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   被爆二世集団訴訟の意義とこれからの課題

    被爆の影響の過小評価を許さず、核廃絶の実現と
       被爆二世の国家補償に基づく援護を勝ち取ろう!

                     ●被爆二世解放委員会



 日本政府が認めている原爆被爆者とは、一九四五年八月に広島(六日)と長崎(九日)に米軍によって投下された原子爆弾の被害を受けて生き残った者で被爆者手帳を保持している者をいう。
 被爆者は、次の一号から四号に分けられる。
 一号被爆者とは原子爆弾が投下された際に当時の地名で決められた広島市や長崎市などの限られた地域に居て直接被爆した方だ。(直接被爆者)
 二号被爆者とは原子爆弾が投下されてから二週間以内に、広島あるいは長崎の爆心地から約二キロメートルの区域内に立ち入った方だ。(※二週間以内という基準は、広島にあっては一九四五年八月二十日まで、長崎にあっては八月二十三日までとなる。)(入市被爆者)
 三号被爆者は原子爆弾が投下された際、又はその後において、身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった方だ。例えば、被災者の救護、死体の処理などをされた方だ。中には、被爆地から遠く離れた場所で被爆者の救護にあたって被爆者になった方もいる。(救護被爆者等)
 四号被爆者は上記の一号から三号に該当する方の胎児であった方だ。(※広島にあっては、一九四六年五月三十一日までに、長崎にあっては、六月三日までに、生まれた方。)(胎内被爆者)
 そして被爆二世とは、両親又はどちらかが被爆者で一九四六年六月一日(広島被爆)か六月四日(長崎被爆)以降に生まれた人のことを言う。
 一九九四年に成立した被爆者援護法が適用されるのは、前記一号から四号の被爆者だけで、被爆二世には全く適用されていない。国(厚生労働省)が被爆二世に対して行なっている施策は、一九七九年より始まった単年度措置のガン検診も無い一般的な「被爆二世検診」のみだ。
 被爆から七十二年を迎える本年二月、全国被爆二世団体連絡協議会(以下、全国被爆二世協)は、国の立法不作為を問い、被爆二世の援護を求める集団訴訟に立ち上がった。
 二月十七日広島地裁で二十二人、二月二十日長崎地裁で二十五人の被爆二世が原告として提訴した。被爆二世運動の新たな歴史が開かれたのだ。
 全国被爆二世協は一九八八年に発足して以来、被爆二世に対する国の援護対策を求め続けてきた。毎年の厚生労働省交渉を始め、国会議員への働きかけも行いながら、被爆二世の援護を求める三十万筆以上の署名を厚生労働省に提出したこともあった。そして放射線影響研究所の被爆二世健康影響調査への被爆二世の人権を守る側からの働きかけや日韓被爆二世交流会の開催など様々な取り組みを行ってきた。また、被爆二世交流会を開催し、被爆二世運動の歴史と中身を伝え、共有してきた。こうした取り組みにより、現在では国内外の被爆二世の連帯が強まり、被爆二世運動が大きく前進している。
 しかし、日本政府(国)は私たち被爆二世に対して、国家補償に基づく法律による援護を拒み続けてきた。被爆二世は放置されたままなのだ。この間、被爆二世の中には流産・死産という形でこの世に生を受けることができなかった者もいた。また、生まれてきても白血病やガン、内臓疾患、血液の病気など親と同じような病気になり、苦しんでいる者もいる。中には若くして亡くなった者もいる。多くの被爆二世が、親と同じような病気になるのではないかという不安を抱えて生きてきた。私たち被爆二世の体の中では、七十二年前に終わったはずの戦争がまだ続いているのだ。
 全国被爆二世協に結集する被爆二世は、原爆症によって、このまま座して死を待つわけにはいかないと、全ての被爆二世の命と暮らしを守るために、止むに止まれず司法の場での解決を目指すことを決意したのだ。

