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   故萩原進さんを偲ぶ会 12・20

 
進さん69年の人生と闘いが披露され、共有される

          


 十二月二十日、成田市名取亭において、二〇一三年末に急逝された反対同盟事務局次長、萩原進さんを偲ぶ会が開かれた。八十名が集まり、進さんに思いをはせた。
 伊藤信晴さんの司会で、はじめに黙祷し、市東孝雄さんの音頭で献杯した後、親交が深かった人々が発言を重ねていった。多くの発言で進さんの六十九年の人生、闘いが披露され、共有された。北原鉱治事務局長は、「進さんの人生は、半世紀におよぶ反対同盟の闘いそのものであった。遺志を継いで、空港廃港に向け闘いぬく」と死を悼んだ。
 弁護団は、「進さんは裁判に毎回参加し、その都度、課題、成果、方針を与えてくれた」「進さんは『三里塚闘争は革命闘争だ』と呼びかけた。農地死守の闘いは道半ばです。鬼神となりわれわれの闘いを見守ってください」と発言。
 農地取り上げに反対する会の小川さんは、「会の運動に対し、批判や助言を与えてくれた。突然会話を断たれて、しんどかった。常に『進さんならどうしたか』と考えながら、今後も闘い続ける」。
 農民会議の小川さんは、「進さんの影響を受け、三里塚闘争に結集してきた。本会は進さんの力がなければできなかった。労働者とともに、TPP反対で闘いぬく。全国各地に農民会議を作る」。
 成田市議の足立さんは、「反対同盟とともに、成田市との交渉を行ってきた。成田市は、市長をはじめ右傾化し、空港問題を騒音問題に矮小化し、場当たり的な拡張、第三滑走路を推進している。議員として、皆さんとともに、進さんとともに闘う」。
 六年前、進さんの著書『農地収奪を阻む』を発行した三角さんは、「この本には運動の指針が書いてある。進さんは三里塚において、農村の共同体としてのコミューンづくりを目指していた。今後も実力闘争で闘っていく」。
 友人の農家、市川さんは、「三里塚は対権力の農民一揆である。有機農法はエセが多いのだが、萩原さん、市東さんは本物だ。農民会議の一員として、反原発、反TPP、農地死守を掲げ闘う」。
 統一委からは、「東峰団結会館があったとき、よく来てもらい、お世話になった。進さんは人生をかけ、空港反対闘争を闘った。われわれが闘ってきた多くの裁判で、進さんが証人に立ってくれた。証言で常に、シルクコンビナート事業に言及した。青年の進さんはこの事業に人生をかけようとしたが、空港によってつぶされた。これが進さんの原点だった。御料牧場閉場式粉砕闘争のために指名手配中だった進さんは、六九年の秋の集会で登壇し、『このような弾圧の中で、闘うのか屈するのか、革命か反革命かの激動期をくぐらなければならない。私は指名手配の攻撃、権力の集中攻撃を浴びることに、誇りをもつ。このように三里塚闘争を戦闘的に闘えることは、非常に幸福である。現在、弾圧が加えられないような闘いは決して存在しない。弾圧が加えられるような社会は人間の社会ではない。この弾圧を粉砕してこそ、解放と、平和の兆しが見えるのではないだろうか』と発言。これは、七〇年、七一年の闘いに向けて人民を奮い立たせていった言葉だっただろう。戦争に向かおうとする二〇一五年においても、進さんの闘いをとらえ直し、弾圧をはねのけ闘うことで解放をかちとっていきたい」と発言した。
 多くの時間を畑でともにした現地の支援者は、進さんが生涯現役で農作業に打ち込む姿、巧みな鍬さばきを描写した。「進さんは自らに厳しく、営農、運動にまじめに取り組んでいた。孫をかわいがる姿は、農民、労働者、学生の未来を案じていたことの反映のように感じた。静江さん、富夫さんとともに営農をがんばっていく。反対同盟の闘いで、NAA、安倍政権を追い込んでいる。権力による反革命攻撃を、内乱に転化し、来年も全力で闘いぬく」。
 最後に、遺族からのお礼の挨拶があった。静江さんは、「悔しくて悔しくて、『何で』と泣いている姿を何度も見た。ほっとしている姿もあった。五十年という歴史の中で、私も闘争の中で育てられてきた。闘争に厳しく、自分にも厳しかったが、家族にはやさしかった。皆さんに支えられ、心を一つにして、基本原則を守り、家族ぐるみで闘ってきた。今後も大変ですが、よろしくお願いします。今も東峰のお墓でがんばっています」。
 義理の息子として十一年をともに過ごした富夫さんは、「ケンカしたことも多かった。頑固で融通がきかず、突拍子もないことをあれやれ、これやれと言い出した。ストレスでとても辛い時期もあった。しかし、考えること、言うこと、立ち居振る舞いが、何か最近、『じい』に似てきたと感じることがある。『じい』の魂は、家族の中に、皆さんの中に、生き続けている。僕は反対同盟の先頭で闘っていく」と決意を述べた。
 司会から、新年旗開きから始まる新たな闘いが呼びかけられ、追悼集の発行が伝えられた。進さんを失ったが反対同盟は、現地支援、全国の同志・友人と一丸となりこの一年闘ってきた。偲ぶ会は、一年を締めくくり、来春、農地死守の闘争の展望を切り拓く、盛り上がった集いとなった。


 

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