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   自民党総裁選挙が明らかにしたもの

   安倍三選は強権的な社会改造の道
   海路 薫

  
                  

 
 
 さる九月二〇日、自民党の総裁選挙が行なわれ、現職首相の安倍晋三が三選された。ただ一人の対立候補であった石破茂は安倍に破れたが、予想以上に健闘・善戦したと評価された。
 選挙戦は盛り上がりを欠くものであった。八月七日に公示された選挙の期間は短く、実質七日間。候補者どうしの討論の場も限られ、論戦らしい論戦も少なかった。論争が起こって、それが熱を帯びていくことは意図的に抑えられた。右派メディアは安倍に公然と味方し、この自民党の茶番劇をショーアップすることに努めた。
 労働者階級・人民にとって第二次安倍政権の六年間は、自民党政治のますます露骨になる悪政・暴政が吹き荒れた一時期であった。格差と貧困が深まり、反動政治と侵略戦争準備が横行し、そして社会の荒廃が進んだ。他方、安倍政権に対する労働者人民の怒りも噴出しつづけた。反戦・反基地、反原発、沖縄解放、そして女性差別、LGBT差別などに対するたたかいを高揚させながら、この六年間、反安倍のたたかいは大いに前進してきた。各種調査で発足当時60~70%あった安倍内閣支持率は現在、40%前後である。そして安倍支持と不支持の割合は、どんな世論調査でもほぼ拮抗している。
 今回の総裁選が示したものは、安倍一強体制が自民党内においても磐石ではなく、見かけ以上に不安定であるということであった。安倍政権を、自民党内の矛盾によってではなく、労働者人民の闘争によって揺さぶり、打倒する時は遠からずやってくる。

 ●1章 砕かれた圧勝の期待

 もともと自民党総裁選挙においては、現職首相の候補が総裁に選出されるのが通例である。これまで総裁選で現職が敗れたのは、一九七八年、当時の首相・福田赳夫が大平正芳に敗れた一例があるだけだ。前例に照らしても、また党内状況からしても、安倍絶対優位は揺るがないものと思われていた。だから選挙前に自民党の二階俊博幹事長は、「立候補した瞬間に(勝敗は)決まってんだ」と断言してはばからなかった。
 今回の総裁選挙は、衆参・自民党国会議員の四〇五票、党員票の四〇五票、これら計八一〇票の過半数を獲得した候補が新総裁に選出されるという仕組みとなっていた。国会議員が一人一票を持つのに対して、一〇六万人と言われる一般党員の投票の権利はきわめて限定的である。議員と党員のあいだの票の格差は歴然としている。自民党総裁選は国会議員を投票行動のうえでも特権的に扱う非民主的な選挙である。
 総裁選挙の帰趨は国会議員の票によって握られている。そしてこの国会議員の票の行方を決定するのが「派閥」と呼ばれる自民党内の諸グループである。
 派閥は一九五五年の保守合同―自民党結党以来、変遷をくり返しながらも自民党内に一貫して存在しつづけてきた。一般に党派・政党・政治結社の内部には政治的分岐とそれにもとづくグループが存在するが、自民党の派閥は理念・政策の違いでまず分かれているのでない。派閥は何よりも資金・ポストを配分する機能をもつ利益集団である。派閥間の政治的傾向の違いはもちろんあるが、派閥はまずは議員の世俗的利害を前提にして成立している。自民党の派閥を「党中党」「党内党」などと呼ぶ場合もあるが、この意味では正確でない。
 今回の総裁選では、党内五派(細田派九四人、麻生派五九人、岸田派四八人、二階派四四人、石原派一二人)が安倍三選を支持していた。竹下派(五五人)は態度が分かれた。無派閥(七三人)は安倍支持が大半であった。対して石破支持は石破派(二〇人)を中心に全体で約五〇人前後と目されていた。選挙前には岸田文雄(岸田派)と野田聖子(無所属)の二人が立候補するのではないかとの予測があった。しかし岸田は早々と立候補をあきらめて安倍支持を表明。岸田が脱落したのは、今回立候補しなければ、次の総裁選には自分にチャンスがやってくるのではないかと考えたからだ。野田は安倍支持に各派閥がこぞって回る事態を指して、「あしき自民党への先祖がえり」と批判していた。だが野田は、立候補に必要な二〇人の推薦人を獲得できずに出馬を見送ると、手のひらを返して安倍支持に回った。岸田も野田も、安倍との政治的相違を打ち出せず(あるいは持たず)、結局は多数に味方することが得策という派閥の論理に飲み込まれ、安倍一強体制の構築に協力することになった。
 かくして投票前には、自民党国会議員においては、大半が安倍支持で固まるという状況が生まれていた。したがって党員やメディアの主要な関心は、どちらが勝つのかではなく、現職・安倍がどのような勝ち方をするのか、対立候補・石破がどのような戦い方をするのかに移っていた。
 総裁選において安倍は、アベノミクスの成果、改憲への取り組み、外交上の前進などを誇らしげに語りながら、国会議員票で圧勝し党員票でも石破に大差をつけることをめざしていた。
 ところが蓋を開けると、選挙結果は安倍陣営の読みを裏切るものとなった。総計で安倍五五三票、石破二五四票。国会議員票では安倍は総数の八割を獲得したが、石破は当初予測の五〇票を上回る七三票を得た。党員票では安倍二二四票、石破一八一票で、互角ではなかったがとても安倍圧勝とは言えない結果となった。選挙結果は安倍陣営に少なからぬ衝撃をあたえた。
 自民党のトップを選ぶ総裁選挙、それがたとえ自民党内の派閥間の権力闘争である党首選挙であっても、そこには階級の現状が反映する。石破支持の党員票には、安倍政治六年間への人民の不信任が投影されていた。