 ●被爆二世集団訴訟の二つの意義

 この被爆二世の援護を求める集団訴訟の意義は、二つある。
 第一に、日本政府が現在まで、どれだけ被爆者の援護を制限してきたのかを明らかにすることだ。
 被爆者を援護する法律が戦後十二年も経って初めて一九五七年に「原爆医療法」として成立した。しかも、国が積極的に作ったのではなく、一九五四年のアメリカの水爆実験でマグロはえ縄漁船「第五福竜丸」に乗っていた無線長の久保山愛吉さんが「死の灰」を浴び被爆して、半年後に亡くなったことで原水爆禁止運動が燎原の火のごとく全国に広がり、広島・長崎の被爆者の原爆被害の実態が多くの人々に伝わったからだ。また、一九六七年に成立した被爆者の生活面における援護策を定めた原爆特別措置法は、一九六三年の広島・長崎の五名の被爆者が国を相手に損害賠償を求めた訴訟(下田事件)の東京地裁判決で、「原子爆弾のもたらす苦痛は、毒、毒ガス以上のものといっても過言ではなく、このような残虐な爆弾を投下した行為は、不必要な苦痛を与えてはならないという戦争法の基本原則に違反しているということができよう」と、一八九九年のハーグ条約に規定する明確な国際法違反であることを認めたからだ。
 原爆症の認定基準については、多くの被爆者が原爆症認定却下取消訴訟をたたかって初めて、国は僅かにその基準を改めた。
 被爆地拡大を巡る裁判も広島・長崎両地裁で続いている。
 在外被爆者の場合、そもそも被爆者援護法が適用されていなかった。韓国の被爆者を始めとする在外被爆者は裁判に訴えて勝訴し続けた。しかし日本政府は、敗訴部分だけを適用している。そのため、今も在外被爆者には被爆者援護法が完全に適用されてはいない。
 このように、例をあげれば枚挙にいとまが無い。
 被爆二世の援護についても同じだ。
 一九五七年、日本遺伝学会と日本人類遺伝学会は連名で「人類におよぼす放射線の遺伝的影響についての見解」を出して、放射線の遺伝的影響にもしきい値は無いことを訴えている。一九七五年の衆議院社会労働委員会では当時の厚生省公衆衛生局長が放射能と遺伝との関係を認める発言をしている。
 その後、一九八九年と一九九二年の二回にわたって、被爆二世の援護を法律で定めた被爆二世条項のある「原子爆弾被爆者等援護法案」が参議院で可決された。その内容は「都道府県知事は、被爆二世、三世から申出があった場合には、その者に対し健康診断を行うとともに、原子爆弾の傷害作用に起因する疾病にかかっている旨の都道府県知事の認定を受けた者には、医療の給付並びに医療手当及び介護手当の支給等の援護を行うこと」というものである。しかし衆議院では可決に至らなかった。そして、一九九四年に成立した現在の「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」では、被爆二世に関する規定は置かれず、ごまかしの付帯決議として、「被爆者とその子及び孫に対する影響についての調査、研究及びその対策について十分配慮し、二世の健康診断については、継続して行うとともに、その置かれている立場を理解して一層充実を図ること」という文言が付けられただけだった。
 多くの被爆二世が五十歳~六十歳代に差し掛かりガン年齢に達している現在も、ガン検診も医療措置も無い今まで通りの一般的な健康診断が単年度措置として実施されただけなのだ。
 こうした現実を突破しようと全国被爆二世協に結集した被爆二世は、あらゆる手段を通じて、第五の被爆者(五号被爆者)として被爆二世に被爆者援護法を適用するよう求め続けてきた。その結果、戦後七十一年目にして、厚生労働省は被爆二世健診に多発性骨髄腫の検査を加えた。被爆者検診ではガン検診に該当する検査だか、二世の場合、何故か一般健診の項目の一つとして加えられた。しかし、被爆二世健診に多発性骨髄腫が追加されたという政府広報もしておらず、委託先の地方自治体に任せたままだ。そのため、未だに被爆二世健診に多発性骨髄腫が追加されたことを知らない被爆二世が沢山いる。だが、この検査は被爆二世本人が希望しなければ受診できない。また委託を受けた地方自治体の中には昨年度並みの予算しか組んでおらず、被爆二世健診の受診者数が予算を超えた場合には、今まで検査を受けたことのない被爆二世を優先するため、年一回の被爆二世健診さえも受診できない場合まであるのだ。
 本文の「はじめに」で国のいう被爆者の定義を紹介したが、被爆者手帳を取らなかった、取ることの出来なかった被爆者がいることも忘れてはならない。それは、一九五七年の原爆医療法ができる前に亡くなった場合や、自分だけが生き延びた負い目で被爆者手帳を取らなかったなど様々な理由で被爆者手帳を保持できなかった被爆者達だ。そうした被爆者の子どもも私たち被爆二世と同じ被爆二世だ。私たちはそうした被爆二世を含めたすべての被爆二世に国家補償にもとづく援護法を実現したい。
 国の欺瞞的被爆二世対策を許さず、国家補償にもとづく被爆二世の援護法を実現する以外に被爆二世問題の解決はない。
 第二の意義は、核兵器の反人民性を満天下に明らかにすることだ。
 米軍は、一九四五年八月六日にウラン型原爆を広島に投下し、八月九日にプルトニウム型原爆を長崎に投下した。このような短期間に二種類の原子爆弾を投下したのは何故か。その理由として考えられるのは、プルトニウム型原爆も使用することで、核兵器の大量生産が可能であることを世界に知らしめたかったからだ。
 また広島・長崎の原爆被害では、一発の原子爆弾で女性や子ども、高齢者など年齢・性別に関係なく多くの一般市民が無差別に大量に殺されている。街そのものが無くなった。被爆地に住む被爆者は、原爆により一切の社会のつながりを断ち切られ、社会そのものが無くなったと教えてくれた。筆舌に尽くしがたい現実だ。生き残った被爆者も原爆の後遺症により、生涯を通じて原爆に殺されていく。この核の放射線による被害が次の世代に引き継がれるという現実は、核兵器の残虐性の最たるものの一つだ。核兵器を絶対悪として、その使用を禁止し、世界中から廃絶させなくてはならない。被爆二世は、核の放射線による被害が遺伝的影響によって次の世代に引き継がれることを告発し、戦争も核の被害も無い世界を作る主人公なのだ。
 この裁判を契機として、被爆二世の現実を社会に訴えて、二度と戦争も核の被害も無い世界を作るために、私たちは被爆二世としての誇りを持って闘う。

