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   市東さんの農地強制執行阻止!

       10・14三里塚に全国から結集を

  
                  


 市東孝雄さんに対する農地強奪攻撃は、空港会社と司法権力が一体となった「土地明け渡し」―強制執行攻撃としてある。この攻撃と対決する請求異議裁判が今秋九月二七日、最終弁論となる。市東さん自身を先頭として反対同盟、弁護団、支援―傍聴団は、農民の正義を明らかにしてきた。
 市東孝雄さんが農民として生きる権利を貫くことは、反対同盟五二年の闘いそのものである。同時に、今空港会社が再び農村破壊の暴虐に踏み込もうとしている状況下で、これを阻止する新たな大衆運動の大きな礎になる。市東さんのように生活し、市東さんのように闘うことが、多くの農民、住民が求めるものになるだろう。
 市東さんに対する強制執行阻止決戦を、農地死守―実力闘争で闘い抜こう。

 ●第1章 強制執行絶対阻止―請求異議裁判の意義

 ▼1章―1節 最高裁反動判決を押し返してきた請求異議裁判

 空港会社が市東さんの農地を強奪しようとする攻撃は、悪辣なだまし討ち攻撃であり、耕作者の権利を守るべき農地法を悪用した許しがたい攻撃である。
 土地収用法に基づく事業認定が期限切れとなったのは一九八九年であったが、このことが問題となっていた一九八八年に、空港公団(当時)は、市東孝雄さんの父―東市さんが耕作していた農地を、地主から買収した。この農地の売買は、最も重要な利害関係人である東市さんには秘匿して行なわれた。空港公団はこの事実が発覚することを恐れ、一五年間移転登記を行なわなかった。成田国際空港会社は二〇〇四年に設立されたが、空港公団はその直前の〇三年になって移転登記を行なった。
 空港会社は、この違法に秘匿し続けて登記した農地を、次の段階として、農地法に基づいて市東孝雄さんとの貸借関係を「解約」しなければ、空港用地に転用することはできない。農地法は農地の転用を厳しく制限しており、農業委員会、県農業会議、最終的には知事の許可を必要としている。成田市農業委員会、千葉県農業会議、そして、千葉県知事堂本(当時)は、この空港会社の策略をすべて認めた。
 空港会社は、この農地法の手続きを「根拠」として、〇六年に市東さんを被告として、土地明け渡しの裁判を起こした。これが農地法裁判であり、一三年の千葉地裁・多見谷判決、一五年東京高裁・小林判決はいずれも土地明け渡しを認めた。一六年一〇月二五日、最高裁はこの反動判決を追認して、上告棄却を決定した。
 市東さんに対するだまし討ち、行政に対する政治的圧力、さらには司法権力との結託をもって、農地の取得―明け渡しを強制するということは、農民の権利を守るべき農地法を根拠にして行なうという本末転倒である。こんなことを行なわせてはならない。
 しかも、市東さんが耕作するこの農地は、孝雄さんの祖父市太郎さんが一九一二年に入植して以来、耕作してきた農地である。市太郎さん、東市さん、孝雄さんと三代百年以上にわたって耕作してきたのであり、農地法からすれば、市東さんの所有地となって当然の農地である。敗戦直後に東市さんが捕虜になっていたために、その手続きがなされず「残存小作地」とされたのであった。
 問われていることは、全うに耕作してきた農民の権利が、虚偽と秘匿、利権にまみれた空港会社に踏みにじられてはならない、ということだ。市東さんの農地強制執行阻止の裁判闘争は、まさに日本農民の利害をかけた闘いである。

