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   女性を戦争の道具にする安倍政権を許すな!

  
分断支配を打ち破り、
    団結して反戦・反差別・反原発・女性解放を闘おう!



 

 昨年末、安倍政権はアベノミクスの破綻や「政治と金」の問題、強権的な戦争政策への人民の反発、沖縄県知事選における辺野古新基地建設反対派の圧勝、などを居直るための解散・総選挙を強行した。総選挙は与党の勝利で終わったが、投票率は戦後最低の52%、世論は冷ややかであった。にもかかわらず安倍は「民意を得た」と強弁して、集団的自衛権恒久法案の提出や、労働法制改悪案の再提出、原発再稼動や辺野古新基地建設強行策動を拙速に進めようとし、独裁・暴走ぶりを発揮している。さらに第二次安倍政権の目玉として掲げた「女性が輝く社会の実現」が完全に失敗に終わったことの総括もなしに、「引き続き最大のチャレンジ」と同様の内容を打ち出している。われわれ女性を取り巻く現状は、「輝く社会」とは程遠いもの。戦争に向け大きく舵を切った安倍政権下で、ますます危機的状況を迎えようとしている。そもそも男性社会から、ましてや安倍政権から与えてもらう「輝き」「活躍」などあり得ないのだ。今こそ女性の団結と闘いによって、権利と尊厳を勝ち取ろうではないか。女性の力で、侵略戦争を阻止しようではないか。

