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市東さんの農地強奪絶対阻止!



 成田空港会社が農地法を根拠に市東孝雄さんの農地を強奪しようという前代未聞の裁判の判決日が、七月二十九日と決定されている。
 農地強奪阻止をたたかう反対同盟は、七月十四日に千葉市中央公園で全国総決起集会を開催する。反対同盟はここに空前の結集を呼びかけている。同時に、「農地取り上げに反対する緊急三万人署名」を取り組んでいる。全国で署名を集め、千葉地裁民事第三部―多見谷裁判長に突きつけ、不当判決をなんとしても阻止していこうではないか。

 ●1章 7・29千葉地裁判決は農地強奪攻撃の一つの頂点

 民事裁判の形式をとった成田空港会社の農地強奪攻撃は、七月二十九日の千葉地裁判決が一つの頂点となる。
 成田空港公団(=現成田空港会社)は一九八八年、直接の耕作者であった市東東市さんには隠して、地主から農地を買収した。空港公団は「地主」になりながら、市東東市さんには正式の賃貸借関係を隠し続けてきた。一九九九年に東市さんが亡くなり、孝雄さんが農業と空港反対運動を継いだが、さらにその後、二〇〇三年になって突然、空港会社は「地主」としての権利を主張し、小作権の解約と農地の明け渡しを要求してきたのだ。
 最も重要な利害関係人である小作人に無断で農地を買収したこと自体が、まずもって違法である。
 市東さんの農地は、市太郎さん、東市さん、孝雄さんと三代にわたって耕作してきた農地である。一九四五年の敗戦後、農地改革の過程で、耕作者であった東市さんの所有地になって当然の土地であった。戦地に送られていた東市さんがイギリス軍の捕虜になっていたがゆえに帰還が遅くなり、自らの農地にならなかったというだけである。
 空港会社は、この市東東市さんの正統な耕作地を、息子の孝雄さんから、改めて強奪しようとしているのだ。
 空港会社は〇三年以降、「契約解除」の手続きを進めた。空港会社の農地強奪攻撃に唯々諾々と従う成田市農業委員会、千葉県農業会議は、この「農地法」に基づく手続きに対して、まともな調査一つ行なわなかった。千葉県知事堂本(当時)は二〇〇六年、県農業会議の決定をそのまま追認し、契約解除の許可決定を強行した。
 空港会社はこの農地法に基づく農地強奪の手続きを進める一方で、市東さんが耕作している農地の一部については「契約地」ではなく「不法耕作地」だと決め付けて、別個に「明け渡し請求訴訟」を起こした。これが、千葉地裁民事第二部で争われている「耕作権裁判」である。
 「契約地」については、知事決定に基づいて「契約解除」し、「明け渡し請求訴訟」を起こした。これが民事第三部で争われている「農地法裁判」である。これに対しては、知事決定そのものの誤りを糺すべく市東さんの側からも行政訴訟を起こしている。この二つの裁判が併合されているので、「行政訴訟・農地法裁判」となっている。
 七月二十九日に判決が出されようとしているのは「行政訴訟・農地法裁判」である。
 市太郎さんの時代からの約百年にわたる歴史を捉え返すならば、市東さんが市東さんの畑を耕し、そこで生活する権利があることは、誰がみても当然である。旧大日本帝国の天皇制の礎となっていた地主制度から脱却し自作農を育成するという「農地法」の本来の意義を踏まえて適用するならば、むしろ、市東東市さんの権利が回復され、その正統な権利の継承者として孝雄さんの耕作権と所有権が認められなくてはならない。それこそが、日帝の侵略戦争の反省の一部であるだろう。
 しかし、今、三里塚と千葉地裁で進んでいることは、それどころではない。空港公団―空港会社は、この現代において、農民に対してだまし討ちを繰り返し、市東さんの農地の所有権を詐取しておいて、さらに「農地法に基づいて農地を明け渡せ」などと訴訟を起こしているのだ。あまりにもひどいSLAPP訴訟ではないか。ブルジョア法の枠内であったとしても、裁判官が「公正公平」な判断力を持っているならば、こんな詐欺師まがいの「訴訟」自体を受け付けるべきではないのだ。
 この行政訴訟・農地法裁判については、怒りなしに語ることができない。それは、千葉地裁第三部-多見谷裁判長が常に空港会社側に立って訴訟指揮を行なうという恥ずべき態度をとってきたからである。極めて不平等な訴訟指揮の下、空港会社側は、国策だから訴訟が有利に進むと判断している。空港会社は「勝訴判決」を予想し、かつ「仮執行」をも要求している。控訴、上告しようとも、確定判決を待たずに、一審判決だけで農地強奪の強制執行をなそうというのだ。
 さらに空港会社は、「勝訴判決」想定に基づいて、占有移転禁止の「仮処分」を申請し、千葉地裁は本年二月二十日に「仮処分」を強行した。行政訴訟・農地法裁判の対象となっている畑、作業場、離れ、トイレ、鶏小屋など十四箇所に「公示書」を設置し、市東さんの占有権限を「執行官が保管する」「債務者に限り使用を許す」などと、勝手に決め付けてきたのだ。市東さんの憤怒はいかばかりであろうか。
 空港会社、千葉県、千葉地裁が一体となって、一人の農民に農地強奪の攻撃をかけている。この重圧の中で、市東さんの本人尋問、弁護団の最終弁論がたたかわれてきた。反対同盟は、市東さんにかけられたこの攻撃を、日本の農民すべてにかけられた攻撃と捉えている。千葉市に総結集して千葉地裁に対してたたかうことを訴え、トラクター・デモ、人間の鎖など、千葉地裁を労働者・農民・市民・学生が包囲する行動を展開してきた。
 市東さんの農地をめぐるもう一方の裁判「耕作権裁判」においては、空港会社がこれまで隠し持っていた証拠(文書)が開示された。そこには、「南台四一―九」を市東さんが耕作していないことを明示する文書が含まれていた。空港会社の土地特定の誤りを明白にする新証拠である。弁護団は五月十三日、この新証拠をもって、千葉地裁民事第三部(多見谷裁判長)に対して弁論再開を請求した。
 空港会社と多見谷裁判長がもくろむ反動判決を、人民の力で絶対に粉砕しようではないか。

