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   7・3三里塚東京集会に結集しよう

   市東さんの農地強奪阻止!

       

 
 三里塚芝山連合空港反対同盟は結成から五十年を迎えようとしている。
 日帝政府、成田空港公団―現空港会社は、「国策」として三里塚空港建設計画を決定し強制収用による空港建設を強行してきた。半世紀を経てもなお、農民から農地を強奪する攻撃を続けている。五十年続く暴虐は必ず断罪されなければならない。
 反対同盟は決して屈することなく、五十年たたかい続けてきた。国家権力への怒りなしに語ることのできない五十年であるが、三里塚闘争こそ、日本の階級闘争史における反戦闘争の拠点、反帝闘争の拠点としての金字塔となってきた。日本の左翼運動は、三里塚をたたかい、三里塚で学んできた。
 反対同盟は七月三日、「三里塚闘争50周年! これからも闘うぞ 農地を守り、沖縄・福島とむすぶ7・3集会」を東京で開催する。
 市東さんに対する農地強奪攻撃が強まる中、三里塚闘争五十年の意義を改めて確認し、三里塚闘争―日本階級闘争の新たな時代を切り拓いていこうではないか。

  ●1、市東さんの農地をめぐる決戦

 市東孝雄さんの農地をめぐる行政訴訟・農地法裁判は昨年六月十二日の東京高裁小林裁判長による抜き打ち判決、そして八月十日の市東さんの最高裁上告によって、まさに決戦段階に入っている。
 空港会社は、賃借人であった市東さんの父東市さんには秘密にして農地を地主から取得し、その後、相続した市東孝雄さんにも秘匿し続けた。その上で、農地法を「根拠」にして農地から空港用地への転用を強行し、市東さんに対して「農地の明け渡し」を請求する訴訟を起こしてきた。
 そもそも、農地法は実際に耕作する農民の権利を守るための法律である。農地法を「根拠」にして農地を強奪するなどということがどうしてできるのか。農民層分解を進めながら、工業化を推し進めてきた日本帝国主義は、この本来農民の権利を守る農地法にさまざまな例外規定を加える形で法改悪を積み重ねてきた。農地法は農地転用のための権利移動を厳しく制限している。しかし、農地法施行規則第七条一一項において農地転用のための権利移動の制限の例外が列挙されており、その中の一項目に「成田空港の敷地」が規定されているのである。空港会社はこれを「根拠」にして農地を秘密裡に取得し、かつ、この農地の空港用地への転用を強行したのである。
 この空港会社の暴挙には、成田市農業委員会、千葉県農業会議、そして堂本千葉県知事(当時)までが全面的に荷担した。国策会社=成田空港会社と行政権力が結託して、三里塚農民市東孝雄さんに襲いかかり、農地強奪の法的「根拠」をでっち上げたのである。
 市東孝雄さんは、空港会社の農地明け渡し要求に対して、当然にも拒否した。空港会社は、市東さんを「被告」として二〇〇八年に訴訟を起こした。この農地法裁判では、二〇一三年七月の千葉地裁・多見谷判決、そして昨年の東京高裁・小林判決のいずれもが、市東さんに「農地明け渡し」と「建物の収去」を命じている。国策空港会社、行政権力、司法権力が一体となって、一人の農民の日々の生活の基盤である農地を強奪する「判決」を打ち下ろしてきた。究極のSLAPP訴訟が強行されているのである。
 この農地法裁判とは別に、空港会社は、市東さんの農地の一部に関して、空港会社の土地を「不法耕作」していると言いがかりをつけて、この農地法裁判より前に農地明け渡しを請求する訴訟を起こしている。これが「耕作権裁判」であるが、この農地は農地法裁判の農地と隣接しており、裁判内容も当然連動している。
 耕作権裁判は現在も千葉地裁で弁論が続いている。この裁判では、空港公団(当時)が農地取得の根拠とした「境界確認書」「同意書」「添付図面」の署名が市東東市さん本人のものではないことが筆跡鑑定で明白になっている。裁判所は、空港会社に対して、「用地取得」過程での空港公団用地部の記録文書を提出するように命じている。この文書提出問題は、地裁、高裁、最高裁まで争われ、文書提出命令が確定している。
 しかし、成田空港会社はこの文書提出命令を拒否し続けている。この記録文書は、耕作権裁判そのものだけではなく、連動する農地法裁判をも左右するものだからである。空港公団―空港会社の「用地取得」そのものが偽造文書による違法なものである事実が明白になれば、農地法裁判の極反動判決そのものが「根拠」を失うからである。
 耕作権裁判はこの文書提出問題をめぐって長期間弁論が中断していたが、昨年六月十五日に再開された。この時東京高裁小林裁判長は、耕作権裁判再開を恐怖し、農地法裁判控訴審の判決日を突然決定して抜き打ち判決を強行したのであった。
 市東さんの農地を強奪しようとする空港会社側の訴訟は、証拠捏造によるでっち上げ訴訟である。国策会社、行政権力、司法権力が一体となって、一人の農民から農地を奪い取ろうとする攻撃を絶対に許してはならない。かつて、反対同盟は「日本農民の名において収用を阻む」と掲げて、強制収用攻撃を迎え撃ち、国策の強制とたたかい抜いた。今、市東さんにかけられている攻撃は、日本の農民総体にかけられた攻撃である。市東さんの農地を守り抜く決戦を断固たたかい抜こう。

