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   自立支援法改悪を許さず、
      障害者解放―日帝打倒をかちとれ

               
河原 涼

   



 民主党政権は、二〇一二年三月十三日、障害者自立支援法の改悪案を閣議決定した(五月二十四日現在、国会が空転状態のなか、未だ審議入りしていない)。名称は「障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律」(障害者総合支援法)。三月十四日読売新聞電子版によれば「長時間の訪問介護サービスの対象を、重度の肢体不自由の障害者に加えて、知的、精神障害者などにも拡大」したことや、「現状の障害の程度区分を三年をめどに見直すこと」も盛り込まれた。しかし一方で「和解条項にある同法の廃止について、『自治体や事業者の負担が増す』として見送り、障害者側が求めていた自己負担の原則無料化も実現しなかった」。無料化、支援法の全面廃止を訴えた訴訟団と和解し、支援法の廃止を約束したはずの民主党は、いともやすやすと、騙くらかしを演じている。
 この改悪案は、徹頭徹尾、障害者解放運動に敵対する差別法であり、自立支援法廃止を謳った民主党政権の障害者政策の欺瞞性を示す悪法である。


 ●第一章 「社会的モデルへの転換」の欺瞞性

 三月八日付「民主党障害者WT座長 岡本充功」名で「骨格提言実現の一歩」と題する同改悪案の解説資料が明らかになった。
 そこでは第一に「自立支援法から総合支援法へ」として「社会モデル的視点から、社会参加を含め、あらゆる生活場面を想定し、総合的に支援する意味をこめた」とある。従来医学的モデルを基調とした障害者の定義を社会的モデルにかえた事を、なにかしら新しい「発見」であるかのごとく言っている。しかしこれは昨年八月に改悪された障害者基本法の中にすでに明らかにされている。基本法第二条の一で、障害者の定義について、「……心身の機能の障害(以下「障害」と総称する)がある者であって、障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるものをいう」として定義しているものを、自立支援法改悪案第一条の二「基本理念」の中で踏襲しているものである。
 社会的モデルか、医学的モデルかという問題は、すでに以前から語られてきた。
 権利条約の中には、実際に医学的に定義された内容と、社会的に定義された障害の定義が混在する。実際の生活では、福祉サービスを受ける上で、障害の等級がそのサービスの質を決定づけるのであり、障害の定義を厳密にすることでサービスの質が全く違うものになってくるという意味で、福祉政策の中身を論じる上で重要になってくる。社会的定義は、むしろ体裁としての側面が強くあって、体裁としての社会モデル的な障害者の定義をたてにしつつも、それと同時に医学的な定義を明らかにして実際の運営を根拠づけるという構造になっている。どちらを重視するかは、それぞれの国の法制度の適用の実態に依存するというものである。
 福祉サービスを決定する際に「どういう人が障害者なのか」ということを規定する枠がある程度必要であったのである。しかし一方で社会生活を営む上での社会の機能的な利便性、たとえば公共施設、交通アクセス、居住の権利等を健全者と同じように享受していくためには、そうした医学的な側面よりは、「それを享受できない『社会的障壁』が障害者の『社会参加』を阻んでいるとして、問題にされていくことが多くなった。いわゆるノーマライゼーションと呼ばれるものである。
 社会の機能的、構造的環境の中に障害者自身が身を置くことからはじき出されてきたことに対して、「われわれにもそうした現実を享受させろ」と叫ぶこと自体あり得ることである。むしろ障害者の生活、生存権一般が脅かされ、理不尽な現実を甘んじなければならない場合が多い中で、そうした現実を少しでも改善する方向で闘いが取り組まれることも多々あるのである。
 「障害者権利条約」は、二〇〇一年メキシコのはたらきかけで、国連憲章、世界人権宣言が「障害者には保障されていない」とすることからその必要性が語られていく。制約性はあるものの、そうした声は、帝国主義の横暴のなかで障害者生存権が著しく脅かされてきた現実への怒りとして発せられたものである。
 障害者権利条約を巡る論争は、帝国主義の侵略戦争によって多くの障害者が生み出され、なおかつ正当な処遇を受けられないまま放置されている事にたいして、メキシコが「障害者にも人権を」とする声をだしたことから始まる。そして、権利条約の前文に、その原因として帝国主義の侵略戦争という文言を挿入するか、否かによって、本格的な論争が、二〇〇一年からはじまった障害者権利条約特別委員会(アドホック委員会)の中で展開された。
 二〇〇六年十二月アドホック委員会で採択された障害者の権利条約の前文には「武力紛争及び外国による占領の期間中における障害者の十分な保護」とする文言を入れることが圧倒的多数(百二十八ヵ国中百二十ヵ国)で承認されたが、日本、アメリカ、イスラエルなどの帝国主義諸国五ヵ国だけ反対した。日本政府と共に、権利条約の批准を推し進める障害者差別禁止法制定チームが主張する権利条約の中身は、「社会参加と平等」を障害者の権利条項として認めよというものであって、それが主であった。したがって日本での権利条約推進部分にとって、権利条約を制定する作業の中で、戦争と障害者の問題などを論じることは、障害者問題とは別の、かけ離れた問題としてしか認識されず、いたずらに時間を浪費する論争としか目に映らない(チームのホームページでは「たちのわるい論争」と言う表現がある)。この意味において、日本の権利条約制定を推進する部分が、世界の中では少数派であり、かなり特異な位置を占めている。
 今回の法改悪の過程で言われている「社会的モデルの推進」は、「人権」問題からさらに踏み込んで、市場原理の導入を通して、「福祉サービスのマネージメント」の向上を趣旨とする政策を押し進めていく上での根拠として位置づけられている(後述)。


