共産主義者同盟(統一委員会)






■政治主張

■各地の闘争

■海外情報

■声明・論評

■主要論文

■綱領・規約

■ENGLISH

■リンク

 

□ホームへ

   道徳の教科化を許すな!
         教え子を戦場に送るな!

       
安倍「教育再生」攻撃と闘おう

  
       

 二月四日、日帝-文部科学省は道徳の教科化を柱とする学習指導要領の改定案を発表した。小学校では二〇一八年度、中学校では二〇一九年度にも教科化する予定だということである。
 この道徳の教科化は二〇〇六年の改悪教育基本法の実働化であり、戦争国家化を目的にした「修身」の復活に他ならない。
 集団的自衛権行使容認―改憲―戦争のできる国家を目指す安倍政権は、具体的戦力として次世代青年層の動員を策していることは間違いない。
 われわれは、プロレタリア国際主義を掲げた反戦派として、断固としてこの攻撃を阻止していかなければならない。改悪教育基本法路線粉砕! 安倍「教育再生」攻撃阻止! 「教え子」-青年を戦場に送るな!

  ●1章 道徳の教科化反対!

 発表された中身によれば、「道徳」は一般教科と区別された「特別の教科」として位置づけられる。教科化に伴う評価は記述式とし、数値による評価は行わないとされている。さらに、現行学習指要領では小学校の一・二年は「郷土の文化や生活に親しみをもつ」であったが、今次改定ではここに新たに「わが国」という文言が付け加えられることになる。これで小学校の全学年に「わが国」という文言が入った教育内容が確立されることになる。
 この「道徳の教科化」は安倍「教育再生」の目玉政策であり、〇六年の教育基本法改悪以降の「悲願」でもあった。
 第一次安倍政権において教育基本の改悪が強行されたものの、中央教育審議会(中教審)は道徳の教科化につて「検定教科書はなじます、評価も難しい」との理由で答申を見送ってきた経緯がある。
 そして民主党政権時代を経て、改革教育基本法の存在が薄れていく。しかし安倍は、政権に返り咲いた直後から「教育再生」なる用語をもって教育現場への積極的介入を強めて、改悪教育基本法の実働化に向けて教育委員会制度の反動的解体などを実行してきたのである。
 二〇一三年に行われた「教育再生実行会議」の第一回会合冒頭において安倍は、「第一次安倍内閣においては、約六〇年ぶりに教育基本法を改正し、教育の目標として…『我が国と郷土を愛する態度を養うこと』などを明確に規定をいたしました」「しかしながら、その後の教育現場は残念ながら、改正教育基本法の理念が実現したとは言えない状況にあります」と挨拶で述べている。
 この第一回会合で、「日本教育再生機構」という歴史歪曲教科書の採択運動を推進する団体の理事長であり高崎経済大学教授の八木が、いじめ問題に絡めて「道徳教育の教科化を検討すべき」などと提言している。
 同じころに文部科学省は、「道徳教育の充実にかんする懇談会」なるものを省内に組織し現在の道徳教育における「問題点」を報告させている。そして、この報告を承けた文科相下村博文が、二〇一四年二月に中教審に「道徳に関わる教育課程の改善等について」諮問した。中教審は昨年十月に道徳の教科化を柱とする「答申」を提出。そして本年二月に文科省が新たな学習指導要領において「道徳の教科化」を打ち出すに至っている。
 この一連の流れでわかるように、「道徳の教科化」はそもそも改悪教育基本法の実働化を目的としたものであり、その意味でも安倍政権における教育政策の最重要課題であることは間違いない。
 「道徳」が教科化されることになれば、政府-文科省による検定をパスした教科書が採用され、現場教職員はこの教科書の内容を基準にして生徒-子どもを評価することが義務付けられることになる。
 われわれはこの「道徳の教科化」策動が一般的保守政権から提出されたものではなく、戦争国家化を目指す安倍政権から出されたものであるということに着目しなければならない。すなわち超階級的「道徳」一般を巡る問題ではなく、戦争国家化攻撃と連動した「道徳」の教科化であるという点こそおさえられなければならない。
 日教組中央はこの教科化問題に関して、十月二十一日に「書記長談話」を発表している。そこでは「(道徳の)検定教科書の使用は、規定された価値観や規範意識の押しつけにつながることが危惧される」「評価の導入により、子ども一人ひとりの価値観や心情の良し悪しを規定することになる。子どもの思い・心情はたとえ記述式であったとしても一定の基準等によって評価できるものではない。思想・信条の自由や精神的な自由を保障する子どもの権利の観点からも、道徳教育に評価はなじまない」と教科化問題を批判している。
 しかし、これは明らかに問題の本質からずれた論議でしかない。「道徳の教科化」の問題は「価値観や規範の押し付け」「価値観や心情の良し悪し」「思想・信条の自由や精神的な自由」問題一般ではけっしてない。それは、安倍政権による戦争国家化政策と連動した攻撃であり、「愛国心」を柱とする教育の徹底によって次世代の子ども・青年の戦争動員攻撃を許すのか否かという問題である。すなわち、かつて日教組が主張していたスローガン、「教え子を戦場に送るな!」の精神で批判されるべき問題なのである。

