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   三里塚反対同盟・鈴木謙太郎さんの死を悼む

   
             
 
 三里塚芝山連合空港反対同盟の鈴木謙太郎さんが、さる一月七日午前十時過ぎ、脳梗塞で急逝された。前日の深夜自宅で倒れ、病院に救急搬送され、一時は意識も回復し「命に別状はない」との医師の判断も受けていたが、その後容態が急変し、回復を願うご家族や反対同盟の必死の願いも叶わず、五十七歳の生涯を閉じられた。
 鈴木謙太郎さんは、父である故鈴木幸司さんはじめご家族で空港反対運動破壊の成田用水攻撃に対峙し、集落の中で孤立を強いられながらも、頑として成田用水反対を貫いて闘いぬかれた。その後菱田で一軒になっても、愛妻加代子さんとともに有機・完全無農薬野菜作りに情熱と誇りを持って取り組んでこられた。
 暫定滑走路の供用を強行し、農民たたき出し・農地強奪攻撃に乗り出してきた国交省・空港会社と真正面から対峙し闘いぬく反対同盟の最先頭にはいつも謙太郎さんの姿があった。市東孝雄さんが不当逮捕された一昨年の団結街道封鎖攻撃をめぐる攻防のなかで、怒りを爆発させ権力を糾弾する謙太郎さんは警察権力を圧倒していた。
 しかし普段は口数も少なく温厚で、誰からも慕われる人柄であった。昨年夏に開催された反対同盟野球大会でも大活躍されていた。左腕から投げ込まれる速球や、左打席から放たれるホームランに驚かされた。また歌が非常にうまく花見や忘年会で聞く歌声に惚れ惚れ聞き入ることが何度もあった。
 あまりに突然の謙太郎さんの悲報は本当に悔しく残念でならない。しかし「謙太郎の死を受け入れるのには時間がかかるかもしれない。だが前に進まなくてはならない」という市東さんの言葉を幾度も反芻して、謙太郎さんの闘いを引き継ぎ市東さんの農地強奪阻止、空港廃港の勝利まで闘いぬかなくてはならない。反対同盟とともに、第三誘導路建設粉砕、市東さんの農地死守、空港廃港まで闘いぬくことを誓い、追悼の言葉とする。



 

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