 ●2章 石破の欺まん性

 石破の目標は党員・地方票の獲得に置かれていた。二〇一二年の総裁選では、石破は党員票で立候補者中最大の票を得ていた。もう一度それを実現し、今回は無理としてもポスト安倍=次の総裁選での勝利につなげていくというのが彼の戦略であった。
 総裁選で石破は、自分の政治信念をまず主張するというより、それをすべて安倍批判と関連させて語るという戦術を取った。九月一〇日の所見発表演説会、一四日の日本記者クラブ主催討論会などでの石破の言い分は要旨次のようなものであった。
 ①政治に信頼を取り戻すことが何より必要、②人口減という国難に直面する日本では、企業収益を高めるだけでなく働く人たちの所得・賃金をあげることが重要、③地方こそ成長の力であり、ローカル経済の持つ力を認識して経済再生をはかる、④農業・農村の再生、女性の立場に立った改革を進める、⑤防災省を設置する、⑥憲法改正で現在喫緊に必要とされているのは参院選挙区の合区解消と緊急事態条項の創設であり、九条改正は急ぐべきではない、⑦外交については日米関係重視、在日米軍との対等な地位協定、豪州・インド・NATOとも連携……などといったものであった。
 石破の安倍批判には正当な面もなくはなかった。それは石破がこのかんの安倍政権の目にあまる強権政治に批判の焦点を当てていたからである。だが批判が「正当性」をもったのはその限りのことであった。
 石破は当初、総裁選の自身のスローガンとして「正直、公正」を掲げようとしていた。それは安倍の森友・加計問題などに表われた「嘘つき、欺まん、不公平」を批判したものだ。ところが陣営内からも「首相への個人攻撃だ」とする不満が上がると、石破はこれを実質上取り下げ、「正直、公正」は自身の政治姿勢だとして、メリハリのない、わけの分からないものにしてしまった。
 各種新聞の調査によれば、安倍内閣の不支持率が支持率を上回った月は、二〇一五年、一七年・一八年の一時期に記録されている。一五年は自民党が戦争法を強行採決し、一七年・一八年は森友・加計疑惑などが噴出した年である。人々の声を聞くと言うならば、安倍政権のこうした専制政治と腐敗の具体例を示して、これを公然と批判の俎上に上げねばならなかった。だが石破は、ここに踏み込むことをしなかった。
 石破は地方の疲弊、国民の間の経済格差を取り上げ、「働く人の所得・賃金をあげる」ことが経済再生に必要だとした。アンダークラスと呼ばれる貧困層に光を当てようとも言った。当然の主張だ。しかし、どのようにして所得・賃金をあげるのか。圧倒的多数の労働者の賃金・労働条件・生活水準を下げ、貧富の格差を拡大するアベノミクスという大企業の利益を擁護する政策を、少なくともまず批判することなしにそれは不可能だ。石破がアベノミクスの重要政策の一部をなす「働き方改革」などを批判することは一切なかった。
 憲法問題では石破の態度は悪質であった。戦争放棄、戦力不保持、交戦権否認をうたう憲法九条を改悪することについては国民の過半が反対している。九条を変えようとするのなら、国論を二分する事態を覚悟せねばならない。正面突破を避けて、九条の一項・二項を残したまま自衛隊を憲法に明記し、自衛隊を「合憲」化しようというのが、安倍の策略であり現在の自民党内の多数派の見解である。これに対し、石破の本来の立場は二〇一二年自民党改憲草案と同様、九条二項を削除し、国防軍を保持するというものである。だが石破は「憲法改正は緊急性のあるものからやる」として、九条改悪問題については深く触れることを避けた。石破のタカ派的な部分は隠されたままであった。
 石破の安倍批判は、安倍政治に「もう一つの政治」を対置するものでは決してなかった。

