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   5・15反革命的統合48年弾劾!

 沖縄戦・敗戦75年、安保改定60年
 歴史的総括をかけ、沖縄解放闘争の創造を

 沖縄―「本土」を貫く辺野古決戦の勝利へ

                   沖縄解放委員会(準)


                      


 沖縄では昨年末から今年にかけて首里城火災、豚熱(豚コレラ、CSF)の発生など社会的に重大な案件が続発した。そして新型コロナウイルス感染症の世界的な拡大である。
 沖縄平和運動センターは、第四三回5・15平和行進(5・17県民総決起大会)の中止を決定した。中止決定は初めての事態である。すでに辺野古ゲート前での毎月第一土曜日の県民大行動も三月から中止となっている(平日のゲート前、安和、塩川、海上行動は継続中)。一方で、沖縄経済を底上げしてきた観光産業のダメージは大きく、今後沖縄経済全体への波及が懸念されている。アジアを見据えた自律型経済構造の構築で「基地経済からの脱却」をめざしてきたのに思わぬ伏兵である。
 しかし、東日本大震災の福島原発事故が人災・政治災であったように、今回の事態も正確に情勢を判断しなければならない。コロナ特措法での「緊急事態宣言」発令を踏み台にした緊急事態条項での安倍政権の改憲攻撃を絶対に許してはならない。森友・加計学園問題、桜を見る会、検事長定年延長問題などにみられる安倍右翼反動政権への「忖度」が際限なく繰り広げられている事態は、ブルジョア民主主義の擬制すらかなぐり捨てた報国翼賛体制への総突入攻撃である。
 膨大な軍事費の拡大のための消費税増税と社会保障費の切り捨てを強行してきた安倍政権こそが、新型コロナ感染拡大の張本人だ。われわれは改めて日帝・安倍右翼反動政権を打倒するために立ち上がろうではないか!

 ●第1章 辺野古新基地阻止闘争勝利を日帝―安倍打倒の導水路へ

 ▼1章―1節 「関与取消し」訴訟―最高裁上告棄却弾劾!

 最高裁第一小法廷(裁判長・深山卓也)は三月二六日、辺野古埋立て承認撤回を取り消した国土交通相の裁決取り消しを求めた関与取消し訴訟の上告審で、実質審理もせずに沖縄「県」の上告棄却の判決を下した。この暴挙を満腔の怒りで弾劾する。
 二〇一八年八月三一日、急逝した翁長雄志知事の遺志を受け継ぎ「県」が埋め立て承認を撤回したことに対して、沖縄防衛局は行政不服審査法に基づく審査請求を申し立て、翌一九年四月国交相・石井啓一(公明)が撤回を取り消す裁決をした。「県」は、沖縄防衛局長が「一般私人」になりすまし、行政不服審査制度を悪用し、同類の国土交通相が裁決することは違法であるとして、総務省の第三者機関「国地方係争処理委員会」に審査を申し出たが、却下され、同年七月に高裁那覇支部へ提訴するが、これも同年一〇月に却下されてきた経緯がある(『戦旗』一五六〇号=一九年一二月五日号・島貫論文)。
 一方で、関与取消し訴訟に続いて昨年八月沖縄「県」が提訴した抗告訴訟は、現在も那覇地裁で係争中だ。これは、行政事件訴訟法に基づいて、軟弱地盤の存在等を理由にした承認撤回の正当性と、国交相裁決の違法性を争うものだ。
 われわれは国家権力の本質を知っているがゆえに、各々の裁判結果には一喜一憂しない。だが、沖縄の自治と民意を踏みにじるばかりか、今後全国での地方自治体への国家権力による不当介入、違法・脱法行為に法的庇護を与える今回の上告棄却のなりふり構わぬ暴挙を断じて見過す訳にはいかない。
 二〇一五年の「辺野古代執行訴訟」をめぐる攻防は、訴訟「和解」で工事が中断されるなど、まさに裁判自身が政治戦の延長であることを示した。一八年九月「県」知事選勝利、投票者の七割超が埋め立て反対の意思を示した一九年二月の「県民投票」、引き続く四月衆院三区補選、七月参院選での「オール沖縄」候補の勝利と繰り返し民意を示してきたが、その力を押し上げてきたのが、粘り強く闘い抜いてきた現地闘争(ゲート前、安和、塩川、海上)を軸とした実力闘争の地平であり、その地平の全国的共有と前進こそが問われていることを改めて確認しよう。

