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   「自粛」の強制を許すな

  安倍政権のコロナ対策の失敗と医療崩壊の危機の実態


                    河原 涼


 

 全ての皆さん!
 新型コロナウィルスの感染拡大は、世界資本主義が推し進めてきた貧困と格差の拡大をいっそう推し進め、労働者・被抑圧人民・被差別大衆は多大な負担と苦痛を強いられている。日本においても、安倍政権が推し進める感染対策は、その反人民性が日毎に明らかとなり、労働者人民の怒りが爆発している。今こそ、安倍政権が押し進める感染対策の反人民性を明らかにし、日帝打倒闘争を推し進めよう!


 ●1章 新型コロナウイルス感染症に対する医療現場

 病院勤務の清掃労働者からの報告によれば、ある医療機関において、二月ダイヤモンドプリンセス号の新型コロナウイルスによる感染者の入院を皮切りに、報告者の務める病院では新型コロナウイルス感染者の入院が増えていった(五〇名弱)。
 四月初め、透析入院患者に感染が見つかり、その過程で、遡って濃厚接触した医療従事者七〇〇人前後をPCR検査して、二一名の院内感染が確認された。その後、病院は新規外来患者受け入れを中止し、入院患者の九割を退院させたという。
 現在、新規外来受診が少しずつ再開されるも、依然制約された状態である。
 医療現場において、新型コロナウイルス感染患者と接触する医療従事者の「頑張り」がマスコミなどに紹介され、注目を集めてはいるが、医療機関の清掃労働者やシーツ交換などのリネン関連労働者などがそれとして話題になることはあまりない。
 七〇〇名のPCR検査も、清掃労働者やリネン関連の労働者には行われなかった。
 毎日の仕事の過程で感染しはしないかと、多くの労働者が不安に駆られるなか、控室には詰所には体温計がおかれ、出勤した際に測ってチェックするなどの予防策も講じられたという。
 新型コロナウイルス感染患者が入院しても、まず清掃労働者にそれが病院側から事前に伝わることはない。
 看護師などが防護服を着て、N95のマスクや防護服などが部屋の(ほとんどが個室)脇にセットされたことで「異変」を察知して、病院側に確認して初めて、疑いがあるか、陽性か、陰性かなどと応え、「疑い」あるいは「陽性」ならば入室禁止の申し合わせを行うという。新型コロナウイルス感染患者が入院し始めた当初は、そのフロアの看護師長が「今後陽性の患者がどんどん入ってくるので、どんどん退院清掃してもらわなければ困るから、退院清掃を行って欲しい」という要請を直接現場の清掃労働者に告げたが、入室すれば感染のリスクが非常に高い。ましてや退院清掃となれば三〇分ほどは清掃時間がかかる。流石に、この清掃に関しては病院の感染対策室に打診して、陽性患者の部屋の清掃は直接はしないことを確認させたという。特に「感染の疑いがある」という場合は、徹底して「陽性」の患者として接するということを全ての病院労働者に徹底しなければ、院内感染の再発生は決して避けられない。医療従事者だけが気をつければいいということではない。

 ●2章 障害者の現状

 新型コロナウイルスに感染していなくても、多くの障害者の場合、普段の病院の受診が健全者に比べて圧倒的に不利益を被っている現実がある。
 日常生活においても、視覚障害者は、点字を触れなくなり、人に接触できない制約による矛盾を一気に受けているし、聴覚障害者は、ほとんどがマスク着用の中で口の動きや顔の表情がうかがえない中で、コミュニケーションを奪われている。
 新型コロナウイルス感染の影響による障害者の医療を取り巻く情勢は、危機的な状況を迎えている。精神病院での感染が現実化すると、マスクの着用が難しかったり、個室で治療を受けることが難しいなどのリスクの上に、精神科特例によって、患者一人当たりの医療従事者がそもそも他科に比べて圧倒的に少ないのだが、感染疑いの患者に接触した医療従事者が自宅待機になるなどして、人手不足にいっそう拍車がかかり、あっという間に医療崩壊が現実化している。日本における精神障害者は、日本独特の、地域と隔絶された閉鎖環境、長期入院、高齢化の精神病院において、世界に類を見ない矛盾を背負わされている。
 愛媛県松山市においては、NPO法人が運営する精神障害者の事業所に対して、近隣住民の一定の理解の上に徹底した感染対策が施されて運営されているにもかかわらず、五月一五日の朝、「この地域が世間様から非難されたり卑下されるのはごめんです」「税金の無駄遣いもやめてください」などと書かれた誹謗中傷のビラが貼られた。こうした差別攻撃を許すわけにはいかない。