  ●2章 「修身」の復活を許すな!

 われわれは、この道徳の教科化問題に関して、断固とした反戦派の立場で対峙していく。
 教科化に関する批判の第一は、この攻撃が改悪教育基本法の実働化攻撃としてある、という点である。
 安倍自身が「教育再生実行会議」で述べていたように、安倍の教育政策の基本方針は改悪教育基本法の実働化―実体化に他ならない。安倍は「愛国心」教育を単なる「理念」上の問題として位置付けるのではなく、具体的実践的体系を伴った政策として推し進めようとしているのだ。であるからこその「教科化」であり「評価の義務化」である。
 第二に、道徳が「特別な教科」として位置付けられている点に着目しなければならない。
「特別な教科」とは一般的な教科と区別されるという意味以上に、一般的教科の基礎におかれるべき教科として位置付けるという意味である。すなわち学校教育の基本的中身を、国家による「道徳」を基軸に据えるということである。当然、他の教科も「道徳」の中身に則った内容になっていく。言わば、「道徳」の体系的教育システムの構築である。
 第三に、われわれはこの「道徳の教科化」を、この間の学校現場で行われている政策―実態と合わせてみていかなければならない。「日の丸・君が代」の強制―闘う教職員の排除攻撃もさることながら、教育現場と自衛隊―「軍隊」との急接近が現実に進行しているという状況下での教科化だという点に着目していかなければならない。
 この間の傾向として、全国の高校・中学などの学校現場が自衛隊と関係をもつ機会が増えてきている。それは「防災訓練」であったり、「職場体験」であったりと、様々な形で深く進行している現象である。こうした状況が現実に進行している中にあっての「道徳の教科化」である点が重要なのだ。
 以上を結論的に総括して言えば、「道徳の教科化」とは「修身」の復活に他ならない、ということができる。
 戦時中における「修身」科とは教育勅語の中身を保証する科目であり、そこには厳然たる評価制度が機能していた。また「修身」は「筆頭(首位)教科」と呼ばれ、他教科とは一線を画した位置づけを与えられていた。この「修身」を頂点として学校教育は組織されていたのである。算数、国語、理科といった教科も「修身」的内容を反映した授業が行われてきた。要するに、学校教育の全体系が「修身」だったのである。このような教育制度によって、いわゆる「少国民」が大量に建設されてきたのである。
 改憲を公然と主張し露骨に戦争国家化へ突き進まんとする政権が、「愛国心」を軸にした「道徳」を教科化しようというとき、これを「道徳」の強制一般の問題にしてはならない。われわれは、子ども―青年層に対する責任において、「修身」の復活を絶対に許してはならないのだ!