 ●1章 女性労働者を分断し搾取する、労働法制改悪・女性活躍推進法

 安倍晋三は、昨年九月の内閣改造において過去最多五名の女性を閣僚に登用。新たに女性活躍担当相を置くなど「女性が輝く社会の実現」を強調した。その女性メンバーらは揃って極右団体・差別扇動団体の関係者であり、女性の役割を良妻賢母であるとして社会進出を阻もうとする、完全に時代に逆行した思想の持ち主だ。彼女らは「戦争できる国における女性の役割」を担う尖兵として起用されたものに他ならない。
 同時期に噴出した都議会・国会における、女性議員に対する性差別ヤジ問題。「早く結婚しろ」「産めないのか」「女は黙ってろ!」―「女性は仕事よりも、結婚して産んでこそ一人前」という根深い女性差別に基づいた発言は、未婚女性や不妊女性に対する侮辱であるのみならず、全ての女性をおとしめるものである。個人としての人格や業績、生き様ではなく、産む産まないでしか女性を評価しないということを、当たり前のように公言しているのだ。
 女性を利用の対象としてしか見ていない女性政策に、誰が期待を持てるだろうか。ジェンダーフリー教育や夫婦別姓に反対し、ひとり親家庭を「欠落家族」と呼び、「女は家にいて出産・育児に専念しろ」などといった主張をしている「親学推進議員連盟」の安倍晋三会長とそのメンバーたちが、「女性の活躍」を描こうというのだから、ふざけた話だ。
 女性活躍推進法は、女性に対する国家総動員法に他ならない。日本の男女格差指数(GGI)の順位低下(百五位)が、様々な国際機関から指摘され続けてきたことを受け、「二〇二〇年までに指導的地位に占める女性の割合を30%に引き上げる」ことをまず柱にしたこの法は、二〇二〇年東京オリンピックに向けた国際社会へのパフォーマンスでしかないことが見て取れる。同時に、ほんの一握りのエリート女性を優遇し、圧倒的多数の女性に低賃金・非正規労働と貧困を強いる分断政策であることも明らかだ。男女格差の是正どころか「女女格差」をも上乗せし、一部エリート女性に底辺女性を抑圧・支配させようとするものだ。
 二国会連続で廃案となった労働者派遣法と労働基準法改悪案が、再度提出・強行されようとしている。まずはこれを絶対に粉砕しなければならない。派遣労働の三年上限撤廃は、「生涯派遣」「正社員ゼロ」を加速させるもので、すでに女性労働者の六割が強いられている非正規率を上昇させるもの。さらに一日八時間の労働時間規制をなくす労基法改悪や「残業代ゼロ」制度は、労働者に際限ない労働時間と競争を強いて「過労死増加」を招くものだ。「デフレ脱却」「経済再生」という呪文にだけとらわれ、労働者階級人民を貧困・格差の泥沼に陥れるような政策の先に待ち受けているのは、「国家の維持」どころか崩壊する様でしかない。
 今や「働きたくても働けない」時代から、「働きたくなくても働かなくては生きていけない」時代だ。子どもを駅前保育所に預けても就労し、さらに家事や親の介護と、馬車馬のように働き続けなければならないのだ。政府はさらに、外国人技能実習制度を改悪して、この家事・育児・介護をアジアの女性労働者に超低賃金で担わせようとしている。日本の上・中流階級女性がアジア人女性を搾取し、日本人底辺女性とアジア人女性が敵対させられていくのだ。
 これら労働法制改悪と同時矢継ぎ早に強行された、セーフティーネット・社会保障の切り下げ破壊によって、もはや「自己責任論」では居直れないほどの貧困状況が生み出されようとしている。そもそも「消費増税」=「社会保障費」ではなかったのか? まず切り下げのターゲットとなった生活保護については、すでに生活扶助費の削減が行なわれ、さらに本年四月から住宅扶助費と冬期加算のそれぞれ引き下げが強行されようとしている。地域ごとに定められた「住宅扶助費」基準ギリギリの家賃で居住している多くの人々が、引き下げ後不足分の家賃を、すでに引き下げられている生活扶助費から捻出できない限りは、路頭に迷うことになるのだ。無料・低額宿泊施設などの「貧困ビジネス」が住宅扶助費を詐取している状況に切り込むためだと言うが、本末転倒である。冬期加算の引き下げは、暖房費がまさに「命綱」となる寒冷地、東北被災地をも直撃する。大阪では、橋下市長が「生活保護費のプリペイドカード化」などというとんでもないことを始めようとしている。生活扶助費の一部をプリカで支給することで、差別を助長し、買物の品目まで監視・介入しようというのだ。
 「ここまで弱者をいじめるのか?」と驚きあきれるのは、シェアハウスで子どもを育てているひとり親の女性に対して、シェアメイトの中に独身男性がいることを根拠に一方的に「事実婚」と断定して、児童扶養手当を支給停止した東京都の事例だ。シングルマザーを自立・独立した人格として認めない差別政策であるし、そもそも児童福祉の理念に反している。
 さらには「介護難民」「医療難民」を激増させると危険視されている介護報酬の引き下げと、利用者負担・医療費負担の引き上げが決定されている。これでは貧困・孤立に陥りがちな高齢女性に「死ね」と宣告するようなもの。慢性的な低賃金と人手不足で、常にギリギリの介護現場と介護労働者をさらに圧迫し崩壊させるもの、同じくギリギリの家族(とりわけ女性)に、無償の介護労働負担増を強いていくもの、である。
 これほどまでに労働環境と社会保障を破壊し、女性を窮地に立たせておきながら、「産めよ殖やせよ」を要求しているのが安倍政権だ。しかも「晩婚・晩産に歯止めをかける」ことを目的とした啓発冊子「女性手帳」の配布計画が大ひんしゅくをかったように、「産みたくても産めない」社会状況、少子化問題を「女性の意識の問題」にすりかえて、責任を押し付けようとしているのだ。
 「女性手帳」に顕著な、安倍政権の「少子化対策」「女性政策」に垣間見える優生思想キャンペーンとも対決していかなければならない。二〇一三年四月から開始された新型出生前診断に関して、一年間に七千七百四十名が利用し「陽性」と判定された百四十二名の妊婦のうち、確定診断でダウン症や心臓疾患などと診断されたのは百十三名、このうち97%にあたる百十名が人工妊娠中絶を選択していたことが発表された(二〇一四年六月)。三十五歳以上が目安となる「高齢妊娠」を理由に診断を受けた人が九割以上を占めたという。確定診断を受けないまま中絶した人や、陽性との判定結果を知る前に中絶した人もいた一方で、診断自体を取りやめた人もまた、複数いたとのことである。
 さらに昨年十一月二十五日、日本産婦人科学会の倫理委員会は、体外受精した受精卵の一部を採取して全ての染色体を調べる新しい受精卵診断の臨床研究を承認した。従来は主に習慣流産につながる特定の遺伝子や染色体を限定的に検査していたが、全染色体を調べることにより、ダウン症などの検査もすることになる。受精卵の段階からの、確実に「命の選別」につながる研究だと指摘されている。
 まさに戦時体制下における障害者抹殺の役割を母親が担わされる、これらの動きに対して、障害者がありのままの生を生きられる社会こそを共に求めて闘おう。
 私たちに「男なみに働け(ただし低賃金で)」「産め、育てろ(ただし「健常児」を)」そして「役目を終えたら死ね」と言っているに等しい安倍政権が、これ以上のさばり続けることを許さず、皆で包囲し闘おうではないか。

