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   「アジア諸国人民との一層の団結めざしレーニン
   民族・植民地理論で武装せよ」に今学ぶべきこと


                岩山 昇



 昨年一一月、美杉同志の遺稿集が発行された。三つの論文が収録されているが、ここでは第二論文「アジア諸国人民との一層の団結めざしレーニン民族・植民地理論で武装せよ」を紹介したい。九〇年代、共産主義者同盟(戦旗派)時代に執筆されたものだが、アジア人民との国際連帯運動や、自己決定を求める沖縄民衆の解放闘争に応えようとするわれわれにとって、豊富な内容が示されている。それだけでなく、現代の中国スターリン主義による少数民族に対する抑圧がいかにレーニン民族解放綱領に背くものであるかが明確にもなるだろう。
 まず著者・美杉同志の本論文執筆の問題意識について紹介する。「われわれは現在、日帝打倒に向けてアジア諸国人民との共同闘争を断固として推進しているが、そこにおける抑圧民族プロレタリアの任務をよりいっそう鮮明にするために、そしてまた、スターリン主義官僚体制の崩壊によってうち捨てられようとしている民族・植民地理論の防衛・発展のために、また国内におけるアイヌ民族問題、沖縄解放闘争、在日中朝人民、在日外国人問題など、緊急にして重要な問題が山積みしている現在、いま一度レーニンの原点にたち戻り、内容を主体化していく必要があると考える」というものだ。
 論文の流れについて簡単にまとめよう。まず第一章で、マルクス・エンゲルスにとってのプロレタリア国際主義の原則「他民族を抑圧する民族は自由ではありえない」をレーニンが認め、継承したこと。一例として、一九世紀中盤にドイツがポーランドを分割支配していた時代に、ポーランドの解放なくしてドイツ・プロレタリアの解放もないと宣言したエンゲルスにならい、レーニンは諸民族を隷属させていたツァーリ専制のロシアにもこの原則を適用した。
 続く第二章から三章では、第一次大戦前夜、レーニンとローザ・ルクセンブルク、ポーランド「フラキ」派、アルメニア社会民主主義者、ユダヤ人ブンドとの激しい論争を追っている。
 ユダヤ人ブンドの主張する「文化的=民族自治制」を批判するとともに、その根拠となったオーストリア社民党綱領まで遡って紹介している。またローザの『民族問題と自治』を紹介しつつ、民族自決権支持のレーニンの立場を踏まえて批判した(この辺りは、当時のオーストリアやポーランドの歴史、その複雑な民族構成を理解していないと、読み込むのが難しい)。
 第四章は、第一次世界大戦が始まり、帝国主義の戦争に雪崩を打って賛成した社会排外主義(第二インター主流派)と闘いつつ、民族解放綱領を深化させたレーニンの足跡をまとめている。ここには現代の、とりわけ帝国主義足下で生きる共産主義者にとって重要な観点が述べられている。例えばこうだ。「社会主義者は、これら(半植民地および植民地)の国におけるブルジョア民主主義的な民族解放運動のもっとも革命的な分子を、もっとも断固として支持し、これらの諸国を抑圧する帝国主義列強に抗して、これらの革命的分子の蜂起を、そしてできるならば彼らの革命的戦争をも、援助しなければならない」。もちろん当時と現代世界は大きく変貌しているが、帝国主義同士が激しく対立しながらも他民族を搾取・抑圧する構造に本質的変化がない以上、この観点と実践はわれわれにとってなお重要であり続ける。
 第五章以後はロシア革命の勝利によって生まれた労働者国家が、周辺の少数民族やイスラム勢力に対し、実践的にどう対応すべきかをめぐって、ブハーリンおよびスターリンと、レーニンとの間で交わされた論争を跡付けている。ブハーリンは「民族の自決」を事実上、否定したが、その背景には「国家資本主義トラスト対プロレタリアート」という一元的な狭い世界観(プロレタリア一元史観)があった(第五章)。スターリンについては、広大な民族抑圧国家となり果てたあげく崩壊したソ連の原型をつくった張本人であるだけに、厳格な批判が欠かせない。スターリンの主張した「自治共和国制」に対するレーニン「最後の闘争」を振り返りつつ(第六章)、著者はスターリンと全く異なるレーニン・ボリシェビキの民族綱領の核心を、ここで次のように確認している。「『民族自決の承認』は、領土を併合してきた抑圧民族のプロレタリアートが、併合され抑圧されてきた被抑圧民族が分離を要求するのであれば、その政権がプロレタリア権力かブルジョア権力であるかを問わずその権利を認め、そのことによって被抑圧民族のプロレタリア、農民の信頼を獲得し団結し、被抑圧民族のプロレタリア革命をうながしていくのが義務であるという綱領である」。実際、スターリン主義がこの原則に真っ向から背いたことは歴史が証明している。
 最後の第七章は一九二〇年コミンテルン二回大会における「民族・植民地問題テーゼ」の意義を確認している。インド人共産主義者ロイとレーニンとの間で交わされた討論にもとづいて作成されたこのテーゼの意義を、著者は「植民地・従属国を含む世界革命に現実的展望を与え、実践的任務を確定した」とまとめている。
 だがその意義を深く知るには、当時の植民地・従属国における人民の闘い闘争主体の分析が欠かせない。そこで中国、インドの民族解放運動の歴史に触れたうえで、著者はレーニン・ロイ論争の核心部分を六点にわたって提起している。ひとつだけ紹介すれば、第二インター主流はヨーロッパ中心で植民地・従属国の運動を黙殺したあげく、自国政府の侵略戦争に賛成して崩壊した。これを批判し、植民地・従属国の解放運動と結合してそれを不可欠の一部としたのがコミンテルン結成の意義であり、このテーゼの核心部分だ。
 印象に残るのは、そうして結成されたコミンテルンにもいまだ「第二インターの気分」、つまり植民地問題を軽視する傾向がヨーロッパ共産主義者にあることをロイが批判したことに触れ、これを美杉同志は「われわれの体験から言えばまさに七・七華青闘告発そのものなのだ」と述べていることだ。
 全体を通して読めば、マルクス、エンゲルス、レーニンを貫く民族解放綱領の意義をつかめるようになっているが、重要なことはその結論だけを理解するのではなく、論争を通じて深く理解することだろう。そうでなければ、過去の共産主義者の格闘から教訓をつかみ、その角度から現代の矛盾に切り込むことはできない。その意味で本論文で繰り広げられた数々の論争は今も振り返り、血肉化すべきものだと言えるだろう。


 

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