 ●2章 住民生活の破壊を拡大する空港会社

 成田空港会社は五月二十日、開港三十五年の記念式典を開催した。
 式典会場で空港会社社長夏目誠は、「オープンスカイは開港以来最大の変化。選ばれる時代がきた。自由競争の時代を何としても勝ち抜く」と語っている。
 「オープンスカイ(航空自由化)」とは、これまでの政府間交渉で路線を決める制度ではなく、航空会社が発着空港を自由に選べる制度に転換することをいう。第一次安倍政権が、航空政策に新自由主義を適用するものとして強く押し出したものであった。航空会社は、利便性や着陸料などに基づいて、利用したい空港を選ぶことになる。各国の航空会社は、「日本の国際空港」という観点ではなく、東アジアの拠点空港として使いやすい空港はどこかという選択をすることになる。成田空港会社は、関空、国際化した羽田との競争だけでなく、仁川(韓国)、浦東(中国)などアジアの国際空港との競争の中におかれることになる。
 成田空港会社は年間二十五万回だった発着枠を年間二十七万回に、そして、一四年度末には三十万回に増やすことを掲げている。さらに、とにかく利用する航空会社を増やすために、格安航空会社(LCC)をターゲットにしてきた。しかし、農民の反対運動を弾圧して建設を強行してきた内陸空港であるがゆえに、成田空港は、絶対に二十四時間化ができないという限界をもっている。
 成田空港会社は、LCCの利便性を高めるためにのみ、これまでも騒音に苦しんできた周辺住民の新たな苦痛を強いる攻撃を始めた。深夜十一時から朝六時までは離着陸ができなかった制限を破り、深夜十一時台、早朝五時台の離着陸を行なおうとしたのだ。騒音下の住民の反対の中で、早朝の離着陸は阻止されたが、深夜十二時までの離着陸時間帯拡大を強行した。空港会社の経営拡大、空港間競争のためにのみ、住民の睡眠時間を破壊し、生活を破壊する攻撃を行なってきたのだ。許しがたい暴挙である。
 結局、三十万回への増便ということは、農家の上空四十メートルの殺人的離着陸回数を増やす攻撃以外の何物でもない。新自由主義にもとづく「オープンスカイ」とは、「用地内」農民をはじめとする空港周辺住民の生活破壊に直結しているのである。