 ●2章 侵略戦争への道を許すな! 反戦・反基地運動に決起しよう

 十一月十六日、辺野古新基地建設反対を掲げる翁長雄志氏が、仲井真前知事を大差で破り、沖縄知事選に勝利した。続いて迎えた十二月の総選挙では、沖縄の全選挙区において自民党が大敗、辺野古新基地建設反対を掲げる候補が圧勝するという結果となった。これは、一九九五年米兵による少女暴行事件を契機として燃え広がった沖縄反基地闘争の、オール沖縄の意志が改めて示された結果である。
 にもかかわらず安倍政権は、辺野古新基地建設を「粛々と進める」と、全体重をかけて沖縄人民に襲いかかろうとしている。「言うことを聞かないならば」と沖縄振興費用の大幅削減をし、翁長知事に未だ会おうともしないなど、卑劣な沖縄差別をさらに強めている。身体をはって工事車両を止めようとした八十五歳のおばあに対し、警察権力が暴力をふるい、怪我を負わせる事態も起きた。
 沖縄のおばあたちが、決して屈することなく闘い続ける思いがどこにあるのかを考えて欲しい。――沖縄戦で家族・親族の命を奪われた経験、火炎放射器に焼かれながら命からがら逃れた経験、周囲には自分の子どもに手をかけ殺してしまったことを悔やみ続ける母親達もいる。戦後はアメリカに売り渡され、米軍基地に依存して働くしか生きる道がなかった日々。さらに自分の孫たちとも言うべき沖縄の女性に対する、米兵による暴行事件があとを絶たない。戦争が女性にもたらすありとあらゆる辛酸を舐め生きてきたおばあ達が、「命にかえても」と座り込み続ける姿に、全国の多くの女性たちが共感し、連なろうとしている。日本政府による、沖縄へのこれ以上の暴力を、絶対に許すことはできない。沖縄―「本土」貫いた辺野古新基地建設阻止の闘いに、全力で参加していこう!
 沖縄のみならず全国で、史上最大規模の軍事費を投入して軍備拡張が進められようとしている。岩国基地は、オスプレイの運用拠点化、愛宕山米軍住宅建設開始が強行され、北東アジア最大規模の米軍基地へと拡張されようとしている。京都府京丹後市にはXバンドレーダー基地建設が強行された。中東への出撃拠点としての、さらなる在日米軍再編強化を許してはならない。沖縄―「本土」そしてアジア全域からの米軍総撤収求め闘おう。さらに安倍が「対テロ」戦争への参加表明をしたばかりに起きた(意図的に起こしたとも言える)「イスラム国による日本人人質殺害事件」を突破口に、集団的自衛権行使立法化、改憲を一気呵成に進めようとしている。中東戦争への自衛隊参加を絶対に許してはならない。
 沖縄・アジア・全世界の女性たちと繋がり、声なき声を力に変えて、侵略戦争を阻止しよう!