 ▼1章―2節 破たんした「辺野古唯一」論、工期延長―設計変更許すな

 周知の通り、防衛省は昨年一二月、辺野古新基地建設の工期を当初の五年から九年三ヵ月に延ばすとの試算を発表した。「県」の試算では一三年かかるとされている。また、飛行場整備も含めた事業完了までの期間も約一二年とした。大浦湾での軟弱地盤改良工事に三年六ヵ月かかるとされていることが大きな原因である。防衛省の計画通りでも、新基地完成は二〇三〇年以降となるのだ。
 「普天間基地の危険性除去」「辺野古唯一」なる安倍政権のお題目が全く欺瞞であることが、今また満天下に明らかになった。沖縄の民意に背く辺野古新基地は、政治的にすでに破たんしているのは明白だが、加えて技術的にも、財政的にも行き詰まりが明白となっていることを棚に上げ、「設計変更」で強行突破しようとしているのだ。
 大浦湾の軟弱地盤は、沖縄防衛局による二〇一四~一六年のボーリング調査で明らかになっていた。日本最大級の民間大型掘削調査船「ポセイドン1」を二度にわたり投入したことや、二〇〇〇年当時ですら「断層による落ち込み」部分の存在を認識しており、既成事実化を狙った辺野古側からの埋立て土砂投入強行は、軟弱地盤の隠ぺいと新基地建設の破たんを覆い隠す策動でもあった。
 防衛省・沖縄防衛局は、翼賛「技術検討会」を設置し、設計変更申請へのお墨付きをもらうことに必死だ。「マヨネーズ並み」の軟弱地盤改良が必要な範囲は、大浦湾の埋立て区域約一二〇ヘクタールのうち、半分の六六ヘクタールにもなっている。最大深度九〇メートルのB27地点における新たな軟弱地盤データが発覚したにも関わらず、国会などでの再調査要求を拒否し、周辺三地点の土層での地盤強度から「予測」できるとして居直り、検討会も追認する始末だ。加えて地盤改良後、外周護岸の完成を待たずに砂や土を海底近くに投入し、先行埋立てを行うという「工期短縮」策も打ち出している。「砂杭」工法の変更でも大規模の環境破壊は必至だ。
 同時に、V字型の二本の滑走路では、不均等に地盤が沈下する「不同沈下」も予測されている。大浦湾の複雑な海底・土質によるものだ。活断層の存在も指摘されているが防衛省は隠蔽に必死である。その防衛省の試算でも、滑走路の不同沈下は供用開始後二〇年で最大一二センチとしている。また供用開始一年目で、滑走路の端から三〇〇メートル未満の路面でも不同沈下が起きると試算している。
 だが、米軍の滑走路基準(UFC)では、滑走路の端から三〇〇メートル未満まで一切の路面の起伏を認めていない。そのため防衛省は、米軍の性能基準ではなく、基準が甘い国際民間航空機関(ICAO)の基準を使い、建設を強引に推し進めようとしているのだ。完成したとしてもその維持費は膨大な額になることも自明だが、今回の設計変更案では維持費にはふれていない。
 設計変更案で明らかになった費用も、当初想定の約三五〇〇億円から約二・六倍の約九三〇〇億円となった。「県」は、新基地完成までの建設費を二兆五五〇〇億円と試算しており、約九三〇〇億円とした見積もりのさらなる増大も必死である。
 中でも警備費が約一七〇〇億円と、総工費の約二割を占めているのだ。高まる「税金の無駄遣い」批判に対し、「県」の裁判闘争や反対運動に責任を押しつける意図もある。費用の増大と計画破たんを弾圧強化で乗り切ろうという反革命攻撃を断じて許してはならない。設計変更申請を粉砕しよう!破綻した新基地建設工事を直ちに中止し、計画を白紙撤回せよ!
 こうした情勢下、われわれは同盟五大会の方針を物質化するため、引き続き辺野古新基地阻止闘争の決戦的段階を継続しなければならない。沖縄解放―日帝打倒の重大な水路である辺野古決戦を沖縄―「本土」を貫いて闘い抜こう。全国各地域、各戦線において現地闘争派遣を大衆的継続的に組織するとともに、反戦反軍拡・反核闘争と結合し前進しよう。日帝―安倍を全人民の力で打倒しよう!