 ●3章 日本の医療体制

 封じ込めに成功した、韓国、ドイツ、台湾などの取り組みは、技術的な側面や、政策決定の側面において、新型コロナウイルスの拡散をを封じ込め、感染の拡大を抑える一定の成功をかちとった。
 ところが日本において、封じ込めに成功した国以外の多くの欧米諸国に比べて、感染者、死者数とも少ないからといって、日本において感染拡大の阻止政策は「成功した」というのは嘘っぱちである。
 ドイツなどの取り組みは、その取り組みを時系列で追い、データを駆使して技術的側面、政策上の課題などを検証すれば、他の国が教訓とする内容は確かな根拠のもとに現れると思うが、日本においては、医療機関の感染対策の脆弱性、PCR検査体制の制度的不備、立ち遅れによって、圧倒的に検査数が少ないがゆえに感染者の全体像が全くわからない。しかも少しの感染者の受け入れによって、医療現場はすぐに機能を喪失し、底の浅い医療体制が崩壊の危機を誘発し現場の混乱に拍車をかけている。
 欧米での医療現場における感染症対策は、病院のなかに個室など充実しているが、日本においては、病院の機能のなかに感染症対策が徹底していないと、関西大学の高鳥毛敏雄教授が共同通信の取材で指摘している(五月二五日)。
 「(日本においては)診療所や病院が感染症に弱いことです。病院数自体は戦後、国民皆保険の達成、医療費自己負担の軽減などにより増え、病床数も大幅に増加しています。しかし、感染症の病床は依然として少ない状態が続いています」。
 「さらに病院の多くは一般外来診療を行っていますが、欧米の病院は一般外来を受けつけていません。また病院の個室化が遅れている上、急性期病院での感染症の流行監視・制御する部門の設置が一部にとどまっています。感染症の患者が直接病院に受診した場合、院内感染が起こりやすい状況にあるのです」。
 日本の医療体制は、基本的に感染症対策を無視した病床の回転を最優先する病院資本の意向を踏まえた政策が取られてきたがゆえに、こうした危機を予め想定していないのである。