  ●3章 「防災訓練」の名を借りた軍事教練を許すな!

 そして、この間の教育を巡る情勢として特徴的な動きとしては、教育現場と自衛隊の急接近が挙げられる。現在では東京都が突出した動きを見せているが、早晩、全国に拡大することは間違いない。「防災」の名のもとに、生徒・学生が自衛隊による訓練に動員させられている。われわれは、事実上の「軍事教練」としてこの動きを徹底的に批判しなければならない。
 昨年、田無工業高校の生徒約三十名が、自衛隊―朝霞駐屯地における宿泊「防災訓練」に動員されている。一応は「防災」の名を付けてはいるが、その実際は徹底した団体行動を軸にした「軍事訓練」であった。防災とは無関係の部隊行進訓練、夜中にたたき起こす「非常呼集」訓練などが施されている。そもそも自衛隊サイドは「防災訓練」と位置付けておらず、企業研修などで行われる「体験入隊」として位置付けているのだ。そして何よりも問題にしなければならないのは、この宿泊訓練が都教委の主導で行われていることだ。「東京都教育委員会からの参加があまりにも多いのです。……都教委からも六人の指導主事が参加しました。そのうちの二人は課長でした。……一つの高校の行事に都教委から多数が参加することは異例ですが、その中に課長が二人も参加するということは聞いたことがありません」(「高校生をリクルートする自衛隊・自衛隊の手法を取り入れる教育行政」-同時代社)。
 すなわち、都教委主導の政策として高校生の自衛隊駐屯地での宿泊訓練が行われているのである。そして本年は大島高校の生徒が陸上自衛隊武山駐屯地(神奈川県横須賀市)で、宿泊訓練が強行されている。ちなみに、この武山駐屯地は新兵の教育用駐屯地である。
 またこれ以外にも、中学の「職場体験」で自衛隊が積極的に選択され、ここではゴム製ナイフを使った模擬武闘訓練まで行われているという情報もある。
 われわれは、現在の教育現場でこのようなことが現実に進行していることを確認したうえで、道徳の教科化問題を論じなければならない。

  ●4章 闘う教職員とともに「教育再生」攻撃と闘おう

 そしてこうした「教育再生」攻撃のただ中にあっても、断固として反戦を掲げ闘う教職員が存在することを確認しよう。日教組中央が権力に屈服する中にあっても、教組の旗を掲げて闘わんとする教職員が存在することもまた事実である。そしてまた、こうした教職員と連帯して闘う広範な労働者・学生・市民が存在する。われわれは、これらの人々によって、三・四月の卒・入学式攻防が粘り強く闘われていることを積極的に確認しなければならない。
 断固とした教職員による「君が代」不起立の闘いは、国家権力・都教委・管理職等による全体重をかけた弾圧によっても押しつぶすことはできていない。さらに、広範な地域住民による校門前情宣もし烈に闘われている。われわれはこれら闘いと連帯し、安倍による教育再生攻撃と闘っていこう。
 改悪教育基本法の実態化である「道徳の教科化」は、明らかに戦中における「修身」の復活を狙ったものであり、安倍の戦争国家化攻撃の重要な領域である。このような情勢において、反「日の丸・君が代」の闘いも「強制反対」一般から、明確に「戦争動員反対」の位置づけを有する闘いに押し上げられてくる。すなわち、反「日の丸・君が代」の闘いは「修身」―「教育勅語」教育に反対する闘いとしての意味づけを強調したものにならざるを得ない。
 そして、こうした闘いは学校現場での闘いと結合したものとして闘われるべきである。なぜならば、日帝による教育政策の主戦場は教育現場そのものであるからだ。
 闘う教職員と連帯し、安倍の「教育再生攻撃」と闘おう! 「道徳」の教科化を許すな! 「修身」の復活を阻止しよう! 反「日の丸・君が代」を闘おう!

 

当サイト掲載の文章・写真等の無断転載禁止
Copyright (C) 2006, Japan Communist League, All Rights Reserved.