 ●第2章 沖縄差別軍事支配打破 
       沖縄人民の自己解放闘争との結合を

 ▼2章―1節 沖縄差別軍事支配を土台とした日米安保体制を打ち砕け!


 本年は、一九四五年沖縄戦終結・敗戦から七五年、一九六〇年日米安保条約改定から六〇年(一月一九日調印、六月二三日発効)を迎えた。
 六〇年安保闘争は、樺美智子同志の死をも乗り越え、わが共産主義者同盟―全学連を先頭とする日本労働者人民の戦後最大の闘争として大爆発をかちとった。
 一方で、新安保条約が発効したのが六月二三日であることは歴史の皮肉なのか。六月二三日は沖縄においては、第三二軍司令官・牛島満らの自害による日本軍の組織的抵抗終了だとして、戦争犠牲者を追悼し反戦平和を希求する「慰霊の日」が制定されている。

 【注】米戦艦ミズーリで行われた日本と連合国との休戦協定調印は九月二日。沖縄守備軍が旧越来村森根(現嘉手納基地内)で降伏調印をしたのは、九月七日だった。一九六二年から「慰霊の日」には「県」主催の「沖縄全戦没者追悼式」が行われている。

 ここでは単に歴史の因縁に関心を寄せることが目的ではない。沖縄人民の自己解放闘争の推進と沖縄解放―日帝打倒闘争路線の確立において、沖縄と日米安保、日帝の沖縄差別軍事支配の歴史的本質を知ることは絶対的な条件だからである。
 沖縄戦は、日本帝国主義と天皇制権力による沖縄併合(一八七九年琉球処分)と植民地主義的差別支配、皇民化と棄民化攻撃の極限的帰結であった。
 その沖縄戦の軍事的勝利の上で沖縄・奄美を占領した米帝は、一九五二年四月二八日発効したサンフランシスコ講和条約第三条で、「アメリカ合衆国の信託統治領とする同国の提案に同意」という形で(信託統治領とする国連への提案は棚上げし)、半永久的な軍事占領を正当化した(4・28「屈辱の日」)。さらにハーグ陸戦法違反を居直り、軍事占領下での土地接収=軍事基地拡張を暴力的に推進してきた。米帝の長期軍事占領を提案した一九四七年の天皇メッセージの犯罪性は断じて清算できるものではない。
 さらに日米は、サンフランシスコ講和条約と同日に日米安保条約を調印し、日帝の敗戦帝国主義国からの復活を果たす政治的経済的転換をはかってきた。そして、一九五〇年米帝の朝鮮侵略反革命戦争による「朝鮮特需」で端を開き、六〇年安保改定後の日本「本土」は、「高度経済成長」を果たしていく。
 一方で、朝鮮侵略反革命戦争の遂行により、日本「本土」での米軍基地拡張、土地接収が強まる。朝鮮半島への前方展開部隊である米海兵隊は、五三年に日本への配備がなされている。同時にそれは、五二年石川県内灘闘争を契機に、五七年立川基地拡張反対闘争「砂川闘争」、五五年忍草母の会の闘いが特徴的な北富士演習場撤去闘争など全国での反基地闘争の爆発、人民決起を生み出した。

 【注】砂川闘争では、旧安保条約下での行政協定刑事特別法での不当起訴に対し、憲法九条違反で無罪判決(伊達判決)が出されたものの、最高裁は現判決破棄、差し戻し高裁で不当判決が確定した。この際も当時の外務大臣、在日米大使館、最高裁長官らが密談・密約を繰り返し、早期結審と一審判決の破棄を画策していたことが歴史的に暴露されている。今日的に記憶に新しいのが、「戦争法案」反対の全国的高まりに対し、安倍政権が「戦争法案」における集団的自衛権行使の根拠を「最高裁砂川判決」としたことだ。弾劾!