 ●4章 PCR検査と保健所行政

 日本における新型コロナウイルス感染対策の窓口業務は、一九三七年日中戦争勃発以来、結核の全国的蔓延に対応する形で、旧日本軍の肝煎りによって全国に設立された保健所が担っている。
 保健所は、所管している自治体(都道府県、政令指定都市、中核都市など)しか運営していない。その業務は第二次予防と言われる感染症の相談や検査、飼い犬の登録や病気の予防・浮浪犬の捕獲、ねずみや害虫の駆除、医療機関の開設許可、医薬品や劇物の販売業一般などである。それ以外一般の市町村は、保健センターと言われるものを設置していて、その業務は第一次予防と言われる乳幼児健診、小児予防接種、健康相談、成人病検診などである。
 保健所を所管していない一般の市町村は、したがって感染症に対する独自の検査体制がない。必要なデータも流れてこない。都道府県、中核都市に設置されている保健所からの連絡を待つしかないのである。全国すみずみにまで行き渡らせることなど不可能である。
 保健所は、以前は厚労省の補助金で運営されていたが、一九九九年一一月の「地方分権一括法」の成立などの流れの中で、運営は地方交付税交付金で賄われることとなり、全国一律の組織から自治体の行政組織へと変質し、自治体の出先機関という位置づけでしかないところもある。イギリスのように公衆衛生組織が医療組織として独立しているのではなく、日本においては、行政組織の中に組み込まれ、その独自性が解体され、曖昧化されている。
 保健所は、行政改革で一九九四年の八四七から二〇二〇年の四六九へと半分近くまでに減少していた。しかも、少ないスタッフで、市町村保健センター、福祉事務所などと統合され「保健福祉事務所」「福祉保健所」「健康福祉センター」といった名称となっているところもあり様々な行政的任務を保健所が兼務している。
 新型コロナウィルスの感染が疑われれば、まず保健所に電話しなければならない。というより、その保健所の中に設置された帰国者・接触者相談センターにPCR検査の依頼をすることから始まる。保健所がPCR検査を認めれば、地域衛生研究所というところでPCR検査が行われる。数日後「陽性」の判定が出れば、帰国者接触者外来を紹介され、そこで入院が認められて初めて、感染者は治療を受けられる。
 しかし実態は、保健所(帰国者・接触者相談センター)に電話をしても、そもそもつながらない。帰国者・接触者外来がそもそも受け入れを拒否する。百件以上も拒否されて自宅に帰って症状が悪化するという事態が常態化した。
 保健所は行政改革により統廃合を重ねて規模が縮小されて業務が兼務され、そこに無理やり帰国者・接触者相談センターが設置されているのだ。そこで人民の命を電話の向こうで選別する仕事を現場の職員は担っている。
 PCR検査を実際に請け負う地方衛生センターは、「日本の地域における科学的かつ技術的に中核となる機関」として「その専門性を活用した地域保健に関する総合的な調査及び研究」を行う機関という紹介がある。一カ所たかだか三〇名から四〇名ほどの職員がその業務を担うとされている。業務は主に試験検査、調査研究、研修指導である。
 「自治体の財政状況悪化による予算削減と業務の重点化、国・大学・民間企業との業務の住み分けなどにより、いずれの自治体においても近年調査研究業務が縮小され、最低限必要な試験検査に重点化される傾向がある」と言われる。北海道東北新潟地区に八カ所、関東甲信静岡地区に一〇カ所といった形で設置されている。保健所の実態の脆弱性など比較にならないほどの規模であって、ここが全国のPCR検査の中核を担っているのだ。
 京都大学の山中教授は、こういう事態をみかねて、全国の各大学、民間研究機関にあるPCR検査機を活用すべきと進言したが、安倍は、一切無視した。
 千葉県松戸市にあるプレシジョン・システム・サイエンスという会社が、全自動PCR検査機を作り、フランスの医療現場に供給して、フランス大使から礼状を受け取っている。社民党の福島瑞穂氏は、それが一億で購入できることにちなみ、四六〇億以上の税金を投入してアベノマスクを配るより、全国の自治体に一つずつ検査機を購入する方が遥かに効率的だと国会で追及したが、安倍は無視した。
 PCR検査費については、当初自己負担相当額が全額公費負担となっていた。それが四月一日以降社会保険診療報酬支払い金あるいは国民健康保険団体連合会を介した支払金として健康保険の適用を受けることになって、PCR検査が大学や民間検査会社に一気に拡大する噂が流れた。しかし、それはまやかしであって、わざわざ東京都医師会は「現状では一般医療機関における検体採取や検体搬送は難しく」拡大は期待できないと通達を出している。
 安倍は、人民の命、日常生活の営為、創造など一切何も関心がない。関心があるのは、わが懐の心配と保身であり、群がる企業の利権に奔走するのみに生きる輩である。安倍は自らの発した政策がことごとく失敗したにもかかわらず、他国に比べて死者数が少ないことを「日本の成功」と豪語し、アピールに躍起である。こうした輩を許すわけにはいかない。
 保健所が日本における感染症対策の行政手続きの窓口業務を一手に引き受けて行っていたがゆえに、体制が崩壊するのは時間の問題であった。PCR検査体制がほとんど行き渡らない状態であっても、保険所を通さなければPCR検査を受けられない。
 しかし、現場の人手不足で保健所が検査自体を拒否する事態が後を絶たず、自宅待機のまま、検査を受けられず入院できないまま症状が悪化し手遅れになるというケースが続出した。
 現在の、新型コロナウィルス感染対策の崩壊は、感染症対策をないがしろにし、行政改革による統廃合を繰り消した保健所行政と、基礎研究をないがしろにし、感染症対策を立ち遅らせた地域衛生研究所の脆弱な体制、そして医療現場における感染症対策の決定的立ち遅れの結果として歴史的必然である。

