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   政府・財界の震災復興計画批判

  
被災者の利害に立脚し、復興をめぐる階級攻防に勝利しよう

  



 ●はじめに

 3・11の歴史的な複合大震災から五カ月が経過した。死者・行方不明者は二万人を超え、瓦礫の除去すらまだ半ばであり、いまなお九万人近くの住民が避難生活・転居生活を強いられている。被災者は生計の道もままならず、政府の対応に対する住民の怒りは頂点に達している。加えて、福島第一原発の事故の制御もできないまま放射能の汚染が続いており、他府県、遠隔地からの住民の帰宅についても全く展望がたたない状況である。
 われわれはこのかん、『戦旗』紙上で、原発の廃絶を訴え、原子力政策が日帝の中心戦略として存在し、国策による政治家・官僚、財界、学界、マスコミの結託した犯罪として存在してきたことを弾劾してきた。財界と歴代政権が、地域経済・社会、農林業・漁業水産業を破壊したうえで、その荒廃し過疎化した地域に金力・権力・偽造した「安全神話」を総動員して原発を押し付けたこと、そして以降は麻薬のように増設の軌道をひた走り、労働者人民・住民を放射能で汚染してきたことがますます明らかになっている。
 しかし、日帝、政府、支配層がめざしているのは、原発中心のエネルギー政策を堅持することだけではない。かれらは、震災・津波の大惨事の復旧・復興の全過程において自らの利害をふりかざして労働者人民に許しがたい攻撃をかけている。すなわち、困難な状況にある被災者、被災した住民・人民の生活・生業を考えるどころか、逆に、この震災を好機として、一気に日本経済・社会をかれらの都合のいいように改造しようとする攻撃である。これは一個の階級攻防である。労働者人民はこれを暴露し、復旧・復興過程の階級攻防に勝利しなければならない。この中心に位置するものはいうまでもなく原発をめぐる攻防であるが、この小論においては、政府・財界が「復旧・復興」と呼号している領域を焦点にしてその狙いを具体的に批判していきたい。