 ▼1章―2節 法廷闘争の展開

 請求異議裁判は、最高裁確定判決後に争われている稀有な裁判である。
 最高裁決定によって、「土地明け渡し」は確定した。市東孝雄さんに「土地明け渡し」を言い渡している許しがたい判決であるが、しかし、この判決そのものが空港会社の強制執行まで決定している訳ではない。
 空港会社は、最高裁判決の次の段階として強制執行の手続きに踏み込んできた。しかし、それに対して市東さんが異議を申し立て、千葉地裁がこれを受けて、「強制執行」そのものを争う裁判がなされてきたのである。
 空港会社は九〇年代のシンポジウム―円卓会議の過程で「二度と強制的手段はとらない」ことを約束してきた。空港会社側代理人弁護士は、土地収用委員会による強制収用と司法の決定に基づく強制執行は異なるという弁明に終始してきた。しかし、土地収用法に基づく事業認定が八九年にすでに期限切れになって強制収用が不可能になっているということ自体が、公共性も緊急性もすでに失われたということなのである。農地法の意図を転倒させた曲解をもって農地を取り上げようとし、強制執行でその目的を遂げようとする空港会社の悪辣極まりない手法に対する、三里塚農民―市東孝雄さんの全く正当な批判が、反動判決を繰り返してきた千葉地裁をさえ突き動かしたのであった。
 請求異議裁判が裁判として行なわれること自体、空港会社としては当惑する事態であった。市東さんの農民としての主張、その正義が、国有企業―成田空港会社の権力濫用を大きく押し返したのだ。本年七月一七日まで八回にわたって行なわれてきた口頭弁論は、農地法裁判の本質をもう一度根底から問い直し、市東さんが一人の農民として生きる権利と、成田空港会社の利権とが、真っ向から対決する場となった。
 二年近くにわたって争われてきた請求異議裁判の法廷は、空港会社の違憲違法な土地買収から「強制執行」手続きに至る暴挙を弾劾し、天神峰の地で農民として生き抜こうとする市東さんの正義を明らかにしていく場となった。
 五月二四日に行なわれた第六回口頭弁論では、原告市東孝雄さん側の証人として、小泉英政さんと加瀬勉さんが出廷し、証言を行った。小泉さん、加瀬さんはそれぞれの立場から、大木よねさんに対する強制収用のだまし討ち、暴行の事実を証言し、農地・生活の一切を取り上げた空港公団の暴虐を徹底的に弾劾した。その上で、小泉さんは成田空港会社について重要な証言を行った。大木よねさんの生活権補償をめぐる訴訟は、二〇一五年の五月に和解したが、その過程で空港会社側は謝罪し、「今後は強制的手段はとらない」と表明した、という事実である。
 これは、市東さんの農地法裁判の控訴審最終弁論以降の事実であり、空港会社の強制執行を自ら制限する言質として重要である。成田空港会社は、強制執行をもって農民から農地を取り上げることはできない。

 ▼1章―3節 耕作者市東さんの権利と正義

 六月二八日、請求異議裁判第七回口頭弁論では、市東孝雄さんの本人尋問が行なわれた。
 空港公団が市東さんの耕作地を買収した証拠とされている、市東東市さんの「同意書」「境界確認書」が偽造であることに関して、市東さんは次のように証言している。
 「国策で戦争に行かされ、再び国策で農地を取られることに強い怒りを持っていた親父は、小作権を絶対に売り渡すなと遺言しており、『同意書』『境界確認書』に署名・捺印するはずがありません。天の上で激怒していると思います」。
 「同意書」「確認書」が東市さんのものではなく偽造されたものであることは筆跡鑑定でも明らかにされているが、市東孝雄さんは東市さんの怒りと最期まで貫いた闘いから、決して父親のものではないと確信してきたのである。
 市東さんの農地をめぐるもう一方の裁判―耕作権裁判では、この文書偽造問題と、空港公団が土地買収に際して作成した文書の提出をめぐって争われている。空港会社側は、当時の空港公団職員の作製した文書を墨塗りにして「証拠」として提出するという許しがたい行為におよんでいる。真実を明らかにすべき法廷で、真実を隠蔽する空港会社の体質を自ら披瀝したのである。空港公団―空港会社の成田空港建設の五二年とは、その暴虐と同時に、虚偽と隠蔽に満ち満ちているということなのである。国有企業の陰湿な実態をさらけ出したのである。
 市東孝雄さんは、現在の空港会社に対する憤りをさらに次のように証言している。
 「国とNAA(成田空港会社)は私のことを『騒音を承知で帰ってきた』などと言いますが、B滑走路ができたのは私が戻った後です。親が亡くなり、帰ってきて農業をやることのどこが悪いのか」。
 「NAAは自分で『話し合いで解決』『二度と強制手段はとらない』と公約しておいて、それを踏みにじって強制執行するのは誰が見たって違法ですよ。もし許可するなら裁判所の自殺行為です。裁判長は正義を貫いていただきたい」。
 市東さんが法廷で主張していることは至極当然のことである。農民が農民として生きる、その権利が剥奪されようとしている非道な事態に対して、裁判所が全うな判断をせよと言っているのだ。農民の立場を尊重し、公平公正な判断をするならば、強制執行を認めることはできないはずである。この期におよんで強制執行を許すというのであれば、それは市東さんの言うとおり、憲法の停止、法からの逸脱以外の何ものでもない。
 市東さんと反対同盟、弁護団、傍聴団が全精力を費やして取り組んできた請求異議裁判のこの法廷で、空港会社側代理人は何をしてきたか。法廷での弁論を避け、証人に反対尋問することすらなく、沈黙と隠蔽に終始してきた。請求異議裁判そのものが想定外だった空港会社は、一刻も早く結審し、「強制執行」の手続きに踏み込もうとだけ考えている。国策だから空港会社が必ず勝ち、土地は会社のものだと捉えている。
 安倍政権と国策会社が人民の意思など踏みにじって、独裁的にその戦略を強行していく異様な事態を絶対許してはならない。三里塚闘争こそが、安倍独裁ゆえの閉塞状況を必ずや打ち破っていくであろう。