 ●5章 排外主義動員許すな

 当初保健所は、六八年権力発足以来、当時から青年男子に結核が蔓延していたのを受け、一九三七年旧日本軍による肝煎によって設立された。一年後の一九三八年に厚生省が発足し、「結核予防会」の設立、結核研究所も設立された。しかしながらその政策は、感染者を保護することよりも、社会からの排除隔離が優先されてきたのである。その法的根拠は一八九七年に成立した伝染病予防法であって、社会防衛が主軸である。患者の治療は優先されないため、医療体制の整備は問題にならなかった。伝染病予防法では、医療の提供はなく、隔離施設を準備して収容すること、患者の家を消毒することなどを市町村が行うとされた。現在、感染症指定病院の多くが市立の病院であることもこうした歴史が一因である。
 保健所は、第二次大戦敗戦後、結核患者が少なくなれば保健所不要論が台頭し、九七年地域保健法施行後、保健所は統廃合を重ねて半減していく。感染症は医薬品の開発、ワクチンの開発により、歴史の中である程度抑えられてきたが、日本においては社会的弱者への救済などの政策は無視されてきたが故に、多くの路上生活者の間での伝染病の拡大などを顕在化させた。一九九八年大阪で、保健所によって公園のトイレのトイレットペーパーを回収したため、路上生活者の間で赤痢の大規模集団発生を結集した。
 伝染病予防法は、一九九六年薬害エイズ訴訟、九八年「ライ予防法」違憲訴訟などの闘いにより、九九年「感染症法」にとってかわる。行政側からの改革は何もなされていない。感染症の指定医療機関がようやく整備され始めたのも感染症法が施行された以降である。
 治安という観点から、感染症対策をもう少し紐解けば、一八七三年大久保利通らによって設立された内務省にその根源がある。内務省は警察部門も有していたため、犯罪捜査、思想弾圧の他に、伝染病対策、精神障害者対策も担っていた(内務省衛生局など)。一九三八年衛生局と社会局が合併して厚生省が内務省から分離独立するまで、精神障害者を連行すること、伝染病患者を連行することを、内務省管轄下において、警察が行っていた。もちろん、伝染病患者に対する医療的な治療措置は何も取られず、国内において伝染病患者を探し出し、隔離することは、当時の警察の重要な任務であった。例えば、一九〇四年内務省令「肺結核予防ニ関スル件」が制定された。公衆の集まるところに痰壷を置き、痰壷の消毒を行い、結核患者が使用した物品など消毒するように決められたが、警官による取締りが中心だったという。警察官が精神障害者を拉致したり、都道府県知事などに通報することなどは、現在なお法的根拠を持つ(警察官職務執行法第三条、精神保健福祉法)。そうした体制が現在なお脈々と継承されている現実が、今回の事態の危機的状況を作り出していると言える。
 社会の「安定」をかき乱すものとしての位置付けによって、精神障害者だけではなく、感染症患者などが、本来受けられてしかるべき医療的支援などは無視され、逆に社会から排除されるという法制度的根拠が、日帝の治安対策の歴史の中に存在するのである。そうした法制度が、人民の思想形成に大きく関わり、刷り込みを構造化させるのだ。新型コロナウイルス関連に見られる、行政側だけでなく大衆からも見られる過剰な「自粛」の強制は、差別ビラや、行動に現れる。個人の「正義感」が強調されて「自粛警察」なるものになったというのは幻想であって、日本独特の人民支配に根付く治安弾圧体制の問題である。歴史的体制の継承の実態が、地域社会において大衆的に根付き、いとも簡単に排外主義的動員の攻勢を形成するのである。問題は根本的に階級的である。安倍政権の反動性を打ち破り、日帝打倒闘争に立ち上がろう!




 

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