 ●(一章)被災地の現実

 被災地では人々は、多数の人命喪失、長い避難生活に耐えながら、生活・生業の再建への闘いにたちむかっている。すでにメディアでも報道されているごとく、複合大震災で被災が集中した宮城・福島・岩手三県だけでも、十数万の労働者が職場を奪われた。主要産業である農業・水産業においても、漁業では九割の漁船が破壊・壊滅し、漁港のほぼ全部が被災し、港の冷凍施設も破壊され、養殖施設は流出などでほぼ壊滅し、海水も汚染された。この未曾有の災禍によって、沿岸漁業と養殖で日本最大の三陸地方の漁業が致命的な打撃をうけた。また農地の破壊は東北六県で二万四千ヘクタールにのぼった。地方自治体についても陸前高田市や大槌町では庁舎そのものが破壊され、また首長、職員の犠牲などをふくめ、大きな打撃をうけた。病院についても三県三百八十病院のうち八割が被災した。
 われわれは、被災そのものの甚大さとともに、この甚大さが社会的な要因によって数倍化されていることを見なければならない。災害・復興においてもっとも住民と接点をもち、実情を掌握し、住民によりそって動くべき基礎的な自治体・市町村や地域消防団は、直後の被災実情掌握において、救援物資配給などの実動において、たち遅れた。自治体自体・職員自体が被災したのみならず、震災前から職員数が大きく減っていたのである。三県のとくに被害の大きかった沿岸部の市町村の職員数は二〇〇五年以来でも平均一割も減っていた。もちろん被災地だけではない。全国的に自治体においては職員の三割が非正規職員となっており、職員が容易に被災自治体に応援に出かけられるという状況ではなくなっている。これと平行して「平成の大合併」が行政機構の集約と職員数のカットを行ない、三県においても自治体数は四割も減少した。合併によって市町村など基礎自治体が広域化し、行政末端の人的体制が弱くなった。今もこれらの職員が足りない人数でもってぼう大な仕事をさばいているのが実情である。地域の消防団も削減され、清掃・水道などの現業の民間委託の結果、被害の実情把握ができず、初期対応が遅れ、また被災他市町村への応援の余力を失っていたのである。
 この原因はいうまでもなく、人員削減、非正規労働力の導入―人件費の抑制、清掃など現業を中心にした民間への業務委託などを強権的に推進してきた地方行財政改革にある。このなかで公立病院の統廃合も行なわれた。もともと被災した三陸地方は全国的にも医療過疎地域であった。人口あたりの医師の数も全国平均の六割と少なく、地域医療の中心は公立病院であったが、その公立病院が自治体の財政危機を理由に統廃合されてきたのである。このようにして従来の自治体がもっていた行政能力の弱化が災害を拡大したのである。
 そして、行革攻撃は災害後も変わっていない。震災の犠牲となった職員の補充は臨時職員による補充として行われ、賃金カットと人員削減の政策は変わらない。それどころか、「復興財源としての増税を断行するための内部努力」という政府・支配層のキャンペーンにそって国家公務員の賃金10%カットが計画され、それは全公務員に波及して打ち下ろされようとしているのである。
 さらに、これらをもたらした被災地域、さらに東北地方の経済的・社会的背景をみておかなくてはならない。被災地域では震災前から人口の減少、過疎化、高齢化、そして雇用の減少など地域経済の疲弊と落ち込みがすすんでいたのである。中心被災地域である三陸沿岸部において、〇八年の県民所得は全国平均の七割前半であり、最近十年間の人口減少率は10%を越え、高齢化率も30%を越えている。このなかで、コミュニティーの崩壊、農山村での限界集落の増加、医療崩壊、公共交通の衰退、「買い物難民」などが生まれていたのである。
 いうまでもなく、これはとりわけ二〇〇〇年代以降に激しく襲いかかってきた構造改革の結果であり、それはまた、一九八〇年以降の経済の帝国主義的グローバリゼーションの攻撃が引き起こしたものであった。農水産物や加工品の輸入政策が促進され、地域産業が衰退した。雇用も激減し、「新時代の日本的経営」路線のもとで雇用が劣化し賃金も低下した。東京に本社をもつグローバル企業が地域であげた利益を吸い上げ、それは地域経済に還流することはなく国際的な投機と利殖に投下された。地域経済の衰退―人口減少―地方財政の危機は全国の地方都市においてもみられる現象であるが、とりわけ中心被災地域は甚だしく、震災前から政府によって、今後二十年間に人口30%減・域内生産規模15%―25%減が予想されている状態であった。
 震災は構造改革とグローバリゼーションの影響を最も激しくうけた東北地方の現状をさらけだしたのである。