 米帝は、日本「本土」における反基地闘争の高揚によって米軍基地戦略の見直しを余儀なくされ、米軍政下にある沖縄への海兵隊「移転」がはかられていく。朝鮮半島の臨戦的情勢下で日本「本土」への配備がなされた米海兵隊を沖縄へ移転する軍事的必然性はなく、政治的理由のみであった。これは、今日の辺野古新基地建設が政治的理由だけであることと同一の論理であり、歴史的な日帝の沖縄への植民地主義的差別支配を政治的軍事的に利用したものである。
 他方、沖縄では一九五〇年代に入り基地拡張が開始される。五五年三月伊江島、伊佐浜、昆布などでは、「銃剣とブルドーザー」と称される完全武装の米兵による暴力的な土地強制接収が強行された。
 最終的に新基地のための土地接収は、合計で一万六一八七ヘクタールに及び、強制立ち退き戸数は約五〇〇戸に達したという。これにより、日本「本土」の米軍専用施設は、一九五五年から六〇年にかけて約一三万ヘクタールから一挙に約三万三五〇〇ヘクタールにまで減少。一方の沖縄では一・八六倍の約三万ヘクタールに増加した。
 沖縄人民は伊江島土地を守る会を先頭に決起し、琉球政府立法院は土地闘争四原則を決議(一括払い反対・適正補償・損害賠償・新規接収反対)するが、これを否定する五六年六月のプライス勧告と対峙し、土地闘争「島ぐるみ闘争」を果敢に闘い抜いていった。
 このように、沖縄人民が日米両帝国主義の新安保体制―六〇年安保改定への転換の環である基地強化・固定化攻撃と闘いぬく中において、経済企画庁(当時)が一九五六年経済白書で「もはや戦後ではない」と書き、「所得倍増」―高度経済成長への転換を図ったのはあまりにも対照的だ。

 ◆2章―1節―1項 日米の反革命野望が貫かれた「5・15」

 「太平洋の要石(キーストーン)」とも呼ばれた沖縄は、一九六四年以降本格的に開始された米帝のベトナム侵略反革命戦争において、常駐した米戦略爆撃機B52が直接ベトナムへの空爆を実行するなど、補給基地に加え出撃基地としての機能を果たしてきた。
 一方沖縄労働者人民は、米帝による軍事的暴力支配の下で、武装米兵と対峙しながら基地労働者・全軍労の一〇割年休闘争決起など基地撤去を全面化した「反戦復帰闘争」への質的転換を果たしていく。中でも、コザ暴動決起(一九七〇年一二月二〇日)の革命的地平は今なお燦然と輝いている。
 こうした闘いに何よりも恐怖したのが米帝であることは言うまでもない。一九六九年日米首脳会談(佐藤・ニクソン会談)での「一九七二年(5・15)返還合意」はかかる階級攻防戦によって引き出されたのである。
 もちろんその要因には、ベトナム侵略反革命戦争における米帝の敗色状況を要因としたドル危機の進行によって、ドルを基軸とする国際通貨制度(ブレトン・ウッズ体制)と米帝が主導する戦後帝国主義支配体制の崩壊的危機への再編が決定的にあったことは言うまでもない。
 返還協定では、(一)安保条約を含む日米間の条約、協定の適用、(二)返還と同時に現在の米軍基地の再提供、(三)沖縄県民の対米請求権放棄、(四)アメリカ資産代償として日本側が三億二〇〇〇万ドルの支払い、(五)(米軍政下)裁判の効力の引継ぎ、(六)VOA放送 (反共宣伝放送施設) の暫定存続、などが取り決められた。
 これに対し「核も基地もない復帰」を求めてきた沖縄人民の怒りは頂点に達し、一〇万人が総決起した11・10「沖縄返還協定批准に反対し、完全復帰を要求する県民総決起大会」など全島で大爆発した。
 しかもこの返還協定には、密約もあったのだ。有事の際に事前協議のみで、米軍が沖縄へ核兵器を持ち込み、また嘉手納基地などを核兵器貯蔵地として活用するという核持ち込み密約、さらには、返還協定で合意した米軍負担の土地の原状回復費などを日本側が肩代わりすることなどを取り決めた密約があったことが暴露されている。「復帰」後の米軍の基地自由使用を認めた「5・15メモ」もそうである。
 このように、沖縄の差別軍事支配を土台とした日米安保体制・日米共同反革命同盟の形成がなされてきたことを怒りをもって確認しなければならない。