 ●3章 安倍一強の成立過程

 今回の総裁選を通じて、「自民党は多様性を認める政党だ」「自民党はこんな強権的な政党ではない」「自民党はもっと自由闊達な討論を認める党であるべきだ」などという安倍体制への批判的意見が自民党内にも相当根強くあるということが明らかになった。だがしかし、政策決定や組織運営の権限が党総裁というトップリーダーのもとに一元的に集中され、異論を認めず排除するという中央集権的な自民党権力の実態は、他ならぬ自民党自身によって準備されてきたものだ。
 それは今をさかのぼること二五年前、野党転落という自民党の解体的危機、その後の「政治改革」を通して形成されてきた。
 自民党が結党以来初めて政権党から野に下ったのは一九九三年。この年の八月、自民党は政権の座を明け渡し、社会、新生、公明、さきがけなどからなる細川内閣が誕生した。この時期は九一年末にソ連邦の解体という歴史的大事件が起こり、これを契機にして始まった世界秩序の大きな再編期と重なる。資本主義の側に好機が到来し、ソ連という重いくびきから解き放たれたグローバリゼーション(資本主義のいっそうの世界化)の動きが急速に進んだ。この新しい状況に対応するために、日本のブルジョア政党内では広く「政治改革」の必要が語られるようになる。解党したくなければ自分自身を変えなければならない。政党の離合集散、政党関係の再編がめまぐるしく進むなか、自民党においても生き残りをはかり政権政党として復活を果たしていくための「自己変革」「脱皮」の動きが、紆余曲折をへながら始まっていく。
 自民の再建強化、現在の一強化につながっていく動きのなかで、自民党がグローバリズムの世界観を積極的に受け入れ、新自由主義の立場に立って旧来の政策を見直し、その刷新を進めていこうとしたことは重要な意味をもつ。政策の「見直し・刷新」の始まりは一九八〇年代の中曽根政権期にさかのぼる。だがその本格的な開始期は「聖域なき構造改革」を掲げた小泉政権の時代であった。二〇〇一年に「古い自民党をぶっこわす」と主張して小泉政権(自民・公明・保守)が発足する。小泉政権は規制緩和・民営化路線に立って郵政民営化をそのモデルケースとして進め、保守政治において新自由主義が支配的位置を占める時代を開いた。
 その後、〇九年に野党民主党が政権を奪取する(鳩山内閣の成立)が、民主党は当初示していた改良主義的性格を保持し続けることができず、政治的に破たんして国民的期待を裏切った。これを受けて一二年の総選挙で民主党を破って自民が大勝し、第二次安倍政権の成立に至る。第二次安倍政権は、小泉政権の新自由主義的・構造改革路線を引きつぐとともに、これを「美しい日本」「日本を取り戻す」などの復古主義的な右翼民族主義と共存させてきた。新自由主義と保守主義を結びつけたこと、この点が現在の保守政党としての自民党と安倍政権の一つのイデオロギー的な「強み」となっている。