 ●(二章)財界の「復興」計画

 六月二十四日、民主・自民・公明の三党合意のもとで「東日本大震災復興基本法」が成立した。すでに、この基本法において、政府・財界の基本的な思惑が示されている。第一に「基本理念」の項において、復興の基本であるべき被災者の生活・生業・コミュニティーの復興という視点は欠落し、それを「一人一人の人間が災害をのりこえて豊かな人生を送る」などの空文句でごまかしながら、「単なる災害復旧にとどまらない活力ある日本の再生を視野にいれた根本的対策」としてかれらの真の狙いを表明しているのである。
 第二に、「上からの復興」の強制である。国の責務をこの基本理念にもとづく基本方針を定めることとし、他方、地方自治体は、国の定める基本方針を踏まえて必要な措置を講じることとしているのである。
 また、四月に首相の私的諮問機関である「東日本大震災復興構想会議」(議長:五百旗頭真防衛大学校長)が発足した。復興構想会議は五月に「復興構想七原則」を定めた。七原則のなかでは一方で「地域・コミュニティー主体の復興」に形だけ触れてはいるが、基軸的に「被災地域の復興無くして日本経済の再生はない。日本経済の再生なくして被災地域の真の復興はない。この認識にたち、大震災からの復興と日本再生の同時進行を目指す」という視点がもりこまれ、この視点で貫かれているのである。
 続いて六月二十五日、構想会議は首相に「復興への提言―悲惨のなかの希望」なる提言を提出した。この提言を首相を長とする「復興対策本部」が方針化することが定められている。提言骨子は概略以下のようなものであった。
 ○復興財源は臨時増税措置として基幹税を中心に多角的に検討。臨時増税で地方の復興財源も確保する。
 ○災害時の被害を最小化する「減災」の考え方が重要。住居の高台移転を目標とし、平地では避難路や避難ビルを整備する。
 ○区域や期間を限定し、規制や権限の特例、手続きの簡素化・支援措置を一元的・迅速に行なえる「特区」手法を活用する。
 ○再生可能な自然エネルギーの導入を促進。被災地での利用拡大を図り、特に原発事故のあった福島を「先駆けの地」とする。
 ○原子力災害に絞った復興再生のための協議の場を設ける。
 ○復興の主体は住民にもっとも身近な市町村が基本。国は全体方針を示し、市町村の能力を最大限引き出せるよう努力する。
 これらの提言は曖昧性に包まれてはいるが、この復興構想会議の論議過程で、またその背後では、支配層の利害を貫くためのさまざまな論議が交わされてきた。その論議をも踏まえて提言のオブラートを引き剥がし、この提言なるもののなかに支配層のいかなるねらいが貫かれているか、以下提言の問題点をみておく。

 ▼(一節)「自助」「共助」の強調

 第一の問題点は、復興についての考え方の反人民性である。もっぱら「自助」「共助」に依拠すべきことを強調し、政府や自治体が果たさねばならない住民、人民の生存権保障や社会保障の責任を免罪するものである。この考えかたは、八〇年代のいわゆる臨調行革路線を踏襲するものである。
 たとえば「自助」はかれらによって次のように利用されている。
 「新たな地域づくりは災害ありうべしとの発想から出発せねばならぬ。災害との遭遇に際し、主体的に『逃げる』という自助が基本だ。それを可能にするには『共助』『公助』へと広がる条件を整備しなければならない」(第一章 新しい地域のかたち)と述べて、津波からまず逃げるという必要を復興にあたっての「自助」にすり替えるという欺瞞的な手口を弄しているのである。さらに、次のような空文句を連ねている。
 「被災者が支えあう姿、全国からのボランティアが支援する姿は『人々の絆やつながり』という日本人と日本社会にある底力を再認識させた」「被災地の復興と日本の再生にあたり、身近な分野で多様な主体が共助の精神で活動することが重要。『新しい公共』の力が最大限に発揮されるよう、制度・仕組みを構築する」(第四章 開かれた復興。復興と「新しい公共」)」「復興が苦しいのもまた事実だ。耐え忍んでこそと思うものの、つい『公助』や『共助』に頼りがちの気持ちが生じる。しかし、頼むところは自分自身との「自助」の精神にたって、敢然として復興への道を歩むなかで、『希望』の光が再び見えてくる」(結び)。
 もちろんこれらはかれらが言う時、美辞麗句や空文句だけではなく欺瞞である。かれらのこの提言は住民やボランティアの願いと逆行するものだからである。今の日本社会の全体的な趨勢と現実―先述した地方経済の疲弊、コミュニティーの崩壊や過疎化―を直視することなく、現実を隠蔽している。それは、福島の原発事故が地域と人々の絆をこのうえない残酷な形でずたずたに切り裂いたことに頬かむりしている。また「新しい公共」の概念はそもそも政府によって公務サービスのコスト削減―民間委託や政府・自治体責任を縮小するために導入されたものであったが、ここでも「共助」の柱として組み込まれているのである。
 さらに、「地域包括ケア」の名による福祉予算削減の実験ももくろまれている。「従来の地域のコミュニティーを核とした支えあいを基盤としつつ、保健・医療・介護・福祉・生活サービスが一体的に提供される地域包括ケアを中心にすえた体制整備を行なう」(第二章 くらしと仕事の再生)。「地域包括ケア」とは、政府によって、地域住民の保健・医療・介護・福祉などを包括し向上させる、という名目でもって導入されているが、その実際の狙いは財源の圧縮であり、サービス給付の抑制と利用者負担増をねらったものである。政府は現在の被災地の保健・医療・介護の崩壊状況にたいして、その悲惨な結果をも予想しつつも強引に「地域包括ケア」を適用し実験しようとしているのである。