 ◆2章―1節―2項 基地再編強化、日米軍事一体化を許すな

 加えるならば、「普天間基地の危険性除去」を理由に辺野古新基地建設を押し付けてくる安倍政権の欺瞞性はこうした歴史からも明白だ。
 沖縄人民、宜野湾市民にとって「世界一危険な普天間基地」とは、沖縄戦の最中から強制接収して(ハーグ陸戦法規をも逸脱して)普天間基地を建設した米軍と、新安保体制構築での敗戦帝国主義からの転換を果たそうとした日帝とによってつくられた「危険」なのである。事実、ナイキミサイル基地として空軍管理下にあった普天間基地は、一九六〇年海兵隊に移管され海兵隊航空基地として使用が開始されてきたのだ。
 安倍政権のいう「辺野古唯一」も破たんしている。普天間基地の閉鎖・撤去は辺野古新基地建設を「代替」とする必要はまったくない。
 二〇一七年六月の国会答弁で防衛相・稲田朋美は、一三年の日米合意で示された八つの返還条件のうち「緊急時の民間施設の使用改善」について「返還条件が整わなければ普天間基地は返還されない」と答弁している。辺野古新基地の滑走路は一八〇〇メートルで、普天間基地の二七〇〇メートルより短いことから、米軍は緊急時に滑走路の長い民間空港の使用を求めているのだ。一九九六年の日米特別行動委員会(SACO)の最終報告にこの条件は含まれていないにもかかわらず、新たな返還条件で那覇空港あるいは下地島空港の軍事空港化をも狙っているのである。那覇空港は去る三月に第二滑走路が供用開始された。現在も自衛隊との軍民共用空港である。断じて那覇空港のさらなる軍事化を許さない。
 戦後七五年、「復帰」四八年の沖縄は、今もなお日本の約0・6%の面積しかない沖縄に今年一月一日現在(防衛省による)、在日米軍専用施設・区域面積の約70・27%、全国七八施設・区域中三一カ所、一万八四九六・一ヘクタールが集中している現実がある(自衛隊との共同使用では三三カ所、一万八七〇九・九ヘクタール)。さらには、宮古・八重山への自衛隊基地建設・拡大も進行しており、依然「基地の島」の現状は変わらない。
 一方で、二〇一六年一二月二二日、北部訓練場約七五〇〇ヘクタールの過半、約四〇〇〇ヘクタールが「返還」されたことを受け、安倍政権は、「SACO合意以来、二〇年越しの課題であり、本土復帰後最大の返還」だと手放しで宣伝してきた。
 だが現実はどうか。高江地区でのヘリ訓練(夜間も)が激化し、オスプレイによる低周波被害が倍増している。「返還後の支障除去措置を実施し、二〇一七年一二月二五日に引き渡した」というものの、防護壁や鉄板、実弾梱包も含む米軍残留物が多数残存している。米海兵隊は「戦略展望二〇二五」で、北部訓練場に関し「約51%の使用不可能な訓練場を日本政府に返還する」と、明け透けにその意図を明言しているではないか。
 米海兵隊は、二〇三〇年までに兵士全体の7%に当たる一万二〇〇〇人を削減し、部隊の再編・兵力の見直しを検討中だと星条旗新聞などが伝えた。装備の更新と長距離ミサイルや無人システムへの転換、海軍との連携とともに、キャンプ・コートニー(うるま市)を拠点とする第三海兵遠征軍には、新しい沿岸連隊を三つ設けることで、中国を想定した海兵隊の相応能力を高めようとする計画である。
 同時に、二〇一八年に発足した日本版海兵隊=陸自水陸機動団と米軍による共同訓練が二月九日、金武ブルー・ビーチ訓練場で初めて実施されたように、日米軍事一体化の進捗は確実に進行している。
 反革命的統合四八年(沖縄戦終結・敗戦七五年、安保改定六〇年)の「5・15」を迎え、日米両帝国主義の沖縄差別軍事支配を土台とした日米共同反革命前線基地としての強化・固定化を断じて許してはならない。