 ▼3章―1節 ・政治システムの改編

 新自由主義の取り込みという思想上の改変とともに進められた政治システム上の改編が、現在の自民一強支配を直接に準備した。もっとも大きなものは、一九九四年、衆議院選挙に小選挙区比例代表並立制が導入され、九六年の総選挙において実施されたことである。日本の政治のあり方はこれによって大きく変わった。中選挙区制の選挙ではカネも労力もかかり政党間の政策論争も十分に行なえないという理由をつけて導入された小選挙区制のもとで、欧米を模した政権交代を可能とする二大政党制の実現をめざすことがうたわれた。だが小選挙区制は少数政党を排除・淘汰することを本質とする選挙システムである。このもとでは大政党にきわめて有利に選挙が行なわれる。小選挙区制の利点を十分に活用しながら、自民党は一強多弱の政治をつくり上げてきた。自党を脅かす野党が存在しなくなって自民党はいっそう横暴になり、独善的な性格を強めていくことを自己制御できなくなった。
 小選挙区制と同時に九四年に導入された政党交付金制度もまた自民一強支配を構築していくうえで大きな力を発揮した。政党交付金は政党の活動を助成するという目的で国庫(税金)から交付される政治資金である。交付額の総額は二〇一七年には三一七億円あまり。自民党にはその半分以上の約一七六億円が支給されている。人件費・光熱水費・備品消耗品費・事務所費などにあてるとされているが、この巨額な資金が個々の議員を中央が支配・統制する道具になった。またそれは政治の腐敗の温床を拡大した。
 二〇一四年には内閣人事局が発足し、自民党による国家機構や高級官僚への支配力はいっそう強まっていく。内閣人事局は「政治主導」の名のもと、縦割り行政の悪弊を廃止することを理由にして導入された。国家官僚幹部の人事権を内閣人事局に一元化し、官邸主導で官僚幹部の人事を決定する、政権の方針に従わない人物は幹部に登用しないという制度である。それは官僚への締め付けを強化し、自民党への「忖度」を生む土壌を作りだした。「忖度」は悪しき文化、悪しき行動規範となり、社会に根を広げた。
 さらに自民党は二〇一七年三月の党大会で、総裁任期を「連続二期六年」から「連続三期九年」に延長する党則改正を行なった。総裁任期はさらに延長される可能性もある。三選された安倍は在職期間が歴代最長の首相となる条件を手に入れた。安倍政権は三年後の二〇二一年九月までつづく可能性がある。首相や大統領の任期を延長するのは、独裁政権の常套手段である。