 ●3章 新闘争拠点完成し断固として闘い抜く

 われわれ共産同(統一委員会)は今春、三里塚現地闘争拠点の建て替え工事を完遂した。
 反対同盟と支援団体の共闘関係強化を阻止しようとする千葉県警はさまざまな妨害をなしてきた。わが三里塚現闘団と行動隊は、すべての妨害、弾圧を打ち破り、現地闘争拠点の建設に勝利した。われわれは、反対同盟および支援連各団体にこのたたかいを報告し、改めて、新たな拠点をもって現地闘争、援農、全国集会をはじめとする現闘活動に邁進していく決意を明らかにした。
 この建設報告会の場において、反対同盟事務局長北原鉱治さんは、三里塚闘争における反対同盟と支援団体との関係、そして、この共闘の拠点となってきた団結小屋の意義について、闘争の歴史を振り返りつつ語られた。
 われわれは、団結小屋を拠点にして反対同盟と労苦を共にし、闘争の一端を担ってきた。
 同時に、この三里塚という闘争空間の場において、革命党として多くの実践を積み重ねてきた。
 土地収用法、成田治安法が現実に適用されてきた三里塚は、日本国憲法に保障されたはずの基本的人権が長く停止された場所であった。まさに、地域戒厳体制の下に置かれていると言っても過言ではない。しかし、ここに労働者、学生が集い、反対同盟から学び、農業を手伝い、闘争に参加してきた。反対同盟と、そしてともに闘い抜いた労働者、学生、被抑圧人民・被差別大衆が、このたたかいの中で真の自由をつかみとってきたことは確かであっただろう。
 「集会・結社の自由」「表現の自由」、あるいは「生存権」とは、日本国憲法の条文で保障されているから存在している権利なのか? 三里塚の地では、機動隊と空港公団―空港会社の暴力によって簡単に奪い去られてしまう。しかし、農民自身と、これと共闘する人々によって、改めて自由の空間はつかみ直されてきた。
 運輸省―国土交通省、空港公団―空港会社は、土地収用法で農地を奪い、成田治安法で団結小屋を奪い、民事訴訟を「根拠」に現闘本部を破壊撤去してしまった。これは農地強奪の攻撃であると同時に、農民、労働者、学生、被抑圧人民・被差別大衆の「集会・結社の自由」を破壊する攻撃だった。人民が結集し政治的に決起していくことを、権力者どもは本質的に恐れているのだ。
 三里塚闘争において重要なことは、支援者が団結小屋を拠点にして、この人民の側の「集会・結社の自由」を実力で確保してきたことである。
 ここは反対同盟農民との大衆的交流の場であり、ある場合には、この「自由」を実力闘争で守り抜いてきた闘争の場でもあった。労働者階級人民にとって「集会・結社の自由」とは何か。それは、集まって意見を交わし、共同の意思を確認し合い、団結して闘いに立ち上がる権利を行使することである。
 われわれは、この三里塚闘争の歴史を踏まえ、改めて闘争拠点を回復すべく、この一年間たたかってきた。今、われわれは、日本の反帝闘争の拠点としての三里塚闘争を断固たたかいぬいていく決意を改めて固めている。

 ●4章 7・14―7・29に全国から総結集しよう

 農地強奪裁判は、「用地内」天神峰で不屈にたたかいぬく市東孝雄さんの営農と生活の根拠を奪い去る攻撃だ。市東さんを困窮させ、市東さんを孤立させることが目的だ。「会社」とはいっても、その資本構成からいえば国有企業である成田空港会社が、一人の農民に襲いかかって、生活基盤のすべてを奪い去ろうとする。まさに日本帝国主義の残忍な攻撃だ。
 反対同盟、支援、そして、全国の共闘する市民団体、労働組合が、この市東さんへの重圧を絶対に許してはならないと、三里塚現地に、そして、千葉地裁に足を運んできた。
 三里塚現地情勢、裁判状況を踏まえ、七月全国集会に総結集していこう。
 反対同盟は、市東さんの農地裁判の判決日(七月二十九日)に向けた方針として、①7・14全国総決起集会(千葉市中央公園)、②緊急三万人署名、③多くの人々の三里塚現地への結集(援農、現地見学、交流会など)を掲げて、不当判決阻止の陣形作りを進めている。
 反対同盟は「一斉行動日」を決めて、成田市北部の騒音直下地域への集中的な情宣活動―個別訪問・署名集め、成田駅頭での情宣を取り組んでいる。五月十九日に第一回の一斉行動を行ない、六月、七月にも一斉行動日を設定する。すでに、反対同盟・支援連で集めた署名が一千筆を超えており、「現地勢力で五千筆は集めよう」と確認している。空港会社の路線増便の利害からのみ強行された騒音時間拡大攻撃の中で、市東さんの農地取り上げ反対の署名運動によって、反対同盟への支持は改めて拡大している。全国で緊急三万人署名をさらに拡大していこう。
 農地強奪攻撃が強まる中にあって、今こそ、三里塚現地に赴き、援農、現地見学、反対同盟との交流を深めよう。沖縄―岩国―神奈川の反基地闘争との結合、反原発闘争、階級的労働運動、全国で反帝闘争を担うすべての人々が三里塚に結集し、市東さんの農地強奪阻止の巨大なうねりを創り出そう。
 七月十四日、千葉市中央公園に全国から結集しよう! 千葉地裁を巨万人民で包囲し、農地強奪判決を絶対に阻止しようではないか。



 

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