 ●最後に

 戦後七十二年が経とうとする今、ようやく被爆者手帳を申請する被爆者がいる。差別を恐れ、子どもが結婚してから、孫が生まれてからと被爆者手帳を申請できなかったのだ。また自らが被爆者であることを子ども(被爆二世)に伝えることのできない被爆者が多数いる。親が亡くなり遺品を整理している中で被爆者手帳を発見し、親が被爆者だと知ったという被爆二世もいる。被爆者はなぜ子どもに自分が被爆者であることが伝えられないのか? 一つには被爆者差別が今もあり、被爆者の子どもということで、結婚差別などを受けることを恐れているからだ。もう一つは被爆二世が病気になった場合、被爆したことを責められるのではと思い言い出せないのだ。被爆二世に引き継がれた放射能の遺伝的影響による健康被害は、決して親である被爆者のせいでは無い。原爆を投下し今も核兵器使用を肯定する米政府と、米国の核の傘に依拠して核の被害を過小評価して隠蔽する日本政府(国)にこそその責任がある。
 また、今回の提訴を知った二世から賛同の声も多数あるが、中には差別を助長するのではと心配する声もある。
 このまま放置していれば援護無き差別の状態が続いていく。ならば被爆者が起ち上がり被爆者援護法を勝ち取った運動を見習いながら差別無き援護を求めていこう。
 被爆者や被爆二世の苦しみや辛さの責任は個人にあるのではない。日米両政府に原爆被害の責任と被爆二世に今も続く放射線の遺伝的影響による健康被害の戦争責任・戦後責任を取らせよう。
 被爆二世自身が自らを「被爆二世」として肯定し、社会的・歴史的な存在として自覚することは自らを解放すると同時に、親である被爆者を解放する大きな力となる。被爆二世が第五の被爆者として名乗りをあげることは、被爆者差別や障害者差別と闘い社会を変革する極めて重要な闘いだ。私たち被爆二世は、多くの人々に、戦後、被爆者や被爆二世がどんな思いで原爆被害の恐怖と闘いながら、自らの人生に誇りを持って生きてきたのかを伝えたい。この裁判は、人類が核と共存できないことを改めて提起し、核廃絶(核兵器や原発や全ての核被害を無くすこと)や戦争反対に被爆二世が正面から集団で向き合うものだ。
 共に、勝利するまで決してあきらめずに闘おう!


 

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