 ●第2章 第3滑走路計画粉砕! 空港二四時間化攻撃阻止

 ▼2章―1節 空港会社の経営戦略と利権政治家どもの野望


 市東さんの農地強制執行を阻止する闘いは、成田空港会社の新たな攻撃に対する住民の決起を促進する、重大な意義を有している。
 成田空港会社は、地元ブルジョアジーどもが一四年に立ち上げた「成田第3滑走路実現する会」、また、自民党の二階俊博や林幹雄が軸になった「自民党成田国際空港推進議員連盟」などと結託して、「成田空港機能強化」案の策定、地元との「合意」を進めようとしてきた。「空港機能強化」の具体的中身は、夜間早朝飛行制限時間の短縮と第3滑走路計画であった。これにより、現行の年間離発着三〇万回を五〇万回にまで引き上げようというのだ。
 二〇二〇年東京オリンピック・パラリンピックを焦点にして国際線需要が増大するという読みがあり、空港会社の経営としては、羽田か成田かのせめぎあいに対処できる方策を打ち出そうということなのだ。しかし、いくら金と人をつぎ込んだところで二〇年までに、新しい滑走路を建設することなどできない。オリンピックでの一時的な需要増大こそ「空港機能強化」策を押し出すのに好都合だと、彼らが仕組んだだけだ。
 空港会社、国、県、地元周辺市町の首長による四者協議会は一六年九月、夜間飛行制限の短縮、第3滑走路計画、B’滑走路の北延伸を「成田空港機能強化策」として一旦確認した。空港会社と地元ブルジョアジーは、国際化した羽田との競争に勝つことが経営上の利害と考え、周辺住民の要望など全く無視して「空港機能強化策」を合意した。地元住民には、四者協議会の確認事項として通告すればよいという考え方だ。第3滑走路建設には約一〇〇〇ヘクタールの新たな用地が必要になり、約二〇〇戸の新たな立ちのきが必要になる。騒音被害も合わせれば、一二四〇戸が移転対象になる。まさに廃村化攻撃だ。空港会社は用地部職員を四〇人から八〇人に倍増し、移転の「同意書」への捺印を迫っている。
 組織名や用語が変わっても、空港建設を「国策」と決めて優先し、農民、住民はそれに従わせようとすることは、五二年前と全く変わっていない。