 ▼3章―2節 第四次改造内閣

 安倍政権は、民主党政権の失速・崩壊を糧にし、公明党の選挙協力・閣内協力を得ながら独裁的体制を築いてきた。そしてこのもとに「安倍チャンネル」と揶揄(やゆ)されるNHKをはじめとする右派マスコミ、改憲の国民運動の展開を使命とする日本会議など民間反革命を位置づけ、これらを党の影響下に組み込みながら、五回の衆院選・参院選に勝利してきた。国政選挙での連続勝利は、安倍の政策にお墨付きをあたえ、党内の派閥を越えた「結束」を実現した。こうして政権批判を許さない体制、異論を唱えれば圧力が加えられるという一元支配的・党内体制が築かれてきたのである。
 安倍体制は今回の総裁選を反省的に総括することもせず、旧体制をひたすら堅持・強化することに腐心している。一強・独裁的性格は弱まるのではなくむしろ強化されていく方向に向かっている。
 一〇月二日、第四次安倍改造内閣が発足し、自民党役員人事が発表された。主要ポストには安倍の側近・盟友が配置された。安倍体制を支えてきた麻生太郎、菅義偉(よしひで)らが内閣に残り、二階俊博が引きつづき党幹事長に就く。公明党から一人、石破派からも一人入閣した。「改憲シフト」が明確である。内閣の半数以上は改憲推進勢力である日本会議の「国会議員懇談会」に所属する議員によって占められている。自民党憲法改正推進本部長には安倍に従順な下村博文が起用された。みずからの政治基盤を維持・強化しようとした安倍の目的は達成されたかに見える。だが、就任したばかりの文科相・柴山昌彦が「教育勅語」を擁護して厳しい批判を受けるなど、安倍新内閣の船出は最初から不安に満ちたものになっている。

 ●4章 社会の反革命的改造

 三選後の安倍政権がめざしているものは何か。総裁選において安倍は、今後の政権の構想めいたものを語っている。
 八月二七日、鹿児島県の桜島を背景にして安倍は総裁選への正式立候補表明を行なった。このなかでは一定の包括的・総論的な内容が述べられている。安倍はここで、日本は「歴史の転換点」に立っているとし、「平成のその先の時代に向けて」「新たな国づくり」が必要だと主張している。そして来年からは「皇位継承」「G20サミット」「東京オリンピック・パラリンピック」と重要な行事が予定されており、今回の総裁選挙でも改憲をはじめ「日本の『国づくり』をどのように進めていくのか」が争点になると述べている。
 安倍はこの秋の臨時国会において自民党改憲草案を提出すると主張している。来年の参院選挙の後には国民投票を実施するとも言われている。改憲攻撃を軸に安倍政権は、二〇一九年から二〇年にかけて予定される一連の国家的行事を通じて、労働者人民を排外主義的に組織し、国家・社会を反革命的に改造していこうとする動きを強めようとしている。これにともなって治安弾圧体制も強化される。「新たな国づくり」を標榜して進む安倍政権の強権的政治との闘争を準備していかねばならない。
 いまひとつ取り上げるべきは、安倍が総裁選の過程で、折に触れて「戦後日本外交の総決算」を主張していたことだ。日本をとりまく外交環境が大きく変化していることは誰もが認めるところである。とくに朝鮮半島の平和と統一に向かう動き、中国の経済的台頭、米・中間の貿易対立の激化、そして米国トランプ政権の保護主義と一国主義・排外主義の強まりが顕著である。
 これらは米帝一極支配の終焉を背景にして生まれている現象である。帝国主義の中心国の存在が揺らぎ、国際秩序が流動化するなかで、大国間の強盗的な対立・抗争が激化している。これに日本も巻き込まれつつある。こうした新たな情勢のなかで、どのような道を進んでいくのかは、日本帝国主義にとって死活的に重要な問題である。
 「戦後日本外交の総決算」に関連して安倍は総裁選前の八月一二日、山口県で行なわれた長州「正論」懇話会での講演で次のように述べている。「冷戦終結後も北東アジアにおいては北朝鮮問題をはじめ、戦後の枠組みが長年、そのままになってきました。日本がリードして、この自由で開かれたインド太平洋戦略の下、新しい時代の北東アジアの平和と繁栄の礎を築かなければならない。今こそ『戦後日本外交の総決算』を成し遂げるときだと考えています」。
 何をさして「戦後日本外交」と言うのか、何を「総決算」すると考えているのかについての詳細はいまだ語られてはいない。九月二六日の国連総会での演説では、安倍は「北東アジアから戦後的構造を取り除く」とも言い、外交上の何らかの転換がありうることを示唆した。しかし、これまでの安倍政権の言動からすれば、「戦後日本外交の総決算」は世界とりわけ東アジア人民の「平和と繁栄」につながるものではなく、日本帝国主義の覇権の強化、軍事大国化に向かう動きをさらに強めていくものになることは疑いない。