 ▼2章―3節 日米地位協定全面改定要求を
      沖縄解放―安保粉砕―日帝打倒・米帝放逐へ


 日米地位協定は、一九六〇年新日米安保条約第六条に基づく「施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定」で、旧安保条約下で在日米軍の駐留条件や裁判権などを取り決めた「日米行政協定」を変更し正式な条約にしたものである。締結以来、六〇年間一度も改訂されていない代物である。
 日米地位協定改定要求は、一九九五年米兵による少女暴行事件での米兵身柄引き渡し拒否を契機に、「基地の整理・縮小」とともに重要な政治要求となっていく。
 この間、二〇〇四年八月沖縄国際大学への米軍CH53Dヘリ墜落炎上事故、一六年四月の米軍属による女性会社員強姦殺人事件、同年一二月名護市安部海岸へのMV22オスプレイの墜落事故、一七年一〇月東村高江での米軍CH53Eヘリ墜落炎上事故などで象徴的に現れた「管理権」、「裁判権」、「捜査権」、「身柄の引き渡し」等の日米地位協定の大きな壁。沖国大では米兵がフェンスを乗り越えて大学構内ばかりか周辺道路も勝手に封鎖した。安部海岸でも、高江でも、同様の光景が見られた。本当に怒りに堪えない。さらには、米軍の事件・事故のたびに繰り返される抗議に対して、米軍や外務省・防衛省は「原因究明」「再発防止」を枕詞のように繰り返すばかりだ。「良き隣人」なる欺瞞に満腔の怒りを覚える。
 この間、日米地位協定の下に「環境補足協定」(一五年九月)や、「軍属に関する補足協定」(一七年一月)が締結されたが、その実効性には何らの担保もない。あくまで「米軍の好意」のもと「運用改善」で対応されてきたのが現実だ。
 しかも、「環境補足協定」では、「米軍基地返還跡地利用推進のため返還前の立入調査(文化財調査等)を可能にする」ためだったが、逆に、「返還合意の一五〇日前」規定を盾に文化財調査を拒否する事態が生み出されている。
 また、米軍基地周辺などの河川や湧き水(飲料水水源)から、発がん性が指摘される有機フッ素化合物(PFOS、PFOA)が高濃度で検出されていることが中部の各地域で報告されている。しかも外相・河野はその事実を知りながら「米軍との合意が必要」と調査結果の発表を拒否しているのだ。また、昨年一月に普天間基地でオスプレイの機体整備中に、燃料約一〇〇〇リットル(ドラム缶五本分)が地下の排水溝に流出する事故が起きていたことが沖縄タイムス紙の調査で発覚した。地元宜野湾市へはもとより、日本側への通知もなく、そもそも米軍は事故を隠蔽しようと試みていたと指弾している。
 外務省は、「環境補足協定は、日米地位協定締結から五五年を経て初めての取組であり、環境基準や立入りについて、法的拘束力を有する国際約束により規定を設けたことは、(中略)従来の運用改善とは質的に異なるものです。政府としては、本協定に基づき、環境対策の実を挙げるべく、引き続き努力していく考えです」と自画自賛の声明を発しているが、実態は前記の通り、単に「運用改善」批判をかわすだけの代物である。
 一方、米軍属による女性殺人事件を受けて結ばれた「軍属に関する補足協定」に至っても同様で、地位協定の適用(保護)を受ける「軍属」の範囲を厳格化したというが、現実的な適用実態は不明のままである。
 このような米軍優位の日米地位協定の解釈や運用について、協議しているのが「日米合同委員会」であることは今や周知の事実だ。外務省北米局長ら日本官僚と在日米軍上層軍人で構成されるこの会議は、議事録非公開であり、米軍の権益を優先し日米安保反革命同盟の利益を守るための中枢である。そして沖縄人民の怒りと闘いを歪曲・圧殺するために立ち振る舞っている日帝国家権力の出先である沖縄防衛局と外務省沖縄事務所の存在も忘れてはならない。
 沖縄から発信して今や全国知事会でも決議を行うに至った日米地位協定の全面改定要求を、われわれは断固支持し、その実現へ向け闘おう。一切の米軍優先・免責事項を撤廃すること、国内法を厳格に適用することを基本に情報公開の義務付など具体的な改定項目は多岐にわたるが、決して諦めることはできない。沖縄人民の、否、日本労働者階級全体の階級的利益を守り、解き放つためにも、日米地位協定全面改定要求を沖縄解放―安保粉砕―日帝打倒・米帝放逐の闘いへと導こう!

 ▼2章―4節 沖縄人民の自己解放闘争を
       沖縄差別軍事支配打破! 沖縄解放へ!