 ▼(二節)欺まん的な「創造的復興」論

 第二の問題点は、一九九五年の阪神淡路大震災と同様に「上からの復興」「創造的復興」の手法を押し付けていることである。すなわち提言では地域・コミュニティー主体の復興とか、また復興の基本であるべき被災者の生活・生業・コミュニティーの復興という視点は実質否定されているのである。「創造的復興」の語は直接記述はないが、内容的には「単なる災害復旧にとどまらない活力ある日本の再生を視野にいれた根本的対策」として提言の基盤となっている。提言はつぎのように述べている。「復興にさいしては地域のニーズを優先しつつ、一方では高齢化や人口減少等、経済社会の構造変化を見据え、他方で東北の地に、来るべき時代をリードする経済社会の可能性を追求する」(第一章 地域の将来像を見据えた復興プラン)。
 ここには前章でみたような、地域が切り捨てられてきた原因や歴史的経過、構造についてはいっさい無視されている。それどころか、のちにのべるようなその原因・経過を大きく増幅させる独占企業中心の「復興策」が打ち下ろされるのである。
 「今回の大震災は、わが国の経済社会の構造変化を背景とする経済停滞のなかで生じた危機である。被災地域の復興とともに、日本経済の再生に同時並行で取りくむ必要がある」(第四章 開かれた復興)。
 すなわち復興を「日本経済の再生」の一環として位置付け、露骨に企業利潤の増大の視点から復興を推し進めると述べているのである。
 この背景には日本経団連の全面的な圧力があった。かれらは、復興構想会議のなかに役員を送り込んで会議の内部で独占資本の利害を主張するとともに、いちはやく復興への提言や政府への申し入れ、声明発表を頻繁に行なってきた。これらは、震災直後、復興需要をあてこんで円高を操作した国際投機資本と同一の思惑にもとづくものである。つまり、この復興を日本独占資本の利益のためにいかに推進するのか、という観点から他に先駆けてイニシアティブをとろうとするものであった。彼らにとって、自治体、政府の復興計画のなかにみずからの計画の基本的骨格を貫くことは必須であり、住民の意見に左右される自治体などの地域からの積み上げで復興計画が進むことは絶対に阻止せねばならないことであった。
 阪神淡路大震災の時にも「上からの復興」「創造的復興」のかけ声のもとに、住民の復興に優先して、神戸空港建設、道路港湾のインフラ復旧、新長田など都市再開発、区画整理など、大企業本位の大プロジェクトが実施された。結果は大きなショッピンモールや高層住宅の建設が住民の復興につながることなく復興は失敗であった。大プロジェクトを作り短期間に大きな財源を集中投下しても、それは大手ゼネコンを潤すだけで地元経済には還流しないのである。復興はなによりも住民の生活と仕事、それを支える社会システムの復旧と再建でなければならない。被災者を中心に住民が再建方針の作成にかかわり、再建方針を市町村と県が支え、それを政府が財政的に責任をもつものでなければならない。とりわけ、今次の大震災の被害は広範囲かつ多様であって、画一的な復興方針は不可能であり、住民、基礎自治体から積み上げていかねばならないのである。
 復興会議の最終的な提言においては、露骨な表現はさすがにあいまいな表現や修飾のベールによってごまかされているが、経団連声明や会長談話による独占資本の狙いは、しっかりと貫かれているのである。その一つとして、日本経団連はその総会において「国難を乗り越え『新たな日本』を創造する」と題する総会決議をあげた(五月二十六日)。そのなかでは、「……震災復興庁を設置し、早期復興にむけた強力な体制を整え、道州制の先行導入も視野にいれた広域連携の促進……復興特区をはじめとする大胆な規制・制度改革の実施をつうじて産業・都市復興の円滑化を図るべき……官民連携により、農林水畜産業を含めた広域産業復興計画を立案・実施する……」「官民あげて『新成長戦略』を実施する。……政府に対し、競争力強化に関するインフラ整備、民間活力を最大限発揮しうる規制改革の断行、事業環境の国際的なイコール・フッティング(注―「企業の競争条件を同等にせよ」という理由をつけて海外企業並みの税優遇・規制緩和を政府に要求すること)の確保に取り組むことを求める。……」「政府は平成の開国政策を堅持し、TPP(環太平洋経済連携協定)交渉への早期参加、EU、日中韓はじめ各国・各地域とのEPA/FTAの締結を加速する……」などとのべ、じっさいに構想会議・政府はこのとおりに動いたのである。