 ●3章 「慰安婦」問題抹殺攻撃弾劾!日本軍慰安婦奴隷制度を弾劾し闘おう

 右翼排外主義勢力は一九九三年の「河野談話」を覆そうと、これまでもさんざん難癖をつけ歴史の事実を隠ぺいしようとしてきた。その先兵が安倍だ。天皇の戦争責任を裁いた二〇〇一年戦時性暴力女性国際戦犯法廷のNHK番組を、現場に乗り込んで改ざんさせたのが安倍であった。排外主義勢力は二〇〇七年、米下院で慰安婦問題に関する対日非難決議(謝罪要求決議)案が提出されるや、「日本軍は管理していない」「家に押し入って人さらいのように連れて行く強制はなかった」「慰安婦は性奴隷などではなく、自発的に性サービスを提供した売春婦に過ぎず、虐待の事実もない」などと事実を歪曲、河野談話を見直すべきとの大キャンペーンをはったのだ。
 「戦後レジーム・自虐史観からの脱却」を悲願とし、改憲―侵略戦争を目論む第二次安倍政権は、虎視眈々と狙ってきた「河野談話」についに手を付けた。誰も求めていない「検証の必要性」をでっち上げ、昨年六月「検証結果」を発表しキャンペーンを始めた。その矢先、朝日新聞が「吉田証言の一部」が誤報だったことを発表するや、排外主義勢力を大動員して「朝日たたき」「韓国たたき」「『慰安婦』はなかった」と、大宣伝と脅迫に勢いづいている。「検証結果」や「朝日報道全否定=『慰安婦』全否定」は全く根拠を欠いたデタラメで暴力的な歴史抹殺攻撃だ。高齢化した被害女性たちの名誉回復のために、彼女たちの闘いの地平を守らなくてはならない。「戦後七十年」の節目を、歴史抹殺・捏造の年にしてはいけない。
 一九九三年発表の「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」は、広範な地域に長期にわたって慰安所が設置され、多くの「慰安婦」が存在したこと、軍当局の要請による設置であったこと、「慰安婦」の募集・移送に旧日本軍が関与したことなどを認めるものだ。今後も調査を重ね、歴史の真実・教訓として直視していく決意と、「深い反省とお詫びの気持ち」を表明するというものである。
 一九九一年、金学順(キム・ハクスン)さんをはじめとする被害女性たちが証言に立ち、女性解放運動の重大な課題として多くの人々が共に闘ったことが韓国政府、国際社会、ついには日本政府を動かしたのであった。被害者の要求の核である教科書への記載が実現し始めた。いわゆる「強制連行の立証」についても「本人の意に反した強制があったことは確信が得られた」、「多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題」として謝罪したのである。この「河野談話」を受けて「アジア女性基金」などの欺瞞的「政策」が行われた。そして、歴代首相が河野談話の踏襲を表明してきた。第一次安倍内閣もまた、二〇〇六年に継承・踏襲を表明したのであった。
 「河野談話検証」は恣意性とご都合主義、感情的な悪意に満ちている。
 検証報告書冒頭で、検証のきっかけが「二月二〇日の衆議院予算委員会において石原元官房副長官より、①河野談話の根拠とされる元慰安婦の聞き取り調査結果について、裏付け調査は行なっていない、②河野談話の作成過程で韓国側との意見のすり合わせがあった可能性がある、③河野談話の発表により、いったん決着した日韓間の過去の問題が最近になり再び韓国政府から提起される状況を見て、当時の日本政府の善意が活かされておらず非常に残念である旨の証言があった」という通り、日韓のやりとりについての検証であり、慰安婦問題の歴史的事実そのものを把握するためのものではない。
 日本政府の傲慢さと厚顔無恥が、「善意」の二文字に表れているではないか。――元慰安婦の証言に裏付けはなく嘘かもしれないじゃないか、「河野談話」は韓国に強いられて書かされたものじゃないか、それでも「善意」を示してやったのに、またむし返してきてなんとも残念じゃないか、と言っているのだ。
 「一九九二年一月、朝日新聞が報道したことを契機に、韓国国内における対日批判が過熱した」と、まず朝日新聞から問題が始まったように恣意的に書かれている。日韓のやりとりを見るに韓国側の主張は、(政治的な背景や意図はあったとしても)被害女性たちの訴えに真摯に応えて欲しい、真実を語り、加害を認め、謝罪と反省を誠心誠意示して欲しいという姿勢で一貫している。それに対し日本政府は強制連行を絶対に認めるわけにはいかない。しかし事を収めるにはかけ引きしなければならないと、文言を弄んだ経緯が改めてつまびらかにされている。最後はアジア女性基金について、「日本の汚いカネを受け取るな」「売春婦であったと認めることになる」などと、被害女性に対する韓国や世界の支援者による「ハラスメント」があったので、日本の好意は無にされたと。しかし被害女性の一部は涙を流してこれを受け取ったのだよ、と締めくくられているのだ。
