛隊の災害派遣は「緊急性、代替えの無さ」などの条件のもと初動対策に限られるはずである(自衛隊法)。十万人体制は未だ解かれず、原発以外の場所でも、自衛隊の事実上の指揮権が固定化されつつある。自衛隊の災害出動は全く限定されるべきで、今回のような大災害でも同じだ。
 二カ月を経て、もっとも被害が大きい被災地・避難所へのアクセスもでき、物資も届くようになったが、情報管理され、労働者階級人民の救援活動や自由な交流は自衛隊や警察などによって排除されていることもあきらかになった。支援物資の輸送も自衛隊が統括し、被災県に連絡した後、物資は全国の自衛隊駐屯地に持ち込むことがシステム化されている。自衛隊が救援物資を押さえ、輸送配布を独占しているのだ。東京などへの集団避難者も、管理優先で避難者はいわば囲われている。
 速やかに自衛隊を任務解除し、代替えの組織(行政や消防など)の不足を労働者人民の力で補完する救援体制を打ち立てるべきなのだ。自衛隊の撤退、災害救援体制の確立を訴えよう。
 改憲勢力による自衛隊賛美論と「国民のための英雄的行為」「泣きながら遺体捜索をする隊員」などの報道は、事実を歪めている。困難な仕事もあるし、懸命に働く隊員もいるだろう。しかし、自衛官でなくても同じようにしただろう事は、誰でも思い至ることだ。ことさらの賛美は、戦時中の日本軍賛美の翼賛キャンペーンそのものだ。改憲勢力によるキャンペーン、「自衛隊有難う」「米軍有難う」宣伝に対抗しよう。
 被災者の不自由な避難生活は限界を超えてきている。病気や高齢者の死亡が増え、ストレスがたまっている。対策の遅れ、政府の「無策」に被災民はいらだっている。
 原発事故ですべてを捨てなければならない理不尽さに、周辺の人民の怒りは渦巻いている。東電と政府の情報操作、見通しの立たない事故そのもの、見えない健康被害は東日本全体を大きな不安に晒している。農業者、漁業者は出荷制限と風評被害に苦しんでいる。反原発の声は日増しに大きくなっている。
 そして、震災によって職場もろとも職を失った労働者や農漁民、震災を理由にした解雇にさらされている多くの労働者がいる。
 「ガンバロウ日本」「秩序正しい日本人、我慢強い東北人」像を被災者に押し付ける大キャンペーンと、マスコミが誇大に作り上げた美談の陰で、被災者は傷つけられ、怒っている。「日本はひとつ」などの美辞麗句の中で、原発避難者への差別事象が多発している、物言う被災者へのバッシングも起こっている。
 政府と財界はアウトラインも決まっていない「復興計画」のために、消費税増税や社会連帯税などの導入を要求している。「復興景気」を当て込んで、その財源を労働者階級から搾り取ろうと画策をはじめた。
 菅政権と保守政党が恐れているのは、被災民・避難民の怒り、原発反対運動の大高揚、反失業、増税反対のたたかいだ。そのためにも彼らは被災人民を分断管理し、慰撫に努め、自衛隊の配置を長引かせている。
 まだ、救援は始まったばかりだ。人命救助の段階から、生活再建のたたかいに進まなくてはならない。救援と「復興」作業を被災者と労働者階級の手にとりもどさなくてはならない。この闘いは長期になる。被災者の要求に基づき、労働者階級の連帯と団結で救援と「復興」の内容を共に創ってゆくことが必要だ。
 資本の増殖のためだけの米型大量消費社会は、すでに破綻があきらかになっている。「復興」はそうした社会を再建することではない。また原子力に頼らないエネルギー政策を労働者人民は求めている。当然だ。
 これは、ひとつの階級闘争である。労働者と農民漁民の未来を共に作るたたかいなのである。




 

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