 ▼(三節)新自由主義的「復興」

 第三の問題は、復興を口実にした特区の大幅な新増設による企業活動の規制緩和、農漁業の民間資本への全面開放であり、日本経済社会を新自由主義グローバリゼーションの方向にむけて全面的に改造しようとしていることである。
 ○特区について提言は次のようにのべている。
 「必要な人材、ノウハウの提供、財政措置、規制緩和、制度上の特例措置など、地域の多様なニーズに対応できる広範なメニューを準備しなければならない。土地利用計画の手続きの一本化・迅速化にあたっては、特区手続きが有効である(第一章 復興支援の手法)。」「市町村の能力を最大限引きだせるよう、地方分権的な規制・権限の特例、手続きの簡素化、経済的支援など必要な各種の措置を具体的に検討し、区域・機関を限定したうえでこれらの措置を一元的(ワンストップ)かつ迅速に行なえる『特区』手法を活用することも有効である」(第二章 暮らしと仕事の再生 「特区」手法の活用と市町村)。
 特区制度とは小泉政権時代に設けられた規制緩和の制度であり、一部地域で規制緩和を行ないそれを全国に波及させていく制度である。たしかに震災のなかで現行の法律に従うことによっては緊急に必要な救援・支援はできない事態は存在した。一例としては、預金残高が確認できない条件のもとでも一律支払いに応じた郵便局の例がある。しかし、政府・財界の要求する規制緩和や特区の狙うところはそんなものではなく別種のことである。経団連は、かれらの「復興創生マスタープラン」(五月二十七日)で、特区を利用した再開発不動産業者への税優遇、土地利用規制の大幅な緩和などとならんで露骨につぎのような要求を出している。「三六協定限度時間の緩和。一年単位の変形労働時間の弾力的運用。有期雇用労働者の雇用期間上限緩和。労働者派遣法における専門二十六業種に関する弾力的な運用……」。これはもはや火事場泥棒としかいいようがない。
 それだけではない。特区を利用した東北の主要産業である農業、漁業・水産業への民間資本の参入と規制緩和であり、震災復興を口実にしてそれを全国化しようとしているのである。
 ○水産業についてみてみよう。提言はつぎのようにいう。
 「沿岸漁業は、漁協による子会社の設立や漁協・漁業者による共同事業化により、漁船や漁具などの生産基盤の共同化や集約をはかっていくことが必要である。小規模な漁港は地域住民の意見を十分に踏まえ、圏域ごとの漁港機能の集約・役割分担や漁業集落のあり方を一元的に検討することが必要である。……漁業の再生にむけて、地域の理解を基礎としつつ、地元漁業者が主体的に民間企業と連携できるよう、仲介・マッチングを進める。必要な地域では、『特区』手法の活用により、地元漁業者主体の法人が漁協に劣後せずに漁業権を取得できる仕組みとする。ただし、民間企業単独の場合には、地元漁業者の生業の保全に留意する」(第二章 暮らしと仕事の再生 水産業)。
 これは、戦後長らく続いてきた地元漁業者・地元漁協を主体とし優先してきた漁業権を廃棄し、すべての法人、民間資本に開放する、という提言である。この論議過程には会議のメンバーである村井宮城県知事が主導的な役割を果たした。村井知事は財界代表とともに、構想会議の論議のなかで、「民間資本のイニシアティブのもとでの農漁業の再建、企業参入誘致のための減税や規制緩和・総合特区の必要、広域特区のための道州制」などを主張した。すでに彼は宮城県復興計画において「漁港の集約、拠点化、大規模化、漁業権の企業への開放」「競争力のある強い水産業」を唱えて水産特区構想を打ち上げている。そこでは沿岸漁業の再建の主体が地元漁業者ではなく大企業となり、海が単なる投資先となってしまっている。この復興計画は財界の従来の主張であった「水産業の再生・自立のための構造改革の断行」にもとづいて財界シンクタンク野村総研が主導して作成された。