 むし返し続けてきたのはむしろ日本政府の方ではないか。
 二〇一三年五月の橋下徹大阪市長は「軍隊の猛者たちに慰安婦制度が必要なのは誰だってわかる」「米軍司令官に風俗業をもっと活用してほしいと言った」と驚くべき差別放言を繰り返したが、その地位を失うこともなく、一部から「正論」などとはやし立てられた。ヘイトスピーチを放置し、教科書からの削除など歴史の抹殺・歪曲が進み、日本が全くもって反省に立っていないこと、再び侵略戦争に突き進もうとしていることが目に余るからこそ「最近再び提起される」ようになったのだ。
 当然、韓国民衆からはこの検証報告に対する怒りの声が沸き起こった。被害女性キム・ボクドンさんは、日本大使館を訪れ、「私は十四歳の時に日本へ連れて行かれ、二十一歳まで強制的に慰安婦にされ、苦痛を強いられた歴史の生き証人。歴史の正義と平和のために活動しているが、なぜ真実を忘却し、河野談話を毀損しようとしているのか」と抗議した。韓国政府も「河野談話の意義を薄める意図で巧妙に編集されている」と抗議。しかし日本国内で、その声をかき消すかのように席巻したのが、差別排外主義者らによる朝日新聞叩きだ。朝日新聞が当時報道した、加害者としては唯一の証言者である故・吉田清治氏の証言記録にフィクションが含まれていたことや、「だまされて慰安婦にされた」と証言する被害女性が貧しかった親に売られ、「キーセン学校」に通った経歴をもつことを意図的に伏せていただろうということ(そうであったとしても性奴隷にすることを正当化する理由にはならないし、日本軍統治下で人身売買等が慣例となっていたことを逆に明らかにするものである)などをもって、誤報・捏造と規定した。あげく慰安婦問題そのものを全否定。「全ては朝日新聞の捏造からはじまった」とそれこそ経緯を捏造し、「国をおとしめた売国奴」などと罵詈雑言を浴びせ、植村隆・元朝日新聞記者が勤める北星学園大学や、彼の家族にまでその攻撃が及んだ。あまりの圧力と脅迫に、朝日新聞社は毅然とした対応を取れず屈服、北星学園大学も植村氏の雇用をめぐって揺れ動いた。しかし植村元記者自身は「自分は捏造記者ではない! 暴力には屈しない!」との姿勢を鮮明にして闘っており、彼を支持・支援する声が広がっている。
 勢いを得たつもりの安倍晋三は、一九九六年の国連報告書(クマラスワミ報告)に対してまで、「日本に対するいわれなき中傷が広がった」と撤回を要求している。「国をおとしめる」とは、そっくりそのまま返したいほどの恥ずべき行為だ。まずもって、一九九一年来の日本軍性奴隷制度に対する、韓国・日本における闘いは、吉田証言や朝日新聞報道を根拠にして燃え広がったわけでは決してない。「河野談話」もそれらを根拠につくられてはいない。
 第一には被害女性たちの告発決起が、歴史の真実を明らかにしたのだ。アジア・世界の女性たちがわが事として連帯したからだ。二点目には言うまでもないことだが、何をもって「強制連行」とするのか? 強制連行があったかどうかがこの問題の本質ではない。国家が女性を戦争遂行の道具と見なし、性奴隷にしたこと自体が問題なのだ。女性を性奴隷として、道具として扱うことが「強制」なのだ。差別排外主義者らによる、被害女性に対する「嘘つき」呼ばわりは許しがたい。筆舌に尽くしがたい苦しみを経験し、戦後も精神的・肉体的な傷痕にさいなまれながら生きてきたハルモニたちに、「強制連行を証明してみろ」とばかりに「正確な」証言を迫る傲慢さ、残すはずもない政府資料や公文書の有無を云々する卑劣さをもって、強制性が否定されてきたのだ。「従軍慰安婦は強制ではなく商行為であった」から良いのだ、などと国家が主張することは、人権意識の低さを全世界に露呈することに他ならない。被害女性たちに対するセカンドレイプを繰り返してきた日本政府と差別排外主義者らを決して許さず、徹底究明と被害女性への真の謝罪、補償を求めよう。第三次安倍政権の誕生を許してしまった階級闘争の現状を反転飛躍させ、屈することなく闘おう。被害女性たちの最たる願いは、再び自分たちのような被害にあう女性が生み出されないこと、である。侵略戦争と性奴隷制度を肯定し、再び繰り返そうとする安倍政権を許してはならない!