 ●第二章 地域移行という名のペテン

 第二に「骨格提言」のなかで民主党は、「地域生活への移行を応援」として「共同生活介護(ケアホーム)を共同生活援助(グループホーム)へ一元化して、地域生活への選択肢を従来以上にひろげる」としている。
 今回の改悪案は、いわゆる「要介護」認定にかかわるサービスというものから、「要支援」へ等級の認定を軽くしながら、コストダウンをはかりつつ、「地域支援」と称して家族へ介護の負担を押し付ける一方、民間福祉資本の全面参入を後押しし、介護現場での格差を助長する規制緩和の一環として政策の中に盛り込んだものである。
 また、「障害者の地域移行支援」や、「地域定着支援」など、これまで都道府県の補助事業であったものを「個別給付」の対象として再指定している。その個別給付の対象を「認定する」業者については都道府県知事が指定する「指定一般相談支援事業者」という選ばれた事業体が行う事になっている。
 障害者の一般的な相談支援については、市町村が指定する「一般相談支援事業者」に委託するが、実際の福祉サービス等の利用計画、たとえば移行支援や、定着支援などの具体的な計画については、市町村長が指定する「指定特定相談支援事業者」という業者しか作成することができない。
 つまり、制度のなかで謳われる地域移行支援などは、実際には市町村の経済基盤に直接依存する訳で、当然のごとくサービスの質においては地域格差がさらに拡大する構造にある。
 しかも、サービス費用は自己負担を含む以上、地域格差に輪をかけて障害者間の格差も拡大する。「地域移行支援」とは、精神病院から退所、退院を行う際の相談支援という説明をしているが、介護保障などの地域の受け皿がなければ絵に描いた餅でしかない。「定着支援」とは、同じく地域で生活する緊急連絡を充実させる「相談支援」であるが、それは地域監視網の整備にほかならない。
 「就労支援の充実」と言う事も豪語しているが、ほとんどの障害者が雇用の機会をうばわれている現実を背景にして言えば、実は生活保護、あるいは年金受給打ち切りの方便である。それでもあえて法案の趣旨にそって言うならば、自立支援法改悪案では、障害者の居宅付き作業所いわゆる授産施設をなくし、就業場所と居住の場を分けて(職住分離の原則)、「就労支援」と「地域生活支援」の徹底した分離を確立するというものである。生産現場から障害者の生活空間をなくし、就業支援と地域生活支援を徹底して分離して、居住空間を確保できる障害者には手厚いサービス(就労支援)を提供するポーズをとりつつ、それ以外の障害者については、路上へ放逐するか、施設へ隔離するかを強要するという性質のものである。法案の本質は、障害者の現実とは全く関係なく、福祉事業のサービス体系に乗れるか否かによって障害者を選別するもの以外ではない。