 この復興計画に対して、当然のことながら県漁協は「漁業資源の維持、環境の保全」を掲げて激しく反対している。構想会議の提言は村井知事―財界と同一の方針をのべているのであり、それが執行されればほとんどの漁村、地域産業が淘汰され崩壊するだろう。
 ○農業について提言では次のようにのべている。
 「地域資源を活かした農業再生戦略は、集落での徹底した議論に基づき1、高付加価値化―六次産業化やブランド化、先端技術の導入による雇用確保と所得の向上、2、低コスト化―土地利用計画の見直しと大区画化を通じた生産コスト縮減、3、農業経営の多角化―グリーンツーリズム、バイオマスエネルギーなどによる新収入源の確保―の三つの戦略を組み合わせた将来像を示す必要がある」(第二章 くらしと仕事の再生 農林業)。
 さまざまな論点に触れているようだが、この提言が実際に意味するところは、宮城県の復興計画のなかで率直にのべられていることとこれまた同一である。つまり、「特区」による農地の集約化、大規模化、民間企業の参入をはかり、また、法人化や共同化による経営体制の強化を通じて競争力のある農業をつくる、というものである。経団連は従来から「株式会社による農地取得の条件緩和」を要求してきたが、復興を突破口にして実現しようとしているのである。

 ▼(四節)人民収奪の増税計画

 第四の問題は復興財源に増税を提言していることである。提言はいう。「政府は復興支援策の具体化に併せて、既存歳出の見直しなどとともに、国・地方の復興需要が高まる間の臨時増税措置として、基幹税を中心に多角的な検討を速やかに行ない、具体的な措置を講ずるべきだ。この点は、先行する需要を賄う一時的なつなぎとして『復興債』を発行する場合、日本国債にたいする市場の信認を維持する観点から特に重要である……役場機能を含むまち全体が壊滅的な打撃を受けた市町村も多数に上る。地方の復興財源についても臨時増税措置などにおいて確実に確保すべきだ」(第二章 暮らしと仕事の再生 復興のための財源確保)。
 構想会議は早くから復興財源についてそれを労働者人民に負担させようと増税の必要に言及してきた。しかし、増税は絶対に許してはならない。五年間で十九兆円、総計で二十三兆円と見積もられている経費はまず、巨額の防衛予算や米軍にたいする「思いやり予算」を削減することを筆頭にして、特別会計の洗い出しや歳出の組み換えによって捻出し、足りない分はこのかんの構造改革のなかで労働者人民からしぼりとって蓄積された大企業の三百兆円ともいわれる内部留保でもってまかなわれなければならない。とりわけ、一九九九―二〇〇九年の十年間で、資本金一億円以上の三万社の企業が内部留保を合計百三十兆円増加させており、各社がその一割を使って復興債を無利子で引き受ければすむことである。
 復興需要によだれを流し、震災を奇貨としてみずからのための日本改造に利用する財界、その財源負担を労働者人民に押し付け、みずからの負担については語らずに、「がんばろう日本」などと叫んでいる財界に対してこの要求をおしつけ迫らねばならない。しかし、この構想会議の提起をうけ、首相を長とする復興対策本部は、課税名目は支配層の未調整のため先送りをしたが、確実に基幹増税を強制しようとしている。