 ▼2章―2節 「空港機能強化策」と空港被害の拡大

 空港建設と開港後の空港被害を受け続けてきた成田空港周辺住民は、この空港会社と国、行政の新たな暴挙に対して、一斉に反対の声を上げた。
 空港会社は、四者協議会の確認事項としての「成田空港機能強化策」の説明会を、一昨年から周辺地域各地で行なってきた。しかし、どこの説明会も、住民の怒りが集中する場となった。
 現在でも騒音や落下物などの被害が集中する地域での説明会では、「四時間しか眠るなということか」「これ以上の騒音はだめだ」「空港会社の金儲けの犠牲にするな」という批判が相次ぎ、空港会社への怒りが爆発した。とくに、航空機騒音の拡大だけを被る横芝光町では住民の反対は強く、佐藤町長も「空港機能強化策」を簡単に受け入れることはできなかった。佐藤町長は町民との討論などを行いはしたが、国・県の圧力、さらには、芝山町長相川や成田市長小泉の圧力に屈した。三月一二日、「苦渋の選択。町民の不安と苦労を考えると断腸の思い」としつつ、「空港機能強化策」を受け入れた。直後の三月一三日、四者協議会が開催され、改めて「空港機能強化策」が決定された。
 横芝光町長も含めて周辺九市町の首長がこの決定に合意したため、これをもって「地元の合意」が得られたかの喧伝がなされている。しかし、最後は反対する佐藤町長を政治的圧力で屈服させるものだった。新たに用地買収を迫られる住民、深夜・早朝も騒音を強制される住民は決して納得していない。むしろ、空港会社が勝手に決めた方針だけを押し付け、密室の四者協議会において政治的圧力で決定する、この手法に、住民は怒りを倍加させている。
 空港会社と四者協議会が決定へと持ち込んだ夜間早朝飛行制限時間の短縮は、第3滑走路などの「建設後の条件」として提示されていたものであった。しかし本年八月末、空港会社は飛行制限時間の短縮を前倒しして、二〇年オリンピックに際して現在の深夜一一時までの飛行を一二時までに一時間延長、つまり制限時間の一時間短縮を勝手に通告し、「防音工事」を呼びかけるなどという暴挙に出ている。

 ▼2章―3節 新たな住民運動の登場

 芝山町、横芝光町では、「夜間飛行時間延長断固反対」「地域の分断は絶対に許さない」という看板が続々と立てられてきた。住民たちは要望書をまとめ、県、国、空港会社に提出する行動に立ち上がってきた。すべてが断固反対という訳ではない。しかし、これ以上の航空機騒音は、最低限の睡眠すら破壊され、生活することも子どもを育てることも困難になるという、住民自身の切実な叫びが反映されている。
 成田空港周辺地域の各地で「空港機能強化策」に反対する住民組織が立ち上げられてきている。それらは即座に反対同盟と結合するものではない。しかし、反対を表明して立ち上がった人々は、成田空港反対を五二年間闘い続けてきた者が反対同盟であることを十二分に承知している。反対同盟の闘いを注視している。
 反対同盟は一三年から空港周辺地域への一斉行動を毎月行ってきた。戸別にビラ入れし、署名活動を行い、市東さんの農民としての権利を訴え続けてきた。第三滑走路計画反対、二四時間空港化阻止をはっきりと訴えてきた。
 反対同盟は本年三月四日、芝山町現地闘争に立ち上がった。第3滑走路反対! 二四時間空港化反対を訴えて、芝山町を縦断するデモを闘いぬいた
 空港建設に反対することの正義は、地域で自らの生活を真剣に考える人々の中に少しずつ浸透してきた。「空港機能強化策」が生活破壊攻撃としてその姿をはっきりとさせてきた今、周辺住民の中に、主体的にものを言う運動が再び起こってきている。三里塚闘争が貫いてきた正しさは、新たな住民運動が巻き起こる中で意味をもってきているのだ。

 ▼2章―4節 市東さんの闘いが生み出す希望

 芝山町長相川勝重は、この「空港機能強化策」受け入れを見返り事業獲得のチャンスとしか見ていない。補助金や公共料金減免などさまざまな利権を確保することに躍起になっている。この空港利権に喰らいつこうとしているのが「成田第3滑走路実現を目指す有志の会」を結成している石毛博道であり、さらに利権分配を要求する石井新二である。彼らはかつて三里塚闘争に加わりながら、完全に脱落し、かつ、空港建設推進に全面荷担し、さらなる滑走路建設―農地強奪、住民の睡眠破壊を進める選択をしたのである。利権ばら撒きと恫喝という行為は、決して住民の支持を得られるものではない。彼らが推進する「空港機能強化策」決定が、芝山で、横芝光で、成田で、農民、住民の怒りの的となっているのだ。
 反対同盟が一斉行動を通して地域住民に明らかにしてきたことは、このような腐敗しきった利権要求の輩の対極にある、反対同盟の五二年間の闘いの地平である。それは、もちろん「空港機能強化策」の一つひとつに対する批判でもあるが、何よりも市東さんが貫いてきた農地死守―実力闘争の闘いが眼前にあるということだ。五〇年前の話ではない。空港会社は今も同様の強制的手段を仕掛け、反対同盟は原則を貫いて闘っている。この現実の姿こそが、必ずや周辺住民の新たな闘いの希望につながるのである。