 辺野古決戦を継続的に闘い、日帝―安倍に痛打を浴びせ続けている沖縄人民の闘いの源泉は、「鉄の暴風」と称された筆舌に尽くしがたい沖縄戦体験に裏打ちされた「命どぅ宝」思想にある。教科書検定での日本軍による沖縄戦「強制集団死」改ざんに抗議し、改定を求めて空前の一一万六〇〇〇人が総決起した二〇〇七年9・29「教科書検定意見撤回を求める県民大会」の大爆発はその歴史的到達点である。
 また、戦後米軍政支配による人権蹂躙・圧政からの脱却と解放を求めた「復帰運動」は、土地闘争での島ぐるみ闘争なども経て、一九七二年5・15「復帰」後も、「四日間の空白」を生み出し日米安保に風穴を空けた軍用地強制使用反対闘争、あるいは知花昌一氏の「象のオリ」奪還闘争を象徴とした反戦地主会の闘いを生み出してきた。
 今日、オスプレイ配備撤去、日米地位協定改定の要求を柱とする二〇一三年一月の「建白書」東京大行動・首相直訴行動総決起を起点に、辺野古新基地阻止闘争として闘われている「オール沖縄」の闘いはその発展的形態である。ここでは日帝の「構造的沖縄差別」に抗する自己決定権が強調され、「イデオロギーよりアイデンティティ」という表現で沖縄人の尊厳と誇りが全面的に打ち出されてきた。
 また政治要求としては、沖縄人民の自己解放と一体のものとして、日米地位協定改定要求が具体的な政治課題として定式化される。その起点となったのが、「復帰」後最大規模の約八万五〇〇〇人が決起した一九九五年米兵による少女暴行事件に抗議する10・21「県民大会」である。少女の人権を守れなかった屈辱と怒り、その後も後を絶たない米軍人・軍属による事件・事故への怒りとして、基地撤去・安保粉砕への重大な水路となっている。
 米軍再編・日米軍事一体化攻撃の中で、基地被害の全国化の中で、沖縄の闘いと実践的に結合する闘いを発展させることが今日ますます求められている。差別と同化によって沖縄の闘いに孤立を強いてきた歴史を総括し、実践的な結合が求められているのである。連綿と続く差別と抑圧、収奪の関係が、日帝国家権力によって政治的経済的そして軍事的につくりだされてきた。こうした沖縄差別軍事支配の構造を革命的根源的に変革することが求められているのだ。アジア人民連帯と反帝国際主義の旗の下、「反ヤマト」「命どぅ宝」「沖縄人の尊厳と誇り」として広範に形成されている沖縄人意識を沖縄人民の自己解放闘争の根底にすえ、沖縄―「本土」労働者人民の革命的団結を創造していくことが勝利のカギである。

 ●3章 結 語

 すべての沖縄労働者人民の皆さん! 「本土」労働者人民の皆さん! 共産主義者同盟(統一委員会)沖縄解放委員会(準)は、5・15沖縄反革命的統合四八年となる今日において、次の路線・スローガンの下に結集し闘い抜くことを訴えます。
一、沖縄解放―安保粉砕―日帝打倒―米帝放逐! 日帝の沖縄反革命的統合粉砕! 沖縄の日米共同反革命前線基地化阻止! 沖縄の日米軍事基地撤去! 日帝の沖縄差別軍事支配打破!
二、一九七二年5・15沖縄反革命的統合四八年弾劾! 沖縄戦・敗戦七五年、安保改定六〇年、戦後階級闘争史の総括をかけ、沖縄解放闘争の創造を!
三、辺野古新基地阻止闘争勝利! 沖縄―「本土」を貫く辺野古決戦の勝利へ突き進もう! 「設計変更」申請粉砕! 辺野古新基地計画の白紙撤回へ! 普天間基地の無条件即時閉鎖・撤去を!
四、米軍再編粉砕! オスプレイ配備撤回、軍事基地撤去、あらゆる軍事演習を即時中止せよ! 夜間飛行訓練・爆音拡大の常態化を許さず、嘉手納・普天間爆音訴訟に勝利しよう! 軍用地強制使用粉砕! 反戦地主会と連帯して闘おう! 日米地位協定を全面改定せよ! 琉球弧(宮古・八重山―奄美)への自衛隊の増強・基地拡大を許すな! 日米軍事演習・軍事一体化強化反対!




 

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