 ●4章 福島を「捨て石」にするな!原発再稼動・輸出を許さない

 3・11原発震災から早四年目の春を迎えた。福島第一原発事故は未だ収束しておらず、放射性物質は海に空に放出され続け、世界規模での汚染が続いている。にもかかわらず安倍政権は、なにごともなかったかのように原発再稼動と原発輸出を強行しようとしている。あれほどの事故を起こしてなお、原子力産業(核保有)を維持し続けるために、「安全」キャンペーンで事故を風化させ、福島、被災者を「捨て石」にしようとしているのだ。
 福島・宮城・岩手など七県で「みなし仮設住宅」を含めると十一万八千戸の仮設住宅に、未だ二十九万人もの人々が暮らしている。プレハブ仮設での生活を強いられ続けている被災者からは、『我慢三年と思ってきたが…』の声。震災関連死、自死、孤独死に至る人々もあとを絶たない。先の見えない暮らしの中で、様々な思いを抱えながら日々を生きている人々に寄り添うことなく、「二〇二〇年東京オリンピックは復興オリンピック」「福島の浜通りに聖火ランナーが走る姿を世界へアピールしよう」などとのたまわっているのが安倍政権だ。しかし、震災直後は「復興」事業に群がった業者らが、東京五輪が決定されるや、我先にと、より金になる首都圏へ流れ、人も資材も被災地には届かなくなったというではないか。今後、五輪特需が本格化すれば、より一層被災地は置き去りにされるであろう。
 一方で収束作業・除染作業を急がされる被曝労働者(現場では、死亡労災事故が続発)、「立ち直った姿」を要求される被災県民らがいる。被災県民であると同時に被曝労働で生計を立てざるを得ない人々も多い。政府は被曝の影響を過少に評価・宣伝し、人々の声をことごとく抹殺し、居住制限区域・避難指示区域を次々と解除していくことによって「終わったこと」にしようとしている。われわれは福島の人々と共にあり続け、「復興五輪」が欺瞞に満ちていることこそ、世界にアピールしなければならない。
 行き場のない放射能汚染ゴミを、たらい回しの挙句に焼き縮めて埋めてしまおうという、福島の仮設焼却炉建設ラッシュが新たな問題になっている。焼却時には、微粒子となった放射性物質が、福島県内はもちろんのこと全国に飛散し、さらなる被曝につながるといわれている。しかし、目視できない放射性物質よりも、目に映る、福島の大地に黒々と広がるフレコンバックの山=事故の爪跡が消えて無くなる「復旧」をのぞむ者らによって、焼却炉がまたも福島住民に押し付けられようとしているのだ。ここまで被曝の影響を過少に評価し、福島の人々・子ども達の生命に責任を負わないなど、あってはならないことである。
 昨年十一月十一日に発表のあった甲状腺検査評価部会報告によると、福島医大で甲状腺がんと診断された人は百四名にのぼり(年齢は八歳から二十一歳。性別は男性三十六人、女性六十八人)、手術を受けた五十八人のうち、リンパ節転移癌は十七例、肺への転移癌も二例あったという。福島県の百四名が甲状腺癌と診断された結果は、通常の約六十一倍の罹患であり、明かに「スクリーニング効果」などでは説明のつかない、多すぎる数値である。また、のう胞や結節ありとの診断を受けて経過観察中の子ども達も、年々格段にその人数が上昇している。一生を病と向き合わなくてはいけない子ども達とその家族、そして「いつか自分も」「いつか我が子も」との恐怖を抱えて暮らす全ての人々の生活と人生に、甚大な影響を与えているのだ。小児甲状腺ガンだけではなく、急性心筋梗塞や、様々なガンの発症率・死亡率も明らかに上昇している。未だ原発事故との因果関係を認めようとしない国の無責任姿勢を、決して許すことはできない。高線量地域への帰還など促進してはならないし、とりわけ子どもを持つ家庭を避難させるよう、今後も求めていかなけばならない。
 さらには福島への差別政策が惹き起こす、福島の人々、広域避難者、被曝労働者への差別・排除を決して許さず、共に生きるべく結びついていく、具体的な取り組みを続けよう。
 戦後七十年もの長きにわたる広島・長崎の被爆者・被爆二世・三世の闘いは、病や貧困との闘い、充分な保障や支援を行なわない国に対する闘い、そして差別との闘いであった。「子どもが結婚するまでは」「孫が生まれるまでは」、被爆者であることを語れなかったという多くの人々。同じことが、七十年もたった今また繰り返されようとしている。被害者が被害者として扱われず、充分な賠償・保障を受けられないばかりか、分断・差別により二重に抹殺されていく、同じ道を許してはいけない。8・9長崎で集団的自衛権行使について問うた被爆者代表に、「見解の相違です」などと応えた安倍政権の、平和への軽侮と戦争への無反省は、原発―福島への対応にもそのまま当てはまる。権利回復と、核の廃絶、なにより平和を求めてきた被爆者・二世・三世の闘いと結合しよう。広島・長崎を忘れるな! フクシマを終わらせるな! 原発再稼動・新設・輸出を許すな! 福島の女たち、鹿児島の女たちと共に、川内原発再稼動阻止を闘おう。

 

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