 ●第3章 農地強奪を絶対に許すな!実力闘争に立ち上がろう

 ▼3章―1節 強制執行阻止決戦本部の意義


 市東さんの農地強奪阻止の攻防は、請求異議裁判の法廷だけで闘われてきた訳ではない。
 反対同盟は昨年年頭一月九日の団結旗開きにおいて、天神峰の市東さん宅に「強制執行阻止決戦本部」を立ち上げることを宣言した。反対同盟事務局員の太郎良陽一さんが決戦本部長となり、日常的に決戦本部に集い、情報を決戦本部に集中し、農地死守―実力闘争の原則を具体的に貫いていく陣形が形成された。
 労働者、青年、学生が現地見学し、援農に入り、また市東さんと語り合う。沖縄をはじめとする反基地闘争、反原発闘争などさまざまな運動体の住民、活動家が決戦本部を訪ね、交流する。市東さんと市東さんの農地・宅地を守る闘いを、広く大衆運動として展開する活動が開始された。
 反対同盟が周辺地域に対して行ってきた毎月の一斉行動は、この決戦本部を軸にして展開されている。天神峰カフェも開始され、現地への結集を呼びかける取り組みが強められてきた。いままで三里塚闘争に参加したことのなかった若者が決戦本部をベースに三里塚現地に来てみる、市東さんと話してみる、ということがなされている。
 こういう天神峰決戦本部の運動の集約として、昨年七月九日には市東さんの畑を守る現地闘争を「樫の木まつり」として開催した。
 そして、請求異議裁判を闘い、現地攻防を担い、「空港機能強化策」反対の周辺地域への働きかけを続けてきた一年半の闘いを勝利的地平として確認して、本年七月八日には「第二回樫の木まつり」を天神峰決戦本部で開催した。南台の市東さんの畑に集まり、強制執行阻止を掲げてデモを取り組み、かつ、市東さん宅中庭と決戦本部に再結集して「樫の木まつり」を参加者全員で挙行した。各支援党派も、運動団体も、労働組合も、また個人で参加した人々も、それぞれの立場から市東さんの農地を守る闘いの意思を表明する場となった。歌もあり、飲食しながら、皆が「まつり」を楽しんだ。
 三里塚現地は、決戦本部を中心にして、市東さんと市東さんの農地・宅地を守り抜く大衆陣形が日々強化されている。