  ●2、50年の闘いの中で培われてきた闘争の真髄

  ▼2章―①軍事空港反対!ベトナム反戦闘争と三里塚闘争


 三里塚芝山連合空港反対同盟は結成から五十年を迎える。
 一九六六年七月四日、当時の自民党政権―佐藤内閣は「新東京国際空港」を成田市三里塚に建設することを閣議決定した。直前の六月二十二日には「内定」として発表されていた。
 三里塚の農民は「内定」発表直後の六月二十八日に三里塚新国際空港反対総決起集会を開催し、この場で三里塚空港反対同盟結成を宣言した。一方、六月三十日には芝山空港反対同盟が結成された。 閣議決定後の七月十日には新空港閣議決定粉砕総決起大会が五千名の結集でかちとられ、ここで三里塚芝山連合空港反対同盟が結成された。
 反対同盟は結成当初のこの時期に首都圏の基地や空港などの実態調査におもむいた。ベトナム行きの米軍チャーター便が羽田空港を占領している状況を、自らの目で確認したのだった。ベトナム侵略反革命戦争のための民間チャーター機による輸送が、航空需要の大きな部分を占めていたのであった。
 戦争のための輸送基地として、新空港が必要となっている。軍事空港建設のために農地を奪おうとしている。それが、三里塚空港建設の「公共性」「緊急性」の実態だった。三里塚農民は当初から、軍事空港建設反対という確信を自ら捉えていたのであった。
 六七年の外郭測量阻止闘争、六八年の立ち入り調査・ボーリング調査阻止闘争、六九年「御料牧場閉場式」粉砕闘争を実力闘争としてたたかっていった。この過程で、「統制と節度ある運動」を掲げる日本共産党とは絶縁した。そして三派全学連が実力闘争に参加してきた。
 反対同盟は、七〇年強制測量阻止闘争、七一年強制代執行阻止闘争に全力で立ち上がっていった。七一年九月十六日には東峰十字路戦闘がたたかわれた。神奈川県警堀田大隊を撃破し、この過程で機動隊員三名を殲滅した。
 駒井野では「日本農民の名において収用を阻む」と大書した大鉄塔が引き倒され、決死隊十一名が瀕死の重傷を負った。九月十六日の不当逮捕者は三百七十五名にのぼった。
 そして九月二十日、千葉県と千葉県警は大木よねさん宅に対する代執行をだまし討ちで強行した。脱穀機にしがみつく大木よねさんを機動隊員の暴力でねじ伏せて排除し、農民の生活の根拠をすべて奪い去ったのだ。

  ▼2章―②日本における階級闘争・反帝闘争の拠点

 反対同盟の軍事空港反対―実力闘争の確信は、この実践の中で獲得されてきたものである。
 七七年の岩山鉄塔決戦、七八年開港阻止決戦がたたかわれた。そして、「成田用水事業」をもっての切り崩し攻撃、あるいはシンポジウム―円卓会議をもっての「話し合い」攻撃という懐柔策―条件派づくりの攻撃も繰り返しかけられてきた。反対同盟は八三年3・8分裂ということをも通して、そのたたかいの原則を堅持しぬいてきた。
 この激烈な五十年間の攻防を通して、反対同盟農民は日本帝国主義と対決し、自らの敵が何なのかということをはっきりと捉えてきた。日本帝国主義足下において、国家権力に実力で立ち向かい、決して屈することなく、その闘争の原則を貫いてきた。
 三里塚闘争の五十年は、ベトナム反戦闘争、安保―沖縄闘争、日韓連帯運動などと連動し、影響しあいながら、日本の階級闘争総体を発展させる大きな力となってきた。それは、七〇―七一年の実力闘争、七八年開港阻止決戦、八五年二期工事阻止決戦、八九―九〇年成田治安法決戦の中で、国家権力の横暴に決して屈することなく、実力阻止攻防をたたかう中でつかみ取ってきた確信である。
 三里塚現地に結集し三里塚闘争を担った人々が、この五十年間の日本階級闘争を切り拓いてきた。不屈の意志をもった人々が、三里塚のようにたたかおうとしてきた。この三里塚闘争が今もたたかい抜かれていることこそ、日本の階級闘争の誇りである。