 ●5章 グローバリズムと独裁

 日本の独占大ブルジョアジーは、自民党安倍政権が長期政権となることを望んでいる。政権を支え続けてきた日本経団連は選挙後の九月二〇日、ただちに「自民党総裁選結果に関する会長コメント」を発表。その冒頭、中西会長は、「安倍総裁の三選を大いに歓迎する」と安倍続投支持を明言した。そして、「安倍総理・総裁は、内政・外交両面において確固たる実績と実行力を持つ強力なリーダーである。日本経済は、この六年にわたるアベノミクスの成果により、ようやくデフレから脱却しつつある。今後、次なる成長のステージに発展させていく必要がある。そのためにSociety5・0の実現を中心とする経済成長戦略、社会保障改革、財政健全化をはじめとする重要政策課題を実行していただきたい。また、激動する国際情勢への対応も重要である。安倍総理・総裁には、先進国唯一ともいえる長期安定政権という強みを活かし、引き続き強力なリーダーシップを発揮していただきたい」と述べた。政権のバックボーンとして、安倍政権を今後も擁護し支援するというあからさまな表明であった。
 安倍政権には、日本資本主義・日本帝国主義の利害を背負い、これに応えていく保守政権であり続けることを期待されている。安倍政権こそ日本独占大ブルジョアジーの代弁者であり代理人である。安倍晋三こそ日本帝国主義の展望は日本多国籍企業の発展なくしてはありえないことを良く知る人物である。安倍政権はこれまで国外では、大企業の代表たちを引き連れて原発や高速鉄道を売り込み、あるいは資源獲得を目指す外交を展開してきた。三選後の九月二七日の日米首脳会談では安倍は、日本の自動車産業の利益を守るために農業部門を切り捨てるという交渉に応じた。
 日本資本主義においては、国内経済が低迷し収縮に向かう分、対外展開を強め、そこに活路を見出そうとしていくことは不可避である。日本資本の多国籍企業化、グローバルな活動の展開は一層強まっていく。財務省の発表によれば、二〇一七年度の日本の対外資産(政府・企業・個人)ははじめて一〇〇〇兆円を突破し、一〇一二兆円になった。前年より二六兆円多く、対外資産から対外負債を引いた対外純資産は三二八・四兆円にのぼる。一二年連続で世界最大を記録した。投資の海外シフトが加速しており、日本企業による海外企業の買収や工場建設が増え、海外直接投資は一七年度に一九兆円増加したという。
 日中平和友好条約締結四〇周年を期して、中国との関係改善をはかろうとする動きも、その根底には日本資本がグローバルな展開をさらにはかっていこうとする資本としての欲動がある。朝鮮半島を含む東アジア地域にとどまらず、いまだ「開拓」されていない国土を資本主義化し、搾取・収奪を通じて資本蓄積をさらに進めていこうとする野望が強まっている。そしてまた、こうした資本の動きを支える軍事面での動き、軍拡と侵略戦争の政策も活発化しようとしている。それは圧倒的多数の日本の労働者人民、そしてアジアの民衆の利益と直接に対立する道である。

      ※ ※ ※ ※

 さて、今回の総裁選で多く語られながら、ふり返られることの少なかった言葉がある。「乖離」(かいり)という言葉である。乖離とは二つのものが離れているさまをさす。「違う方向にそむき離れること」「結びつきがはなれること」などの意味もある。安倍体制は外見上は安泰に見える。だが、支配階級と被支配階級の間に巨大な溝が存在していること、それが可視化されたことが、今回の総裁選の大きな特徴の一つであった。そしてここにこそ、安倍独裁の本質的な弱点がある。
 沖縄人民は先の知事選において歴史的勝利をかちとった。沖縄人民の勝利に連帯し、いまこそ、安倍独裁政権を退陣に追い込み、日本階級闘争の新しい発展条件を獲得していくべき時である。


 

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