 ▼(五節)原発推進の策動

 第五に、原発については徹頭徹尾欺まん的記述を行っている。怒りなしには読むことはできない。「人々は原子力については、ことさら『安全』神話を聞かされるなかで、疑う声もかきけされがちであった。……人々は進行中で収束を遂げぬ原発事故にどう対処すべきか、思いあぐねている。……国は原子力災害の応急対策、復旧対策、復興について責任をもって対応すべきだ」(第三章 原子力災害からの復興にむけて)「製造業の海外移転による空洞化、海外企業の日本離れを防ぐために、電力の安定供給の確保に優先度の高い問題として取り組む。……新たな安全基準を国が具体的に策定すべきである」(第四章 開かれた復興 電力安定供給の確保)。
 提言は「エネルギー戦略の見直し」などと形式的に触れながら、人民による原発廃棄の要求については無視しいっさい触れず、逆に経済の空洞化の恫喝をもって原発護持の立場を表明しているのである。また、政府、財界、電力各社が金力、権力を総動員して行なった原発建設の過程を無視し美化している。

 ▼(六節)構造改革路線の推進

 第六に、新自由主義、グローバリゼーションをいっそう推進することによって日本経済を発展させ、復興が実現できる、として次のようにのべている。
 「国際的企業の研究開発拠点やアジア本社機能の設置を促進する魅力的な投資環境を整備。わが国の活力となるべき外国人の受け入れを促進する。引き続き、自由貿易体制の推進により日本企業と日本産品の世界における平等な競争機会を確保し、被災地の雇用創出や経済の発展を推進する」(第四章 開かれた復興 世界に開かれた経済再生)。
 だが、この方針は復興どころか、震災前から日本の経済社会を荒廃させてきた構造改革の過程を破滅的に拡大していくものに他ならない。文言としては表現されていないが、提言の随所にふれられているように、広域的特区制度を活用した民間資本の導入―農漁業の効率化―国際競争力の強化―グローバル市場での競争―TPP(環太平洋経済連携協定)への参加というかれらの戦略のなかに復興を組み込むものである。この戦略は文字どおり震災前から財界と政府がうちだしていた「新成長戦略」そのものである。そこでは「平成の開国」をおし立て、そのためにアジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)構想、海外への原発を含むインフラ輸出、法人税率の引き下げ、規制緩和―総合特区制度などがうち出されている。そして財界は今や菅政権に見切りをつけ民・自大連立による挙国一致政権を作り、平成の開国、財政健全化政策、社会保障と税の一体的改革と増税、道州制、エネルギー危機への対応、TPP参加を断行する強権的政治を要求している。真の復興は、政府・財界の新自由主義と構造改革路線を打破することなくしてありえない。したがって、それは労働者人民がどこにいようとも安心して労働し生活することができる社会を創る闘いである。
 労働者人民は、被災地域の住民とともに、原発の全面廃炉に向けた闘いの前進と並んで震災復興をめぐる政府・財界の政策と対決せねばならない。



 

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