  ●3、「用地内」農民の利害に立脚した闘争を

  ▼3章―①第3滑走路計画を破綻に追い込もう


 二〇一〇年の羽田空港の国際化、二〇一二年の羽田国際線枠の拡大によって、首都圏の国際線航空需要は羽田で増加してきた。この状況に危機感を抱く成田商工会議所など成田空港に利害のある千葉県の地元ブルジョアジーは二〇一四年四月、「成田第三滑走路を実現する会(以下、実現する会)」を立ち上げた。この動きに呼応して、「自民党成田国際空港推進議員連盟」は昨年、「第三滑走路の整備をはじめとする成田国際空港の更なる機能強化の具体化」を掲げて、国交相にはたらきかけるなどの動きをはじめた。
 一方で、石毛博道などかつて三里塚闘争にかかわった者たちが中心になって昨年五月、「成田第三滑走路実現を目指す有志の会(以下、「有志の会」)」を立ち上げた。成田空港会社そのものが羽田との競争であせり、地元ブルジョアジーと自民党県議、国会議員らが第三滑走路に「活路」を見いだそうとしている。この事態に対して、有志の会は「いまなら国は喉から手が出るほど『第三滑走路』を欲しがっています」「この機会を逃さず、第三滑走路の建設を住民の力を合わせて実現させましょう」と、そのパンフレットで主張した。
 万が一第三滑走路が作られるなら、三里塚、芝山の農地を奪い、農業、農村社会をさらに破壊し、騒音被害を拡大することになる。しかし、有志の会は第三滑走路を「チャンス」「機会」だというのだ。そこにある利権を獲得することを「チャンス」といっているのだ。地元商工会や議員どもだけが利権を独占することに対して、最初からここに参画して、この利権の分け前をよこせと主張しているのだ。三里塚闘争から脱落し、「空港との共生」を掲げてシンポジウム、円卓会議に参加し、三里塚闘争に敵対してきた彼らの「総括」は、空港反対運動ではなく積極的な利権分配要求なのである。絶対に許すことはできない。
 この腐り切った野望が渦巻く中で、国、千葉県、周辺市町、成田空港会社による「成田空港に関する四者協議会(以下、「四者協議会」)」が昨年九月発足した。四者協議での論議内容を「根拠」にして、空港会社社長・夏目誠は、第三滑走路建設、暫定滑走路のさらなる延伸、夜間飛行制限の緩和の三項目について具体的調査を開始すると発表しているのだ。

  ▼3章―②オリンピックを口実にした「24時間化」攻撃を絶対に阻止しよう

 空港会社は、市東さんの農地強奪攻撃と同時に、三里塚、芝山をはじめとする周辺地域の農業破壊、生活破壊の新たな攻撃に着手することを宣言している。しかも、地元ブルジョアジーや利権集団の「地元の要望」をその攻撃の根拠にしている。
 第三滑走路建設、暫定滑走路の延伸は、「用地買収」を含め長期間にわたる攻撃である。成田空港会社は、二〇二〇年東京オリンピックを航空需要増大の一つのピークと捉え、これを最大限利用して「夜間飛行制限緩和」を強行しようとしている。
 成田空港会社は、航空路線確保の一環として格安航空会社(LCC)に目をつけ、その誘致を行い、LCC専用ターミナルまで建設してきた。LCCはその経営体質ゆえに、保有する航空機をなるべく少なくして一日の運行回数を最大限に増やしている。深夜便、早朝便の離着陸はこのLCCの要求であり、空港会社は夜間飛行を強行することでさらなるLCC誘致をはかろうとしている。
 成田が羽田との競争で大きく差をつけられているのは、都心からの交通アクセスだけではない。「二十四時間化」が不可能だということが、「国際空港」でありながら成田の絶対的限界だからだ。しかし、これは、内陸空港建設を強行したことの結果なのであり、絶対的制限なのである。空港会社が企業としての利害で勝手に誘致したLCCの都合で深夜便・早朝便の制限を「緩和」することはできない。オリンピックを「国民的行事」として煽り立てても「緩和」することはできない。
 オリンピックを口実にした成田空港の「二十四時間化」攻撃を、絶対に打ち破らなくてはならない。
 三里塚闘争五十年の今こそ、改めて農民の利害、「用地内」農民の利害に立脚して、「二十四時間化」絶対阻止、第三滑走路建設粉砕のたたかいを創出していくことが問われている。
 反対同盟は、市東さんの農地を守り抜くために毎月一斉行動に立ち上がっている。最高裁に対する五万人署名運動を推し進め、農地取り上げ反対の署名が日々積み重ねられてきている。市東さんの農地強奪を打ち破る決戦、そして、「用地内」農民を先頭にして日本農民の利害に立脚したたたかいを、三里塚の地から切り拓いていこうではないか。
 不屈にたたかう反対同盟の熱意に応えて、7・3東京集会に全力で結集しよう。


 

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