 ▼3章―2節 農地死守―実力闘争 三里塚五二年の闘い

 市東さんの農地強制執行阻止の闘いは、市東さん自身の闘いであり、同時に歴史的に反対同盟が貫いてきた闘争のすべてをかけた闘いである。市東孝雄さんの農地と宅地、作業場、はなれを奪い取り、農民としての生活そのものを破壊しようとする攻撃に対する闘いである。
 かつて一九七一年、反対同盟は「日本農民の名において収用を拒む」と大書して、国、千葉県と対峙し、国家権力機動隊の攻撃に対して、文字通り農地死守―実力闘争に全力で立ち上がった。
 この実力攻防は、それを眼前に捉えていた周辺の農民、住民はもちろんだが、その報道に接した全国の農民、労働者、学生の共感を得た。それは、三里塚農民に打ち下ろされた強制収用という国家暴力に対して、農民自身が自らの生活と生命をかけて立ち上がった、そのこと自体の正義、前衛性が鮮明だったからだ。そして同時に、反対同盟はあくまでも農民として立ち上がり、その地域の生活基盤の中で生き、生活しながら、闘い抜いていたことが重要だった。三里塚、芝山の地域まるごと立ち上がり、共同の利害をもって国家権力と対決していく、その闘いに、大衆運動としての、階級闘争としての力があった。
 とりわけ、七一年九月、だまし討ちの代執行を被った大木よねさんの闘いは、それを如実に物語るものだった。
 「おもしろいこと、ほがらかにくらしたってのなかったね。だから闘争が一番楽しかっただ。もう、おらの身はおらの身のようであっておらの身でねえだから、おら反対同盟さ身預けてあるだから」(大木よね「闘争宣言」)と掲げて、大木よねさんは強制収用に立ち向かった。
 この闘いは、反対同盟の闘いとして、日本農民の闘いとして、その正義を揺るがすことはできない。四四年経て、空港会社は、大木よねさんに対する暴虐を謝罪しなくてはならなかったのだ。
 「強制的手段はとらない」と約束した空港会社が、土地明け渡しの強制執行という農地を奪い取る攻撃を仕掛けている。いくら裁判を通して法的手続きを踏もうが、本質的には五二年間まったく変わらない。金と暴力、そしてだまし討ちでの空港建設だ。
 市東さんの闘いを、反対同盟全体が自らの闘いとして取り組み、そこに支援者が続々と結集する。反基地闘争、反原発闘争、反差別闘争など自らの運動を抱えた人々が、闘う者として共感して結集し、ともに闘う。今、法廷で進んでいる事態は、七〇年七一年の千葉県収用委員会で行われていたことと同質だからだ。
 千葉地裁民事第五部高瀬裁判長は、市東さんにかけられている農地強奪攻撃の意味を真摯に捉えるべきである。空港会社が「反省」したはずの強制的手段を絶対に認めてはならない。
 もしも、これまでの行政権力、司法権力と同様に、空港会社と一体に強制執行攻撃を進める判断をなすならば、それは、大木よねさんに対してなした暴挙を再び強行するということである。
 しかし、反対同盟と三里塚勢力は、四七年前と同様のだまし討ちを再びくらうことは決してしない。市東さんと反対同盟、三里塚勢力は、農地死守―実力闘争の原則を、はっきりとした力をもって発揮するだろう。

 ▼3章―3節 反帝闘争の拠点―三里塚闘争

 成田空港はベトナム戦争の激化の中で閣議決定され、反対同盟農民は軍事空港建設という本質を見定めて、反戦闘争として自らの農地死守の闘争を闘ってきた。戦争、安保、軍事基地という日帝の攻撃と成田空港建設強行は重なりあってきた。三里塚農民は、北富士闘争や沖縄解放闘争をはじめとした多くの闘いと結合し、政府との対決を闘い抜いてきた。
 三里塚闘争は、日帝政府の反動的な転換、階級支配の再編の重要な時期に、その攻撃とはっきり対決する方針を持ち、決して権力に屈服しない闘いを貫いてきた。それは、国策としての空港建設強行と、農民が農民として主体的に生きることが、真っ向から対立してきたからだ。反対同盟は五二年間、この対立を決して曖昧にすることはなかった。
 今、安倍右翼反動政権は、安倍三選を押し通そうとし、その先には自衛隊「合憲」の改憲強行を狙っている。安倍政権は、朝鮮半島における終戦―南北の自主的平和統一という大きな流れを押し潰そうと躍起になり、辺野古新基地建設強行をはじめとした戦争準備に力も財政も傾注している。「働き方改革」を掲げて労働法制の大改悪を強行し、労働者に不安定雇用、過労死労働を強制しようとしている。戦争と改憲、激化する差別排外主義が、労働者人民を分断し、閉塞された状況に追いやっている。
 市東さんの闘いがはっきりと示しているように、自らが全うに働き生活することを根拠として、泰然と国家権力と対決する闘いは、労働者階級人民にとって必ず希望となる。三里塚闘争が国家権力と対決して五二年決して屈することがなかった事実こそが、閉塞する現在にあって、多くの人々の確信となるだろう。
 農地強奪阻止の攻防を、市東さんとともに、反対同盟とともに、断固実力闘争で闘い抜こうではないか。三里塚闘争の歴史は、多くの労働者、学生、市民の参加によって切り拓かれ、闘い継がれてきた。
 9・27請求異議裁判傍聴闘争に参加しよう! 10・14三里塚現地闘争に結集しよう!
 農地死守―実力闘争の原則を貫き、三里塚闘争の新たな闘いをともに切り拓こうではないか。


 

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