 ●第三章 市場原理の価値観の強制を許すな

 第三に「骨格提言」の中で、民主党はさらに「PDCAサイクルを障害分野に始めて導入」「障害者の生活実態などに基づく課題を循環的に施策へ反映」「提供体制の確保にかかる数値目標を設定」「数値目標の設定により、障害者政策委員会(改悪後新設)による監視機能も実効あらしめる」とISO九〇〇一(品質マネージメントシステム)を法案の中に盛り込んだ意義を大々的に宣伝している(八十八条の二、八十九条の二など)。
 品質ISOとは「組織が品質マネジメントシステム(QMS: Quality Management System)を確立し、文書化し、実施し、かつ、維持すること。また、その品質マネジメントシステムの有効性を継続的に改善するために要求される規格」(日本工業標準調査会)というものである。あらゆる業務を目に見える形で数値化し、数値目標を設定し計画(PLAN)、実施(DO)、検証(CHECK)、見直し、改善(ACTION)を永続的に推進し、顧客満足度を永続的にたかめていくシステムである。
 ISOは、各職場だけでも完結されるシステムであり、職場ごとの作業のマニュアル、作業完了報告書、タイムスケジュール、消耗品在庫管理、クレーム処理など、あらゆる領域を目に見える形で文書化し、数値目標を掲げて作業品質の標準化をはかり、作業の代替がいつでも可能な状態にしつつ、最大限の売り上げを平均的にあげる事を追求するものである。職場ごとに競争させていくことは当たり前になる。
 福祉政策まるごとのビジネス化であり、市場原理にどっぷりと浸かってマネージメント(経営管理)を推進するやりかたである。そうしたありかたは、障害者が歴史的にかちとってきた解放運動の地平、行政交渉の地平を水泡と化す。障害者にとって介護者は、解放運動の共同闘争の相手であるはずである。しかしこうした制度では、障害者は、介護者に対して顧客あるいは「福祉ビジネスの経営者」という立場に立つわけであり、介護者を監視するという立場に立つわけである。
 二〇〇〇年以降日帝厚労省は、障害者政策に市場原理を導入し、自立支援法で年金を見せ金にして負担金を巻き上げ、障害者間の格差を増幅させた。
 今回、法案の改悪で、品質マネージメントシステムの導入を法案に盛り込むことで、負担金を巻き上げるだけでなく、障害者自身を障害者政策の「経営」に参加させる(「自立支援協議会」への参加)ことをもって、「社会参加」を体現させているのだ。
 「社会参加」とは、日本的にはいわゆる「経営」システムへの参加である。逆に言えば、そうした市場原理のなかでシステム化される福祉ビジネスの中でしか、福祉サービスが受けられなくなる構造、「福祉ビジネス」の経営に参画する事ではじめて「社会参加」を実感するという現実の中に、障害者が立たされると言うことである。
 一方で介護者は、目の前の生産現場(介護サービスを生産する現場)で繰り広げられる数値目標としての質的量的要求に翻弄され、顧客満足度の向上を四六時中要求され、それを高めることが使命であるかのようにしむけられていく。
 障害者介護は、近年、家族と社会から隔離された施設での職員による労働という枠を、七〇年代障害者解放運動の高揚のなかで突破し、社会的な性格を帯びてきた。言うまでもなく障害者の解放運動との歴史的なかかわりとは切り離せないものである。
 二〇〇一年介護保険法成立の過程で、介護そのものが福祉ビジネスの中核的位置をしめつつも、介護自体の社会的認知度はひくく、労働力の商品価値が低く見積もられていたがために、介護労働者の搾取は、すさまじいものがある。また三月二十八日に派遣法が欺瞞的に改正され、「見なし雇用」制度も三年先送りされ、「登録型派遣」の禁止も見送られた。短期間派遣の規制も大幅に緩和され、非正規雇用者と、正規雇用者の格差はますます増大する。一方福祉資本の側にとっては、ビジネスに不可欠な要素として介護労働が重要な位置を占めるがゆえに、介護労働市場は品質ISOのマネージメントシステムを駆使して、最大限の売り上げを創出する一大市場と化している。介護労働者は、介護市場の成長の中で資本から重要視されてはいるが、介護労働力の価値は不当に低く見積もられている。しかも、品質ISOをはさんで障害者と介護者の関係は監視、被監視の関係へと再編を強要される。
 解放運動の共同闘争としてのパートナーという関係ではなく、「福祉ビジネス」の契約を介した資本主義的関係へと再編されるのだ。
 障害者は「社会的モデル」の定義の中で「社会参加」を実現し、介護者は顧客満足度の向上を永続化することがよりよい社会人としての資質であるという構造が仕組まれていく。
 日帝は、それが一切の基準であると扇動していくのだ。
 ともすれば、こうした流れが、「障害者の社会参加を促進する」と言う意味において、あたかも障害者の「自立」にとって好ましい方向であるかのような価値観が、刷り込まれてしまう。われわれは、無意識にこうした流れに組み込まれてしまうからくりを詳細に暴露し、解放運動の運動的実績をかちとらなければならない。
 日本帝国主義における障害者政策は、植民地主義(寄生)や、天皇制優生思想と結びつき、差別抹殺、排除、孤立を強制すると同時に、排外主義的戦争動員の要となるということが本質的にある。この問題の本質を解き明かし、打ち砕く綱領的確信と実際の運動を構築しなければ、障害者総体の解放の本質的な展望はこじ開けられない。障害者総体にとってそれは、抜き差しならない歴史的事業に押し上げられている。
 障害者基本法―自立支援法の改悪―総合支援法につらぬかれた思想は、そうした障害者が社会変革主体へと自己解放をとげていく過程を封印し、障害者の武装解除を巧妙に押し進めるものである。断固としてたちあがろう。



 

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